「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(25)
「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(25)
《同志社大「戦争法制」肯定-現職学長が落選:学内から批判》
同志社大学で6日、任期満了に伴う学長選挙があり、現学長の村田晃嗣氏が元副学長で理工学部教授(機械設計)の松岡敬氏に敗れ、再選はならなかった。専任の教職員らによる投票だが、票数は明らかにされていない。村田氏は7月「戦争法制」を巡る衆院特別委の中央公聴会で「中国が力をつける中、日米同盟の強化は理にかなっている」と法案に肯定的な意見を述べた。
教職員有志のグループから「良心教育を基軸とした本学のイメージを大きく損なう」と指摘されるなど、学内で批判が高まっていた。新学長は28日の学校法人理事会で正式に決まる。任期は来年4月1日から4年間。
《ビートたけしが安倍政権の道徳教育を痛烈批判!》
来年夏の参院選以降、ついに憲法改悪に取り組むと表明している安倍(戦争)総理だが、彼にとって憲法改悪と同様に悲願の一つに「道徳の教科化」がある。安倍(戦争)総理は第一次政権時にも道徳の教科化に乗り出したが「人の心に成績をつけるのか」と非難が相次ぎ、あえなく挫折。だが今度は満を持して小学校では来年2016年に、中学校は17年に教科書検定が行われ、そこから2年後には道徳が「特別な教科」として授業が行われることになっている。元々はイジメ対策の一環として打ち出された道徳の教科化だが、そんなものは後付けにすぎず、真の目的は「愛国心教育」にある。事実、第一次政権で改定した教育基本法でも 「愛国心」と「公共の精神」を盛り込み、安倍(戦争)総理は「日本人としてのアイデンティティをしっかりと確立していくことも大切だ」と発言。
いわば今度の教科化は、愛国教育によって軍国主義に駆り立てた戦前の「修身」の復活を目論んでいるのは明白だ。
こうした動きに対して危機感を募らせている人は多いが、そんな中、あの有名人が一冊の道徳本を出版した。北野武の『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』だ。タイトルだけを見ると、押しつけがましそうな胡散臭さがプンプンするが、中身は意外にも道徳そのものを疑い問い直す内容だ。
そもそも道徳とは何かということを、たけしは、こう綴る。〈道徳なんてものは、権力者の都合で幾らでも変わる。少なくとも、いつの時代も、どんな人間にとっても通用する「絶対的な道徳はない」っていうことは間違いない。それだけは頭に入れておいた方がいい〉〈道徳は社会の秩序を守るためのもの…といえば聞こえはいいけれど、それはつまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたものなのだと思う〉
そして文科相の学習指導要領の「社会全体のモラルが低下している」という一文には〈俺の個人的感想を言わせてもらえれば、社会のモラルは良くなった気がする〉〈モラルが低下したというのは、要するに自分のモラルに自信がなくなっているということだろう〉という。〈学習指導要領には「児童の道徳性の育成に、大きな影響を与えている社会的風潮」の一つとして「物や金銭等の物質的な価値や快楽が優先される」とある。「それは、あんた達の事だろう!」と、とりあえずツッコンでおく。景気が良くなれば、世の中全てが上手くいくみたいなことをいっているのは、いったいどこの誰だろう〉
