リベラル勢力総結集で政権交代!(243)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【部落差別】「○○駅近くは危ない-士農工商穢多非人の部落」と大手企業の課長が差別発言》
「○○駅は士農工商穢多非人の部落。車で犬をひいたらボコボコにされたらしい」。
大手企業の課長による差別発言事件の糾弾会が昨年10月24日、解放同盟加島支部で開かれ、事件の経過、差別性について掘り下げると共に、再発防止に向けた研修のあり方等について意見を交わした。
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事件は昨年4月、新年度の社員間の親睦を図る懇親会の席で起こった。
同社のA課長が会話の中で「今、どこから通っているの」との話題をふり、住んでいる地域の治安についての会話となった。同社のB社員が「○○駅の近くから通っています」と答えたことに対して、A課長は「○○駅の近くは危ない」と発言。B社員が「親戚から危ないと言われていたが、実際に住むことになったら全然そんなことはなかった」と答えたところ、課長は「その場所知っている。いわゆる士農工商穢多非人の部落と言われる土地で、その場所を車で走って犬を轢いたりしたら人が、いっぱい出てきてボコボコにされたらしい」等と発言した。(管理者:多くの差別発言が「らしい」「-と聞いた」等の「偏見に基づく噂」として語られる)その場に同席した同社のC社員が加島支部の支部員で、発言のあった翌日、会社、労組、解放同盟府連に相談し事件が発覚。その後、4度にわたって事実確認会が開かれ糾弾会に至った。同社は大阪同和・人権問題企業連絡会の会員企業のグループ会社。(管理者:最近、「大阪同和・人権問題企業連絡会の動きが鈍い」とある具体的事実をもって痛感していたが、まさに本差別事件が、その事を如実に示した。)
糾弾会には発言を行ったA課長、同社の代表取締役社長、親会社の取締役人事部長はじめ役員らが出席。解放同盟府連からは赤井隆史委員長はじめ役員と加島支部の役員らが出席した。親会社の人事部長は「あってはならない発言でグループとしてお詫びしたい。あらゆる差別を許さない企業を目指して取り組んできたが、全社員に徹底できていなかった」、同社の社長は「深く傷つけた事をお詫びする。長年、取り組んできたが痛恨の極み。全社を挙げて取り組んでいきたい」と述べた。A課長は発言について「社員が、その近くに行って危ない目に遭わないようにと、良かれと思って発言してしまった」「その場に部落出身者がいる可能性はないと思って発言していた」等と証言。「私自身、貧困や苛め等、辛い経験をしており、人の心の痛みは解るつもりだった」「発言によって社員に辛く悲しい思いをさせ、社員の会社への信頼を裏切る事になった事について悲しく情けない思いでいっぱい」等と反省の言葉を述べた。A課長は子供の頃に母親や母親の勤め先の人から「○○駅の南側は危ないから近寄らない方がいい」と言われており、その記憶が今回の発言に繋がったという。
同社では毎年、人権・同和研修を実施しておりA課長も受講していた。
同社は「これまでの研修が社員一人一人に届いていれば今回の事件はなかったのではないか」との反省の下、今後の研修に活かすため全社を挙げて人権意識に関するアンケート調査に取り組む事を表明した。(基本文献-解放共闘大阪/管理者:部分編集)
《【改憲騒乱】さらば「改憲マニア」達/小林節・慶応大名誉教授》
会いたい人がいた。慶応大名誉教授の小林節さん(70)。憲法改正を主張するタカ派憲法学者として自民党の「指南役」を務めながら、安倍(改憲)首相の再登板後は、改憲論者の立場から「邪道」と厳しく批判してきた。ところがだ。一大決心をしたらしい。
<70歳の護憲派宣言「僕は進歩した」>
話は1980年代に遡る。皇居にほど近い学士会館(東京都千代田区)で開かれたある会合に、自民党議員らに交じり、米国留学を終えたばかりの小林さんの顔があった。
