リベラル勢力総結集で政権交代!(312)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【神道・神社の由来2】朝鮮半島・日本列島の古代史息づく/インタビュー:高麗神社・高麗文康宮司》
古代朝鮮半島と関係する神社は全国各地にある。『続日本記』に記された高麗郡の設置(716年)から1300年余。かつて高麗郡の鎮守とされた高麗神社の宮司・高麗文康さんに、古代から現代へと連綿と受け継がれた歴史と逸話を聞く。
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─高麗郡と高麗神社の歴史は後で伺いますが、境内に掲示されている参拝者の顔ぶれが多彩です。政治家、そして文化人。
A:齋藤實、若槻禮次郎、濱口雄幸、平沼騏一郎、鳩山一郎は参拝後、内閣総理大臣に就任しました。それをきっかけに、「出世明神」の別名が広く知られるようになりました。
─折口信夫ら民俗学者の訪問はわかりますが、太宰治、坂口安吾ら戦後「無頼派」と称された作家や、中上健次の名前もあります。
A:太宰治は「阿佐ヶ谷会」という文学者のグループと共に「神社仏閣の取材」で、ここを訪れました。1943年(昭和18年)の事です。事前に当社に手紙が届きまして〈食べ物は自分達で持参しますので、酒を用意してくださいますか〉という旨の内容でした。
食料不足の時代でしたが、当社では酒だけでなく料理も振る舞ったため、太宰は持参した弁当を帰途の高麗駅のホームで、しゃがんで食べたと、一緒に来た作家の上林暁が後に書いています。坂口安吾と檀一雄らは1951年に訪れ、『安吾新日本地理』の中で「高麗神社の祭の笛」という文章を残しています。現在も行なわれている10月19日の例大祭の獅子舞を見物し、〈およそ獅子の舞に相応しくない物悲しい笛の音〉と記しています。
また中上健次と私の父である澄雄とは「神道の逆襲」と題する対談(『BRUTUS』1986年9月)をしていて、2人とも言いたいことを言っていますよ(笑)。
─作家で古代史研究家の金達寿(キムタルス)さんと白髭神社を巡る対談をされたのは…。
A:それは私の祖父である明津ですね。
─文康さんで60代目ということですが、家系図など貴重な資料が残っているそうですね。
A:所蔵資料の内「高麗氏系図」は日高市の指定文化財になっていて、「大般若経」が国指定の重要文化財です。当初の系図は高麗氏28代の鎌倉時代、1259年(正元元年)11月1日の火災で他の宝物と共に消失してしまいました。現存する系図は、当時の親族が記録を持ち寄って再編したものです。「大般若経」は13世紀初め、高麗氏23代麗純の五男・慶弁が7年余の歳月を費やし書写したものです。全600巻・500万字に及ぶもので、現在はその内456帖が残っています。
─大般若経は仏教の経典。神道・神社とは異なりますね。
A:8世紀の奈良時代から神道と仏教の習合が始まり、平安時代(794~1185年)に成立しました。高麗氏は平安時代末から江戸時代末まで修験者として神社の祭祀を掌る別当を務めていました。「大般若経」はその遺物です。
─系図には、どのような事が書かれているのでしょう。
A:当主の名と享年、母の出自、その代に起きた事柄、事績、それに兄弟や姉妹の分家・別家・婚姻先等です。
─高麗神社には2017年9月に当時の天皇(明仁・美智子)夫妻が訪れ、現天皇(徳仁)も皇太子時代(1976年)に訪れています。その他、皇族の参拝が際立って多い。
そのルーツと関わりがあるのだと思いますが、系図には当時の社会情勢や中央との交流等に関する記述はないのですか?