たけしの道徳教育へのツッコミは、こうした「大人がエラそうに上から子供に言う資格があるのか」という点にある。例えば学習指導要領には「正直に明るい心で元気よく生活する」「友達と仲よくし、助け合う」といった、一見すると害のない言葉が並ぶが、たけしは、これも欺瞞だという。〈正直に生きるとか、皆、仲良くするってことを突き詰めたら、どうしたって商売とか経済活動を否定しなきゃいけなくなる。(中略)南北問題にしても、結局は誰かが儲けりゃ誰かが損するという話を、地球規模でやっているだけの話だ。(中略)人件費が日本の何分の一っていう国があるから、日本の経済は成り立っている。俺達が豊かな暮らしを享受しているのは、どこかの国の貧困のおかげだ。その貧乏な国を豊かにするためには日本はある程度、自分達の豊かさを犠牲にしなきゃいけないわけだ。そういうことを、学校の先生は子供達に話しているのだろうか。話している先生もいるかもしれないが、少なくとも、この国では、そういう先生は、あんまり出世しないだろうなあとも思う。そんな状況で、子供に道徳を教えるってこと自体がそもそも偽善だ〉そんな「偽善」の極みが、イジメの問題だ。イジメ対策から端を発した道徳の教科化だが、たけしは〈もの凄く単純な話で、子供達に友達と仲良くしましょうっていうなら、国と国だって仲良くしなくてはいけない。子供に「イジメはいけない」と教育するなら、国だって、よその国を苛めてはいけない。武器を持って喧嘩するなんて、もっての他だ〉と鋭くツッコむ。
〈「隣の席のヤツがナイフを持っているので、僕も自分の身を守るために学校にナイフを持ってきていいですか」って生徒が質問したとして「それは仕方がないですね」と答える教師はいるだろうか。いるわけがない。だとしたら隣の国が軍備拡張したからって、我が国も軍備を増強しようっていう政策は、道徳的に正しくないということになる。いかなる理由があっても喧嘩をしてはいけないと子供に教えるなら、いかなる理由があろうと戦争は許されないってことになる。(中略)ところが大人達はどういうわけか、そっちの話には目を瞑る。子供の道徳と国家の道徳は別物なのだそうだ。戦争は必要悪だとか、自衛のためには戦争も辞さぬ覚悟が必要だなんて言ったりもする〉
ここで、たけしは「戦争反対と言いたい訳じゃない」と述べる。〈道徳を云々するなら、先ずは自分が道徳を守らなくてはいけない。それができないなら、道徳を語ってはいけないのだ〉と言うのだ。つまり安倍(戦争)総理及び、そのシンパがやっていることや言っていることは筋が通っていないじゃないか-という話である。
また安倍(戦争)総理は道徳教育について「(日本古来の)伝統と文化を尊重する」「郷土愛、愛国心をチャンと涵養する」と話すが、日本の伝統・文化から、もたらされる道徳とは何か。これについても、たけしは切り込む。〈誰もが田んぼを作っていた時代に「和をもって貴となす」という道徳には根拠があった。田んぼの水は公共財産みたいなものだから、誰かが勝手なことをして、水を自分の田んぼにだけ引いたりしたら、他の人が生きられない。田植えにしても稲刈りにしても、近所や親戚が協力してやるものだった。周囲との衝突を嫌う日本の文化が、日本的な道徳の根拠だろう。だけど、そういう時代は、とっくの昔に終わってしまっている。(中略)昔ながらの日本的な道徳観を支えているのは、単なる郷愁くらいのものなのだ〉
絶対的な道徳など、この世にはない。だから、たけしは道徳を〈牧場の柵〉と表現する。〈牧場の持ち主が変われば、柵のカタチや場所が変わる。昨日まで自由に行き来できたところが、いきなり立ち入り禁止になったりもする〉からだ。日本は敗戦によって〈戦前の道徳がひっくりかえって〉、道徳よりも経済活動に邁進したが〈今頃になって、日本人はエライとかスゴイとか、日本人の道徳を取り戻せなんていい出したのは、その反動に違いない〉とたけしは看破する。そして、こう続ける。〈誰かに押しつけられた道徳に、唯々諾々と従うとバカを見る。それはもう既に昔の人が経験済みのことだ〉と。因みに本書のタイトルにある『「いいことをすると気持ちがいい」のは何故か』というのは、現在の道徳では〈年寄りに席を譲るのは「気持ちいいから」〉と子供に説明がなされていることから来ている。たけしは、これを〈誰かに親切にして、いい気持ちになるっていうのは、自分で発見して初めて意味がある〉とし「いいことしたら気持ちいいぞ」と煽る道徳の教科書を〈まるでインチキ臭い洗脳だ〉と切り捨てている。道徳教育への真っ当な批判─。たけしが今、これだけの思いをもっているのなら、テレビでも同様に主張を繰り広げてほしいものだが、やはり、これは本という形だから実現したのだろう。