「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(32)
「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(32)
《「なぜ安倍首相を批判するのか」答えは山のようにある(小林節教授)》
◆私には元々、自民党支持者の友人、知人、親族が多い。彼らから時々「なぜオマエは、そんなに安倍首相を批判するのか?安倍首相は日本のために、よくやっているではないか!」と言われる。しかし私には、安倍政権が私達-主権者国民のために何か良いことをしてくれたという記憶はない。既述のように憲法9条の故に海外派兵ができないおかげで「専守防衛」に徹し、結果的に一度も海外で戦争に参加せず70年間も平和でいられたこの国を、今回の戦争法の制定により先ず、米軍の友軍として世界で普通に戦争に参加する、「殺し・殺される」国に変えてしまった。TPPも詳細は秘匿されたままではあるが、方向性としては、日本の食料市場に外国産の安価な食料が大量に流入し、我が国の食料生産能力が壊滅してしまうことは明らかである。その結果、我が国は、いざという時に米国等に食料を依存せざるを得ない立場になってしまう。軍事属国に加えて食料属国である。アベノミクスも政府は騒いでいるが大衆は何の効果も実感できていない。
◆北朝鮮のミサイルが脅威だと言いながら、日本海側に存在する原発を、廃止するどころか無防備のまま再稼働しようとしている。大震災で「安く」も「安全」 でもないことが立証された原発を国民を危険に晒して再稼働し、世界に輸出する政府など要らない。また尖閣が危ないと騒いでおきながら、自衛隊は増員しないと言う。
しかし、それで自衛隊を海外に派兵する以上、日本の防衛が手薄になることは必定で、それは矛盾以外の何ものでもない。
また米軍と転戦する以上、米軍の敵・イスラム国を敵に回し報復テロの危険を受け入れる事に等しく、私達-国民にとっては危険が増す。更に既に戦費破産に陥っている米国に続いて、これからは我が国も世界の兵器産業の顧客になる訳で、いずれ我が国も戦費破産に至る。
安倍首相が熱心な拉致問題も、現政権下で何も前進してはいない。
この安倍政権のどこが「よくやっている」のか?私には理解できない。(日刊ゲンダイ)
《官民対話は安倍(戦争)総理の公開八つ当たりの場(日刊ゲンダイ)》
剣の達人は、やたらと刀を抜かないものだが、一国の首相が持つ“権力の刃”は、今は常にムキ出しだ。閣僚や経済3団体トップらが出席した「官民対話」の2回目の会合でのこと。
安倍(戦争)総理から財界への注文は、3年連続となる春闘での賃上げ要請に留まらなかった。下請け企業が製品を納入する際、原材料コスト上昇分の価格転嫁を認め値下げ要求も控えるように伝えた。揚げ句に賃上げの具体策や投資拡大の見通しについて「次回、産業界としての方針を示して欲しい」と月内にも開く次の会合までに回答を迫ったのだ。
これでは「対話」というより「強要」で、ロコツな強権発動である。
賃上げも設備投資も企業の経営判断の重要事項だ。そこに時の政権が余計なクチバシを入れるべきではない。下請け企業との取引交渉だって同じ。経済活動の担い手の自主性を重じるのが市場経済であり自由主義経済の原則である。経済学のイロハのイを無視する安倍(戦争)総理の強権発動を容認すれば、自由競争の大原則が崩れ去る。ひいては日本経済全体のバランスを脅かす事になりかねない。安倍(戦争)総理のなりふり構わぬ強権的介入には、自分の思い通りに動かない財界への苛立ちが透けて見える。
特に円安で儲けた輸出大手が今なお内部留保を貯め込み、賃上げや設備投資に慎重姿勢を崩さないのは歯がゆいほどなのだろう。(つまり、これはアベノミックスの失敗を意味する)だが国内投資に消極的なのは企業の経営判断の結果である。
政権はその判断を尊重すべきだし、積極姿勢に転じさせるだけの経済環境をつくり出せなかった証左として受け止めるべきである。
消費増税後、消費は低迷続きで今後の景気の見通しも暗い。来週発表の7~9月期GDPはマイナス予測が圧倒的。前期に続くマイナス成長は景気後退局面を意味する。危険な日銀ドーピング=異次元緩和を続けても作為的な2%の物価目標も遠のくばかり。何もかも行き詰まり、企業に国内投資を求めるにはもはやムリな状況だ。
