安倍政権の破滅的リスクと参議院選挙の展望(62)

《【マスコミの歪み】高市大臣の“電波停止”発言に池上彰が「欧米なら政権がひっくり返る」と批判! 田原総一朗、岸井成格らも抗議声明》

高市大臣の「マスコミ抑圧-法違反」発言は、これまで何度も繰り返し報じてきているが、政府が保持し広めようとする情報と、国民が保持し吟味することのできる情報の量には圧倒的な差がある。政府の主張が、そのまま垂れ流されていては、私達は、その政策や方針の誤りを見抜くことはできず、時の政権の意のままになってしまう。従って“権力の監視機関”として政府情報を徹底的に批判し検証する事こそが、公器たるテレビ報道が果たすべき義務なのだ。故に池上氏や田原氏をはじめとするメディア人が、一斉に「電波停止」発言に対して抗議の声を上げ始めたのは、他でもない「国民の知る権利」を今以上に侵犯させないためだろう。これは親政権か反政権か、あるいは政治的思想の対立、ましてやテレビ局の「特権」を守る闘い等という図式では全くない。「中立」の名の下、政府によるメディアの封殺が完了してしまえば、今度は日本で生活する私達一人一人が、政府の主張や命令に対して「おかしい」「嫌だ」と口に出せなくなる。それで本当にいいのか、今一度よくよく考えてみるべきだ。 高市総務相の「電波停止」発言は、メディアに対する脅しに留まらず、国民全員の言論を統制しようとする“挑戦状”なのである。そういう意味でも「高市総務大臣「電波停止」発言に抗議する放送人の緊急アピール」に注目したい。【管理者:最近、ようやく安倍(独裁)総理をはじめとする官邸の内閣官房機密費によるメディア幹部・コメンテーター等との「夜の会食・接待」が社会問題化されつつあるが、同じく最近、元官房長官-野中 広務氏が官房長官時代に「政府に擁護的コメントを出す御用評論家(田崎・青山、等)等に毎年-盆・暮れ毎に『格』の違いがあるが、だいたい五百万円づつ配る事が仕事で、内心『空しさ』を感じながら配った事、そして今も、その悪しき慣行は続いているだろう」と証言している。ただ田原総一朗さんは「評論家」としては「肝心なところで政権擁護」との評価が、他のリベラル評論家からされているが、少なくとも野中さんの証言によると「田原総一朗さんは『官邸現ナマ-プレゼント』を受け取らなかった唯一の人」だったらしい。因みに田原さんに渡そうとした「官邸現ナマ」は1千万円―正直、田原さんを見直した。このように現状を見渡すと「安倍・菅・高市のメディア懐柔・弾圧」も当然にケシカランが、その安倍政権に尾っぽをふるメディア幹部・御用評論家もケシカラン!そこもリベラル国民がメディア幹部・御用評論家等を、名前を出して吊し上げないと問題の解決にならない】(リテラ/管理者一部編集)

《【腐蝕する安倍内閣】政治学者-中島岳志さん「政治と宗教の接近」を危惧》

安倍政権下で全体主義が甦るのではないか。またまた学問の世界から、こんな問いかけが湧き起っている。昨年は立憲主義を否定する安倍政権の暴挙に対して憲法学者が立ち上がった。今回はというと政治学者の中島岳志北大准教授と宗教学者の島薗進東大名誉教授が議論した本(「愛国と信仰の構造―全体主義は甦るのか」)で、ナショナリズムと宗教が結びつきつつある事に強い警鐘が鳴らされたのである。安倍内閣の閣僚の殆どは伝統的な社会を理想とする「宗教色の濃い『日本会議』」に所属している。5月のサミットも皇室とゆかりの深い伊勢神宮のある伊勢志摩で行われる。政治と宗教に対して国民は今こそ敏感になるべきだ。

<かつてのように宗教と政治が近づいている>

――「報道ステーション」では辛口コメントが痛快な中島さんですが、ナショナリズムと宗教の関係に焦点を当てて対談本を上梓された。キッカケは何ですか?

A:新自由主義とグローバル化が進行した結果、社会が流動化して、自分のよりどころのなさに不安を感じている人々が大勢いますが、そうした人々を魅了するのが、拠り所の無さを解消してくれるナショナリズムと宗教です。この二つが結びついた宗教ナショナリズムが暴走すると、とても危険な事になるのです。

――戦前の日本が、まさしくそうだった?