というのも「最近、テレビじゃ何も面白い事がいえなくてムカムカしてるんだ」と言いながら、同時期に出演した『ワイドナショー』では「(テレビで)本質を突いたら、結局プレッシャーかかるに決まってるんだから」と 諦めモードだったからだ。しかし本書で述べていたように、上から押さえつけられ、ただハイハイと従っていずれ〈バカを見る〉のは、たけしだって同じではないのだろうか。だからテレビでも本書に綴った、この言葉を、たけしには口に出して言ってほしいと思うのだ。〈結局、言いたいことは一つなのだから。「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」〉
《米国の“戦争屋”2人に旭日大綬章:安倍ポチ政権の恥知らず》
今年、秋の叙勲受章者が3日に発表されたが、かつての勲一等「旭日大綬章」の名簿に驚いた。受章した19人のうち日本人は7人。半数以上の12人が外国人だった。外国人の受章者数は過去最多。一番多いのは米国で5人が受章する。その面々には更に驚く。大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官にまで日本は勲章を贈るのだ。2人への叙勲を推薦したのは外務省儀典官室。授章を決めた内閣府は「戦後70年の節目ということで、戦後日本の平和と発展の重要な基盤を形成した日米関係の増進に大きな功績のあった方々を特に推薦した、と外務省から説明された」(賞勲局の担当者)と言うのだが、ちっともピンとこない。2人とも「日本の平和と発展の基盤を形成」するどころか、ぶっ壊してきたではないか。ラムズフェルドはイラク開戦直後から自衛隊に再三「イラクの治安維持」への参加を打診。日本政府に集団的自衛権の行使を炊き付けた人物だし、日本を飼い慣らす「ジャパンハンドラー」として知られるアーミテージは、もっと露骨だ。
9.11テロ以降「ショウ・ザ・フラッグ」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と恫喝し、日本政府に軍国化を迫ってきただけではない。3年前に公表した「第3次アーミテージ・リポート」では、日本の原発再稼働やTPP参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃を要求。安倍政権は言われるがまま実現してきた。「安倍政権が強引に成立させた『戦争法制』も、リポートの中身を実現させたものです。アーミテージは『集団的自衛の禁止が日米間の障害』等と断定的に記しています。今や自衛隊は米軍の下請けとなり、安倍政権も元請けのオバマ政権への従属を隠そうとしない。叙勲制度を利用してまで米国にゴマをするとは、独立国としての誇りを完全に失っています」(政治評論家・森田実氏)かつて「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近い」とホザいた太田誠一元農相まで旭日大綬章を受章するご時世だ。いくら勲章の価値が落ちているとはいえ、戦争屋2人にくれてやる必要はない。
《「カダフィの予言」と国連での「安倍発言」:宮田中東学者寄稿》
*本ブログ「リベラル広場」に中東情勢に造詣の深い宮田律学者が、その立場から、これまでも「戦争関連法-反対」の意見を寄稿して頂いたが、再び貴重な意見掲載のお許しを頂いたので全文掲載する。
2011年8月、一連の「アラブの春」の潮流の中で政権崩壊を余儀なくされたリビアのカダフィ大佐は、同じ年の3月にフランスの「France 24」のインタビューで「数百万のアフリカ人がフランス、イタリアに入るべく地中海越えを試みるだろう。リビアは地域の安全に重要な貢献を行なっているのだ」と発言していた。「国際移住機関(IOM)」によれば、今年はこれまでに522千人の難民が地中海を渡り、まさにカダフィ大佐が予言した通りの事態となっている。その内の13,1百人が北アフリカからの難民だ。カダフィ大佐はシリアからの大量の難民の発生は予想していなかっただろう。30日、ロシア下院はシリアへの空軍派遣を承認した。空軍の派遣はアサド政権支援のために「イスラム国」を攻撃するというものだが、この措置がシリア情勢の好転を、もたらすとは全く思えない。