大体、下請け企業がコスト上昇に苦しんでいるのは誰のせいなのか。原材料高は、アベノミクスの無軌道な円安政策による副作用だ。財界に「価格転嫁を認めろ」なんて、どの口が言うのか。自らの経済失政が招いた八方ふさがりの状況で、官邸に財界トップを呼びつけ、強権発動するのは、 まるで公開八つ当たり。BPOが批判した放送への政治介入と同じ構図で、この政権は、とにかく権力という“刀”を振りかざしたがる。それが政治の役目と思い込んでいるフシもある。安倍(戦争)総理を筆頭に権力というものを、完全に履き違えているとしか思えない。
財界が安倍(戦争)総理の強要に唯々諾々のフリをするのは、法人減税や規制緩和(残業代ボッタクリ法案、等々)といった「見返り」を求める下心があればこそだろう。
《モデルは自分?義家文科副大臣が書いていたトンデモエロ小説の中身!》
このたび第三次安倍改造内閣で文科副大臣に抜擢されたヤンキー先生こと義家弘介氏。義家氏が過去に馳浩文科相と共に“体罰自慢”の対談を行っていたことや、第一次安倍政権時に教育再生会議の担当室長を務めていた際、体罰禁止の通達に見直しを迫っていたこと、更に「善悪は国が決める」等、戦前さながらの思想統制発言を公言していたことを明らかにしてきた。だが、そうした義家氏の資料を掘り起こしていた際に義家氏の暗部、いや“恥部”を発見した。
義家氏は安倍チルドレンとして参院選で初当選した翌年の2008年、何か調子に乗ってしまったらしく、文芸誌「小説宝石」1月号から3月号に「路上の箴言」という小説を連載している。これが、なかなか香ばしいシロモノなのだ。
例えば読み始めると、こんなシーンがいきなり出てくる。〈僕にしがみつく彼女を優しく引き離した。そして…不思議そうに僕の顔を見上げる彼女の唇に、そっと唇を重ねた。(中略)僕らは激しく互いの唇を貪った。限界まで追いつめられた生命の、その先を探求するために絡み合った。天井から、ぶら下がるアキラに充満する香りに酔いしれながら…。〉天下の文科副大臣が、こんな安いエロ小説みたいな濡れ場を書いていたというだけでも驚きだが、このシーン、単にエロいだけでなく、設定がヤバい。この小説の主人公は、二宮という中学教師で、物語は二宮が担任している生徒・アキラが突然、首つり自殺をしてしまうところから始まる。報せを受け生徒の家に駆けつける二宮。すると母親が現場にいて二宮に、すがり付いてくるのだが、その後いきなり始まるのが上記のシーンなのである。〈天井からぶら下がるアキラに、充満する香りに酔いしれながら〉つまり二宮センセイは教え子の首つり死体の傍で、息子の死に泣き崩れる母親に、いきなり濃厚キスを、おっぱじめてしまったというわけだ。更には、この後には肉体関係を結ぶ「事後」を感じさせる描写まで…。しかも、いくら読み返しても二宮と、この母親に特別な関係があるようには思えない。どうも二宮センセイは単に生徒の自殺現場で母親に突然、欲情してしまっただけらしいのだ。これじゃあ、ただの変態エロ教師じゃ…いやいや、義家センセイのこと、エロスとタナトスの深遠なる関係を文学で表現しようとしたのかもしれない―などと混乱する心を鎮めつつ読み進めていると、またもやエロシーンが出てくる。今度は顔を知らない「あいあい」という女性からいきなり、エロ写メが送られてきたという設定だ。〈『あいあい』からのメールには画像が添付されていた。すぐにそれをクリックしてみた。心臓が高鳴った。なんと携帯電話の画面に、胸がアップで映し出されたのだ。大きすぎもせず小さすぎもしない乳首は品よく隆起している。アキラの残像が一瞬で脳裏から消えた。中枢神経に電流が走る。僕は酷く興奮していた。〉〈僕の理性のリミッターは完全に解除されてしまったようだ。あんなことがあったばかりなのに、僕の下半身は隆起していた。男には『種族存続』の本能があり、生命の危機を感じた時、なんとしてでも子孫を残さなければと、本能が生殖中枢を刺激するのだという。確かに徹夜明けの朝は普通じゃない。その意味では僕の精神は既に限界にあるのだろう。いや、違う。彼女に、彼女の優しさに触発されているのだ。僕は彼女のような女が欲しかった。彼女のような女を僕のものにしたい。それだ、それだ。〉「エロ画像一枚で自殺した生徒のことを脳裏から消去って、いったい、どれだけ性欲優先なんだよ」と、ここでもツッコミたくなったが、二宮センセイは、なんとこのエロ写メを送ってきた相手に返信してしまう。〈きっと『あいあい』は神様が僕の人生最大の不運に対する帳尻合わせに送ってくれた女神なんだ。せっかくだから堪能しよう。神様、どうもありがとう。〉〈おお、やる気マンマンだね。このとき既に、僕は完全バーチャル世界の住人となっていた。現実なのか、仮想なのか、そんな線引きは傷ついた真夜中には必要ない。アキラのことは忘れて今夜は、ただ溺れよう。僕はスウェットを下ろし、隆起したペニスを携帯カメラで撮影し送った。今度は、君の下半身も送ってほしいというメッセージを添えて。〉なんだろう、これ。やっぱりタナトスとか、なんの関係もないわ。
