「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(38)

「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(38)


《「戦死」ではなく「公務死」?自衛官、いまそこにある危機》
 自衛官にとっての「危機」は、すぐそこに迫っている。自衛隊が南スーダンで実施している国連平和維持活動(PKO)の任務に、来年11月の派遣部隊の交代時から今回の法改悪によって合法とされた「駆けつけ警護」を加えることが検討されているのだ。
 他国軍やNGO職員が武装集団に襲われた場合等に、武装した自衛隊が救援に向かう「駆けつけ警護」。
 それが、もし実行された場合、何が起きるのか。元陸上自衛隊レンジャー隊員の井筒高雄氏がこう語る。「『警護』といっても、実態は戦闘に他なりません。2ケタ単位、最悪3ケタの死者が出ることもあり得る。特に今のまま自衛隊が戦えば、負傷者中の死者の比率 が高くなることは避けられない。自衛隊は諸外国の軍隊のように救急救命の制度が整っておらず、医師法や薬事法の制約で衛生兵による現場での治療や薬の投与も十分にできない。演習場の近くに治療施設のある普段の訓練時とは全く状況が違うのに、命を守る備えができていないのです」創設60年を超える自衛隊に、初めて「戦死者」が出る事態が、いよいよ現実味を帯びてきているのだ。その瞬間を迎えたとき、どうなるのか―。2003年から行われた自衛隊のイラク派遣の際、派遣部隊が現地に棺を持参していたのは有名な話だが、実は更に踏み込んだプランが極秘に持ち上がっていたという。「日本武道館を借り切って、総理大臣出席の壮大な国葬を行うことが検討されていたそうです。今後、戦死者が出た場合も、このプランが踏襲される可能性は十分にある。もちろん慰霊の意味もあるでしょうが、戦死者を美化して国威を発揚する側面もあるでしょう。政府は『戦死』をテコに『今の体制が不十分だから戦死者 が出た。やはり憲法9条を改正して国防軍を創設するべきだ』等という宣伝を始めるのではないか」(前出の井筒氏)そもそも戦死という言葉すら使われないと指摘するのは、元防衛省幹部で国際地政学研究所理事長の柳澤協二氏だ。「日本が他国に攻められて個別的自衛権で防衛出動する場合は別ですが、それ以外の戦争は憲法上、しないことになっている。政府としては戦死という言葉は使えず『公務死』等と表現するのではないか」こうした現実が目の前に叩きつけられるだけでも国民には相当に衝撃的な出来事だろうが、葬儀が終わっても、その後の戦死者の慰霊の問題が残る。現状の制度はどうなっているのか。
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏が解説する。「イラク派遣の際、自衛隊の『戦死者』を靖国神社に合祀できるかが真剣に検討されましたが、憲法の定める政教分離の規定等から不可能という結論になった。それで東京・市谷の防衛省敷地内に大規模な式典も行えるような慰霊碑地区(メモリアルゾーン)が整備されました。毎年秋に行われる追悼式には、かつて殆ど出席しなかった首相が毎年、出席するようになっています」03年9月に完成した現在のメモリアルゾーンには、富士山をかたどった慰霊碑が立つ。初めて国費を支出し、老朽化していた、それまでの慰霊碑等を集約して拡張・整備されたものだ。ここに1950年の警察予備隊創設以来、事故等によって殉職した1800人以上の自衛官の銘板が納められている。
 ただメモリアルゾーンは防衛省の敷地内にあるため、事前予約制の見学ツアーに申し込む以外は、一般人が自由に立ち入ることはできない。防衛省の広報によれば、殉職自衛官の遺族であっても、立ち入れるのは基本的に年1回の追悼式のときのみだ。
 国民にメモリアルゾーンの存在が、あまり浸透していない中で自衛官の一部には「個人的には、戦死したら靖国神社に祀られたい。(太平洋戦争時の連合艦隊司令長官の)山本五十六の傍がいい」(陸上自衛隊1尉)等と靖国神社への合祀を望む意見も根強いようだ。
 靖国神社は今年8月、共同通信の取材に「今後、戦死した隊員が出た場合でも合祀はしない」という見解を明らかにした。自衛官が生前、個人的に望んだ場合も合祀されないのか。
 京都産業大学名誉教授(日本法制文化史)で、靖国神社崇敬者総代の所功氏がこう語る。
「靖国神社は戦前、戦中は陸海軍、戦後は厚生労働省が認定した戦死者の名簿を基に合祀をしてきた。今後もその原則を簡単に曲げることはないと思われ、例え個人が望んでも合祀はされないでしょう。現憲法下でできることを考えれば、今のメモリアルゾーンできちんと慰霊する以外の道はない。その原則の下で今後、一般人も立ち入れるように規模を拡大することや、追悼式への天皇陛下のお出ましが叶う方法を模索するなど検討課題はあるでしょう」(週刊朝日)

