リベラル勢力総結集で政権交代!(229)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【大学タテカン】「竹中平蔵による授業反対!」タテカンを掲示/東洋大4年・船橋秀人さんにきく》
学生運動が退潮して久しい東洋大学で今年1月、一人の学生がタテカン(立て看板)を掲示。新自由主義を推進した規制緩和の旗手で、2016年4月から同大学教授を務める竹中平蔵の授業に反対を唱えた。タテカンはすぐ撤去されたが、行動は大きな反響を呼んだ。
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─ネット時代の今、わざわざ「タテカン」を使ったのは?
A:タテカンという「現物」があることを大事にしたかったんです。他の大学にも行って、どんな風にタテカンが置かれ、ビラ(チラシ)が貼られているかを実際に自分の目で見てきました。それで思ったのは、例えば「印刷物にはウェブの世界にはない手触りや質感があるように、現物だからこそ伝わるものもある」ということです。「SNSでやったらいい」とも後から言われました。しかしタテカンという現物のインパクトが、今回のネット上での拡散に繋がった面もあると思います。
─船橋さんが通う東洋大学白山キャンパス(東京都文京区)では、タテカンやビラを見かけない?
A:『学生生活ハンドブック』で「立て看板の使用は禁止」と明記されています。
チラシの掲出は指定場所での許可制ですが、社会的なメッセージのものは見かけません。
でも、いろいろなタテカンやビラが学内に置いてあって、自分の意見を自由に表明できるのが普通であり、また本来あるべき姿なのではないでしょうか。(管理者:そのとおり。私は学生時代、完全自活していたが、朝一番に「ベトナム反戦」タテカンを大学に行って作り、それからバイトに行った。-授業は?「適当に-ナイショ」)
─今の大学は自由に議論できる場にはなっていないと。
A:白山キャンパスで象徴的だと思うのは、6号館が「パノプティコン」、つまり一望監視できる刑務所のような造りになっていることです。真理探究の場として相応しいのか。
「これはあり得ない」と話す先生もいます。
─そもそも、なぜ竹中氏の授業に反対なのですか?
A:タテカンを出した時に配ったビラにも書いたのですが、竹中氏が主導した労働政策の大規模な規制緩和によって非正規労働者が増大し、雇用が以前と比べて圧倒的に不安定化したためです。しかし一方、竹中氏自身は人材派遣会社パソナグループの会長であり、労働者派遣法の緩和で利益を得る立場にいます。そのしわ寄せは、私を含む若者やその子供らの世代にも来ていて、自分達はドンドン企業に使い捨てにされてしまう。
私達の将来に直結する問題です。でも、より本質的には、大学で進む実学偏重の動きを問いたい、という思いがあります。全国の大学の文系学部で今、文学部の廃止が取り沙汰されている。観光学部への改組とか、国語の入試問題に文学からの引用ではなくマニュアル等の説明文を使って読解力をみる「論理国語」を取り入れる-等です。
この企業に役立つ人材を育成するという実学偏重の流れに今、東洋大学も乗っかっている。2014年に国の「スーパーグローバル大学」に選ばれて以降、国際関連学部の強化が進んでいます。そして竹中氏は国際学部グローバル・イノベーション学科の教員で、大学のインタビューに「グローバルな競争が、また新しいイノベーションを生み出す」と語っています。これは新自由主義を加速させたい考えの表れでしょう。
しかし、そこでは真理探究という大学本来の役割が軽視されている。
私が在籍する文学部哲学科では、一つのゼミに学生が40~50人もいます。
こんなに人数が多いと教官が学生一人一人を見る事は不可能に近く、相互に議論も、ままならないため、一方通行の講義をするしかない。先生も「どうしたらいいのか」とぼやいています。私も仕方がないので自主ゼミを企画したりしていますが、研究環境を自分で整えないといけない大学の現状は、やはり問題があるのではないでしょうか。
竹中氏が来てから、東洋大学でも「就職予備校」化が加速しつつあるように感じます。