というか、このしつこいエロ描写を読んでいると、義家センセイがノリノリで書いていることが伝わってきてドン引きしてしまう。そういえば義家センセイは教え子と結婚したという経歴を持っている上、以前「週刊文春」に高級ソープ通いをスッパ抜かれたこともある。
もしかして“教職者のモラルに反し、背徳の性愛にハマる”主人公・二宮は自分の願望の投影なのか。まあ、でもエロシーンがあるというだけなら一応、教師退職後だし、このご時世、大目に見てもいい。問題はその後だ。この「路上の箴言」には「路上の箴言-復讐編」と銘打たれた続編があり、やはり「小説宝石」08年8月号から09年1月号に連載されているのだが、これがまた、とんでもないシロモノなのだ。前編「路上の箴言」は、例のエロ写メ相手の「あいあい」が、その後、教師・二宮の教え子「ヨウコ」だったと発覚。
ヨウコは大麻販売や売春斡旋等を行っていたグループのリーダーで、自殺した生徒は、その大麻栽培に関り、秘密をバラそうとしたために自殺と見せかけて殺されていた。そして二宮は送ったエロ写メをヨウコにチクられ、生徒の自殺は二宮が先導したイジメが原因によるものだとして、懲戒免職をくらう-というところで終わる。続編は“復讐編”と銘打たれていることから察しがつくように、教職を追われた二宮が生徒達に復讐を開始するというものだが、その復讐描写がヒドい。二宮は自分をハメた中学生グループ22人を拉致し、廃校舎の教室に監禁「最後の授業」と題し、問答無用で元生徒を殴りつけるのだ。
〈ユウタが口を開いた瞬間、二宮は渾身の力で殴りつけた。ユウタは吹っ飛び後方のドアに激突した。ドアのガラスの向こうにいる能の面を被った男が、機関銃を教室に向けている。教室が凍りついた。「お前の質問に答える必要はない。それに、なんだ、その口の効き方は。お前、自分が置かれている状況、解っているのか?僕は名前を呼ばれたら席に着けって言ったんだ。聞こえているのか?」ユウタは床に横たわりながら二宮を睨んでいる。そんなユウタの腹に二宮は蹴りを捻じ込んだ。グフッ、ユウタが床で悶絶する。〉
生徒達に「殴る、蹴る」の暴行を加え、あろうことか機関銃で恫喝…だが、ここで思い起こされるのは、義家氏の“ヤンキー先生”時代のエピソードだ。義家氏は馳文科相との対談で「イジメの指導で放課後四時間、教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々、言われました」と語り過去に4時間も生徒を“監禁”したことを誇らしげに紹介。「教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度と苛めない事を誓ったので終わりにしました」と暴力による指導を行っていたことを明言している。すなわち“実体験”と同じことが小説でも描かれているというわけだ。実際、小説でも、この教師による暴力支配が肯定的に描かれている。
途中、何の脈絡もなく二宮が元同僚教員「片桐」に、こんなトンデモ教育論をぶつシーンが登場する。以下、引用しよう。〈片桐は爪が掌にメリ込むほど強く拳を握りしめた。「なあ二宮、それで、お前はいったいあいつらに何を教えたいんだ?」二宮は瞳を閉じ、少し考えた後、片桐を見つめて断言した。「道徳だ」「道徳?」「ああ。人としてのあるべき姿を、果たすべき責任を、この存在をかけて伝えたいんだ。戦後教育は重大な過ちを犯してきた。多様な価値観、等と詭弁を使って、子供達に共通の倫理観や道徳心を説くこと、いや、押し付けることを放棄してきた(中略)。」(略)「それが『間違いだった』とお前は思っているのか?」「そうだ。教育とは突き詰めれば価値観の押し付けに他ならない。もっと丁寧に言えば『愛情に基づいた価値観の押し付け』だ。子供達が当たり前のようにインターネットにアクセスできるようになった現代、未熟な子供達の未熟な価値観を認め信頼し、作り話の副読本を読ませて道徳を誤魔化す。それは『教育の自殺』といっても過言じゃない」〉
