「叛-安倍」リベラル勢力の総結集!(84)

《Ken Sway Kenと管理者の【憲法改悪阻止】キャンペーン》

〔大衆運動の力で「憲法改悪阻止」「共謀罪」法-廃案を!〕

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<真正右翼「一水会」顧問-鈴木 邦男さんの憲法観>

 右翼団体「一水会」の創立者であり、現在も顧問を務める鈴木邦男さん。
 テレビや雑誌等での発言からは、そこらの「ガラクタ右翼」とは違った意外な印象。
【「憲法を変えれば全てがよくなる」訳ではない】
Q:一般的に、いわゆる右翼団体の憲法に関する主張といえば、「自主憲法制定」とか「自国軍を持てるよう憲法改正を」とか、そういったものがイメージされる事が多いと思います。私達も、そうした主張の高まりを、しばしば「右傾化」という言葉で表現しますし…。
 鈴木さんは、学生時代から右翼運動に関わり、1972年に「一水会」を設立、現在も顧問を務めていらっしゃいます。一方で、最近は「日の丸君が代を強制するのはおかしい」といった、いわゆる「右翼」のイメージからはちょっと意外な発言も度々されていますね。
 そこで先ず率直に伺いたいのですが、日本国憲法については、これまでどんな考えをお持ちでしたか?

鈴木:学生時代は、とにかく憲法そのものが全部許せない、諸悪の根源だと思っていました。「憲法が変われば全ての事が良くなる」と思っていたんです。
 今から考えるとアホらしいのですけどね(笑)。
Q:それは、どういった点からの発想なのですか?
鈴木:やっぱり「アメリカからの押しつけ」だということ。この憲法は日本を骨抜きにしようと思って作られたもので、日本の伝統文化を全て否定して、日本人の精神的な支柱を崩している。それを改正すれば、一人一人の日本人としての自覚も高まるし、国家の誇りも持てるし、犯罪もなくなるに違いないと考えていましたね。

 でも、よく考えてみたら、日本人がつくった明治憲法の下でも犯罪はあった訳だし、尊敬に値しない人も沢山いた訳で(笑)。例え憲法改正して素晴らしい理想的な憲法ができあがったとしても、犯罪はなくならないだろうと。そう思うようになったのです。
Q:そう思うようになられたのは、何かきっかけがあって?
鈴木:というよりは、右翼の運動をやる中で、段々と疑問に思うようになった事があったのですね。例えば「日本の平和は9条じゃなくて安保のおかげ。9条なんて変えるべきだ」と言っていても「でも9条にだって、軍隊を出さなくてよかったとか、プラスになった点はあったはずだ」とも思う事がある。でも、それは口には出せないのですね。
「対立する相手の言い分をちょっとでも認めたら、自分達の言い分は100%崩れる」という思いがあるから。相手の言う事は否定して、とにかく「憲法を変えれば全て、よくなる」と唱え続ける訳ですね。今の自民党が言っているのと同じ感じですよね。
 自民党は、自分達が戦後ずっと政治をやってきたにも関わらず、成果が上がらなかったのは全部憲法と教育基本法のせいだ、という事で「憲法を変えれば全てうまくいく」。
 自分達の努力不足や力のなさを弁解する口実として、憲法は非常に「便利」だったのじゃないですか。逆に「平和憲法を守ろう」と言っている人達の方にも「とにかく憲法を守ってさえいればいいんだ」という姿勢があるように感じた。内心では、天皇条項はいらないとか、こんな権利を書き加えてほしいとか思っていたりしてもね。右も左も、憲法については何故か、そういう「タテマエ」が凄く大きいんじゃないでしょうか。
そう考える内に「憲法を変えれば全てよくなる」というのも「憲法さえ守っていればそれでいい」というのも、どちらも嘘なんじゃないかと思うようになった訳です。