それなのに、その竹中氏の大学にいながら、もし自分が何も行動を起こさなければ必ず後悔し、また恥ずかしく思うでしょう。それが嫌でした。
─実際にタテカンを出して、ビラを配りました。周りの反応は。
A:「東洋大立て看同好会」というツイッターアカウントを作って、タテカン製作と掲示の様子、そして大学によるタテカン撤去と私への「退学勧告」の様子をリアルタイムで投稿。
ネット上では大反響を呼びました。でも学内の同世代からは「大丈夫?退学にならない?」等と気遣ってくれるような反応はありましたが、「一緒に行動したい」という雰囲気は数人を除いてありませんでした。卒業や就職等、「将来に悪影響が出るかも」みたいな「ありもしない恐怖」に取りつかれているように見えました。(管理者:私が大学の頃、もし学長が「タテカンを作ったから退学」とでも口にしようなら、直ちに「学生集会-学長との大衆団交」で、学長は「謝罪」か「逃げ惑う」だが、まあ、そういう強権的な学長でも教授会でもなくて、仮に「退学処分」を口にしても、だいたいは「自己批判的謝罪」で終わった。それから私は大学時代、二回、警察に逮捕・拘束されブラックリストにも載ったようだが、(後で、就職先上司に聞いた。)何ら就職に影響する事無く、民間会社を経て5年前、公務員を立派(?)に定年退職した。因みに以前は私の地方自治体には「元-早稲田大『革マル』」「京大『ブンド系赤ヘル』」「大阪市大-民学同系活動家」等々が部長級等-超幹部にウジャウジャいた。返って学生運動活動家の方が、能力があって、企業戦士になっている)同世代の反応が薄かったのは残念でしたが、一方で「よくぞ言った」「素晴らしい」みたいな熱い反応は上の世代に多かったですね。
こうした声には私も勇気づけられました。
─今回、政党や「セクト」(新左翼党派)等の後ろ盾はなく、全部一人でやった。
A:ツイッターでは「同好会」を名乗っていますが、実態は私だけです(笑)。
大人の力を借りずに「フツーの学生が、たった一人で行動を起こした」事が大事です。
そのことで「彼は一人で行動を起こしたのに、自分は何をやっているのか。このままでいいのか」と、同世代の人達の心の中に葛藤が生じるのを狙っています。
─すごく戦略的ですね。
A:お金にもならないことを、あんなリスクを負ってまで、わざわざ一人でやっている。
それは一体、何故なんだと考え、議論するきっかけをつくりたい。
竹中氏が東洋大学に来て、自分の中にも葛藤が生まれてから、行動を起こすまでに2年かかりました。私が一人で行動することで、誰かの心の中にある同じようなタイムラグを縮めたい。今回の行動は同世代へのメッセージでもあります。
─タテカンを出した当日(1月21日)、大学当局が船橋さんを2時間半に亙り詰問した。
A:学生支援課の職員らに「(退学等の罰則を定めた)学則第57条により退学処分となる可能性がある」「親にも連絡する」等と、強い口調も交えて言われました。でもタテカン禁止だからと言って、それが直ちに学則に触れるとは『学生生活ハンドブック』に書かれていません。曖昧な理由で、学則を盾に退学をチラつかせた大学の姿勢は許せません。
ただ当日の一件以来、大学側から私への反応は全くないですね。親への連絡もないです。
(管理者:これが大学当局の実態。ビビルナ!一般学生!)この問題で大きな注目が集まり、大学が「退学にしない」と表明したのは知ってのとおりです。タテカンをたった1回出しただけで退学を迫る東洋大学への批判の大きさが影響したと思います。
残念なのは、哲学科の先生方が動いてくれなかったことです。中でも講義で竹中氏を批判したこともある先生に「抗議声明を出してほしい」とお願いした際、「上が首を縦に振らないと動けない」と断られたのはショックでした。(管理者:根性なし「教授会」)
その先生は「組織の歯車になるな」と教えたり、(ユダヤ人数百万人の虐殺に加担したナチス将校を裁いた)「アイヒマン裁判」を引き合いに「自発的隷従」の問題点を説いたりしていたのですが、実は先生自身が「組織の歯車」だったという(笑)。
─マンガみたいですね。
A:大学本部から「対外的に意見表明するな」という圧力が教授会にあったようです。
