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《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》

《【もう一つの満州移民侵略の悲劇】記憶されない歴史は繰り返される:元集団移民の朝鮮人を取材した李光平さん/「満州」侵略の実態を先ず知ってほしい/永尾 俊彦(ルポライター)》

 日本ではあまり知られていない朝鮮人の「満州」への集団移民の実態を取材した写真集が6月に出版された。著者の李光平さんが来日、話を聞いた。
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 アジア・太平洋戦争敗戦の1945年、「満州」(現在の中国東北部)には155万人ほどの日本人がいたが、それを上回る216万人超の朝鮮人がいた(注1)。現在の中国朝鮮族のルーツだ。これは主に日本の植民地支配下の朝鮮から移り住んだ移民達である。
 日本軍が軍事用倉庫を建てるため、朝鮮族の祖父母は朝鮮咸鏡北道(ハムギヨンブクド)の自宅を追われ、北に300キロ離れた「満州」間島省(現吉林省)龍井市に移住したことから李光平(リグアンビヨン)さん(74歳)は朝鮮人移民に関心があった。
 だが、記録は殆んどない。そこで李さんは99年から2010年まで、元移民ら約600人を取材した。李さんが関心を持ったのは日本の国策による集団移民だ。

<統治に利用された朝鮮人>

 集団移民には「騙された」と感じた人が多かったという。南周一(ナムチュイル)さんは、24年生まれ。現在の韓国中部の清州(チョンジュ)出身だ。小作農で貧しかった。
 日本の国策会社、鮮満拓殖株式会社(鮮拓)は、清洲各村から代表2人を「満州」西部の比較的治安のよい「安全農村」の視察に連れて行った。広大な平地に水田が広がり、住居も整備されていた。そこで39年、100戸5000人が列車で出発。しかし、西に行くはずの列車は東に向かった。「おかしい、なぜ西に行かないんだ」。代表者が抗議すると日本人の警察官に銃を突きつけられた。「黙れ!もっと言ったら殺すぞ」2日間かかって着いたのは「満州国」の間島省安図県明月鎮(村)近辺の西南屯という集落だった。
 南さんら集団移民はテントを張って仮住まいをし、約3キロ離れた森の開墾に通った。
 中国東北部は冬が長く、零下30度にもなる。極寒の中で移民達は畑を作り、家を建て、「集団部落」を造った。その間の食糧は「満州国」政府からの配給だったが、腐りかけた物が多かったという。畑ではジャガイモ、麦、トウモロコシ、大豆等を栽培した。
 大豆は日本に輸出した。また、この地域で中国人は水田を作っていなかったが、朝鮮人移民が稲作を始め、広めた。1ヘクタール当たりコメ3500~4000キロ収量がノルマ。
 脱穀する際、移民が1粒も持っていかないよう警察官が見張り、コメは全て日本軍に送られた。「一等国民」の日本人しかコメを食べられず、「二等国民」の朝鮮人移民はアワ、「三等国民」の中国人はコーリャンだった。警察官が夕食時に移民の家を見回り、コメを食べていないか、釜を開けて検査する。だが移民はアワさえ満足に食べられず、コメを靴等に隠した。1粒でもコメが見つかると、殴られた。警察や役所などの要所には朝鮮人を配置、日本人が命令した。道路を造る際、働くのは躯り集められた中国人。監視し、怠けていると殴るのは朝鮮人。「朝鮮人移民は中国人を統治するために利用されたのです」と李さんは言った。

<朝鮮人の複雑な立場>

 「集団部落」は、39年までに「満州」全体で130カ所程度造られ、住民は約5万人(注2)ほどだった。特に、中国共産党が指導する東北抗日聯軍の活動が活発な間島省など東部が多かった。李さんによれば「一般の中国人や朝鮮人住民が抗日聯軍に食糧を供給する等の繋がりを切るため」、周辺の中国人や朝鮮人も「集団部落」に移された。
 村には自衛団があり、人々を監視した。抗日聯軍の襲撃に備え、周辺には土塁が築かれた。土塁は南さんの村の場合約100メートル四方の正方形だった。高さと幅2~3メートル。
 四隅に歩哨が立ち、中央に警察があった。また土塁の前には幅2~3メートル、深さ2~3メートルの堀が掘られ、中には先端を鋭利に削った木を立てた。それでも抗日聯軍は屡々「集団部落」を襲撃、食糧や牛、私物を奪ったので反感を持つ移民もいた。
 他方、抗日聯軍が「集団部落」で「我々は日本の侵略から貴方方を守るために戦っている。一緒に戦おう」と呼びかけることもあり、協力者もいた。だが、警察にバレると罰せられた。抗日聯軍には朝鮮人も多かった。抗日聯軍第2軍の場合、「総人数3000名余の内、60%が朝鮮人」。そこで、日本軍は「朝鮮人によって朝鮮人を叩く」(注3)戦略をとった。
 南さんによれば、董(トン)という朝鮮人の警察官は同じ朝鮮人の「集団部落」の村人を虐待して殺した。その後、董は日本軍兵士になり、抗日聯軍「討伐」に参加。
 しかし結局抗日聯軍に捕まり、殺された。朝鮮人は、同族同士が殺し合いをさせられ、中国人からは「日本人の犬」(李さん)と見なされる複雑な立場に置かれた。
 更に抗日聯軍の朝鮮人兵士は日本軍に捕まると「見せしめ」のためか、残虐に殺された。
 沈英順(シンヨンスン)さんは32年、朝鮮江原道高城(カンウォンドコソン)郡の生まれ。38年に安図県大沙河村に集団移民した。沈さんによれば39年10月、抗日聯郡が「集団部落」を襲撃、日本軍が包囲した。抗日聯郡は撤収したが、日本軍が負傷した抗日聯郡の朝鮮人兵士を捕獲。わざわざ村人を集め、その前で兵士の鼻の穴に鉄線を突き刺し、2体の遺体と共に掘っておいた穴まで引きずった。そして、まだ生きているその兵士を放り込み、その上に2人の遺体を乗せ、生き埋めにした。すると助けを求めて兵士が拳をニュッと突き出した。
 日本軍兵士は、その手を足で踏みつけ土をかけた。それでもまた手を出した。
 暫くして手は動かなくなった。