米国は昨年9月からシリアの「イスラム国」への空爆をしているが、その「根絶」に成功せず、大量の難民の発生等、更なる混乱を、もたらしている。ロシアのプーチン大統領は、カダフィ政権を崩壊させたことが、リビアの混乱を、もたらしたことを指摘してアサド政権を守ることこそがシリアの安定に繋がると国連でのオバマ大統領との会談で発言した。肝心なことは国際社会が協力して健全な統治機能を備えた政府が地中海地域に成立することを後押しすることだ。欧米はカダフィ政権を崩壊させることには熱心だったが、リビアの将来については責任ある姿勢をとることはなかった。欧米が武器・弾薬を与え、支援する「穏健な武装勢力」のメンバー達が「イスラム国」やアルカイダ系の「ヌスラ戦線」のメンバーになるケースが多く、これらの過激組織を欧米が実際には強力にするという状態になっている。プーチン大統領は、アサド政権こそが「イスラム国」など過激派の「防波堤」になると語ったが、しかしアサド政府軍が従来戦ってきたのは「イスラム国」やヌスラ戦線ではなく、主に「自由シリア軍」であり、プーチン大統領はアサド政権による多数の市民の犠牲を伴う残虐な軍事行動を批判することはない。安倍(戦争)総理は29日、国連総会後の記者会見の中で、移民や難民の受け入れより先に、女性や高齢者など日本国民の生活改善や出生率の向上が必要だと発言した。
シリア情勢が益々、混沌とする中で、この発言を国際社会はどう受け止めただろうか。
【紹介】「平和の琉歌」http://bit.ly/1MQbwcr
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり
◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(pdf)】でダウンロードしてください。
またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
《同志社大「戦争法制」肯定-現職学長が落選:学内から批判》
同志社大学で6日、任期満了に伴う学長選挙があり、現学長の村田晃嗣氏が元副学長で理工学部教授(機械設計)の松岡敬氏に敗れ、再選はならなかった。専任の教職員らによる投票だが、票数は明らかにされていない。村田氏は7月「戦争法制」を巡る衆院特別委の中央公聴会で「中国が力をつける中、日米同盟の強化は理にかなっている」と法案に肯定的な意見を述べた。
教職員有志のグループから「良心教育を基軸とした本学のイメージを大きく損なう」と指摘されるなど、学内で批判が高まっていた。新学長は28日の学校法人理事会で正式に決まる。任期は来年4月1日から4年間。
《ビートたけしが安倍政権の道徳教育を痛烈批判!》
来年夏の参院選以降、ついに憲法改悪に取り組むと表明している安倍(戦争)総理だが、彼にとって憲法改悪と同様に悲願の一つに「道徳の教科化」がある。安倍(戦争)総理は第一次政権時にも道徳の教科化に乗り出したが「人の心に成績をつけるのか」と非難が相次ぎ、あえなく挫折。だが今度は満を持して小学校では来年2016年に、中学校は17年に教科書検定が行われ、そこから2年後には道徳が「特別な教科」として授業が行われることになっている。元々はイジメ対策の一環として打ち出された道徳の教科化だが、そんなものは後付けにすぎず、真の目的は「愛国心教育」にある。事実、第一次政権で改定した教育基本法でも 「愛国心」と「公共の精神」を盛り込み、安倍(戦争)総理は「日本人としてのアイデンティティをしっかりと確立していくことも大切だ」と発言。
いわば今度の教科化は、愛国教育によって軍国主義に駆り立てた戦前の「修身」の復活を目論んでいるのは明白だ。
こうした動きに対して危機感を募らせている人は多いが、そんな中、あの有名人が一冊の道徳本を出版した。北野武の『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』だ。タイトルだけを見ると、押しつけがましそうな胡散臭さがプンプンするが、中身は意外にも道徳そのものを疑い問い直す内容だ。
