「叛-安倍」リベラル勢力の総結集!(98)

《Ken Sway Kenと管理者の【憲法改悪阻止】キャンペーン》

〔大衆運動の力で「憲法改悪阻止」「共謀罪」法等-反動化阻止!〕

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<安倍流9条加憲は「憲法条文内クーデター」明記しても自衛隊の違憲性は問われ続ける>

 安倍(戦争)首相はこの5月3日に表明した、自衛隊の存在を9条3項に明記する「9条加憲案」。「自衛隊記入だけなら現状を明記するだけだから」と警戒解除してはいないか。
 実は、その「現状」こそが危険なのである。
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 安倍(戦争)首相は、憲法9条1項と2項を存続させて、「9条に自衛隊を書き込む」という新方式を唐突に提案した。これは単なる「現状維持」どころか、そのもたらす効果はあまりにも危険である。第一に9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定している。政府解釈は、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」(自衛力)であり、2項の「戦力」には当たらないとし、自衛のための必要最小限度の範囲内に留まれば、核兵器を保有する事も合憲と解釈している。従って「自衛力」の明記で「自衛のための」核兵器の保有が可能である事が憲法上確定する。7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されたが、安部政権は条約に参加しない態度であり、危険極まりないトランプ政権の核兵器に期待し、寄り添う姿勢を明確にした。だが核兵器はどう見ても「戦力」に該当する。「自衛力」の明記で、核武装を禁止する憲法上の根拠が失われる。自衛隊の明記は「現状維持だから安心」ではない。維持されるというまさにその「現状」に危険な内容が含まれているのである。
【「殺されるリスク」増】

 第二に安倍政権は「自衛のための必要最小限度の実力」に集団的自衛権の一部が含まれるという違憲の解釈変更を行なったので、明記される「自衛力」には集団的自衛権の一部が含まれることになる。朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)や中国が米国を攻撃した場合、日本は、北朝鮮や中国から攻撃を受けていないにも関わらず、「自衛のため」と称して攻撃することができる。これは、北朝鮮や中国からみれば、日本が先に攻撃した事になるから、その報復攻撃は免れない。集団的自衛権を認める改憲に賛成するという事は、報復攻撃により一般市民が殺害されるリスクを覚悟するということである。

 厳しい言い方であるが、新9条に賛成する人達は、報復攻撃を受けて自分が死んだり家族、恋人、友人が殺害されたりしても、政府を批判する資格はない。
「北朝鮮、中国が危ないから」という理由で先に手を出して、外国人を殺害したあげく、報復攻撃を受けたら「許せない」というのは、身勝手極まりない。
 安倍流「自衛力」の明記で、「専守防衛」まで引き戻す憲法上の根拠が失われるのである。第三に明記される「自衛」の拡大解釈を防ぐ手立てはない事にも注意しておく必要がある。「自衛」の解釈として、政府は従来、「武力の行使」が許容されるのは、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られるとしてきたが、安倍政権は、集団的自衛権を認め、この限定(専守防衛)を骨抜きにしてしまった。昭和13(1938)年発行の海軍大臣官房編『軍艦外務令解説』によれば、戦前の軍隊の自衛権行使の条件は、「(1)国家又ハ其ノ国民ニ対シ、急迫セル危害アルコト。(2)危害ヲ除去スルニ、他ニ代ルベキ手段ナキコト。(3)危害ヲ排除スルニ、必要ナル程度ヲ超エザルコト。(4)危害ハ、自己ノ挑発シタルモノニ非ザルコト。(5)危害ガ自衛行為ヲ加ヘラルベキモノノ不法行為又ハ怠慢ニ基クモノナルコト」であった。この(1)(2)(3)の要件は、従来の政府解釈による自衛権行使の3要件(①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)と文言が似ている。
 だが、両者には決定的な違いがある。『軍艦外務令解説』は、満州事変と上海事変を自衛権行使の例とするが、安倍政権による変更前の政府解釈は、①の要件を「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実がある場合のみに限定していたため、満州事変や上海事変が再び起きる余地がなかった。だが「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」を理由とする「解釈変更」により、要の安全装置である①の要件が破壊されてしまった。

 だから「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」が「自衛」の範囲の「解釈変更」の理由になるのであれば、新9条の「自衛」の範囲も同じ理由で拡大解釈されないという保障はない。北朝鮮でさえ、憲法60条で「自衛的軍事路線を貫徹する」と定めている。
 無自覚に「自衛」をご都合よく押し出していく事の危うさは明らかだ!