<皇民化教育と「決死隊」>

 「集団部落」内には小学校があり、朝鮮半島の学校と同じく皇民化教育が行なわれ、「皇国臣民ノ誓詞」を暗誦させられた。また創氏改名を強いられ、朝鮮語は禁止、日本語が強要された。学校で子どもが便所の掃除当番を決める際、級友にわざと朝鮮語を話すよう仕向け、口を滑らすと罰として掃除をやらせたという。成福洙(ソンボクス)さんは30年、朝鮮忠清北道(チュンチョンブクド)清州郡の生まれ。38年に間島省汪清県涼水村に集団移民をした。福洙さんの兄、成学淵(ソンハギョン)さん(25年生まれ)は「皇民化教育を受けた」と証言していたという。45年8月に徴兵され、学淵さんは「千人針」を持って入隊した。
 ソ連軍の戦車部隊が進攻してくると日本軍は、学淵さんら朝鮮人「決死隊」を組織した。
 背中に爆弾を括り付け、戦車の下に潜り込んで爆破しろと命じられ、爆死した。
 学淵さんらは日本に名前を奪われ、言葉を奪われ、命も奪われた。

<「慰安婦」の多くは「満州」>

 李さんが「最も胸が痛んだ」のが「慰安婦」にさせられた朴徐雲(パクソウン)さんの取材だ。4回通ったが、最初の2回は取材拒否。「貴方の人生を皆に知らせないと、また同じことが起こる」と説得し、少しずつ心を開いてもらった。徐雲さんは15年、朝鮮慶尚南道(キョンサンナムド)釜山の生まれ。19歳で結婚したが義母とうまくいかず実家に。
 その後、朝鮮人の“人買い”に「満州に行けばお金が稼げる」と騙され、十数人の女性と釜山から3日かけてソ連との国境の村にある日本軍の慰安所に連れていかれた。
 徐雲さんは長患いで1日に日本軍兵士2~3人しか相手にできなかったので、慰安所の日本人女性の管理人から食事を与えられない等の虐待を受け、追い出された。
 仕事を探しながら家々を回り、お金を乞うことも。何回か結婚したが子どもはできなかった。その後、13歳年上の韓相龍(ハンサンリヨン)さんと結婚。約40年間連れ添った。
 韓さんの娘は、2010年に徐雲さんが亡くなるまで親身に世話をした。心の安らぎを求めていたのか、徐雲さんは日本語で「平安」と刻まれた指輪をはめていた。
 朴貞愛(パクジョンエ)氏の研究では、「慰安婦」にさせられた朝鮮人被害者と認定された294人の内、「満州」に連行された被害者は3分の1の97人を占める(注4)。 同時期の国策として日本人も「満州」に約27万人が集団農業移民として送りこまれている。そうした歴史を展示した長野県の満蒙開拓平和記念館で昨年、李さんは朝鮮人集団移民の写真展を開いた。「それは感謝しているが、『開拓』ではなく侵略だ」と李さんは名称に違和感を持った。また展示内容も「日本人の被害者の視点で、加害者の視点が弱い」と指摘した。日本の「満州」侵略の実態を先ず知ること。それが真の友好に通じると李さんは考えている。
(注1)『「満州」に渡った朝鮮人たち』所収の中野敏男論文。
(注2)金永哲『「満州国」期における朝鮮人満州移民政策』(昭和堂、2012年)。
(注3)『「満州」に渡った朝鮮人たち』所収の飯倉江里衣論文。
(注4)朴貞愛『アジア女性研究』55(1)(2016年)、朝鮮語文献。(週刊金曜日)


【ギロチン「諫早湾干拓」】諫早湾干拓訴訟:最高裁、国勝訴の2審破棄-福岡高裁に審理差し戻し》

 長崎県の国営諫早湾干拓事業を巡り、潮受け堤防排水門の開門を命じた確定判決の無効化を国が求めた請求異議訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は13日、無効化を認めて国勝訴とした2審・福岡高裁判決(2018年7月)を破棄し、審理を福岡高裁に差し戻した。一連の訴訟では、漁業者が求める開門を命じた福岡高裁判決(10年12月)が確定。その後に開門を差し止める司法判断が出て、板挟みになった国は2014年1月、確定判決の無効化を求める請求異議訴訟を起こした。1審・佐賀地裁判決(14年12月)は国敗訴としたが、2審判決は国の逆転勝訴を言い渡していた。

<ことば「国営諫早湾干拓事業」>

 全長約7キロの潮受け堤防で有明海の諫早湾を閉め切り、大規模な農地を造成した事業。農地(約670ヘクタール)と農業用水を供給する調整池(約2600ヘクタール)を整備し、総事業費は約2530億円。閉め切り後、漁業者は漁業不振を理由として開門を求め、営農者は農地への塩害などを訴えて開門に反対している。(基本文献-毎日新聞)
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《第2次インティファーダ連帯企画:古居 みずえさん講演会》
「人びとの暮らしから見るパレスチナ」

◎主催:オリーブの会(協賛:セーブ・ザ・オリーブ)☎090-2044-6106
◎日時:2019年9月28日(土)(14:00~16:30)
◎場所:大阪府高槻市民会館207号
◎資料代:1000円
<パレスチナごはん交流会>
◎食事代:500円


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(民守 正義)