リベラル勢力総結集で政権交代!(311)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【神道・神社の由来】神道・神社はどこから来たのか:神道は日本古来・固有の宗教ではない/インタビュー:伊藤 聡・茨城大学教授》
天皇の代替わり儀式がメディアを通じて洪水のように垂れ流される中、神道や神社への関心が高まっている。しかし、そこには大きな“誤解”がある。“神道・神社は日本古来・固有の、自然崇拝の宗教・施設である”というのがそれだ。右派勢力によって国家との結びつきを強めるべく意図的に流布されてもいる神道・神社への“誤解”を解き、歴史的な形成過程を明らかにする。
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─現在の神道、特に神社本庁は、神道政治連盟や日本会議等を通じて、政治、或いは国家との結びつきを強めようとする傾向があります。それは神道そのものが持っている本質的傾向なのでしょうか?
A:教派神道の中には大本教(注1)のように、国家に収斂されない神道を追及するものもありましたが、日本の神道の歴史は特に近世以降は、国家との結びつきを強める方向に向かっていったと言えるでしょうね。
─一方で、もっと素朴な、神道イコール自然崇拝という見方も一般的になってきています。
A:確かに“神道は、素朴な自然崇拝、自然と融和的な関係を結ぶ、日本古来の自然観が反映されている宗教である”とする見方が広まっていますが、そこは少し違います。
そもそも自然観の反映と言うならば、世界中どこでも、プリミティブ(原始的)な信仰は各々の自然観を反映したものばかりです。日本だけが特別という訳ではありません。
だいたい自然との融和とか言っているにも関わらず、あんな大きな原子力発電所の事故が起きても、神社界からは何の異議も反対もなかったではないですか。
結局、“自然崇拝”は単なる“看板”に過ぎないと思っています。神道の本質部分ではない。
「神道とは何か」を考えるとき元々、自然崇拝的なものがあったとしても、それだけでは神道にはならない。神道というものが、古来連綿としてあったという考え方をする研究者は、アカデミックな場所では、殆どいません。では神道はいつ成立したのか。
律令体制の確立期とみる研究者もいますが、私は、現在のような神道の基本形が出来上がったのは中世であると考えています。
─中世と言えば、神仏習合が進んだ時代です。そこで何が変わったのでしょうか。
A:先ず個人の祈願に対応するようになった事ですね。今、私達が神社にお参りして、健康とか、受験合格とか、恋愛成就といった個人的な祈願をする姿が当たり前にようになっていますが、古代の神社には、そうした機能はなく、あくまでもその土地や一族、氏族の安寧を祈る場所でした。個人的な祈願を請け負っていたのは仏教です。伊勢神宮の神官でさえ、自分の事(特に来世のこと)は仏教祈願していました。ところが中世に神仏習合が進んだので、仏が持っていた個人救済の機能が神々にも移っていったのです。
「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」、即ち人間世界にいない仏が、神の姿で、この地に救済者として現れ、身近にいて願いを叶えてくれる訳です。
─七福神もその名残ですか?