《安倍政権は立憲主義を破壊しようとしている:早稲田大学-長谷部恭男教授》
<「何かおかしい」国民の間に広がっていた疑念>
 6月4日、衆院憲法審査会に出かけまして、その時はまだ安保法案といわれていましたが、少なくとも、その核心部分、つまり集団的自衛権を行使するという点については「違憲である」と申し上げました。一緒に出席した小林節さん(慶応大学名誉教授)、笹田栄司さんも(早稲田大学教授)も揃って違憲であると発言しました。その結果、社会に大きな動きが生じて来たということは御存知の通りです。
ちょっと内情のことを申し上げておきますと、あの時は「衆院憲法審査会に自民党推薦として出席したにも関らず、違憲と発言した」とかって言われました。私は、これまでに何度か会議も含めて国会に呼ばれて参考人として発言をするという機会がございましたが「何党からの推薦である」と予め言われたことは実は一度もございません。ですから翌日の朝刊を見て、自分は「ああ自民党推薦だったのだ」と知ったわけでございまして、別に何党推薦だから答えが変わるというものではないと思うんですが、まあ、そういう次第です。
こういう形で大きな社会の動きというのが生じてきたというのは、それまでの間に国民の皆さんの間に「何か変だ」「どこかおかしいんじゃない か」っていう疑念と疑問が大きく膨らんできていたからでしょう。ですから私共3名の発言というのは本当に単なるキッカケだったのだろうと私は思っています。あの時の話というのは実は海外でもかなり広く報道されております。そのためにアメリカの私の友人の憲法学者からメールを貰いまして「憲法学者でさえ社会の動きに影響を与えられることを示してくれて、ありがとう」と書かれていました。これはどう受け止めればいいのかなと思ったんですが。

<9条について発言する憲法学者は一握りなのに>
 その後は、これまた皆さん御存じの通り、この法案が違憲か合憲かを巡り、報道機関各社が憲法学者にアンケートをしたところ、大部分の憲法学者が 「違憲である」あるいは「少なくとも違憲の疑いが強い」という答えを出してきた。これも実は正直に申しますと、私にとっては驚くべきことでした。というのは、皆さんは憲法学者というと、いつも「9条、9条」と叫んでいる人々だと思っていらっしゃるかもしれませんが、憲法学界の中で憲法9条について1本でも論文を書いたことのある人というのは、実は本当に一握りしかいないんです。憲法学者というのは「9条って何かややこしそうだから、ちょっと触らんでおこう」と思っている人が大部分でして、むしろ表現の自由の話とか、適正手続きの話とか、生存権や教育権の話を一生懸命勉強する。あるいは政治制度の問題、例えば「適切な選挙制度はどうあるべきか」といったことを研究している人達が大部分なのです。もちろん憲法研究者ですから、9条のことも、もちろん勉強するわけで、その結果9条については各々、意見を持っているとは思いますけれど、まあ9条について何か表向き発言をするという憲法学者は憲法学界の全体から見れば、ほんの一握りなのですね。ところがアンケートをしてみると本当に大部分の憲法学者が「おかしい」「憲法違反である」という回答が出てきていまして、私は大変驚きました。やはり、それほど、この「戦争法制」は問題のあるものだということを示しているのだろうと思います。また学者だけではなくて、その後は歴代の元内閣法制局長官とか、元最高裁判事の方、更には元最高裁長官、すなわち山口繁さんというエリート中のエリートが「少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は違憲だといわざるをえない」と朝日新聞の取材に答えました。私の知る限り、山口元長官というのは長官在任中は、少なくとも憲法に関しては名前を明らかにして個別に意見を書くということはなかった人なのです。
 ところが、その方が「これは憲法違反である」ということをおっしゃるわけですから、よほどの危機意識を持っておられたのだろうと思います。

