リベラル勢力総結集で政権交代!(189)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【終末医療】終末期医療ガイドライン11年ぶり改訂:「尊厳死」法制化の先取りか⁉尊厳と介護が保障される制度が必要》
昨年3月、厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂した。終末期における医療や介護について事前に医師や看護師らとチームで話し合う「ACP」に基づくものだが、難病や障害をもつ当事者や支援者らから、尊厳死法制化の先取りではないかと懸念の声が上がっている。昨年秋には自民党が尊厳死法案の検討に入ったと報道されており、注視が必要だ。
<「アドバンス・ケア・プランニング」とは>
このガイドラインは、2006年に富山県射水市民病院で7人の入院患者の人工呼吸器が外され、死亡した事件を受けて策定されたもので、改訂は11年ぶり。
「人生の最終段階」とは「終末期」のことを指す。今回の改訂は「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」が中心となっている。医療技術の進歩によって、治療の不開始や中止の問題が議論されるようになり、本人の自己決定の重要性が認識されると同時に、事前の意思表示に関する法制化、リビングウィル(終末期の医療やケアについての意志表明書)や事前指示書(AD)の作成が進んできた。しかし1枚の書類で全ての問題が解決する訳ではないため、合意プロセスを重視するACPという概念が登場し、欧米を中心に広がっている。
今回の厚労省のガイドラインのポイントは以下のとおり。▽「終末期」の医療やケアについて本人の意思決定を基本とする。▽その意思決定は医師や介護従事者などチームによる話し合いによって行なわれる。▽本人の意思や容態が変化することを踏まえ、繰り返し話し合う。▽このプロセスで話し合った内容はその都度文書にまとめる。▽意思を確認するため本人と話し合う「家族等」には親しい友人等が含まれる。
このガイドラインは、病院だけでなく介護保険施設や在宅の場合も想定している。
厚生労働省はACPの愛称を「人生会議」とし、ACPの普及・啓発を目指している。
<「自己決定」を隠れみのに社会保障費削減>
雑誌『文學会』1月号の、落合陽一氏(実業家、筑波大学教員)と古市憲寿氏(タレント)の対談が批判に晒されている。超高齢化社会で社会保障費をどう削減するかという話題で、古市氏は「財務省の友達と社会保障について細かく検討した」結果、終末期医療の削減を提案。「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1ヵ月。だから高齢者に『10年早く死んでくれ』と言う訳じゃなくて『最後の1ヵ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい。『胃ろうを作ったり、ベッドで、ただ眠ったり、その1ヵ月は必要ないじゃないですか』と」。落合氏も「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もする」と同意。「財務省の友達」と検討した内容の妥当性、財源論から「死」の制度化を肯定する態度、優生思想について、新聞やネットメディア、SNS上で批判が殺到していた時期、古市氏は『平成くん、さようなら』で芥川賞にノミネートされていた。
この小説は、安楽死が合法化されている日本で「平成」と名付けられた主人公が、平成が終わるのを機に安楽死を望むという物語だ。今般、改正されたガイドラインは「終末期」の生命維持治療の不開始と中止の「要件」について触れていないが(それには法制化が必要)、医療・介護従事者を含めたチームによる「話し合い」による決定は、本人の自由な意思による「自己決定」といえるのか、人工呼吸器や胃ろう等を利用する障害当事者を中心に懸念の声が上がっている。昨年11月28日、東京の憲政記念館で「緊急集会安楽死・尊厳死の問題点と介助者確保について」が開かれ(主催は全国脊髄損傷者連合会等5団体)、死ぬための法制化よりも生きるための介護保障を求める声が上がった。
<不安、煽り「解決策」提示するレトリック>