【軍の「誇り」は暴走する】
 第四に自衛隊の統合幕僚長(旧統合幕僚会議議長)には、政治の統制や防衛省内局等を意に介しない「政治的軍人」が多い。制服組トップの統合幕僚会議議長だった栗栖弘臣は「いざ戦闘となれば自衛隊は独断する」「徴兵制は有効だ」「いざとなれば超法規で戦闘突入する」と発言して解任されたし、航空自衛隊のトップ統合幕僚会議議長だった竹田五郎は、徴兵制は憲法違反という政府統一見解を公然と批判し、当時の政府がとっていた「防衛費GNP1%枠」と「専守防衛」も批判した。第1次安倍政権の時に海幕長から統幕長になった齋藤隆は「国家革新を唱える右翼的な人物」として、長らく公安当局にマークされていた。
 現在の安倍政権の河野克俊統幕長(同じく海上自衛隊出身)は、自衛隊を憲法に明記する提案を「非常にありがたい」と述べた。政治に介入しないというプロの軍人としての矜持すらない。自衛隊では、このような危険な「政治的軍人」がトップに座ってきた。
 元自衛官の佐藤正久参議院議員は「先ずは自衛官が誇りを持って任務を遂行できる環境をつくることを優先すべきだ」と述べていた。警察、海上保安庁、消防は憲法上の機関ではない。自衛隊が憲法に明記されれば、自衛隊は天皇、国会、内閣、裁判所、会計検査院と並ぶ憲法上の機関に格上げされ、自衛隊に一定の権威が与えられることになる。
 今も暴走している「政治的軍人」やそれを支援する「軍事過多」の政治家達が新9条により「誇り」を持った途端、軍隊が大きな顔をする社会になる事は目に見えている。
【「戦時社会」がやってくる】

 彼等は、新9条をフル活用し、市民社会に軍事的思考が浸透していくだろう。
「改憲により、自衛隊は今や憲法上の権威ある軍隊となった。国民は益々、防衛に親しむ必要がある。今後は堂々と、企業や学校での体験入隊の推進、自衛隊入隊者の進学・就職の優遇措置、学校での防衛思想の普及をお願いしたい。自衛隊の軍事訓練に国民は積極的に参加されたい。参加は任意だが、北朝鮮や中国の脅威が高まっており、憲法に明記された防衛思想を真剣に考えるならば、参加しないのはいかがなものか。皆さん参加されていますよ」。
 貴方は、こんな社会を望むのか。最後に自衛隊を明記したとしても、自衛隊は9条2項の「戦力」不保持の規範的影響は受け続ける。そうすると政府が軍拡を行なったとしても、それは「自衛力」の範囲内であると強弁を続ける事になる。結果「戦力」概念の骨抜き、換骨奪胎が完成する。そして新たな自衛隊の根拠規定は独り歩きを始める。

【自衛隊違憲論は消えない】
 そうなれば、これまで9条2項が自衛隊に対して果たしてきた立憲的統制のダイナミズムが崩壊して、「自衛隊」のまま「軍隊」となる。これを「憲法条文内のクーデター」と言う。
 他方で、新9条で自衛隊「自体」が合憲になったとしても、自衛隊の個別の「装備・人員」が「戦力」に当たることはあり得るから、自衛隊の違憲性は問われ続ける。
 そうなれば、「神学論争をやめよう」という「印象操作」が蔓延し、9条2項が葬られるのは時間の問題である。安倍(戦争)首相は、この改憲により「自衛隊違憲論を一掃する」という。9条の問題は、言論や学問の自由とも深く関わっているのである。(参考文献-週刊金曜日/文責:民守 正義)