出た!“戦後教育が全ての元凶論”。義家氏はこれまで、イジメ問題や不登校、学力低下、モンスターペアレンツの増加、性教育の内容、若者の年金未納等々、今、起きている教育問題は全て“日教組と戦後教育にある”と断じてきた。義家氏はその持論を二宮に語らせ「道徳」を押しつけろ!と声高に主張するのだ。(それは「安倍」の「日教組」野次発言に類似している)更に呆気にとられるのは、同僚の片桐から「本当にお前の言うことに心の底から耳を傾けてくれると思うか?」と尋ねられた後のやりとりだ。〈「無理だろうね。価値観の押し付けを通用させるためには、前提となるものがある。さっきも言ったけど、一つは愛情が伝わっている-ということ。でも今の状況下では、それは不可能。僕自身も彼らに愛情を抱くことはできない」「ならば、どうするんだ?」「価値観の押し付けを通用させるもう一つの方法、それは恐怖で相手を支配すること。だから、こんな手荒な方法を選んだんだ」〉「多様な価値観」は否定し「倫理観や道徳心」を押しつけるためには「恐怖で相手を支配する」─。
「どんなディストピア小説だよ!?」とツッコみたくなるが、タチが悪いのは、これを書いている本人にディストピア意識が全く無い事だろう。
そう、罪もないのにハメられクビになった冤罪の教師が、殺人という罪を犯した生徒達を罰する“正義の復讐劇”という設定の中だからこそ、義家氏 は堂々とファシズムそのものの思想を肯定的に描くことができる。
小説によって教育のあり方を問うているのではなく、小説を利用して暴力や思想統制を是認しているのだ。事実、本作で「恐怖で相手を支配する」と二宮が語った後、その話を聞いていた同僚の片桐に「恐怖か。そうだな、それしかないよな」と同意させている。
しかも、この小説の結末は、教室に監禁された子供達が二宮の長時間に及ぶ暴力を含んだ「授業」に感動して「俺、その思いに応えてーよ!」 等と涙を流しながら叫び、更生(?)する。そして何故か唐突に校舎に火が放たれ、二宮は元生徒らと共に避難するのだが、一人教室に取り残された宿敵たるヨウコを助けるため、二宮は炎が立ち上る校舎に突入したところでジ・エンド。裏切った生徒のことも身を挺して守ろうとする熱血教師の物語というオチだ。まるでエロパート等なかったかのような振り切り方である。
因みに、この小説の発表時、義家氏を担当した「小説宝石」の編集者は「テーマは(義家)先生が一番書きたいこと“教育(現場)の闇”でした。教師にも生徒にも、親の中にも闇があり、その闇は深いということを強調したいとのことでした」と語っている。だが誰より闇が深いのは、溢れんばかりのリビドーや実体験エピソードを絡めながら、暴力による思想統制の肯定を図々しくも小説として世に発表した義家氏本人だろう。なお、本作「路上の箴言」とその続編は結構なボリュームなのだが、単行本化はされておらず、義家氏の公式ホームページからも存在を抹消されている模様。ようするに“黒歴史”なのである。
文科副大臣が、過去に生徒を拉致監禁し暴力を加え「道徳」の押し付けと恐怖支配を肯定する小説を書いていたとなれば、いくらフィクションといえども「問題あり」と言わざるをえない。何故ならば彼は今、こうしたファシズム丸出しの思想を実際の教育界に実装することのできる立場にあるからだ。それは同時に「安倍(戦争)内閣の『憲法押し付け』ならぬ「戦前・戦中道徳教育の押し付け」の強要に持って来いの閣僚人事であり、まさに「安倍内閣=日本会議の戦争・暴力」の思想的本質を露骨に現している。
なお因みに義家センセイも最近「日本会議」に入会したようである。(リテラ/管理者編集)
【紹介】「平和の琉歌」http://bit.ly/1MQbwcr :YouTube:伊波 洋一 (いは よういち)
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり
◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。
各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(PDF)】でダウンロードしてください。
またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
