「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(22)
「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(22)
《澤地久枝さんの呼掛けに呼応して国会前「アベ政治許さぬ」》
「戦争関連法」を成立させた安倍政権に抗議の意思を示すため、国会前に3日、約8百人(主催者発表)が集まり「アベ政治を許さない」とのメッセージを記した紙を掲げた。参加者は午後1時、国会議事堂に向けて一斉に紙を掲げ「憲法を守れ」「(臨時)国会を開け」と口々に叫んだ。
作家の落合恵子さんは「諦めてはいけない。安倍政権にレッドカードを出し続けて民主主義を取り戻しましょう」と訴えた。作家の沢地久枝さんが呼掛けた行動で、メッセージは俳人の金子兜太さんが書いた。「戦争法案」が衆院を通過した直後の7月18日に続き2回目。今後も毎月3日に同様の行動をするという。(共同)
《安倍政権批判の文言入り文具、有無を調査:北海道の学校》
北海道教育委員会が、安倍政権批判する文言を記した文房具が学校内にあるかどうかについて、道内公立学校を対象に調査を始めたことが分かった。一部の高校にあったことから「教育の政治的中立性」を保つためとしている。
文房具を配った教職員組合側は「学校現場を萎縮させる」等として反発している。自民党道議が9月、一部の学校で「アベ政治を許さない」との文言が印刷されたクリアファイルが教師の机の上に置かれていると指摘し調査を要求。道教委は今月14日付で、政令指定市の札幌市立以外の小中高校等1681校に調査票を配った。
質問内容は、いつ誰が使ったり配布したりしたか、校内のどこで見たかなど。回答は任意だが関わった人の名前を記すよう求めている。管理職には、関わった教職員が特定できれば指導するよう求めた。道教委は、クリアファイルの配布が教職員に禁じられた政治的行為の内「特定の内閣を支持またはこれに反対すること」(人事院規則)に当たる可能性があるとみている。机上に置くことは人事院規則違反ではないものの「児童生徒らの目に触れ、誤解される恐れがある」と問題視している。北海道高等学校教職員組合連合会はクリアファイルの作製を認めた上で「組合活動として組合員だけに配った。校内での掲示や配布は指示していない」と説明。道教委に対し15日付で調査中止を求めた。クリアファイルにある文言は、俳人の金子兜太さんが揮毫。各地の市民集会等で、プラカードやポスター等に使われている。道内の市教委の男性職員は「こんな調査は初めて。クリアファイルを持っていたら法令違反なのか」と戸惑う。50代の男性教員は「調査には驚いた。まるで監視社会だ」と話した。
◇〈広田照幸・日大教授(教育社会学)の話〉教育委員会は、先ず禁じられる政治的行為の例を教職員に周知するべきで、今回の件に関わった人の氏名まで報告させる調査は不適切だ。選挙権年齢の引き下げに伴い、主権者教育を進めるためには、教員自身が社会に関心や知識を持つことが、より必要になる。このような調査は現場を萎縮させ、ものを考えない教員を増やしてしまう恐れがある。
《「戦争法」抗議「終わっていない」殺害予告にもひるまず再起》
「戦争関連法制」の成立(?)から19日で1カ月。国会前を離れ、各々の暮らしに戻った若者たちは、今後も日常生活の中で、街で法制反対の声を上げていく。「終わっているなら、始めましょう!」。学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーで国際基督教大4年のKさんがステージの上で叫ぶと、東京・渋谷のハチ公前広場を埋めた人達から大きな歓声が沸いた。「法制が成立しても、抗議が終わったわけではない」という思いを込めた。関連法の成立後、夏休み明けの大学に戻ると、多くの友人が「戦争法制」自体を知らないことに気付かされ失望もした。短期留学したドイツでは、移民問題について排外的な主張をするデモ隊を何倍もの市民が囲んで抗議する様子を見た。痛感した。「日本はまだ政治が日常に根付いていない」それでも18日のハチ公前で変化の芽も実感できた。