【自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法を選ぶ】
Q:では今の時点では、憲法について、どんなふうにお考えですか。特に安倍内閣が掲げる「改憲」の構想については?
鈴木:僕は今でも「自主憲法の制定」には賛成だし、憲法を見直すこと自体はやるべきだと思っています。でも今の自民党政権がやろうとしている改憲は、かなり国民の自由を制限するものですよね。常に「国のため」「公共のため」で、「国民は自由だとか自分の権利だとかバカなことは考えるな」という。
Q:自民党の「新憲法草案」では、国民の権利は「公益及び公の秩序」によって、大幅に制限される内容になっていますね。
鈴木:そもそも国家があって国民がいるのじゃない。国民がいて、その国民の自由と平和のために国があるのです。憲法だって、国民の権利のためにあるものでしょう。
 僕は今の憲法は押しつけ憲法、占領憲法だと思っていますけど、自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法の方がずっといい。憲法の前文もね、以前は「あんなわかりにくい、英語で読んだ方が解り易いような文章は日本語じゃない、本当の日本語に変えるべきだ」と思っていたんですけど、中曽根さんが書いたやつとか、その後、舛添さんが書き直したのとかを読むと「今の方が、まだ格調高くていいなあ」と(笑)。
Q:「改憲派」ではあるけれど、今の政府が掲げる改憲には賛成できない、というお立場ですね。9条についてはどうですか?
鈴木:現実の方がどんどん進んで、憲法がそれに合わなくなってしまっているから、現実に合わせるために憲法を変えるんだという人がいますけど、さみしい話だなと思いますね。
 元々、夢や理想を書くのが憲法というものでしょう?イギリスなんかには、成文法の憲法はありません。その意味では、日本だって憲法がなくたって、法律だけでやっていこうと思えばいけるのです。それでも憲法をつくるのは、国家の理想を謳い上げるものだからですよ。

Q:その理想がもっとも表れているのが、憲法9条。
鈴木:「戦争のない世界に」というのは、夢物語かもしれない。でも60年前には、少なくとも日本は「やれるかもしれない」という夢を抱いてそのスタートを切った訳ですよ。
 それを100%捨ててしまうのもアホらしい。僕は左翼学生と散々、闘っていたから、彼らの主張のくだらない部分もよく解るけれど、彼らが語っていたような夢とか理想とか、そういうものまでなくすべきじゃないと思うのです。本来なら9条はそのままでスイスのような永世中立国を目指すとか、自衛隊はとりあえず認めるけれど、保安隊に、そして警察予備隊にと徐々に縮小していくとか、そういう選択肢もあるはずだし、議論はできるはずです。

 ところが今は、テレビの討論番組でもなんでも、声が大きくて勢いのいい方が勝つようになってしまっているから「そんな夢みたいな事ばかり言ってどうするのだ、ばかやろう」みたいに言われて、建設的な議論ができないんですね。
【表現の自由は、もっと大幅に認めるべき】
Q:先程、鈴木さんは「憲法を見直すこと自体には賛成」と仰っていましたが、具体的には、どの点を「見直す」べきだとお考えなのでしょうか?
鈴木:先ずは表現の自由はもっと大幅に認めるべきですね。ちらし配り、ビラ貼り、街宣、デモ、集会は全て無制限に自由にする。そのくらいやっていいと思います。
 明治時代に「*植木枝盛」という人がつくった憲法草案には、「抵抗権」や「革命権」まで書かれているのですよね。それにも僕は賛成です。国は人民のためにあるのだから、その権利が抑圧されたら革命を起こす、国家を打倒する権利を有すると、書けばいいと思う。
 何より憲法は、そういうふうにもっと自由に論議されていいし、するべきものだと思うのですよ。「天皇制がいらない」というなら、1条から8条はもう削除してしまうとか、そういうことも論議すればいい。僕も天皇制は憲法より、ずっと古くからあるものだから、高々120年の歴史の近代憲法に、わざわざ書かなくてもいいかなと思っていますよ。
〔*植木枝盛:明治時代の自由民権活動家。高知県会議員、衆議院議員等を務めた。彼が起草した「東洋大日本国憲法」は、当時作成された「私擬憲法」の中でも最も先進的な内容といわれる。〕
Q:ただ憲法について論議する、そして改憲という可能性自体を認めてしまう事で、今の状況では自民党が掲げる改憲案、つまりは9条の改悪に繋がってしまうのではないかという懸念もあります。

鈴木:そうなのですよね。僕も以前、左翼の人達に「今の憲法は旧仮名遣いで書かれているから、これだけでも新仮名遣いに直したらいいんじゃないか」と言った事があるのだけど「そういう事を言うと憲法改正論議に巻き込まれて、9条が変わってしまう」と言っていました。実際のところ、今の憲法の条文に100%護憲だという人は殆どいないと思うのですよ。
 皆、どこかしら不満があると思う。でも、それで9条を変える事になったら嫌だから護憲と言っておこう、100%支持しているふりをしておこう、みたいな。ここでも「タテマエ」があるのじゃないのかな。