《「なぜ安倍首相を批判するのか」答えは山のようにある(小林節教授)》
◆私には元々、自民党支持者の友人、知人、親族が多い。彼らから時々「なぜオマエは、そんなに安倍首相を批判するのか?安倍首相は日本のために、よくやっているではないか!」と言われる。しかし私には、安倍政権が私達-主権者国民のために何か良いことをしてくれたという記憶はない。既述のように憲法9条の故に海外派兵ができないおかげで「専守防衛」に徹し、結果的に一度も海外で戦争に参加せず70年間も平和でいられたこの国を、今回の戦争法の制定により先ず、米軍の友軍として世界で普通に戦争に参加する、「殺し・殺される」国に変えてしまった。TPPも詳細は秘匿されたままではあるが、方向性としては、日本の食料市場に外国産の安価な食料が大量に流入し、我が国の食料生産能力が壊滅してしまうことは明らかである。その結果、我が国は、いざという時に米国等に食料を依存せざるを得ない立場になってしまう。軍事属国に加えて食料属国である。アベノミクスも政府は騒いでいるが大衆は何の効果も実感できていない。
◆北朝鮮のミサイルが脅威だと言いながら、日本海側に存在する原発を、廃止するどころか無防備のまま再稼働しようとしている。大震災で「安く」も「安全」 でもないことが立証された原発を国民を危険に晒して再稼働し、世界に輸出する政府など要らない。また尖閣が危ないと騒いでおきながら、自衛隊は増員しないと言う。
しかし、それで自衛隊を海外に派兵する以上、日本の防衛が手薄になることは必定で、それは矛盾以外の何ものでもない。
また米軍と転戦する以上、米軍の敵・イスラム国を敵に回し報復テロの危険を受け入れる事に等しく、私達-国民にとっては危険が増す。更に既に戦費破産に陥っている米国に続いて、これからは我が国も世界の兵器産業の顧客になる訳で、いずれ我が国も戦費破産に至る。
安倍首相が熱心な拉致問題も、現政権下で何も前進してはいない。
この安倍政権のどこが「よくやっている」のか?私には理解できない。(日刊ゲンダイ)
《官民対話は安倍(戦争)総理の公開八つ当たりの場(日刊ゲンダイ)》
剣の達人は、やたらと刀を抜かないものだが、一国の首相が持つ“権力の刃”は、今は常にムキ出しだ。閣僚や経済3団体トップらが出席した「官民対話」の2回目の会合でのこと。
安倍(戦争)総理から財界への注文は、3年連続となる春闘での賃上げ要請に留まらなかった。下請け企業が製品を納入する際、原材料コスト上昇分の価格転嫁を認め値下げ要求も控えるように伝えた。揚げ句に賃上げの具体策や投資拡大の見通しについて「次回、産業界としての方針を示して欲しい」と月内にも開く次の会合までに回答を迫ったのだ。
これでは「対話」というより「強要」で、ロコツな強権発動である。
賃上げも設備投資も企業の経営判断の重要事項だ。そこに時の政権が余計なクチバシを入れるべきではない。下請け企業との取引交渉だって同じ。経済活動の担い手の自主性を重じるのが市場経済であり自由主義経済の原則である。経済学のイロハのイを無視する安倍(戦争)総理の強権発動を容認すれば、自由競争の大原則が崩れ去る。ひいては日本経済全体のバランスを脅かす事になりかねない。安倍(戦争)総理のなりふり構わぬ強権的介入には、自分の思い通りに動かない財界への苛立ちが透けて見える。
特に円安で儲けた輸出大手が今なお内部留保を貯め込み、賃上げや設備投資に慎重姿勢を崩さないのは歯がゆいほどなのだろう。(つまり、これはアベノミックスの失敗を意味する)だが国内投資に消極的なのは企業の経営判断の結果である。
政権はその判断を尊重すべきだし、積極姿勢に転じさせるだけの経済環境をつくり出せなかった証左として受け止めるべきである。
消費増税後、消費は低迷続きで今後の景気の見通しも暗い。来週発表の7~9月期GDPはマイナス予測が圧倒的。前期に続くマイナス成長は景気後退局面を意味する。危険な日銀ドーピング=異次元緩和を続けても作為的な2%の物価目標も遠のくばかり。何もかも行き詰まり、企業に国内投資を求めるにはもはやムリな状況だ。
大体、下請け企業がコスト上昇に苦しんでいるのは誰のせいなのか。原材料高は、アベノミクスの無軌道な円安政策による副作用だ。財界に「価格転嫁を認めろ」なんて、どの口が言うのか。自らの経済失政が招いた八方ふさがりの状況で、官邸に財界トップを呼びつけ、強権発動するのは、 まるで公開八つ当たり。BPOが批判した放送への政治介入と同じ構図で、この政権は、とにかく権力という“刀”を振りかざしたがる。それが政治の役目と思い込んでいるフシもある。安倍(戦争)総理を筆頭に権力というものを、完全に履き違えているとしか思えない。