「安倍首相の祖父・岸信介元首相が設立した『自主憲法制定国民会議』です。当時は改憲を口にするだけで右翼と言われる時代。だから『改憲はタブーじゃない』という僕の主張を知った自民党が喜んで勉強会に呼ぶようになり、『国民会議』にも招かれたのだが…」
小林さんが若き日を回想する。安倍(改憲)首相が唱えた改憲発議要件を緩和する憲法96条改正論について「9条改正は不可欠だが、権力者が自らの権力行使のたがを緩めるような96条改正を入り口にするのは邪道だ」と怒っていた。それから6年。改憲派の重鎮に、今の自民党とその改憲論をどう思うかと尋ねると、小林さんの口から出たのが「自主憲法制定国民会議」だった。「自民党議員と共に会合に出るようになって、びっくりした。
ある式典では、雛壇の正面に日の丸を掲揚して『皆さん、日の丸を通して、皇居におられる天皇陛下を遥拝しましょう』と、皆で最敬礼をするのです。日本国憲法下の世とは思えなくてね」。彼らの周辺には、「8月15日には靖国神社に参拝するのが国民的常識だ」と説く「明治憲法復元派」に近い憲法学者までいた。「僕は権力者が法律で国民の人権や自由を縛ることを許す明治憲法を『憲法』とは認めない。憲法とは、国民が権力者を縛るものです。でも、彼らは明治憲法と、大日本帝国の価値観の中で生きていた。それは違う、と。だからこそ、三十数年、憲法を理解してもらうために自民党の憲法族と付き合ってきた。それなのに…」その自民党が12年に纏めた改憲草案では、小林さんが説いてきた常識と正反対、権力者が憲法で国民を縛る「国民の憲法尊重義務」規定が加えられて仰天し、翌年の96条改正論議に怒り、「明白な憲法違反」と反対し続けた戦争関連法の成立(15年)に呆れ返った。
17年から、安倍(改憲)首相が「自衛官の子供が『お父さんは違憲なの?』と涙目になった」とのエピソードを持ち出して9条改正を訴えだした事にはこう憤る。
「武装組織を巡る冷徹な議論に、お涙頂戴の情緒論を持ち込む安倍首相です。もはや今の政治に、憲法を変える資格も知性もない。危なすぎる。首相達は、とにかく改憲してみたい、という『改憲マニア』なんです。もう9条を含め、憲法は変えるべきではない。僕はこれまで改憲論者、護憲的改憲論者を自負してきました。でも、もう改憲論者はやめた。護憲になる」確かに何度も「安倍政権での改憲はダメだ」とは言ってきたが、改憲論者の看板そのものを下ろすとは意外である。学者としての大転換、と言っていい。
その真意は後で改めて聞くとして、こうも付け加えた。「政治も、憲法を巡る状況も、先程、言った通りの様です。今、この国の憲政を守るため、打つべき最善の手は何か。そう考えると憲法を変えず、伝統的な憲法解釈をもっと分かりやすく再構築して固め、国民に啓発し、関係法令を整備する。これが一番いい」昨年、世を騒がせた自民党の杉田水脈衆院議員の「LGBT等の性的少数者は本当に、それほど差別されているのか」「彼らは子供を作らず『生産性』がない」との趣旨の雑誌寄稿も、小林さんにはショックだった。
「LGBTは、いや人間は全て個性的な存在です。憲法は、各個人が、それぞれの個性を大切にして生きることを保障している。にも関わらず差別がある。だから公権力が差別をなくす努力をすべきです。憲法を擁護すべき国会議員が、憲法の一番大切なところを、まるで分かっていない。そんな議員達が、憲法を弄るなんてとんでもない」
小林さんは、生まれつき左手に障害がある。今も人前に出る時は必ず手袋をする。
「障害も個性ですよ。小さい頃、道を歩くだけで『かたわ』と石を投げられ、幼稚園の先生には『こういうお子さんは他のお子さんの迷惑になります』とまで言われ、入園を断られた。『公園デビュー』じゃないけど、遊んでいる子供達に『僕も入れて』と言ったら『入れてやらない』と突き飛ばされて、泣いて帰った。割烹着姿の母が抱き締めてくれて…。母も泣いていた」だからこそ「私が私として」生きる事を保障する憲法に感動して学者を志し、「人は生まれながらにして平等で、不可侵の尊厳を持つ」と独立宣言で謳った米国に留学し、学者として自民党議員らに「憲法とは何か」を指南しようと活動してきた。