A:はい。ナショナリズムは健全な民主主義を育む可能性もある一方で「日本人であるか、ないか」だけを指標にして、排外主義的な間違った方向にも傾きやすい。そうした偏狭な愛国心が、宗教と深く結びついたときに何が起こるのか。戦前の日本では国家神道等の宗教が、天皇や日本という祖国を信仰の対象とする事で、ナショナリズムを過激化させ、全体主義の時代になだれ込んでいき、大きな戦争にまで突入していきました。

――そういう戦前と現代の日本は、よく似ている?

A:第2次世界大戦前の日本でも社会の流動化が進み、現代と同じように個人がバラバラになって砂粒化していた。経済的な閉塞感という意味でも、恐慌が続いた戦前の社会は現代とそっくりです。

――明治維新から太平洋戦争突入までが、およそ75年間なんですね。昨年は「戦後70年」でしたが、戦後から現在まで、ほぼ同じ年月をかけて戦前と似たような歴史過程を歩んでいるという分析も本で紹介されていた。

A:社会の雰囲気は、いわゆる一世代、25年毎に変化すると社会学者の大沢真幸さんが言っていますが、この75年間は3つの時代に区分できます。明治維新後の最初の25年間、つまり維新後の第1期は、欧米列強の仲間入りを果たそうと富国強兵に努めた時期でしたが、同じように敗戦後の第1期には戦後復興を目標にして高度経済成長を達成した。戦前の第2期においては日清・日露戦争に勝ち「アジアの一等国」としての地位を固め一方、敗戦後の第2期は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として隆盛を極めた。しかし、どちらも50年を過ぎて第3期に入ると社会基盤のもろさが表立ってくる。戦前の第3期には恐慌があり血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件などテロ事件が相次ぎ、全体主義に呑み込まれていった。このときドライブをかけたのが、国家神道等と結びついた宗教ナショナリズム、いわゆる「国体論」です。戦後の第3期はバブル崩壊と金融危機が本格化した1995年から始まるのですが、この年、オウム真理教事件が起き、その後も社会不安は消えないまま、戦前の如く、じわじわと政治と宗教が互いに近づいてきています。

<青年の鬱憤がナショナリズムと宗教に結びつく>

――政治と宗教の接近の代表例ともいえる日本会議の設立も第3期に入って直ぐの1997年でした。日本会議は自民党の発表した憲法改正(改悪)草案を積極的に支持していますが、あの草案には「国旗国歌を尊重し家族は助け合え」といった内容が書かれています。

一昨年、安倍政権は集団的自衛権行使のために憲法9条の解釈改憲を閣議決定によって行いました。実質的な改憲が立法府を通さず、内閣の中で自己完結的に行われたのです。

国民が選挙で選んだ代表は立法府にいる国会議員達です。内閣だけで完結する政治は「主権在民」の基本が破られた尋常ならざる状態だと思います。ここで選択肢を誤ると、立憲主義も民主主義も根こそぎになり、戦前以上に酷い全体主義国家になってしまうのではないか。その位の危機感を持っています。

――日本会議と安倍政権との蜜月のような構図は政教分離を定めた憲法20条には違反しないのですか?

A:戦前の日本が国家神道を政治の道具にしたように、他の宗教を抑圧したり、信仰の自由が侵されるような政治を行えば、それは違憲でしょう。現状は、そこまでいっていないけれども、この先も、そんな事があってはならないと思います。一つ注意を払っておいた方がいいのは、戦前に唱えられた神社非宗教説です。日本は明治維新で近代国家をつくる際「神道というのは日本人の生活様式であって、宗教ではない」(神社非宗教説)という考え方を構築して、欧米に対して政教分離原則や信教の自由を保障している「ふり」をした。しかし戦前の日本で実際に起きたことは、国家神道を中心に置いた宗教ナショナリズムの台頭でした。

――戦前と戦後では、若者の閉塞感も似ていますね。自己の存在について思い悩んだ「煩悶青年」と呼ばれる戦前の若者達と今の若者達の共通点というか。

A:重なって見える部分は多いですね。「煩悶青年」の一部は、戦前第3期の血盟団事件等のテロ事件を起こしました。こうした戦前のテロ事件と2008年の秋葉原連続殺傷事件等は似ています。しかし違う点は、戦前のテロ事件はターゲットがハッキリしていたこと。国体としての天皇と自分達の関係を邪魔する者、これを殺せば雲が晴れる。そういう考え方で社会を困窮させた財界人等を殺していく。でも秋葉原事件は無差別殺人でした。現代では誰が自分に不幸を強いているのかが不透明です。だから殺す相手は誰でも構わない。