そもそも道徳とは何かということを、たけしは、こう綴る。〈道徳なんてものは、権力者の都合で幾らでも変わる。少なくとも、いつの時代も、どんな人間にとっても通用する「絶対的な道徳はない」っていうことは間違いない。それだけは頭に入れておいた方がいい〉〈道徳は社会の秩序を守るためのもの…といえば聞こえはいいけれど、それはつまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたものなのだと思う〉
そして文科相の学習指導要領の「社会全体のモラルが低下している」という一文には〈俺の個人的感想を言わせてもらえれば、社会のモラルは良くなった気がする〉〈モラルが低下したというのは、要するに自分のモラルに自信がなくなっているということだろう〉という。〈学習指導要領には「児童の道徳性の育成に、大きな影響を与えている社会的風潮」の一つとして「物や金銭等の物質的な価値や快楽が優先される」とある。「それは、あんた達の事だろう!」と、とりあえずツッコンでおく。景気が良くなれば、世の中全てが上手くいくみたいなことをいっているのは、いったいどこの誰だろう〉
たけしの道徳教育へのツッコミは、こうした「大人がエラそうに上から子供に言う資格があるのか」という点にある。例えば学習指導要領には「正直に明るい心で元気よく生活する」「友達と仲よくし、助け合う」といった、一見すると害のない言葉が並ぶが、たけしは、これも欺瞞だという。〈正直に生きるとか、皆、仲良くするってことを突き詰めたら、どうしたって商売とか経済活動を否定しなきゃいけなくなる。(中略)南北問題にしても、結局は誰かが儲けりゃ誰かが損するという話を、地球規模でやっているだけの話だ。(中略)人件費が日本の何分の一っていう国があるから、日本の経済は成り立っている。俺達が豊かな暮らしを享受しているのは、どこかの国の貧困のおかげだ。その貧乏な国を豊かにするためには日本はある程度、自分達の豊かさを犠牲にしなきゃいけないわけだ。そういうことを、学校の先生は子供達に話しているのだろうか。話している先生もいるかもしれないが、少なくとも、この国では、そういう先生は、あんまり出世しないだろうなあとも思う。そんな状況で、子供に道徳を教えるってこと自体がそもそも偽善だ〉そんな「偽善」の極みが、イジメの問題だ。イジメ対策から端を発した道徳の教科化だが、たけしは〈もの凄く単純な話で、子供達に友達と仲良くしましょうっていうなら、国と国だって仲良くしなくてはいけない。子供に「イジメはいけない」と教育するなら、国だって、よその国を苛めてはいけない。武器を持って喧嘩するなんて、もっての他だ〉と鋭くツッコむ。
〈「隣の席のヤツがナイフを持っているので、僕も自分の身を守るために学校にナイフを持ってきていいですか」って生徒が質問したとして「それは仕方がないですね」と答える教師はいるだろうか。いるわけがない。だとしたら隣の国が軍備拡張したからって、我が国も軍備を増強しようっていう政策は、道徳的に正しくないということになる。いかなる理由があっても喧嘩をしてはいけないと子供に教えるなら、いかなる理由があろうと戦争は許されないってことになる。(中略)ところが大人達はどういうわけか、そっちの話には目を瞑る。子供の道徳と国家の道徳は別物なのだそうだ。戦争は必要悪だとか、自衛のためには戦争も辞さぬ覚悟が必要だなんて言ったりもする〉
ここで、たけしは「戦争反対と言いたい訳じゃない」と述べる。〈道徳を云々するなら、先ずは自分が道徳を守らなくてはいけない。それができないなら、道徳を語ってはいけないのだ〉と言うのだ。つまり安倍(戦争)総理及び、そのシンパがやっていることや言っていることは筋が通っていないじゃないか-という話である。