集会では先ず、鳥取大学医学部の安藤泰至さん(宗教学、生命倫理学)が、安楽死について整理し、尊厳死推進派のいう「死の自己決定」の欺瞞性について指摘した。
「安楽死と安楽な死は違う。尊厳死と尊厳ある死は違う。これは大切な点です」。
安藤さんは「安楽死」を行為の目的や意図で分類するのではなく、どのような行為をするかによって分類すべきだという。一般的には、医師が致死薬を処方したり、注射をして死なせる「積極的安楽死」と、医師が処方した致死薬を本人が好きなときに飲んで自殺する「医師幇助自殺(PAS)」と、延命治療の手控えや中止によって結果的に死をもたらす「消極的安楽死」の3つに分けられる。「尊厳死」というとき、日本では「消極的安楽死」の事を指す事が多いが、これは「日本尊厳死協会」の「安楽死と尊厳死は違う」という宣伝文句のための用語法に過ぎないという。欧米で尊厳死(Death with Dignity)とはPASを指すことが多いが、積極的安楽死を含む場合もあるという。「だから尊厳死という言葉は特定の行為を指すというよりも“尊厳を持って死んでいく”というイメージを表す言葉」と話し、病死や事故死といった言葉に比べて安楽死や尊厳死という言葉は曖昧で、それを実現する具体的行為を伴うせいで、賛否が分かれるものとなると指摘。「事故死に反対だとは誰も言いません。“良い死”という含みのある安楽死や尊厳死は、避けるべき“悪い死”のイメージとセットになっている。『“悪い”死に方をしないために前もって決めておくのが一番の解決策ですよ』というのが安楽死や尊厳死のレトリックで、人の不安を煽って解決策を提示する、質の悪い宗教みたいなものだと思っています」。そして推進派の「選択の自由」という主張について、「『自殺の権利を求めない限り、ある状況なったら死にたくなって当然だ』という価値判断が含まれる。それは同じ状況で生きる人への圧力になる。延命治療は悪いものというイメージがあるが、医学的な治療の殆どは延命です。延命とQOLが対立するかのように印象操作する人達もいる」と批判した。最後に安藤さんは「『死にたい』と言う人が、もう一度生きてみたくなるような手立てを十分に尽くしているのだろうか。死に方を尊重する前に、各々が生き方を追求する事を尊重できる社会を創っているだろうか。過労死で人が死んでいくような社会で、安楽死や尊厳死なんて、とんでもないと思います」と締め括った。
続いてALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者で人工呼吸器をつけて生活する医師の竹田主子さんが、ACPは介護保障の問題と密接に関係すると指摘し、「全身麻痺の障害者や難病の人を単純に終末期と捉えるべきではない」と話した。
<ガイドラインが死ぬ準備を進める危険性>
「私が医師からALSと診断を受けた際、“家族の介護が大変だから”と当然のように呼吸器をつけない前提で話が進んでいきました。その医師は介護福祉制度を全く知りませんでした」。竹田さんは現在、介護保険と障害福祉の重度訪問介護を併用し、育児をしながら、医療コンサルティングや学校での講義も行なっている。更には医療訴訟の相談を受ける会社を立ち上げた。「自分は迷惑な存在だから消えてしまいたいと思っていた数年前には想像すらできなかったことばかりです」。厚労省のガイドラインでは、ACPと共に早期の緩和ケアを推奨している。ACPの普及に伴い、緩和ケアの対象者を図る指標「スピクト」が日本でも導入されつつあり、それによるとALS患者の全てが緩和ケアの対象となる。
「勝手に医師から末期と決めつけられ、正当な治療を受けられず、緩和ケアのルールに乗せられて死ぬ準備をさせられる-という危険性が十分にある。難病障害者にとって呼吸器や胃ろう等は、失った機能を補う道具でしかありません。足を失った人の義足、心臓の働きが悪くなった人のペースメーカーと同じです」竹田さんは、重度訪問介護の支給時間の拡大や重度訪問介護従事者の処遇加算切り下げの阻止等、介護保障の充実を訴える。
また重度障害者にACPを行なう場合は24時間介護の保障を前提にすべきだという。
ALS等の難病療養者や障害者と、その家族に在宅療養と介護事業を行なう「さくら会」の川口有美子さんはACPについて、「終末期医療の医療費削減の一つの道具として出ているもので、医療を断る方向性が強いもの」と指摘。医師や介護者を含めたチームでの話し合いについても、「生きる事を諦める事を皆で合意形成する制度になりかねない」と、自己決定を支える介護保障なしにACPが推進されることに危機感を露わにした。
