安倍政権の破滅的リスクと参議院選挙の展望(68)
《【腐蝕する安倍内閣】「私が責任者ですから」安倍(経済音痴)総理と東条英機は口癖まで同じだった!野中広務も「安倍は東条と全くかわらない」》
「自制心が利かない。だから議論ができない。反対されると、我一人それを突き破っていくのが信念だと思い込む。そういう錯誤の下に国益に対して軍事によって解決しようとする」これは安倍(戦争)総理と東条英機の共通点だという。そう指摘するのは昭和史研究の第一人者である作家・保阪正康氏。「サンデー毎日」2月14日号に掲載された半藤一利氏、青木理氏との座談会で、保阪氏は“歴代の自民党政党と現政権を比べたときの差異は?”という質問に対して“占領期、戦後の総理はバランスや自制をわきまえていた”、“二度と戦争を繰り返すまいという共通認識があった”とした上で、こう述べているのだ。
戦前回帰的政策を次々と打ち出す安倍(戦争)総理と、1941年に近衛内閣の後を継いで日米開戦に突っ込んだ“A級戦犯”の東条には、しばしば類似性を指摘する声が上がってきたが、保阪氏によると両者は言葉遣いまで似ているという。保阪氏は「日刊ゲンダイ」(2016年2月19日付)のインタビューでも、こう語っている。「安倍さんは国会の答弁でよく“私が責任者ですから”と言うでしょう? あれは東条の言い方と同じなのですよ。政治権力の頂点にいる者が威張り散らすときの言葉で、東条は“俺に逆らうな”という恫喝の意味を込めてよく使いました。あんな言葉、普通の政治家は使いませんよ」確かに振り返っても見ると、安倍(戦争)総理は国会で何度も「責任者は私です」と発言している。
とりわけ集団的自衛権など国の根幹を変更しようとするときに野党から追及されると、そう頑として突っぱねていた。「最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私達は選挙で国民から審判を受けるのですよ」(14年2月12日)「憲法解釈については三権分立、いわば私と法制局は同じ行政府でありますから、その責任者は私であるという事を明確にしなければならない」(同20日)「我々が提出する法律についての説明は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なのですから」(15年5月20日)【管理者:総理大臣であることと自己の正当性とは全く関係ない。「安倍」は科学的思考の全く、できない奴だ】しかも、である。安倍(戦争)総理と東条英機の言動の類似を指摘するのは、保阪氏だけではない。実は首相時代の東条英機を知る、あの自民党の重鎮も、そう証言しているのだ。それは野中広務・元官房長官。
昨年TBSの座談番組『時々放談』に出演した際、野中氏はこう語っていた。「(安倍首相の)国会における施政方針演説で、私にしたら私が中学生の頃、昭和16年に東条英機首相が、大政翼賛会の国会で施政方針演説をやっている、あのラジオ放送を耳にしたときの感じと、全く変わらないんじゃないかという心配を、私は感じました」「(安倍首相は)重要な部分には触れないで、非常に勇ましいような感じで発言をされますと、国民はつい、そういう発言に十分な理解ができないまま、支持率に結びついたんじゃないかと考えております」これは単に野中少年の印象に過ぎないのだろうか。いや、事実として安倍と東条の演説を比較してみると、そこには幾つかの共通点がハッキリと表れていた。具体的に東条の演説を東照二『歴代首相の言語力を診断する』から幾つか取り上げてみよう。
例えば1941年11月17日、組閣後初の施策方針演説で、東条はこう述べている。「私が、ここに衷心より希望致しまする事は、全国民が帝国は今や一大飛躍の秋に際会をし、前途に洋々たる発展を期待し得べき事を確信して、相共に今日の苦を分かち、国民一丸となって堅業の翼賛に邁進せん事であります」お解りのとおり、やたらとポジティブな言葉を使って国民に協力を要請している訳だが、安倍(戦争)総理の演説にも根拠不明の「発展への確信」や「国民一丸となって」というような表現が見られる。例えば野中氏が指摘した2015年2月の施政方針演説では、安倍(戦争)総理は大好きな維新志士の弁を引用しながら、こう語っている。「明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。『日本は小さい国かもしれないが、国民皆が心を一つにして国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になる事も決して困難ではない』。明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。今こそ国民と共に、この道を前に向かって、再び歩み出す時です」驚くほど内容がない演説だが、更に注目すべきは、様々な苦難や課題を前にした両者の演説内容だろう。