また安倍(戦争)総理は道徳教育について「(日本古来の)伝統と文化を尊重する」「郷土愛、愛国心をチャンと涵養する」と話すが、日本の伝統・文化から、もたらされる道徳とは何か。これについても、たけしは切り込む。〈誰もが田んぼを作っていた時代に「和をもって貴となす」という道徳には根拠があった。田んぼの水は公共財産みたいなものだから、誰かが勝手なことをして、水を自分の田んぼにだけ引いたりしたら、他の人が生きられない。田植えにしても稲刈りにしても、近所や親戚が協力してやるものだった。周囲との衝突を嫌う日本の文化が、日本的な道徳の根拠だろう。だけど、そういう時代は、とっくの昔に終わってしまっている。(中略)昔ながらの日本的な道徳観を支えているのは、単なる郷愁くらいのものなのだ〉
絶対的な道徳など、この世にはない。だから、たけしは道徳を〈牧場の柵〉と表現する。〈牧場の持ち主が変われば、柵のカタチや場所が変わる。昨日まで自由に行き来できたところが、いきなり立ち入り禁止になったりもする〉からだ。日本は敗戦によって〈戦前の道徳がひっくりかえって〉、道徳よりも経済活動に邁進したが〈今頃になって、日本人はエライとかスゴイとか、日本人の道徳を取り戻せなんていい出したのは、その反動に違いない〉とたけしは看破する。そして、こう続ける。〈誰かに押しつけられた道徳に、唯々諾々と従うとバカを見る。それはもう既に昔の人が経験済みのことだ〉と。因みに本書のタイトルにある『「いいことをすると気持ちがいい」のは何故か』というのは、現在の道徳では〈年寄りに席を譲るのは「気持ちいいから」〉と子供に説明がなされていることから来ている。たけしは、これを〈誰かに親切にして、いい気持ちになるっていうのは、自分で発見して初めて意味がある〉とし「いいことしたら気持ちいいぞ」と煽る道徳の教科書を〈まるでインチキ臭い洗脳だ〉と切り捨てている。道徳教育への真っ当な批判─。たけしが今、これだけの思いをもっているのなら、テレビでも同様に主張を繰り広げてほしいものだが、やはり、これは本という形だから実現したのだろう。というのも「最近、テレビじゃ何も面白い事がいえなくてムカムカしてるんだ」と言いながら、同時期に出演した『ワイドナショー』では「(テレビで)本質を突いたら、結局プレッシャーかかるに決まってるんだから」と 諦めモードだったからだ。しかし本書で述べていたように、上から押さえつけられ、ただハイハイと従っていずれ〈バカを見る〉のは、たけしだって同じではないのだろうか。だからテレビでも本書に綴った、この言葉を、たけしには口に出して言ってほしいと思うのだ。〈結局、言いたいことは一つなのだから。「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」〉
《米国の“戦争屋”2人に旭日大綬章:安倍ポチ政権の恥知らず》
今年、秋の叙勲受章者が3日に発表されたが、かつての勲一等「旭日大綬章」の名簿に驚いた。受章した19人のうち日本人は7人。半数以上の12人が外国人だった。外国人の受章者数は過去最多。一番多いのは米国で5人が受章する。その面々には更に驚く。大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官にまで日本は勲章を贈るのだ。2人への叙勲を推薦したのは外務省儀典官室。授章を決めた内閣府は「戦後70年の節目ということで、戦後日本の平和と発展の重要な基盤を形成した日米関係の増進に大きな功績のあった方々を特に推薦した、と外務省から説明された」(賞勲局の担当者)と言うのだが、ちっともピンとこない。2人とも「日本の平和と発展の基盤を形成」するどころか、ぶっ壊してきたではないか。ラムズフェルドはイラク開戦直後から自衛隊に再三「イラクの治安維持」への参加を打診。日本政府に集団的自衛権の行使を炊き付けた人物だし、日本を飼い慣らす「ジャパンハンドラー」として知られるアーミテージは、もっと露骨だ。