A:七福神は近世の現世主義的な傾向の信仰ですね。一つの神様だけだと御利益が少ないから、いろんな福神を集めて御利益を沢山、得る。一番ポピュラーなのが七福神ですね。
当初、日本の恵比寿と仏教の大黒天のセットから始まり、それにインド系の弁才天、毘沙門天、禅宗の布袋が加わり、最後に寿老人、福禄寿という、中国(道教)系の神をくっつけた。近世は、中世的な敬虔さは失われたけれど、神様を近しいもの、世俗的なものとして祀った。そこはいいところですね。逆に、神仏習合化した神社が困った事の一つに、動物供犠があります。それまで神社では動物(魚や鳥)を神に供えていたけれど、仏教は「殺生禁断」です。供犠を止めた神社もありますが、諏訪社(長野県)等の狩猟系の神社等は難しい。そこで「神(仏)前に捧げられる事の功徳で動物が、よりよい存在(例えば人間)に生まれ変わるから殺生もいい事だ」等といった理屈をつけた。些か苦しいですね。
─中世は、性的メタファー(隠喩)で語られた神道も盛んだったと著書で書かれています。
A:仏教における立川流の(性的秘儀を含む)異端的な教えと、日本神話は性的モチーフにおいて実は似ています。イザナギ・イザナミの“陰陽”の構図が解り易い例です。
16・17世紀に切支丹が神道を批判するときには「あんなものは陰陽の性的なもので説明しているだけの土着宗教だ」等と言っています。『愚管抄』で知られる慈円(12~13世紀の天台宗の僧)は、『夢想記』で「三種神器」を、性的メタファーで説明したりもしていました。それは天皇の誹謗でもなんでもない。神事を性的なものと重ねるのは普通にあった事です。近世でも民衆に近いところでは性的な話は残っていましたが、近代になって、そうした面の多くは否定されました。
─各地のお祭りには、まだ、性的なメタファーと考えられるものが残っていますね。
A:神仏習合というのは、重層性・複層性を持つ信仰体系だったのですが、近代の神仏分離でそれが失われてしまった。今は、せいぜい、自然崇拝+ナショナリズムという単純なもので、中世の方が、ずっと複雑だったのです。ところが、その神仏習合についても、それこそが日本人の宗教的寛容性を示していると言う人がいますが、マユツバです。
中華社会で道教・仏教双方の神や仏が一緒に祀られるように、諸宗教の習合は、アジア各地のどこでも見られるもので、珍しくもなんともない。ただアジア各地の場合は、民間信仰的な世界での習合なのに、日本では国家と結びついて進んだのが特徴的な点です。
その結果、全く逆に国家の力による仏教排除から、国家神道にもいく訳で、宗教的寛容性が日本文化の土壌にある等というのは、都合のいい思い込みに過ぎません。
─そうすると神道とは、結局どういう宗教なのでしょうか?
A:昔からあるように言われていても、実は中世や近世に新たに付け加わった要素が多い。
神祗信仰を土台としつつ、諸信仰が複合しあって、歴史的に形成されたものが神道です。
思想的には、古代・中世は仏教教理で神を説明し、近世になると儒教で説明します。
近世後期から近代には、それも排除して「日本的な何か」を神道に見出すという志向が、本居宣長から柳田国男なんかにも繋がっていく。「日本人の心の古里」等と言って、日本の「固有性」が神道にあるように言われるけれど、そうではないのです。
日本は、仏教をはじめとして様々な外来的なもので自己形成していった国。
中世後期になると、人の心の内面に「内なる神」を見出すという吉田神道が出てきたけれど、これも仏教の本覚思想(注2)が、在来の霊魂観と結びついたものです。アニメ映画の『もののけ姫』(宮崎駿監督)等で、自然の様々な霊が森に宿っているというイメージが出てきますが、森羅万象に霊が宿っているという発想は、元々の神祗信仰にはない。日本古来のものでもなく、仏教の草木成仏論や禅の思想等の強い影響を受けてできたものです。
─外来的なものの影響として、中国やインドの影響は語られるけれど、朝鮮半島の影響が過小評価されたり、差別したりするのは何時頃からですか?
A:歴史を調べれば解るように、古代の日本は、渡米人をはじめとして、朝鮮半島から多大な影響を受けてきました。しかし一方で、それを無視するどころか、朝鮮半島を自分達より下にみるという考え方も古代からありました。先ず「神国」という用語の初出とされる『日本書紀』の神功皇后の三韓「征伐」譚がそうです(三韓とは、新羅・百済・高句麗のこと)。
『日本書紀』は、日本が白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)で新羅・唐連合軍に敗れてから間もない時期に編纂されたものです。謂わば現実の敗北に対する神話的意趣返しです。しかも、その中で新羅王に日本を「神国」と呼ばせ、実際にも長い間、新羅を「朝貢国」扱いする。新羅が朝鮮半島を統一し、対等な関係を要求しても跳ねつける。
新羅は、白村江で日本を破っても、唐とも緊張関係にあるので、日本との交流も復活させて、対等外交でいこうとするのに、日本は「お前が朝貢してこい」と言って、最終的に国交も切れてしまう。複雑な外交をしなければならない朝鮮半島の立場と、自国中心的な単純な考え方で済ませる日本との違いは今も変わっていないのではないでしょうか。
でも日本は、朝鮮半島経由で文化が入ってきた国です。仏教はもちろんで、中世でも高麗版大蔵経(注3)を日本人は渇望しました。儒教も朝鮮半島経由です。
それなのに文化的なものは、日本・中国・インドの「三国世界観」で、朝鮮半島を無視する。金達寿(キムタルス)さんが『日本の中の朝鮮文化』等で論じたように、朝鮮半島系統の神社が沢山あるのも間違いないのに。
─高麗神社(埼玉県日高市)もそうですね。
A:高麗神社は、高麗若光の末裔ですから、もちろん朝鮮半島系統ですね。日本の中には、日本の神々がいれば、朝鮮半島の神々もいる。ただ朝鮮半島では、そういう土着の信仰は周縁的存在なのに、日本の神道は国家が吸い上げて管理していくのが大きな違いですね。
土着信仰が国家と結びつく日本の方が珍しい。
─それは何故ですか?