A:残念ながらそれは記されておりません。あくまで高麗家に限定された歴史ですね。
─本日(5月17日)は「続日本記」に記されている高麗郡の設置(5月16日)から丁度1303年が経過した日です。
A:そうですね。716年(霊亀2年)5月16日に武蔵国に「高麗郡」が設置されたと『続日本記』に記されています。高麗神社の主祭神である初代の高麗若光は、新設の高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の東国7カ国にいた1799人の高句麗人と共に移住し、未開の原野だった地を開拓したのです。『日本書紀』にはそれより50年前の666年10月に高句麗から倭国(後の日本)に使節団が派遣された記述があり、「若光」の名もあります。
2年後(668年)に唐と新羅によって高句麗が滅ぼされてしまいましたから、若光は、そのまま留まったと思われます。『続日本記』の703年の記述に〈高麗若光に王の姓を賜う〉とあり、当地に来たのはその13年後です。
─高麗郡ができて42年後(758年)には隣(現在の新座市、和光市辺り)に「新羅郡」も設置されました。現在の東京都、埼玉県は古代、朝鮮半島出身者の開拓地であったようです。A:朝鮮半島から列島にやって来て住み着くという歴史は古く、縄文時代、旧石器時代からあったでしょう。高麗郡のできる100年ほど前の7世紀には新羅系とされる「吉士集団」が列島にやって来ていますし、同じ頃には百済から学者や技術者も多く来ており交流は盛んでした。
─兄弟姉妹と言ってもよい関係です。現在の「嫌韓」、日韓の政治的対立が不毛に思えます。
A:7世紀から8世紀の初めにかけての東アジアは「戦争の時代」でした。僅か10年の内に高句麗と百済が滅んで、当時の王族や貴族を含めて多くの流民を生みました。
当時の大和朝廷は、そうした人達を受け入れてくれた訳です。ご指摘の新羅郡には『続日本記』によれば、僧や尼僧ら70人が移住しましたが、知識人達を保護したのではないかと思います。決して幸運な時代とは言えませんが、半島と列島の歴史の一頁として認識すべきですね。或いは戦争をしない知恵・教訓としても銘記すべきです。(週刊金曜日)
《【警察権力に守られ「安倍演説」】「安倍辞めろ」のヤジ飛ばした男女を道警排除》
安倍(独裁)首相が札幌市中央区で15日に参院選応援のため街頭演説した際、「安倍辞めろ」等とヤジを飛ばした男女数人が、演説現場から北海道警に排除された。
周囲の支持者とのトラブルはなく、安倍(独裁)首相の演説が中断される事はなかった。
道警警備部は「トラブルを未然防止するためで対応は適正」と説明するが、専門家は「過剰警備」と指弾している。安倍(独裁)首相は同日午後4時半頃、JR札幌駅前で選挙カーに登壇。「安倍総理を支持します」と書かれたプラカードを掲げる支持者らを前に演説を始めた。すると数十メートル離れた場所から若い男性が「安倍辞めろ」と連呼し、警備していた制服姿の警察官数人が男性を取り囲み、後方に引き離した。「増税反対」等と叫んだ女性も、私服姿の警察官数人に囲まれて揉み合いとなり、排除された。
これに先立ち、安倍(独裁)首相が市内にある地下道を小走りで移動した際も、大声でヤジを飛ばす若い男性がおり、私服姿の警察官数人が男性を現場から数十メートル移動させた。
一方、安倍(独裁)首相が市内の繁華街で選挙カーの上から演説した際には、中高年の男性が「安倍帰れ」等と叫び、周囲の支持者らが「おまえこそ帰れ」と叫び返すなど現場は一時騒然となったが、警察官は静観していた。道警警備部は、興奮した状態で繰り返し大声を出したために排除したと説明。「聴衆とのトラブルが懸念され、移動するよう声を掛けたが応じなかった」とし、通常の警察活動の一環だったとした。男性らの行動が公職選挙法違反(選挙の自由妨害)に当たるかどうかについては確認中とした上で、「移動を促したのは公選法違反を念頭に置いたものではない。ヤジを飛ばしただけで排除した訳ではない」と言い訳している。現場の映像を見た札幌弁護士会の猪野亨弁護士は「聴衆の言動は良識の範囲で自由であり、強制的に排除するには相応の根拠が必要だ。今回は聴衆が掴みかかる様な衝突しそうな雰囲気があるといった理由は見当たらず、過剰警備と感じる」と述べた。(基本文献-毎日新聞/管理者:部分編集)