9.11テロ以降「ショウ・ザ・フラッグ」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と恫喝し、日本政府に軍国化を迫ってきただけではない。3年前に公表した「第3次アーミテージ・リポート」では、日本の原発再稼働やTPP参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃を要求。安倍政権は言われるがまま実現してきた。「安倍政権が強引に成立させた『戦争法制』も、リポートの中身を実現させたものです。アーミテージは『集団的自衛の禁止が日米間の障害』等と断定的に記しています。今や自衛隊は米軍の下請けとなり、安倍政権も元請けのオバマ政権への従属を隠そうとしない。叙勲制度を利用してまで米国にゴマをするとは、独立国としての誇りを完全に失っています」(政治評論家・森田実氏)かつて「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近い」とホザいた太田誠一元農相まで旭日大綬章を受章するご時世だ。いくら勲章の価値が落ちているとはいえ、戦争屋2人にくれてやる必要はない。
《「カダフィの予言」と国連での「安倍発言」:宮田中東学者寄稿》
*本ブログ「リベラル広場」に中東情勢に造詣の深い宮田律学者が、その立場から、これまでも「戦争関連法-反対」の意見を寄稿して頂いたが、再び貴重な意見掲載のお許しを頂いたので全文掲載する。
2011年8月、一連の「アラブの春」の潮流の中で政権崩壊を余儀なくされたリビアのカダフィ大佐は、同じ年の3月にフランスの「France 24」のインタビューで「数百万のアフリカ人がフランス、イタリアに入るべく地中海越えを試みるだろう。リビアは地域の安全に重要な貢献を行なっているのだ」と発言していた。「国際移住機関(IOM)」によれば、今年はこれまでに522千人の難民が地中海を渡り、まさにカダフィ大佐が予言した通りの事態となっている。その内の13,1百人が北アフリカからの難民だ。カダフィ大佐はシリアからの大量の難民の発生は予想していなかっただろう。30日、ロシア下院はシリアへの空軍派遣を承認した。空軍の派遣はアサド政権支援のために「イスラム国」を攻撃するというものだが、この措置がシリア情勢の好転を、もたらすとは全く思えない。米国は昨年9月からシリアの「イスラム国」への空爆をしているが、その「根絶」に成功せず、大量の難民の発生等、更なる混乱を、もたらしている。ロシアのプーチン大統領は、カダフィ政権を崩壊させたことが、リビアの混乱を、もたらしたことを指摘してアサド政権を守ることこそがシリアの安定に繋がると国連でのオバマ大統領との会談で発言した。肝心なことは国際社会が協力して健全な統治機能を備えた政府が地中海地域に成立することを後押しすることだ。欧米はカダフィ政権を崩壊させることには熱心だったが、リビアの将来については責任ある姿勢をとることはなかった。欧米が武器・弾薬を与え、支援する「穏健な武装勢力」のメンバー達が「イスラム国」やアルカイダ系の「ヌスラ戦線」のメンバーになるケースが多く、これらの過激組織を欧米が実際には強力にするという状態になっている。プーチン大統領は、アサド政権こそが「イスラム国」など過激派の「防波堤」になると語ったが、しかしアサド政府軍が従来戦ってきたのは「イスラム国」やヌスラ戦線ではなく、主に「自由シリア軍」であり、プーチン大統領はアサド政権による多数の市民の犠牲を伴う残虐な軍事行動を批判することはない。安倍(戦争)総理は29日、国連総会後の記者会見の中で、移民や難民の受け入れより先に、女性や高齢者など日本国民の生活改善や出生率の向上が必要だと発言した。
シリア情勢が益々、混沌とする中で、この発言を国際社会はどう受け止めただろうか。
【紹介】「平和の琉歌」http://bit.ly/1MQbwcr
:YouTube:伊波 洋一 (いは よういち)
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり
◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
;2015年10月 澤地久枝
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(pdf)】でダウンロードしてください。
またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
(民守 正義)
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