A:やはり天皇が自分達を神の子孫と自己規定したために、神祗信仰と離れられないことが大きい。日本の律令制は唐を模倣した訳ですが、真似しなかったのが、中国の皇帝の統治を正当化する「天命」思想です。天から命を受けて天子になる事で、その地位につく。
逆に言えば、ある天子が地位に相応しくないと「天」が判断すれば、「命」は他に移る。
これが「革命」ですが、それによって王朝の交替が正当化されるのです。
ところが、これに対して日本は「天孫降臨」の神話をその子孫(天皇)による統治の正当性の根拠にしたのです。だから神話の正当性を保持するために、国家と神祗信仰が結びつきを強める必要があったのです。ただ中世までは神道と国家とを結びつけるのは、あくまでも祭祀であって、イデオロギー的ではなかった。神道が天皇制と強固に結ばれだしたのは近世以降です。儒者(儒家神道)が「神道即王道」といって仏教と切り離し、王統の連綿を中国への道徳的優越の根拠にしたのです。他に何もないですから。
神道からすれば、仏教以外には、森(杜)や岩といった自然との結びつきはあったけれど、思想上の核心にはなり得なかった。そこで近世以降、仏教に代わる新たな中心として、最終的に見出されたのが、天皇であり国家だった。そこから国家神道に繋がります。
─明治時代になって国家神道化されるわけですね。
A:最初は神道を国教化しようとしましたが、内実がなく、うまくいかなくて、祭祀だけを取り出して「国家の宗祀」とした。それにキリスト教を排除できない以上、信教の自由は認めなければいけない。その上で神道を他の宗教と切り離して、「国家の宗祀」としていく。
その過程で神社と民間との関りも切断される。神社に残っていた神仏習合を示す資料の多くも廃棄されてしまって、あまり残っていない。どこかで聞いたような話ですが(笑)。
─国家神道時代に天皇の忠臣など死者を祀る神社が次々とできて靖国神社に繋がります。
A:近代以前の人神祭祀は、基本的に「怨霊」を祀るくらいでした。近世までは、死者儀礼は仏教に任せることで済んでいたからです。ところが明治時代に仏教を排除(神仏分離)したので、死者の問題についても、神道が担おうとした。でも神道の国教化が挫折した結果、その方針は破棄されます。そこで一般的死者儀礼は仏教に戻します。
唯一、国家に忠節をつくした死者をのみ、特別に祀る事で、神道的死者儀礼の代替物としたのが靖国を代表とする人を祭神とする神社。そこで宗教性を担保しようとしたのです。
結局、神道は国家的なもの、王権的なものと親和性が高いからそちらにいったのです。
─戦後は国家神道が廃され、神道は一宗教になったはずなのに、靖国を国営化しようという動きは続いているし、最近では日本会議の活動や、改憲の署名を神社で集めたりしています。
A:最終的には、国家神道に戻りたいのだと思います。個々の神主さんは知りませんが、少なくとも組織としての神社本庁は、それを目指している。国家神道への志向は明らかに残していると言えます。しかし一方では、葦津が切り捨てたはずの、柳田国男の民俗学的神道論が前景化するのです。
─どういう事ですか?