その中で行動を起こすのは確かに難しかったでしょうが、先生方が少しでも動いてくれたらなとは今でも思います。
─今後は、どんな活動を。
A:大学や社会のあり方に疑問を持つ学生が行動を起こすときの参考となるように、今回の事件の経緯について記録を残しておきたい。2月11日に学長宛に抗議と謝罪要求、理事会宛に竹中氏に授業をさせる事等について問う公開質問状を提出したのも、事件の事実関係を明らかにするためです。それと、この事件についての学生を対象にした勉強会も開きたいですね。
戦争関連法に反対して連日、国会前に詰めかけたSEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)のような行動も大事ですが、学校や会社、家庭など自分が今いる場所で行動を起こすことがやはり重要だ(管理者:労働運動では、これを「職場・生産点運動」という)と思うので。こういう視点は、過去の学生運動が掲げた「自己否定」の思想にも通じると考えています。そもそも私が哲学を志したのも、躾が厳しい両親の下で「いかに生きるべきか」「世の中はどうあるべきか」等と悩んだり考えたりしたのがきっかけです。
高校時代、全部は解らないながらもカントらの哲学書を手に取りました。
その中で「世界について考える上では、社会学や心理学など諸学の手前に哲学があるのではないか」と気付いたのです。ところでドイツ哲学が発展したのは、フランス革命を尻目に、当時のドイツの知識人達が「自分達の国は遅れている」とコンプレックスを抱いた事がバネになった-とも言われます。(管理者:小生は、ここで中学・高校時代「唯物論哲学」に目覚めた)そう考えると、今の日本社会も政治腐敗が進み格差が広がる等、衰退が進んでいますが、そういう状況だからこそ文化や芸術が発展する可能性もある-といえる。
私に対する東洋大学の対応は、民主主義が未だ立ち遅れている今の日本における象徴的な出来事といえるかもしれません。しかし、そういう状況だからこそ「良い方向に変わる可能性もあるんだ」と希望を持ちたいですね。(管理者:内的矛盾の衝突から「外的形態への更なる発展へと転化する」。)(基本文献-週刊金曜日/管理者:コメント等-部分編集)
《―アリランから島唄へ:悲しみと平和の祈りー》
【元皇軍兵士の証言2】
◎わたしは、沖縄戦への前は、中国(中支)にいて部隊編入で沖縄に来た。
中国でも朝鮮ピー(差別語:朝鮮人の慰安婦)がいて、広東服を着ていた。
◎どこの部隊の近くにも慰安所は有った。
◎(「『兵隊』というのは女なしではもちませんか?」との問いに対し)
いや、そんな事は無い。戦場だったら、いくらでもいる。(強姦を)いくらでもやる。
争奪戦だから。「はだかになれ!」と言ったらはだかになる。
◎人によっては、言うことをきかなければ殺すこともある。はだかにして刺す者もいる。
足を捕まえさして、軍刀を出して「さあ」と。(以下、筆舌に尽くす)
◎家も位牌も沖縄に似ていた。中国では農民のものを奪って食べる。でも、もう気の毒になってー。沖縄での貧しい生活を思い出して、食べたくなくなる。(沖縄出身?)
*[管理者]亡父からも生前、戦時中(香港)の類似した話を聞いた。「食料調達」のため、ある村を襲い、父は3~5歳頃の女の子の饅頭(マンペイ)を取上げて、野営に戻った。
その時、内地に残した妹を思い出し「こんなんしても、ちっともおいしくないわー」と泣きじゃくったと言う。実際、敗戦後、実家に帰還した時、妹は栄養失調で亡くなっていた。
◎(「軍隊の中で『沖縄人差別』は、ありましたか?」との問いに対し)
それは、あまり無かった。ただ軍隊は、みな階級よ。階級というのは、本土の人がみな、沖縄人より先に上がった。沖縄人は下端-難儀したさあ。
(「アリランのうた-オキナワからの証言」抜粋・ドキュメント動画「沖縄戦」等より)
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(民守 正義)
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