リベラル勢力総結集で政権交代!(334)

《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【植村東京地裁判決】シリーズ1》

*本日から三日間、3シリーズで、御送りします。

《闘うべき相手は被告席の背後に、裁判所の奥に存在する!問われているのは、この国のデモクラシー/安田 浩一(ノンフィクションライター)》

 植村東京訴訟で東京地裁は、原告の名誉毀損を認めながらも被告らを免責する判決を言い渡した。「私が闘っている相手は巨大」「問われているのは、この国のデモクラシー」。
 植村隆の言葉に判決の背景が垣間見える。
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 判決が言い渡されたとき、植村隆氏の表情に特段の変化は見られなかった。
 判決要旨を朗読する裁判官の声をじっと聞き入り、ときおりペンを走らせた。
 教室の最前列で講義を受ける学生のようでもあった。その淡々とした表情が印象に残っている。「裁判の流れから、この「不当判決」を、予め予想していた」という事もある。
 また判決では被告(西岡力氏、文藝春秋)が植村氏の名誉を毀損した事実については認めてもいる。少なくとも植村氏を「捏造記者」として断罪したものではない。
 だが、それだけではない。植村氏はそのとき、自身が闘うべき相手を正確に見定めていた。被告席の背後に、裁判所の更に、その奥に、それが存在する。「怒りが静かに燃えている」裁判終了後、植村氏はそう述べた。「私が闘っている相手は、単なる一個人じゃない。常識だけでは通用しない、もっと巨大なものです。その構造が見えてきた。ちょっとやそっとでは勝てない。簡単に勝てる相手じゃない。問われているのは、この国のデモクラシーの根幹そのものだ。だから私の怒りは静かです」受け入れた訳ではない。
 納得したわけでもない。むしろ失望は更に深く、憤りは以前にも増して強くなった。
 けれども気持ちは落ち着いている。そんな植村氏の自我を支えているのは「覚悟」だ。
 判決は読点にすぎない。「巨大なもの」─それは空も地面も見分けがつかないほどの暗い闇を広げている。「植村バッシング」の本当の旗振り役は誰なのか、長い闘いの間で、植村氏は、それを理解した。『週刊文春』が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題した記事を掲載したのは2014年2月6日号だった。同記事の中で、西岡力は「(植村氏は)強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。「捏造」とされたのは、1991年に初めて「慰安婦」であった事実を名乗り出た金学順(クムハクスン)さんについて、植村氏が『朝日新聞』に書いた記事のことである。同記事が引き金となり、凄まじい「植村バッシング」が社会の一部で渦巻いた。
 『朝日』を退職して赴任する予定だった女子大には、抗議の電話やメールが殺到した。
 ネット上では植村氏だけでなく、氏の家族をも中傷する書き込みが相次いだ。
 家族の名前や顔写真、子供の通学先の学校名、自宅住所と電話番号までもが公開され、更には「殺す」と書かれた手紙が送りつけられた。一時期、子供の通学に際してはパトカーによる警護がつくほどだった。結局、女子大への再就職は立ち消えとなった。

 「植村バッシング」は、雇用の機会と家族の安全をも奪ったのだ。当時、植村氏は『朝日』の函館支局に勤務していた。「あのときの、函館の、どんよりとした空を記憶している」と植村氏は振り返る。「いや、もしかしたら晴れ渡っていたのかもしれない。けれども私の視界に映る空は、いつもどんよりと曇っていた。家族までもがバッシングの嵐に巻き込まれ、気持ちは沈む一方だった」世間の激しい攻撃が、植村氏から色彩を奪ったのだ。
 そして記者としての誇りを、人間としての尊厳を、激しく傷つけた。だからこそ法的手段に訴えた。危険に晒された家族の命を守るため、自らの誇りと尊厳を賭して、闘いの場に打って出たのである。『文春』記事が発表された2014年1月、日本社会は「嫌韓」の真っただ中にあった(それは今も続いている)。その1カ月ほど前の13年暮れには、新語・流行語大賞トップテンに「ヘイトスピーチ」が選ばれている。その頃から、差別と偏見をむき出しにしたヘイトスピーチが、日常的に路上で飛び交うようになった。「日韓国交断絶」や「在日コリアン排斥」を訴える差別デモが、週末の風景として定着した頃でもある。
 私は、こうした現象を追いかけ、取材し、『ヘイトスピーチ「愛国者」達の憎悪と暴力』という本にまとめた。版元は、今裁判の被告の一つでもある文藝春秋だ。
 同書において、私は次のように記した。〈敵を発見し、敵を吊るす─。社会は今、こうした憎悪と不寛容の回路の中で動いている。(中略)ヘイトスピーチは人を壊す。地域を壊す。そして社会を壊す。生きていくために、私達は、それと闘っていかなければならないのだと私は強く思う〉まさに、そうした空気と回路の中で、「敵」として吊るされたのが植村氏だった。今回の判決で東京地裁は、植村氏の名誉が毀損されたことを認めながらも、西岡側が「捏造」の証拠として挙げる一連の指摘を「推論として一定の合理性がある」として、免責した。それは「慰安婦」問題の責任を追及する事自体を白眼視するような社会の空気感を反映したものであり、同時に「慰安婦問題は解決済み」という政府の姿勢を忖度したものにも映る。そう、植村氏が言うところの「巨大な相手」とは、まさに、これらを指している。
 元「慰安婦」の女性の苦痛に満ち満ちた証言を記事にしたことで、20年以上も経過してから、「嫌韓」とヘイトの波に呑み込まれ、いや、むりやり引きずり込まれ、憎悪の標的とされたのだ。裁判後の記者会見で、植村弁護団の一人、神原元弁護士は「裁判所の認定は、今の安倍政権の態度そのもの。植村氏だけでなく、元慰安婦の女性の尊厳まで踏み躙った」と激しい怒りを表明した。それでも植村氏は諦めていない。裁判後の報告集会で、植村氏は再就職の叶わなかった女子大に、かつて提出した「志望書」の一文を読み上げた。
〈ジャーナリストは歴史から学び、平和で平等な社会を目指すべきだという強い思いを抱いている。隣国の人々と日本人の相互理解が進む事を願っている。こうした思いを若い世代に伝え、共に学びたいと思っている〉バッシングと脅迫で、志望通りの道は断たれた。
 だが志望書に書いた願いは、裁判の場で、裁判を通して出会った人々と共に、実践している。植村氏の「余裕」はそこにある。「これからも闘い続ける。そして、歩み続ける」。
 皆の前で述べたその言葉に、植村氏の覚悟が込められている。(基本文献-週刊金曜日)