《【児相-一時保護所の人権侵害】保護された子、会話も笑顔も許されず「まるで刑務所」》
家にいるのが辛くて、ここに来たはずなのに―。東京都の児童相談所の一時保護所について第三者委員がまとめた意見書には、厳しい管理ルールに辛い思いをした子供達の嘆きが多く記された。「一時保護所に行くぐらいなら死ぬ」一時保護所の処遇の問題を指摘する声は、入所した子供達から、これまでも上がっていた。親からの虐待で家出し今年、都の一時保護所で数日過ごした少女(17)は「入所の時、下着まで脱ぐように言われ、裸にして調べられた。恥ずかしかった」と振り返る。小さな部屋から出る事を許されず、トイレに行くのにも職員に断らなければならなかったという。「一時保護所には二度と行きたくない」と話す。この一時保護所を運営する児相によると、入所の際に、体に痣や傷がないか確かめるため、職員と1対1で下着も含めて着替えさせているという。
児相は「最低限の確認と考えている。『恥ずかしい』という子がいれば記録に残し、共有している」とする。これについて、西日本にある児相の職員は「どんな言葉がけがあったか分からないが」と前置きした上で、「子供が不快と感じたのなら、それを重視するべきだ」と指摘する。この児相では、幼児なら傷の有無を確認するために職員が手伝って下着も含めて着替えてもらうが、ある程度の年齢になれば傷や痣を確認する必要がある場合には、その必要性を説明し、子供に了解をとるという。意見書で指摘されたような一時保護所での処遇は、都に限らない。「ここは自由が何もない」「寂しいし悲しい」…。
意見書には、第三者委が聞き取った、子供達の悲痛の声が数多く記されていた。
記事の後半では、そうした声の他、各地の児童相談所の受け止めを紹介する。
虐待を受けて関西にある児相の一時保護所に3年前に数カ月入所していた少女(18)は「ご飯を食べられたので家よりはマシだった」と言いつつ、「お喋りすると直ぐに『何を話したのか』と注意された。刑務所みたいだった」と振り返る。指の先ほどの長さになった鉛筆を捨てようとしたら「税金で買っているのだからもっと使え」と怒られたという。
「それからは、自ら虐待を受けたと訴える事を止めた。家に帰された後、夜間に出歩いて警察に保護されたけれど、『一時保護所に行くぐらいなら死ぬ』と言って、児童養護施設に一時保護委託してもらった」と明かした。子供の権利に詳しい川村百合弁護士は意見書について「これまで都は、事実そのものを否定してきた。子供を支援する中で聞いてきた話が正しく、今も続いている事が裏付けられた」と話す。更に「保護所が安心で安全な場所ではない事が、一時保護された子供が再度の保護を頑なに拒む事が少なくない大きな要因となっている。第三者委員制度を法律で決め、処遇について外の目を入れる必要がある」と言う。
<都は職員増員も…「集団をまとめる難しさある」>
東日本の一時保護所で働く20代の男性は、都の第三者委員がまとめた意見書に記された様々な管理のルールに驚いた。だが「都ほどではないが、慣習や職員次第の管理的な指導はまだある」と指摘する。男性が働く保護所にも、暗黙のルールがある。
食事中に座っていられないと、部屋で、一人で食事をとらせる▽喧嘩の暴力の度合いで、トイレ、食事、風呂以外は1週間から1カ月、部屋で反省を促す-等の体罰的制裁だ。