A:戦後、国家神道が廃されたときに、靖国神社の延命を後押ししたのは柳田が強調した「祖霊信仰」です。靖国を、国家への忠誠者の顕彰ではなく、“みたままつり”のような、民族的な鎮魂・慰霊の神社にシフトさせることで生き延びさせたのです。
─現在の天皇の代替わり儀式等で、神道や神社が、再び国家と強く結びついていく事は無いですか?
A:特殊な神社、伊勢神宮とかはそうですね。でも全体はどうでしょうか。
代替わりの儀式との関連で言えば、宮中三殿の一つ、神殿で全ての神々に祈るのも、伊勢神宮参拝も明治以後のことです。皇霊殿に神武天皇以後の代々の皇室の祖先が祀られていることになったのも明治以後。だから今の儀式は新しい儀礼で、それ以前、仏教に基づいて天皇家が連綿とやっていた祖先供養とは切り離されてしまった。少なくともメディアが強調するような古い伝統とは言えません。伊勢神宮にしても、これほど近代以前と以後で変えられた神社はありません。神仏習合の時代は、寺のお坊さんも出入りして、真言宗系の両部神道で、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)を各々、密教の胎蔵会、金剛会に振り分けたり、外宮系の伊勢神道で五行思想に基づいて内宮は火で、外宮は水。「水は火に剋つから外宮は内宮の上」等と言って、外宮と内宮の論争さえあったりしました。
更に重要な事は、近代以前は、もっと地元とも、民衆とも、特に外宮は強く結びついていたのです。「お伊勢参り」を広めた御師なんか旅行代理店みたいなもので、旅館も兼ねていた。それが明治になって、天皇が歴史上、初めて参拝するとなって、神宮域内の寺院を全部潰してしまった。御師達も全て排除されました。伊勢神宮に象徴されるように、中世の神道には、神仏分離以前のいろんな要素があった。仏教との結びつきはもちろん、多様な信仰があったのですが、そうしたものは、幕末・明治に「淫祠邪教」として排除されてしまった。
今ブームの“パワースポット”なんかは、実は、そうやって廃されたものの名残だったりもします。近世は流行神という形で新しい神様がドンドン出てきた。
今でも個々の信仰は神社本庁の管轄ではないから、本来は勝手にやっていい。
だから神社本庁は反対しているけれど、“パワースポット”も全く構わない。
むしろ、そういうところにこそ、中世神道の多様性を受け継ぐような、国家に収斂しない神道・神社が潜んでいるのではないでしょうか。
(注1)明治時代に成立した神道系新宗教の一つ。(注2)生きとし生けるもの(衆生)には、本来的に仏性(仏の本性)が具わっているとする思想。(注3)仏典を集成したもの。高麗版は、今日の大蔵経テキストの原本になったとされる世界遺産。(週刊金曜日)
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《-ヒロシマの継承と連帯を考える<核と人類は共存できない>》
◎日時:2019年8月6日(火)開場12:20/開会12:50
◎場所:広島YMCA国際文化ホール
◎参加費1000円(高校生以下・福島避難者-無料)
◎内容
●平和講演「ヒロシマ、フクシマ、原発再稼働」講師:河合 弘之さん
(弁護士・映画監督・脱原発弁護団全国連絡会-共同代表、等)
●被曝証言-切明 千枝子さん
●沖縄から-高里 鈴代さん
●うたと演奏-SETOMAYU(せとまゆ)さん
●福島、被ばく・避難-水戸 喜世子さん/安倍 ゆりかさん
■まとめ-米澤 鐡志(広島・電車内被爆者)
■コーディネーター‐河野 美代子さん(広島被曝二世・産婦人科医)
◎主催:8・6ヒロシマ平和の夕べ
●連絡先:〒730-0031広島市中区紙屋町2-2-25大野ビル5F河野クリニック気付
℡090-2063-9452/Fax050-3730-6587/E-mail【86h@heiwayube.org】
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①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
(求人・就職活動中の方には必見!)
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
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(民守 正義)
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