財界が安倍(戦争)総理の強要に唯々諾々のフリをするのは、法人減税や規制緩和(残業代ボッタクリ法案、等々)といった「見返り」を求める下心があればこそだろう。
《モデルは自分?義家文科副大臣が書いていたトンデモエロ小説の中身!》
このたび第三次安倍改造内閣で文科副大臣に抜擢されたヤンキー先生こと義家弘介氏。義家氏が過去に馳浩文科相と共に“体罰自慢”の対談を行っていたことや、第一次安倍政権時に教育再生会議の担当室長を務めていた際、体罰禁止の通達に見直しを迫っていたこと、更に「善悪は国が決める」等、戦前さながらの思想統制発言を公言していたことを明らかにしてきた。だが、そうした義家氏の資料を掘り起こしていた際に義家氏の暗部、いや“恥部”を発見した。
義家氏は安倍チルドレンとして参院選で初当選した翌年の2008年、何か調子に乗ってしまったらしく、文芸誌「小説宝石」1月号から3月号に「路上の箴言」という小説を連載している。これが、なかなか香ばしいシロモノなのだ。
例えば読み始めると、こんなシーンがいきなり出てくる。〈僕にしがみつく彼女を優しく引き離した。そして…不思議そうに僕の顔を見上げる彼女の唇に、そっと唇を重ねた。(中略)僕らは激しく互いの唇を貪った。限界まで追いつめられた生命の、その先を探求するために絡み合った。天井から、ぶら下がるアキラに充満する香りに酔いしれながら…。〉天下の文科副大臣が、こんな安いエロ小説みたいな濡れ場を書いていたというだけでも驚きだが、このシーン、単にエロいだけでなく、設定がヤバい。この小説の主人公は、二宮という中学教師で、物語は二宮が担任している生徒・アキラが突然、首つり自殺をしてしまうところから始まる。報せを受け生徒の家に駆けつける二宮。すると母親が現場にいて二宮に、すがり付いてくるのだが、その後いきなり始まるのが上記のシーンなのである。〈天井からぶら下がるアキラに、充満する香りに酔いしれながら〉つまり二宮センセイは教え子の首つり死体の傍で、息子の死に泣き崩れる母親に、いきなり濃厚キスを、おっぱじめてしまったというわけだ。更には、この後には肉体関係を結ぶ「事後」を感じさせる描写まで…。しかも、いくら読み返しても二宮と、この母親に特別な関係があるようには思えない。どうも二宮センセイは単に生徒の自殺現場で母親に突然、欲情してしまっただけらしいのだ。これじゃあ、ただの変態エロ教師じゃ…いやいや、義家センセイのこと、エロスとタナトスの深遠なる関係を文学で表現しようとしたのかもしれない―などと混乱する心を鎮めつつ読み進めていると、またもやエロシーンが出てくる。今度は顔を知らない「あいあい」という女性からいきなり、エロ写メが送られてきたという設定だ。〈『あいあい』からのメールには画像が添付されていた。すぐにそれをクリックしてみた。心臓が高鳴った。なんと携帯電話の画面に、胸がアップで映し出されたのだ。大きすぎもせず小さすぎもしない乳首は品よく隆起している。アキラの残像が一瞬で脳裏から消えた。中枢神経に電流が走る。僕は酷く興奮していた。〉〈僕の理性のリミッターは完全に解除されてしまったようだ。あんなことがあったばかりなのに、僕の下半身は隆起していた。男には『種族存続』の本能があり、生命の危機を感じた時、なんとしてでも子孫を残さなければと、本能が生殖中枢を刺激するのだという。確かに徹夜明けの朝は普通じゃない。その意味では僕の精神は既に限界にあるのだろう。いや、違う。彼女に、彼女の優しさに触発されているのだ。僕は彼女のような女が欲しかった。彼女のような女を僕のものにしたい。それだ、それだ。〉「エロ画像一枚で自殺した生徒のことを脳裏から消去って、いったい、どれだけ性欲優先なんだよ」と、ここでもツッコミたくなったが、二宮センセイは、なんとこのエロ写メを送ってきた相手に返信してしまう。〈きっと『あいあい』は神様が僕の人生最大の不運に対する帳尻合わせに送ってくれた女神なんだ。せっかくだから堪能しよう。神様、どうもありがとう。〉〈おお、やる気マンマンだね。このとき既に、僕は完全バーチャル世界の住人となっていた。現実なのか、仮想なのか、そんな線引きは傷ついた真夜中には必要ない。アキラのことは忘れて今夜は、ただ溺れよう。僕はスウェットを下ろし、隆起したペニスを携帯カメラで撮影し送った。今度は、君の下半身も送ってほしいというメッセージを添えて。〉なんだろう、これ。やっぱりタナトスとか、なんの関係もないわ。