以下に挙げるのは1944年1月、同盟国イタリアの降伏やカイロ宣言など日本に不利な戦況が続いた時期の東条の演説である。「私の特に強調いたさんとするものは、我ら一億国民に一貫して流るる必勝の信念であります、大東亜戦争の勝利獲得の確信であります、申すまでもなく戦争は畢竟意志と意志との戦いであります」(1944年1月21日、東条総理施策方針演説)要するに“苦境に瀕しているが精神で、なんとかしろ”というアジテーションだ。そして、やはり安倍(戦争)総理も同様に“強い「意志」で苦難を乗り越えよ”と号令をかけている。「今の日本が直面している数々の課題。復興の加速化、長引くデフレからの脱却、経済の再生、財政の再建、社会保障制度の改革、教育の再生、災害に強く安全・安心な社会の構築、地域の活性化、そして、外交・安全保障政策の立て直し。これらも、『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私は、そう確信しています」(2013年10月15日、安倍総理所信表明演説)「やれば、できる。人口減少や超高齢化等、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし若者が、将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う。そうした『若者』こそが、危機に歯止めをかける鍵であると、私は確信しています」(2014年9月29日、安倍総理所信表明演説)「意志の力さえあれば」「やればできる」等という空虚な精神論は、一国の宰相として無能である事を曝け出すようなものである。しかし、これを自信満々で述べてしまうところが、まさに安倍(戦争)総理の本質を表しているとも言えよう。そして、こうして両者の演説を比較してみると、やはり安倍晋三と東条英機は、そっくりと言わざるを得ない。安倍(戦争)総理が一貫してA級戦犯を擁護し続けてきたのも、自分と似ているからじゃないのか、と考えたくなるほどだ。しかも、この類似性が恐ろしいのは、単に個人の考え方や口癖では留まらない事だ。前出の「サンデー毎日」の座談記事で保阪氏と半藤氏は、戦前・戦中日本と安倍政権下で進行している事を重ね合わせて、こう警鐘を鳴らしている。「昭和18年1月1日、首相官邸で東條は『朝日新聞』朝刊で中野正剛の「戦時宰相論」を読んだ。戦時の宰相は強くあれと、東條を煽るような事が書かれていた。東條は激高する。そして司法大臣に電話をかけ中野の逮捕を命じる。しかし法的に該当する罪科がないため、中野は釈放される。すると東條お抱えの憲兵隊長である四方諒二が中野を脅す。中野は自殺してしまった。僕が許せないのは、内閣総理大臣が不愉快だからといって、司法大臣に逮捕を命じるというやり口です。資料によっては、命じたのは逮捕ではなく事情聴取だと書かれているものもあるが、いずれにせよ、いかに戦時下であれ内閣総理大臣が司法大臣に、そんな事を命じる権利等、有りはしない。行政が立法、司法と直結してしまったのです。更に東條は、中野を釈放した判事達まで懲罰召集した。こんな事が許されるものか。しかし安倍首相はやりかねない人物です」(保阪氏)「同時に日本にも戦前の教訓がある。昭和13年の国家総動員体制です。昭和12年7月に日中戦争が始まり、翌年の1月には国家総動員法が提出される。先読みのし過ぎではと思われるかもしれませんが、実は第一次世界大戦後の大正7年、永田鉄山を中心とするグループが既に人事刷新等と共に、国家総動員法を具体的に練り始めていた。おそらく現政権は既に準備を始めていると考えた方がいい」(半藤氏)戦中に生まれ、軍部の内実を研究してきた半藤氏と保阪氏だが、二人は決して「左翼」ではなく、むしろ穏健保守派と評価されてきた知識人だ。そんな両氏の目からも、安倍(戦争)総理は相当、危険な存在として写っているのだ。1941年10月、軍人として総理に就任した東条英機は、同年12月1日の御前会議で英米蘭との開戦を提案、同8日に海軍は真珠湾を奇襲し太平洋戦争が始まった。その約10日後、帝国議会は政府提出の「言論・出版・集会・結社臨時取締法」を成立。これは国民やメディアの諸々の表現を官憲の許可制にし、自由な言論の一切を封じ込める目的でつくられたものだった。
翻って今、安倍政権は、この国の安全保障を180度転換する「戦争法制」を、解釈改憲で強行可決させただけでなく、メディアへの圧力を強め、ついには国会でも高市早苗総務相が“政治的に公平ではない放送をするなら電波停止を行う”旨の発言を行うまでになった。もはや、ただの偶然ではないだろう。“日本が自ら戦争をする訳がない”“安倍首相が戦争指導者なんていうのは妄想だ”なんて楽観的に考えていると、あっという間に取り返しのつかないことになってしまう。【管理者:「安倍」が戦争指導者の資質があるか、どうかは然程の根本問題でない。何故なら日中・太平洋戦争の真の推進者は、当時の財閥が軍部・軍国主義政治家を使って侵略の原動力であったからだ。その事を今日的に当て嵌めれば「経団連-国防委員会」等の「財界-軍事産業の振興」の願望が戦争への原動力で、それを政治的に遂行するのが安倍政権と言うのが、回りくどくとも正確な言い方だ】(リテラ/管理者部分編集)