「でも安保法案や自民党の改憲草案を批判してから、表立って自民党の議員とは会わなくなってね。一緒にレストランにいても、別々に出たりしてね。野党も野党だ。今の選挙制度では、野党が一つにならないと絶対に勝てない。でもならない。本当に安倍政権と向き合う気があるのか。業を煮やし、16年の参院選、自分で政治団体『国民怒りの声』を結成して打って出ると、今度は野党から『商売がたき』のように見られちゃって」
結果は敗北。所属する国会議員がおらず、メディアから「政党」として扱われなかったことも大きかった。何せ学者である。論争は得意だが、かといって選挙にも強いとは限らない。そんなわけで、あれほど小林さんを持ち上げた自民党も野党も、最近は小林さんに近づかない。「改憲論を唱えていた昔も護憲派の憲法学者から嫌われて、学会からパージ(追放)されていたからね。子供の頃から一人は慣れている」さて長年の持論の大転換。
変節、という意地悪い声も聞こえてきそうだが、本人は涼しい顔である。
「学者も学説も『道具』なんです。世の中をより良くするための。僕も憲法学者として、生まれて、生きて、そして死ぬまでに、世の中に良き貢献をしたい、とずっと考えてきた。それが、昔は9条を含む改憲論だった。でも今は違う。憲法を変えないことこそ、世の中への貢献だ。僕は今年70歳。長年かけてここまで進歩してきた」夏の参院選の結果如何で首相、いや自民党宿願の改憲も政治日程に乗ってくる。「その時は、今度は『護憲派学者』として、首相らと論争させて頂くよ」。ニヤリと笑い、テレビ出演のために慌ただしく去っていった。
■人物略歴-こばやし・せつ
1949年東京生まれ。米ハーバード大ロースクール客員研究員等を経て、2014年まで慶応大教授。著書に「小林節の憲法改正試案」、共著に「『憲法改正』の真実」など多数。
《―アリランから島唄へ:悲しみと平和の祈りー》
<渡嘉敷島の「軍夫」殺害、「集団自決」>
―防衛隊に再招集された兵士の証言―
◎一度、退役したが、身体障害のある連中の退役検査を受けされて、再招集を受けた。
防衛隊に回されたが、40歳代もいて、兵器も渡されず、準兵隊みたいなものだね。
◎防衛隊は、朝鮮人「軍夫」が水勤隊と言って、一緒になって豪を掘ったり、させられた。
◎曽根一等兵と言う者が朝鮮人「軍夫」20人位と慰安婦二人を連れて、投降していった。
この曽根一等兵というのは、戦前で言う社会主義者で「天皇もだめだ」とか、「戦争は負ける」とか言い切って。言い切る事は当時、簡単じゃない。でも朝鮮人「軍夫」の人望があって、食糧確保の仕事もしていたので、日本軍隊も手が付けられなかった。
◎渡嘉敷島にも慰安婦たちがいた。実際は慰安婦には一銭も貰えなかったが、実は朝鮮人の親分がいて、その人が金を取っていた。慰安婦は二十歳から30歳以下だったなあ。
(「アリランのうた-オキナワからの証言」抜粋)
<沖縄人将校の証言>
◎少年時代は、教師になりたくて、先ずは東京に行って、師範学校に入ろうとしたが、貧しくて入れなかった。それで大蔵省に入って、それから陸軍省へ徴用された。
◎陸軍省で「幹部候補生」の資格を私一人が「甲種合格」で取った。ただ10名の「幹部候補生」の内、私だけが広島へ転属、マルレ要員(特攻隊員)としての訓練を受けた。
マルレ要員の任務は、爆雷を積んで、主に敵の輸送船を撃沈する。でも任務は、訓練を受けて、初めて知った。後で聞いたが、マルレ要員に選ばれた一番の理由は「次男」ということだったらしいです。正直、死ぬことは怖かった。だから終戦(敗戦)になったと聞いたときはホッとした。本当は誰も、そういう気持ちだったと思いますよ。
◎渡嘉敷島の部落の人達も、そうだったが日本兵の沖縄人への差別意識に対する反発は、相当なものだった。あるとき、御婆さんが、溜まりかねたように「悪罵」を言って、私が「沖縄の人だ」と言うと、御婆さんがびっくりしてー。でも「特別扱い」されるのも具合悪いので、もう全然、遊びに行かなかった。日本兵は、あまり歓迎されていなかった。