というか、このしつこいエロ描写を読んでいると、義家センセイがノリノリで書いていることが伝わってきてドン引きしてしまう。そういえば義家センセイは教え子と結婚したという経歴を持っている上、以前「週刊文春」に高級ソープ通いをスッパ抜かれたこともある。
もしかして“教職者のモラルに反し、背徳の性愛にハマる”主人公・二宮は自分の願望の投影なのか。まあ、でもエロシーンがあるというだけなら一応、教師退職後だし、このご時世、大目に見てもいい。問題はその後だ。この「路上の箴言」には「路上の箴言-復讐編」と銘打たれた続編があり、やはり「小説宝石」08年8月号から09年1月号に連載されているのだが、これがまた、とんでもないシロモノなのだ。前編「路上の箴言」は、例のエロ写メ相手の「あいあい」が、その後、教師・二宮の教え子「ヨウコ」だったと発覚。
ヨウコは大麻販売や売春斡旋等を行っていたグループのリーダーで、自殺した生徒は、その大麻栽培に関り、秘密をバラそうとしたために自殺と見せかけて殺されていた。そして二宮は送ったエロ写メをヨウコにチクられ、生徒の自殺は二宮が先導したイジメが原因によるものだとして、懲戒免職をくらう-というところで終わる。続編は“復讐編”と銘打たれていることから察しがつくように、教職を追われた二宮が生徒達に復讐を開始するというものだが、その復讐描写がヒドい。二宮は自分をハメた中学生グループ22人を拉致し、廃校舎の教室に監禁「最後の授業」と題し、問答無用で元生徒を殴りつけるのだ。
〈ユウタが口を開いた瞬間、二宮は渾身の力で殴りつけた。ユウタは吹っ飛び後方のドアに激突した。ドアのガラスの向こうにいる能の面を被った男が、機関銃を教室に向けている。教室が凍りついた。「お前の質問に答える必要はない。それに、なんだ、その口の効き方は。お前、自分が置かれている状況、解っているのか?僕は名前を呼ばれたら席に着けって言ったんだ。聞こえているのか?」ユウタは床に横たわりながら二宮を睨んでいる。そんなユウタの腹に二宮は蹴りを捻じ込んだ。グフッ、ユウタが床で悶絶する。〉
生徒達に「殴る、蹴る」の暴行を加え、あろうことか機関銃で恫喝…だが、ここで思い起こされるのは、義家氏の“ヤンキー先生”時代のエピソードだ。義家氏は馳文科相との対談で「イジメの指導で放課後四時間、教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々、言われました」と語り過去に4時間も生徒を“監禁”したことを誇らしげに紹介。「教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度と苛めない事を誓ったので終わりにしました」と暴力による指導を行っていたことを明言している。すなわち“実体験”と同じことが小説でも描かれているというわけだ。実際、小説でも、この教師による暴力支配が肯定的に描かれている。
途中、何の脈絡もなく二宮が元同僚教員「片桐」に、こんなトンデモ教育論をぶつシーンが登場する。以下、引用しよう。〈片桐は爪が掌にメリ込むほど強く拳を握りしめた。「なあ二宮、それで、お前はいったいあいつらに何を教えたいんだ?」二宮は瞳を閉じ、少し考えた後、片桐を見つめて断言した。「道徳だ」「道徳?」「ああ。人としてのあるべき姿を、果たすべき責任を、この存在をかけて伝えたいんだ。戦後教育は重大な過ちを犯してきた。多様な価値観、等と詭弁を使って、子供達に共通の倫理観や道徳心を説くこと、いや、押し付けることを放棄してきた(中略)。」(略)「それが『間違いだった』とお前は思っているのか?」「そうだ。教育とは突き詰めれば価値観の押し付けに他ならない。もっと丁寧に言えば『愛情に基づいた価値観の押し付け』だ。子供達が当たり前のようにインターネットにアクセスできるようになった現代、未熟な子供達の未熟な価値観を認め信頼し、作り話の副読本を読ませて道徳を誤魔化す。それは『教育の自殺』といっても過言じゃない」〉