Q:否定できない部分はあるかもしれません。世論調査等を見ても、環境権やプライバシー権を入れるべきだという声はかなりありますし。
鈴木:だったら憲法改正論議の前に「改正してもこれだけは変えない」という前提をつくる運動を起こせばいいと思うのですよ。例えば「徴兵制はしかない」「海外派兵はしない」「核は持たない」とかね。もっと項目があってもいいけれど、これだけは変えない、と決めた上で論議をする。それなら、安心してやれるじゃないですか。
 とにかく、もっともっと自由に、オープンに論議できる場をつくるべきです。
 それによって改憲には賛成だけれど、今の政権の下ではやりたくない、という人を巻き込んでいく事にも繋がる。慶応大学の小林節さんは「今の自民党には憲法改正の資格はない」と言っているし、小林よしのりさんだって、元々は改憲論だったけれど、今の自民党政権で改憲したら、アメリカの要求を全部呑んで、自衛隊がアメリカにくっついて、どこにでも行かなくなるから、それなら今の方がいい‐と言うようになっている。
 自民党の目論む「改憲」を本当に止めるためには、そういう人達を巻き込む運動をしないと駄目なんじゃないでしょうか?
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 「自分では改憲派のつもりなのに、最近は護憲派の集会にしか呼ばれないのだよ」と苦笑する鈴木さん。管理者は「日本会議」や「教科書問題」で「国粋教科書(例:育鵬社)」を推奨する「新しい歴史教科書をつくる会」や「新しい保守を目指す会」等のインタビュー主張等も読み聞きしたが、基本的に「どんな日本が理想なのか?」という設問に異口同音に「左翼でない事」だけは共通だったのには笑い転げた。つまり、こうしたガラクタ右翼には「左翼嫌い」だけが思想的結集軸で、「保守が目指す社会的ロマンティズムや基本政策」等、何の具体性もないのだ。管理者は本稿-鈴木さんや三島由紀夫さん、北一輝等では、管理者とは思想的には異にするものの、その「社会的保守ロマンティズム」と、そのパトスには共鳴する事も多々ある。管理者は、鈴木さんをはじめとする彼等=真正右翼と「左翼嫌い」だけのガラクタ右翼とは明確に区別する。(参考文献-マガジン9/文責:民守 正義)


《【人権と教育】大阪高校無償化裁判、朝鮮学校側が勝訴》

 朝鮮学校を高校無償化の対象から除外するという酷い事を国はやってきた。
 ようやく裁判でそれが不当だと認められた。当然の判決であるが、結局は裁判官の判断なので、酷い裁判官なら逆の判決になる。右翼政治家、自民党に屈した文科省官僚も許せない。 大阪の橋下・維新も同罪だ。まあそれにしても、珍しくいい方のニュースだ。
 しかし裁判とは別に、日本国民、有権者の多くが、こんな差別行政をする自民党政府・安倍政権を許してきた、選挙で大勝させてきたという事こそ問題で、日本の社会は主流秩序に縛られたクソ社会だと思う。大阪朝鮮学園が原告となり、日本国に対して高校無償化制度の施行規則に基づいた指定の義務付けを求めた裁判の判決が2017年7月28日、大阪地裁で言い渡され、国が朝鮮学校を対象から除外した処分を取り消す判決を下した。∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<朝鮮学校無償化>本件「無償化」は2010年4月、当時の民主党政権が導入。
 公立・私立高校や高等専門学校等に就学支援金が支給され、生徒の授業料に充てられた。
 しかし政権交代後の13年2月、下村博文文科相(当時)は朝鮮学校について北朝鮮や朝鮮総連との関係を問題視。朝鮮学校が無償化の対象になる文科省令の規定を削除し、大阪朝鮮を含む10高級学校を不指定とした。裁判では、この規定の削除や学園を不指定とした処分が、妥当かが争われた。判決は、規定の削除について「無償化法の適用が拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られないという外交・政治的な理由であり、教育の機会均等の確保という法の趣旨から逸脱している」と指摘。「下村文科相は裁量権を逸脱・乱用しており、違法」と判断した。国側は、新聞報道等を基に、朝鮮学校に対する北朝鮮や朝鮮総連の影響力を否定できず、就学支援金が授業料に充てられない恐れがあると主張していた。

 しかし判決は「大阪朝鮮が大阪府から行政処分を受けた事はなく、指定基準に適合している」と退けた。同種訴訟は東京地裁、名古屋地裁、福岡地裁小倉支部でも起こされている。
◇朝鮮学校側の丹羽雅雄弁護団長の話
 裁判所は良心と法の支配の下、適正な評価をし、行政の乱用を適正に糺してくれた。
 (基本著:社会学者イダ ヒロユキ/管理者:総合編集 )
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*著作「採用面接」労働条件確認
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(民守 正義)