*米軍は日本軍を投降させようと、渡嘉敷に収容していた伊江島村民6名に投降勧告文書を持たせて、日本軍西山陣地に送り出した。この「使者」を捕まえた日本軍は、彼らを斬首したが、その内の女性一名が蘇生し逃亡。日本軍は捜索隊を繰り出し捕まえ、以前から当該女性と親しく顔見知りだった知念少尉に、その女性を射殺させた。
◎大尉に「お前たちが逃がしたんだろ!」と言われて腹が立ってー。それがあって、「投降しようか」とも思った。私が沖縄人だから、そういう事を言われたんだろうとー。
◎私は朝鮮人の方々を可愛がり、また可愛がってくれた。食事も将校たちのものと同じように与えた。敗戦後、収容所の中に朝鮮の方も3千人位いて、私は「いろんなことですまなかった」と謝りに行った。そしたら朝鮮の方々の中に「司令」という方がおられて、私に「あんた方は朝鮮人を虐待したから、その制裁を受けてくれ」と言われ、わたしは「そうだったのか」と覚悟して胡坐をかいた。そこへ私が食事を与えた朝鮮人の班長が飛んできて、朝鮮語だから、よく解らなかったけど、言い争うように「この人を叩くなら、私を叩け」と言ってくれたような表現に聞こえた。そしたら「司令」の態度が変わって、「一つ、元気にやってくれ」と私を帰してくれた。後の日本兵は殆ど、半殺しにされていた。
◎渡嘉敷で他の幹部将校等は、顔が腫れ上がるまで叩かれていた。
(「アリランのうた-オキナワからの証言」抜粋)
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《講演討論集会:なんとかならんか-この日本!?》
◎主催:同集会実行委員会
●連絡先:オール関西「平和と共生」(📠06-6607-6409/mail【ak.pnc2015@gmail.com】)
◎2019年5月26日(日)午後6時30分~8時30分(開場午後6時)
◎場所:エルおおさか本館6階・大会議室(大阪市中央区北浜東3-14)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m)
◎講師:松尾 匡さん(立命大学経済学部教授)
◎資料代:800円
《より良い教科書を子供たちに!全国集会》
◎主催:「戦争教科書」はいらない!大阪連絡会(ブログ「あぶない教科書大阪の会」)
◎2019年6月1日(土)開会13時30分(開場13時)
◎場所:エルおおさか本館6階大会議室(大阪市中央区北浜東3-14)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m)
◎内容:①検定結果と小学校教科書の問題点(パワーポイント)
②公正な教科書採択を歪める教育再生首長会議との闘い-東大阪からの報告、他
③各地からの報告
④方針提起-採択制度の民主化、学校現場の意見の反映のための取組みを!
◎資料代:800円(学生・障害者無料)
《戦争あかん!ロックアクション》
◎2019年6月6日(木)開会18時30分/デモ出発:19時10分)
◎場所:オリックス劇場
(旧厚生年金会館/Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)四ツ橋②・西大橋②・本町㉓)
《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》
①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
(求人・就職活動中の方には必見!)
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp(なおツイッターでの投稿は①匿名性が高いこと、②ウイルス対策上等、業者助言により一切、開封・受付いたしません。)
(民守 正義)
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