こうした青年の鬱屈が過激なナショナリズムや宗教と結びついていくと、それが暴発する恐れがある。

<ポピュリストの強い言葉に大衆が引き寄せられる危険>

――殺人までは犯さなくても、新自由主義経済で格差が拡大し、多くの人が、はけ口や拠り所を求めている。こうした抑圧感があります。

A:日本人が戦後、初めて本格的に大きな不安を感じたのが95年の阪神淡路大震災でしょうね。戦後日本がつくってきた「強い経済」という物語が、目に見える形で崩壊した。

東京で起きた地下鉄サリン事件もしかりです。その時に何が起きたかというと「断言にすがる」風潮です。95年に一番売れた本は「脳内革命」。ポジティブシンキングで全て解決できるという根拠の薄いスピリチュアル本です。松本人志の「遺書」小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」も売れた。国民が強い言葉に一斉に群がったのですね。「強い経済」という柱が折れたら日本人はこんなに弱かった。私は20歳でしたが驚いたのを覚えています。

――95年よりもっと、国民の不安は増大しているのではないですか?

A:そのとおりです。そして更に大きな不安に襲われるのは、米国という後ろ盾を失った時でしょう。今の日本は米国に従属していて、安倍首相も自身のイデオロギーよりも米国の方針を優先させる。ただ近い将来、間違いなく、米国は東アジアにおける「警察官」の役割を放棄し撤退していく。戦後ずっと米国頼みでやってきた日本を「何をやっても『ごっこ』でしかない」と評論家の江藤淳氏が鋭く批判しましたが、その「ごっこ」の時間が早晩、終わる。そのとき日本人は不安に耐えられず、強烈なポピュリストの強い言葉、例えば橋下徹のような政治家の言葉に大衆が無防備に引き寄せられ、全体主義が深まっていくのではないか。

――そのとき宗教ナショナリズムにも人々は吸い寄せられる?

A:宗教ナショナリズムの暴走も心配です。ただ難しいのは、だからといって宗教を捨て去る事ができないということ。人間というのは本質的に宗教的な存在でしかありえない。

一方、ナショナリズムにしても「国民に主権をよこせ」という運動から出てきたのであって大事なものです。両者は切り離せないので使い方を間違えないように、予め取扱説明書と解毒剤を用意しておかないといけない。それを考える上で日本は格好の失敗事例をたくさん持っている。それが戦前の宗教ナショナリズムや全体主義の歴史です。これを鑑のようにジックリ見る必要があるのです。

▽なかじま・たけし 1975年生まれ。大阪外大卒、京大大学院で博士号を取得。北海道大学法学部准教授。テレビ朝日「報道ステーション」レギュラーコメンテーター。(日刊ゲンダイ/管理者一部編集)

【ご案内1】

T-nsSOWL west × SEALDs KANSAI × SADL

〔安保法制の廃止を求める大阪デモ〕

日時:3月6日(日)14:00~集会スタート(14:30~デモ出発)/集合場所:靭公園

【ご案内2】

 「沖縄に『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」

◎活動のご案内と寄付のお願い

  *詳しくは【サイト/[島ぐるみ会議]http://shimagurumi.org/】をご覧ください。

【ご案内3】

[ナビラ募金]パキスタンでの戦争やテロによって教育を受けられなくなったナビラさんの兄妹たちが、教育設備の充実したペシャワールの「Smart School等」で寄宿舎生活により教育を受けることができるよう「ナビラ募金」を起ち上げ、早急な支援を実施していくことといたしました。

年間で二百万円ほどの資金が必要です。募金先は、三菱東京UFJ銀行赤坂見附支店、普通預金口座0280580「一般社団法人現代イスラム研究センターナビラ募金」。問い合わせは当センター☎042(426)8280までお願いいたします。多くの皆様にご賛同頂き、ご協力を賜りたく思います。         一般社団法人 現代イスラム研究センター

*なお「現代イスラムセンター」理事長 宮田律さんは、「リベラル広場」にも投稿していただき、イスラム諸国の平和立国としての日本の価値と非武装・非軍事援助の重要性を「戦争関連法」反対の中で力説しています。

(民守 正義)