《「熟考せず決断-危うい」精神科医、作詞家・きたやま おさむさん》
60歳代以上の方なら懐かしい「フォーククルセーダーズ」(イムジン河など)メンバーの一人「きたやま おさむ(北山 修)」が「安倍政権の危うさ」を論じた。
以下、きたやまさんの「安倍政権への危険な思い」を紹介する。
******************
特定秘密保護法や安全保障関連法の成立を巡る慌ただしさを見ていると、安倍政権はパッと決断しないと物事が解決しないという強迫観念を抱いているように感じる。潔さを尊ぶ日本の精神を表すかのようだが、どっちつかずのまま決断しない中途半端さこそが大事だと強調したい。私達は戦後七十年間、様々に評価が分かれる憲法九条の線上で、日本的な平和を築いてきた。それを象徴する存在が自衛隊だ。「戦力」と位置付けなかったのは、私達に戦争中の反省や罪悪感が記憶として残っているからだ。湾岸戦争時には「カネだけ出して何もしない」と他国に批判された。だが日本は同じ立場を貫いてきた。そんなに「未熟な状態」なのか。弱い者ほど外部の目で自分を評価する。共同体から外されても、内なる孤独に強くならないといけない。安倍晋三首相は今、国際的な脅威を訴え「大変だぞ、どうするんだ」という問いを突きつけてきている。問題は山積しているし、片付けていかなければならない。だが良いアイデアが浮かぶまでには時間がかかるし、一生懸命、考えて答えが出ないこともある。熟考せず、決断ばかり優先すれば、その場の空気に流されかねない。東京電力福島第一原発事故にしても、何もなかったかのように他の原発は再稼働している。本当に正しいのか。国がとる態度は、国民一人一人の意思の総和であるべきだ。
国の意思を優先させるような論理には反対だ。かつて「戦争を知らない子供たち」という曲の作詞を手掛け「私に残っているのは涙をこらえて歌うことだけさ」と書いた。有事になれば「歌っている場合か」という声にかき消されるだろう。それでも小さな声で歌い続けていたい。(原文のまま)
【ご案内1】
政治家に放送法の遵守を求める視聴者の会: 岸井さん応援署名に続く第二弾!
「【高市総務大臣「電波停止」発言に抗議する放送人の緊急アピール】を応援します」署名に賛同を!→https://goo.gl/TNskKX
2/29にTBSの岸井さん・金平さんはじめ6人のジャーナリスト達が高市総務大臣の停波発言に抗議する記者会見を行いました。現役のキャスター達が、こうした会見をするのは、非常に勇気あることだと思います。これで他のジャーナリスト達も後に続くのか、政権のメディア圧力は異常だという声を大きくしていけるのかが今、問われています。ただ残念なことに、この会見を伝えるテレビニュースの多くは、短いものでした。報道ステーションもNEWS23も、短く伝えてコメントもありませんでした。これは視聴者が応援するしかありません。署名という目に見える形で、テレビ局に「高市発言はおかしい」という声をつきつけましょう。電波は、放送は、メディアは国民のものです。政府や、大臣や、総務省のものではありません。
Facebookでシェア→https://goo.gl/XOINRy
Twitterでリツイート→https://goo.gl/9GM9ZV
※2/29の会見で、岸井さん応援署名を岸井さんご本人が紹介してくれました!署名用紙も手に持って。その部分を書き起こしましたのでご覧ください↓https://goo.gl/O7blS
【ご案内2】
「沖縄に『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」
◎活動のご案内と寄付のお願い
*詳しくは【サイト/[島ぐるみ会議]http://shimagurumi.org/】をご覧ください。
【ご案内3】[ナビラ募金への御協力のお願い]
パキスタンでの戦争やテロによって教育を受けられなくなったナビラさんの兄妹たちが、教育設備の充実したペシャワールの「Smart School等」で寄宿舎生活により教育を受けることができるよう「ナビラ募金」を起ち上げ、早急な支援を実施していくことといたしました。年間で二百万円ほどの資金が必要です。募金先は、三菱東京UFJ銀行赤坂見附支店、普通預金口座0280580「一般社団法人現代イスラム研究センターナビラ募金」。
問い合わせは当センター☎042(426)8280までお願いいたします。多くの皆様にご賛同頂き、ご協力を賜りたく思います。[一般社団法人 現代イスラム研究センター]
*なお「現代イスラムセンター」理事長 宮田律さんは、「リベラル広場」にも投稿していただき、イスラム諸国の平和立国としての日本の価値と非武装・非軍事援助の重要性を「戦争関連法」反対の中で力説しています。
0コメント