《【森友学園疑獄事件】昭恵氏は「神風の発生装置」籠池容疑者が「逮捕直前」に語る》

 なぜ教育勅語に辿り着き、首相の名を冠する小学校を造ろうとしたのか。
 国との交渉で「神風」は吹いたのか―。学校法人「森友学園」(大阪市)の籠池泰典・前理事長に取材を申し入れ、籠池氏は5月8日と18日、計10時間ほどにわたってインタビューに応じた。あくまでも籠池氏の主張だが、国有地売却問題の真相解明につながる証言とみて、その生い立ちから現在までを語った言葉を紹介する。
 1953年2月、籠池氏は瀬戸内海を望む高松市の港町で生まれた。
 本人によると代々、海運会社を営んでいたが、籠池氏が小学生の時に事業が行き詰まり、大阪や兵庫を転々とすることになった。「海は近かったから。小さい時から、糸たらしたらカニが釣れるって感じでやっていましたから。船の音も好きだし、船員さんの、鯔背な声も大好きだし。ハッピ着て、やくざの人が。ずっとあれもかっこええやないの、と思っていた」「海運陸運業、大きかったのですよ。(高松市を離れたのは)小学校の5年の終わりか、6年の初めかな。引っ越したというより、倒産した。戦争中に船がたくさん沈んだから。戦争がなかったらまた違っていたかもしれん」
 「1年間ほどは、父母とも別れていた。父の兄の家に預かってもらって、それから親に大阪に引っ張って貰った」籠池氏は高校卒業後、関西大学に入学。

 「森友学園」の創始者、森友寛氏(故人)の娘だった妻、諄子氏と在学中に知り合った。
 大阪・心斎橋の百貨店でのバイトがきっかけだったという。「僕は催し物売り場。彼女は1階の真珠宝石売り場でしたか。僕が22歳くらいの時に、(諄子氏は)19歳だったのかな。ちょっと次の休み時間にお茶に行きましょうかという感じで行く訳ですよ。心斎橋の辺りは、今よりも、もうちょっと家族的な雰囲気の喫茶店が多かったんです」

 籠池氏は大学卒業後、奈良県庁に就職した。そこで見たのは「日本の原点」だという。「はっきりと自分でわかってなかったんだけど、何とか社会に役立つ事はしたいなあというのが原点にあったから。奈良県庁の行政職一般上級を受けたら合格しちゃった」
 「まほろばの国、奈良やから、自分自身の歴史観というかね、何というか、日本という国の原点というのかな。県庁があるとこいうのは高台で、東大寺もあって、いいとこでしょ。原点というのは色んな意味があって、ここから色んなことが発生していったのだなあと思いましたね。美しさとか、おごそかさ、のどやかさいうのは感じていた」
■「教育勅語見て、すー、すとんっと入ってきた」
 就職から2年後、籠池氏は諄子氏と結婚する。奈良県庁の仕事に「未練」があったという籠池氏。だが結婚から約5年後には県庁を退職。森友寛氏が経営する幼稚園で働き、教育者としての道を歩み始めた。「給料安かったから。ちょっと無理やろって感じだったのですよね。でも(寛氏が)君ら結婚するなら、もう結婚せなあかん、と。生活できるかなあ、と思いながら結婚したんやな。4月29日、(昭和)天皇誕生日に結婚したんですよ、絶対に忘れないように。右翼でもないんよ、普通やったんやけどなあ」「先代もどちらかというと、普通の幼稚園の園長というより、陸軍士官学校の出身やったから、次の世代の子供達を創っていかなければならないんだと。なんちゅうかな、一本気なところが当然あったからね」ただ幼稚園教育で教育勅語を活用するという発想は当初、なかったものだという。

「日本の国が好き。戦争で負けたけど、日本人の頑張りようが好き。(教育勅語に辿り着いたのは)それは人生経験してからですね。40歳ぐらい。
(森友学園で勤めるようになってから)10年間はずーっと雑巾がけしていて。
 雑巾がけって枕言葉みたいに思うけど、本当に雑巾がけでね」「自分自身もそこまで成長してないというか。教育勅語ってあそこに書いてある12の徳目ってあるでしょ。徳目に、自分が今までやってきた教育の内容とか、心の思いが入っていく訳。『あ、これか』となるまでに、まだ時間かかります」「15年位前『これだ』と。四書五経とか色々な古書を見ながら、どっかに繋がるところがあるんだろうと。これだけ歴史の長い国の中で皆、中途半端な教育をしている。教育勅語見て、すー、すとんっと入ってきた」