集会の最後には「私達は24時間の介護保障なくして、安心して終末期を迎えることができない。介護保障なき治療の不開始と停止を、私達は一切、認める事ができない。」という宣言文を拍手で承認した。(社会新報)
《【マタハラ圧力】育休世代”を押しつぶす無言のプレッシャー》
3月23日最高裁が、妊娠による降格は「マタニティ・ハラスメント」に当たり「違法で無効」との判断を初めて示した。一昔前に比べれば女性の育児休暇が取りやすく、また復職もしやすいという風潮にはなっている。しかし妊娠や出産をきっかけに解雇・雇い止め、減給・降格等の“マタハラ”はいまだ横行している。この最高裁判決がマタハラへの一定の抑止力になる事が期待される。しかし明確なマタハラがなくても、妊娠・出産を機に退職したり、閑職へと異動する女性も少なくない。特に有名大学を出て、就職活動を勝ち抜き、人一倍仕事への意欲を持っていた女性ほど、そのような傾向が強いと言われている。
そこには一体どんな理由が隠れているのだろうか。“バリキャリ”だった女性15人の生の声を基に、女性が労働を継続しにくい社会の原因を分析したのが、『「育休世代」のジレンマ』(中野円佳)である。「育休世代」とは、1999年の男女雇用機会均等法の改正、2001年の育児・介護休業法の改正を経て、社会が実質的に女性の労働継続に向けて動き始めた時期に就職した世代、具体的には1978年生まれ以降を指している。
一見すると制度が整った後に社会へと出た恵まれた世代に思われるが、著者はその世代の女性特有のプレッシャーを指摘する。それは「『男なみ』に仕事で自己実現をする事を焚きつけられる『自己実現プレッシャー』」と「できれば早めに母になり、母としての役割を果たすことを求められる『産め、働け、育てろプレッシャー』」だという。
自己実現プレッシャーに内包される要因として挙げられるのは、女性の「マッチョ志向」だ。これは親のジェンダー観に大きく影響されるものであり、「自立した女性」や「男まさりに」と育てられる事により「男性中心主義的な社会で『男に媚を売る』『サポート役になる』のではなく、同等に競争したいという意識」を強く持って成長する事をいう。
そして、このマッチョ志向の女性は、就職時に「働きやすさ」よりも「やりがい」を重視する傾向があり、更に厄介なのは「自分よりも仕事の上で有能な男性を勝ち得ることが自分の『性的魅力』を確認させてくれる」という“同類婚”を選びがちな事だ。
しかし、その有能な男性の殆どは日々の業務に忙殺され、家庭や子育てを顧みる時間がなく、家庭を潤滑に回す役割を女性が引き受けざるを得ない。一方で「産め、働け、育てろプレッシャー」も深刻だ。「育休世代」が就職をし始めた2000年代には、高齢出産のリスクや不妊の実情が浮き彫りになった時期であり、自ずと人生設計を前倒しにする人も少なくなかったはず。出産し、復職を願おうにも、女性の多くは親(子供にとっての祖父母)に預ける事を嫌がる。そこには親の体力を心配する思いや親世代との子育て観の違い等もあるが、「自立したい」という気持ちが大きな割合を占める。そうなると子育てと仕事の両立には保育園が不可欠なのだが、待機児童問題のように入園前にも問題が山積みだ。
仮に入園したとしても長時間、子供を預ける事への罪悪感や、子供と離れている時間と仕事におけるやりがいのアンバランス等、幾つもの精神的な重荷が圧し掛かってくるのだ。
この2つのプレッシャーに押し潰され板挟みとなり、結果として職を手放す、または閑職を受け入れる女性も少なくない。問題解決として、企業が制度から漏れ出ている問題を、どのように受け止め、解決に導けるか。男性の育児参加や社会の母性神話からの脱却、母親自身が「理想の母親像」を打ち捨てる「意識改革」が求められるが、現実はそう簡単ではない。(基本文献-リテラ/管理者:部分編集)
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(民守 正義)
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