約20人の定員に対し、夜間は3人の職員で対応する。入所者が定員を超えると、どうしても丁寧な関わりは難しくなるという。男性はこうした処遇に疑問を持ち昨年、指導に透明性を確保するため、誰が誰に対して、どのような理由で制限を与えたのか、その後の経過を記録し共有する仕組みを提案した。職員で話し合い、採用された事で、今年に入り、理不尽な指導が減ったという。「子供の権利意識を欠いた指導を是正するために、大人を監査する仕組みを整えるべきだ」と話す。一方、西日本の児相の課長は意見書の内容を聞き、「にわかに信じ難い。子供の権利の視点を欠いていて、やりすぎだ」と驚いた。
30年以上前には、児童養護施設等で、体罰のために「グラウンドを走る」等が存在した。
「まるで、その時代に逆戻りしたような話だ」ここの一時保護所では、子供同士で入所経緯を話さない以外は、会話を制限していない。保護所内の風通しを良くするため、業務日誌を児相職員全員が閲覧し、異変や過度な指導が起こりにくい環境作りをしているという。
愛知県の児相の一時保護所では昨年1月、少年が自殺した。検証委員会が県に提出した報告書によると、少年は自転車を盗んだとして補導され、職員から「少年院に行く場合もある」と言われた。また少年は過去に親から虐待を受けていたが、過去の保護歴は共有されていなかったという。西日本の児相の所長は「二度と行きたくないという一時保護所では、福祉の場とは言えない。日常会話の禁止や個別指導は、合理的な理由や意味がなければ、虐待でしかない」と話す。都は今回の第三者委員の指摘を受け、今年度から一時保護所の職員を16人増やし、入所定員も計24人増やした。都の竹中雪与・家庭支援課長は「意見書の内容は真摯に受け止めている。ただ毎日、様々な背景のある子供が入れ替わり入ってくる中で、集団としてまとめていく難しさがある」と説明。「職員は一生懸命やっているが、子供が安心して安全に生活するには、どうすればいいか議論していきたい」と話す。
<意見書に記載された、子供達の声>
・「閉じ込められて、外に出られず、外の様子も解らず、親や友達とも連絡も取れず、学校も行けず、家族とも会えず、見通しも不明のまま、知らない大人に早く寝ろ、早く起きろと叱られ、自分の物ではない服を着て過ごし、そのような状態で何カ月もいるのは、頭がおかしくなりそう」・「刑務所みたいで、感情をなくし、脱走してしまいたくなる。職員は外に出られるからいいけど。なぜ子供だけが自由を奪われるのか。いつ出られるとか、いつ親に会えるとか、事前に見通しを伝えてもらえるだけで少しは頑張れる。職員付きでもいいから、学校とか、外出させてほしい。せめて体育館で遊べる時間を作ってほしい。ここでは静かにしろの一点張りで、皆が暴れるのも解る」
・「ここは自由が何もない。着る服も決められて、私物も取られてしまう。弁護士の先生も、ここで携帯電話を取り上げられて24時間生活してみるといいよ。気が狂うから」
・「家がきつくてここにきたはずなのに、ここがきつすぎる」
・「虐待されてきているのに先ず反省を求めるのは…」・「安全だけど安心ではない」
・「新しく入った子が話しかけてくるが怒られるので無視しなければいけない。でも本当は自分も話したい」・「ニコニコしているだけで『何ニコニコしているの?』と言われて、笑う事もできないと思った」・「百人一首の話をしていたら職員が喋るなと注意していた」
・「テレビも食事も無言でいるのは寂しいし悲しい」
・「着替えの時等に子供同士で『目を合わせないように』『後ろを向くように』と言われ、下を向いていた」・「ルールが必要なのは分かるけど刑務所みたい」
・「大人同様の人間として扱うなら対等に接してほしい」
・「子供として扱うなら、きちんと保護してほしい」(基本文献-朝日新聞デジタル/管理者:部分編集)
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(民守 正義)
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