 籠池氏の中で、小学校を開校する構想が現実的になったのは09年頃だ。
 「(籠池氏が活動に携わった)生長の家が(小学校を設立)すると思っていたら、しない。今は、自分はできない、まだと言っている内に、この年齢になってきた。今位しかないか、70歳を過ぎたらできないだろうな」小学校の開校を決意した籠池氏が求めたのは、学校をつくる用地だった。「やっぱり土地を探さないといけない。自治体とか顔きくから、(当時の大阪府議に)『先生、どっかいいとこないですかね』と。(府議は)色々、回ってくれはった。結局、私の方で(豊中市の土地を)見つけたんやけど。ロケーションて大事でしょ。夢を投影できる場所はどこかなと」
■「この人の名前、やはり後世に」
 小学校新設を決めた籠池氏にとって、大きな存在となった人達がいる。
 安倍(戦争)首相夫妻だ。「安倍晋三記念小学校」という校名は、自民党が野党の時代に思いついたという。「過去の人という評価やないですよ。まだまだ一花、咲かせてくれるだろう、実際的に国政を引っ張っていってくださるだろうという感じは持っていましたからね。顕彰という気持ちよりも応援したいという気持ちやったんやないかな」「顕彰(の意味)もあんねん。世間の人は色々言うてたけど、(第1次安倍政権で)立派にようやってくれた。体ぼろぼろになりながらようやってくれたと。涙出てくるような思いやった感じだったのですね。この人の名前をやはり後世にまで残していかなあかんなというような思いを持ったわけ」「あれだけ頑張った人がドロップアウトされていく。何でやねんと。この一時期に政治生命かけてやったのだ。それを顕彰してあげないと武士の情けに反するのじゃないかと。教育基本法、よう変えた。(第2次安倍政権が誕生したのは)嬉しかったですよ、これは天命だと」籠池氏は第2次安倍政権下で、財務省近畿財務局と国有地売却に向けた交渉を進めていく。その過程で名前が浮上するのが、国有地に開校予定だった小学校の名誉校長に就任した安倍(戦争)首相の妻、昭恵氏だ。

「(14年4月、小学校建設を予定していた国有地に昭恵氏と一緒に行き)『ここですよ』という話をした。当然の事ながら『今どうなっているのですか』という話になる。
『実はこういう事で私らも困っているのです。前に進めたいけど、ディフェンスが強くて』。そしたら『何かすることは?』という感じになる。『まあ、大丈夫ですよ』と言った、僕も。『また何かあれば、その時はよろしくお願いします』と。家内も横にいたから聞いている」国有地を格安で購入した経緯について、籠池氏は3月の国会の証人喚問で「神風が吹いた」と表現した。「(昭恵氏は)我々の学園の名誉校長をされる前から講演会に何度か来られている。財務局の人間も知っているから。知っているが故に、凪から、そよ風、強い風になっていく、そうゆう感じなのですよ」
 ターニングポイントに挙げるのが、籠池氏の求めに応じて昭恵氏付の政府職員が15年秋、国有地の取引について財務省に問い合わせた事だ。「(当初の借地料が)凄く高い金額だったから何を考えているんだと。(政府職員による問い合わせの頃から風が)怒濤の如く吹き始めた。昭恵夫人とも電話は、よくしていたし。ぐっぐっと動いているという感覚があった」籠池氏は、他にも国会議員の名前を挙げながら、昭恵氏を「神風の発生装置」と表現した。「(元防災担当相の)鴻池(祥肇)先生は鴻池先生の方で風を起こしてはる。(元経済産業相の)平沼(赳夫)先生も、ちょこっと起こしてはるわけ。それらによってぐーっとなったところに、すぽーんと大きな扇風機が入って、どごーんという感じやと思う」
■「もしも政権側と手を握っておったら…」
 小学校の計画が頓挫した上に、大阪地検特捜部の捜査対象になった籠池氏。
 インタビュー当時、逮捕を覚悟していた籠池氏はその心境を語った。
 「何で僕が逮捕されないかんのかな思っているんですよ。何で貶めるかというと、国有地の問題は、あいつがやった事やから、全部あいつが悪いんやでという方向に持って行こうとしている訳でしょ。それってゆうのは凄く拙い事やないですか」

 「疑いを持って僕を見てほしくないと思っているんですよ。結果としてこういうことになってしまっているけど、気持ちとしては本当に純粋にやってきたんでね」
 「もしも政権側と手を握っておったら、ここまで来なかったのかなという気持ちもある。これは真正直な話です。それは今更、言ってもしょうがない話やけど」
(基本文献-朝日新聞デジタル/管理者:部分編集)
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《9.19国会前【安倍辞めろ!】国会包囲大集会》

主催者:Masamichi Tanaka
2017年9月19日12:00-18:00/集合場所:国会正門前
【国会前に20万人集まってください。】
*2年前のあの日を思い起こして国会正門前に集まってください。
世直しに参加してください。一度だけ本気で闘ってください。
宜しくお願い致します。 田中正道


《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》

職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。
②採用コンサルタント。
*著作[「公正採用」と「能力発見!」採用選考のコツ]
*著作「採用面接」労働条件確認
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp
●費用:交通費等、実費+α(若干-協議)

(民守 正義)