出た!“戦後教育が全ての元凶論”。義家氏はこれまで、イジメ問題や不登校、学力低下、モンスターペアレンツの増加、性教育の内容、若者の年金未納等々、今、起きている教育問題は全て“日教組と戦後教育にある”と断じてきた。義家氏はその持論を二宮に語らせ「道徳」を押しつけろ!と声高に主張するのだ。(それは「安倍」の「日教組」野次発言に類似している)更に呆気にとられるのは、同僚の片桐から「本当にお前の言うことに心の底から耳を傾けてくれると思うか?」と尋ねられた後のやりとりだ。〈「無理だろうね。価値観の押し付けを通用させるためには、前提となるものがある。さっきも言ったけど、一つは愛情が伝わっている-ということ。でも今の状況下では、それは不可能。僕自身も彼らに愛情を抱くことはできない」「ならば、どうするんだ?」「価値観の押し付けを通用させるもう一つの方法、それは恐怖で相手を支配すること。だから、こんな手荒な方法を選んだんだ」〉「多様な価値観」は否定し「倫理観や道徳心」を押しつけるためには「恐怖で相手を支配する」─。
「どんなディストピア小説だよ!?」とツッコみたくなるが、タチが悪いのは、これを書いている本人にディストピア意識が全く無い事だろう。
そう、罪もないのにハメられクビになった冤罪の教師が、殺人という罪を犯した生徒達を罰する“正義の復讐劇”という設定の中だからこそ、義家氏 は堂々とファシズムそのものの思想を肯定的に描くことができる。
小説によって教育のあり方を問うているのではなく、小説を利用して暴力や思想統制を是認しているのだ。事実、本作で「恐怖で相手を支配する」と二宮が語った後、その話を聞いていた同僚の片桐に「恐怖か。そうだな、それしかないよな」と同意させている。
しかも、この小説の結末は、教室に監禁された子供達が二宮の長時間に及ぶ暴力を含んだ「授業」に感動して「俺、その思いに応えてーよ!」 等と涙を流しながら叫び、更生(?)する。そして何故か唐突に校舎に火が放たれ、二宮は元生徒らと共に避難するのだが、一人教室に取り残された宿敵たるヨウコを助けるため、二宮は炎が立ち上る校舎に突入したところでジ・エンド。裏切った生徒のことも身を挺して守ろうとする熱血教師の物語というオチだ。まるでエロパート等なかったかのような振り切り方である。
因みに、この小説の発表時、義家氏を担当した「小説宝石」の編集者は「テーマは(義家)先生が一番書きたいこと“教育(現場)の闇”でした。教師にも生徒にも、親の中にも闇があり、その闇は深いということを強調したいとのことでした」と語っている。だが誰より闇が深いのは、溢れんばかりのリビドーや実体験エピソードを絡めながら、暴力による思想統制の肯定を図々しくも小説として世に発表した義家氏本人だろう。なお、本作「路上の箴言」とその続編は結構なボリュームなのだが、単行本化はされておらず、義家氏の公式ホームページからも存在を抹消されている模様。ようするに“黒歴史”なのである。
文科副大臣が、過去に生徒を拉致監禁し暴力を加え「道徳」の押し付けと恐怖支配を肯定する小説を書いていたとなれば、いくらフィクションといえども「問題あり」と言わざるをえない。何故ならば彼は今、こうしたファシズム丸出しの思想を実際の教育界に実装することのできる立場にあるからだ。それは同時に「安倍(戦争)内閣の『憲法押し付け』ならぬ「戦前・戦中道徳教育の押し付け」の強要に持って来いの閣僚人事であり、まさに「安倍内閣=日本会議の戦争・暴力」の思想的本質を露骨に現している。
なお因みに義家センセイも最近「日本会議」に入会したようである。(リテラ/管理者編集)
【紹介】「平和の琉歌」http://bit.ly/1MQbwcr :YouTube:伊波 洋一 (いは よういち)
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり
◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。
各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
2015年10月 澤地久枝
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(PDF)】でダウンロードしてください。
またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
(民守 正義)
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