<「学者が結論を出すわけではない」-政府与党の反応>
 それに対する政府や与党の方々からの反応が、これまた非常に興味深いものでして、要するに相手にしたくない、学者というのは何か字面に拘っているとか、最後は「最高裁が結論を出す、学者が結論を出すわけではない」とおっしゃるんですね。まあ要するに多くの学者達が、いくら「違憲だ」と言ったからといって「聞かないでください」と言っているわけですね、議論したくないんですということです。要するに反論しようと思っても反論できないものですから、なかったことにして貰いたいという事のようです。だいたい、この問題に関する政府与党の側の態度は、国会の審議を見ていてもよく分かります。何か疑問とか批判とかがあっても、まともに理屈でもって答えようとはしない。ただ単に何か結論を断言するだけです。「そんなことは決してありません」とか「絶対に、そんなことはないんです」。何故そうなのかという理由は全く分からない。で、これはいろいろの点から切り込んでいくことができると思うんです。先ずは民主主義という観点から見てみます。
 衆院憲法審査会で一緒に発言された小林節さんが、安倍内閣のやっていることや態度は、これはもう独裁政治だということをおっしゃっていました。独裁と言っても、独裁政治の典型というのは、隣の大きな国が独裁政治の典型ですが、日本は、それとはやっぱり違うわけです。日本は表現の自由も保障されているし、少数派の思想信条の自由も保障されている。まあ、選挙だってちゃんとした自由な選挙を曲がりなりにもやっているわけで、制度として見れば、今の日本が独裁政治だということは、なかなか言えないと思うんです。ただ小林先生がおっしゃっているのは安倍政権の態度、物腰ですね。要するに自分達を支持する人間に対してだけ顔を向けて、そこに向けて話をしようとする。反対に自分達に何か疑問を向けたり、批判をしたりするという人に対しては、とにかく、まともに相手にしようとしない。結論だけ断言して、それでおしまい。そうした態度のことを、たぶん小林先生は「独裁」とおっしゃっているのではないか。そういう意味で申しますと確かに独裁的なところはあるのではないかというふうに私も思います。

<自分たちを縛っている憲法の意味を自ら変えてしまおうとする人々>
 それからもう1つは、立憲主義という問題です。立憲主義という言葉も、いろいろな意味合いで使われる言葉ですが、ただ最低限この意味だけは入っているはずだという、そういう最低限の意味合いがあります。それは、憲法によって政治権力を縛る、政治権力を拘束するということ。これが少なくとも立憲主義である以上、最低限、必ず入っているはずの意味合いです。ところが安倍政権は、今政権の座にある自分達の判断で、自分達を縛っているはずの憲法の意味を、自分達で変えてしまおうというわけですから、これは今申し上げました最低限の意味合いでの立憲主義を破壊しようという人々である、ということは明らかなような気がいたします。

【紹介】「平和の琉歌」http://bit.ly/1MQbwcr :YouTube:伊波 洋一 (いは よういち)

《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
 同じポスターを全国一斉にかかげよう!
 12月3日(水)午後1時きっかり
◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
 政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
 再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。
 各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
 現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
 ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
2015年10月 澤地久枝

*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(pdf)】でダウンロードしてください。またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
(民守 正義)