《【「反核」の声】「核兵器は人間と共存できない」高齢ヒバクシャの声を記憶に留める》

 今夏、広島、長崎に74回目の原爆の日が訪れた。核兵器の開発や使用、更に核兵器を使った威嚇等を禁じる核兵器禁止条約が国連で2年前に成立したが、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて開かれた今春の準備委員会では、核保有国と非保有国の対立が浮き彫りとなった。核兵器なき世界はなお遠く、その廃絶を悲願とする被爆者の平均年齢は82歳を超えた。今年もまた、その声に耳を澄ませ、その思いを伝えたい。

<木戸季市さん(79)=岐阜市>

 5歳の時、長崎市の爆心地から約2キロの自宅前で被爆した。17年6月から日本被団協の事務局長を務める。来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で議長を務めたサイード・ハスリン氏が来日した7月中旬、日本被団協を代表し外務省で意見交換した。
「核兵器は人間と共存できない」と伝えた。国連本部で今春開かれた準備委員会では、核保有国側と非核保有国側の対立が顕在化した。しかし「世界の流れは核兵器廃絶に向かっている。楽観的になるのも問題かもしれないが、悲観するのはもっとだめだ」と強調する。
「核戦争が起きれば人類は絶滅する。国益を論じ合うのではなく、核兵器とは何かを話し合ってほしい」

<田中熙巳さん(87)=埼玉県新座市>

 旧制長崎中学1年時に被爆。宮城県の被爆者団体事務局長等を経て、17年6月から日本被団協代表委員。代表委員を務める日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)ではメンバーの高齢化が進む。「見届けることはできないにしても必ず実現できる」。6月の定期総会後の記者会見で高齢化について聞かれると、核廃絶への強い思いを改めて口にした。「戦争はしてはいけないと全ての市民が受け止めれば、国の為政者を動かして廃絶も可能だと思う」と力を込めた。原爆症認定訴訟でも高齢化が進み、判決を聞く事なく亡くなる被爆者もいる。「私達には時間がない。政府に解決しようとする意志はあるのか」と訴える。

<張本勲さん(79)=東京都>

 通算3085安打を放った元プロ野球選手。爆心地から東に2・3キロ離れた広島市内の自宅で被爆した。被爆した時、張本さんは5歳だった。あの日を脳裏に刻む「最後のメッセンジャー」として、体験を語り始めたのは還暦も過ぎた頃。最愛の長姉を奪った原爆への怒り、そして悔しさを忘れてはならぬと、メディアを通じ体験を伝えてきた。しかし70代最後の8月6日を広島で迎えたくないという。「行かなきゃいけないとは思うのだけどね。怒るのも、疲れたような気がするのだよ」。電話口に聞く声が、どこか寂しい。
「情けないけどね、年ですよ」。自嘲するような笑い声に続き、言葉を添えた。
「若い人にバトンタッチする時期なのかもしれないね」

<原広司さん=今年4月に87歳で死去、原爆ドームを描き続けた画家>

 国鉄に勤務していた頃から、修学旅行生らに被爆体験を語る活動の傍ら、30年以上に亙り原爆ドームを色紙に描き続けた。「平和を求める原爆ドームの心を描かなくては」。
 焼けつくような夏の日も雪降る日も平和記念公園に足を運び、原爆ドームに向き合ってきた。その数は3400枚を超える。数年前に足腰を悪くしてからも絵と記憶を頼りに自宅で絵筆を握り続けた。公園まで行けないもどかしさから「どうもいけない」と言って、拳で何度も膝を叩いていた姿が印象的だった。普段は穏やかだが、核廃絶への思いを語る言葉は鋭かった。「近づいて爆風や熱線の恐ろしさを見ないと実態はわからない」。
 2016年5月、米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏が原爆ドームを遠くから望んだだけで帰ってしまった時は憤りを露わにした。色紙は学校等に寄付していた。
 原爆ドームの手前に満開の八重桜が広がっている絵。「私が元気な間はがんばるけど、これからは貴方に責任があるんですよ。どうか、その事を忘れんようにしてください」。(基本文献-毎日新聞/管理者:部分編集)
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(民守 正義)