スピーチでは「日常が危機に追い込まれている」と訴え奨学金返済に追われる学生や、生活苦にあえぐ若者についても語った。いつもは政治の話をしない友人が何人も見に来てくれ「よかったじゃん」と声をかけてくれた。都立高3年のFさんも、この1カ月「T―ns(ティーンズ)SOWL(ソウル)」のメンバーとして連日、国会に通った日々から、勉強中心の生活に戻った。学校では友達の対応に変化があったという。「受験生なのに何やってるの」と冷笑していた友人が応援してくれる。ツイッターでは、政治の話をしたこともない友達が「ユーチューブで4時間、国会中継見た」と書いていた。休み時間には18歳以上が投票権を初めて持つ来年の参院選が話題に上るようになった。社会に色んな形で関ろうと、今月には豪雨被害を受けた茨城県常総市のボランティアにも行った。瓦礫を運びながら地元の人と話す。収穫直後のお米や思い出の写真が流された話に、奪われた「日常」の重みを感じた。11月には法制を巡る高校生向けの勉強会やデモを予定している。「あの時の熱を冷まさず、気持ちを持ち続けるために来たかった」と京都から駆けつけた大学生もいた。同志社大2年のSさん。「SEALDs KANSAI」のメンバーとして街頭に立っていたが、大学では「安保」の話をする友達はあまりいない。「街頭の空気とは違う」と思い知った。その思いをステージ上でマイクを握り、ぶつけた。「私達は、憲法の理念を諦めることはできない」
国会審議中、いつも運動の中心にいた「SEALDs」の奥田愛基さんは、この日、殆ど姿を見せなかった。成立直後に本人と家族を「殺害する」との脅迫文が届き、大学で警察の警備がついたこともあった。「僕が行くと警備の人達も、いなきゃいけない」と不参加も考えた。だが近くから見守ることに。最後には短く壇上に上り「民主主義って何だ!」とコール。「やれることをやっていきましょう」と声を上げると、拍手が鳴り響いた。
【管理者:民守】奥田君へ!脅迫文にビビルことはない。ホントに単なる脅迫だ。ビビレば、それだけで犯人の思うツボ!むしろハデに闘って振舞ってやれ!ただ警備の人の迷惑も考えて「闘い・行動」を控えめになるのは「気持ち」として理解ができるが、それ以上に奥田君に励まされ、人生観も変った同世代の仲間たちの「気持ち」は、どうなるのだ!?奥田君の姿が見られずに心配する仲間、不安がる仲間もいるだろうと思う。そして何よりも「戦争法―廃案:安倍(戦争)内閣打倒」に向けた取組みも続いている。警備の方は、ハッキリ言って、それはそれで給与も出ている。「すんまへんな」と言って、まだまだ続く「25年『戦争法反対闘争』に、気兼ねする事無く今の奥田君にマッチするスタイルで取り組もう!
中学から社会運動に関ってきた小生が、ちょっと「上から目線」で言うと「闘う者はデリカシーある優しさ」がなければならない。同時に妨害者や権力等が何と言おうと「『信』を貫く頑固さと厚かましさ」がなければならない。でも「勉強と実践は繰り返し成長」しなければならない。そして「反省はしても後悔をしてはいけない」。小生は難病(サルコイドーシス)で車椅子・肩からのシビレの日常生活だ。それでも奥田君をはじめ若者達等に1ミリでも良い社会を残してやりたいという使命感でブログ「リベラル広場」のみならず人権課題等にも取り組んでいる。一方的に同志と思い込むオッチャンの言葉だ。これを読んでくれたら嬉しい♪】
今は図書館に通う日々。大学院進学のためだけではない。「勉強しないと自分の言葉がどんどんスッカラカンになっていくから」だ。今後については「各々が自分達の日常の中で何ができるか。主体的に動いていくしかない」と語る。来年の参院選に向けて何ができるか、その後はどうするのか。思いを巡らせている。
《「憲法守ろう」黒塗り日野市封筒:当然の「憲法順守」理念が消された》
東京都日野市が、公用封筒に印字された「日本国憲法の理念を守ろう」という文言を黒く塗りつぶし、市民らに7百~8百枚を発送していたことが分かった。市側は「封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため」と釈明しているが、市民から抗議の声が寄せられ、大坪市長が市のホームページで「誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えた」と対応の拙さを認めた。問題となったのは、長形3号の縦長の郵便用茶封筒で、大きな「日野市」の文字の左下に「憲法の理念を守ろう」の文言が印字されている。2010年度のモデルで4月1日からの一年間、全庁的に使われた。市によると今年2月頃、用水路や公園の維持管理を担う「緑と清流課」で、使っていない10年度モデルが課内の段ボール箱に1千枚以上残っているのが見つかり捨てずに利用することにした。同月、現行モデルにはない憲法の文言を、黒いフェルトペンで塗りつぶし、同課の業務で、主に返信用封筒として市民らに郵送。この他、封筒を貸した都市計画課からも黒塗りされた二十枚が発送された。
緑と清流課-H課長は自身が指示した事を認めた上で「現行モデルと見た目のデザインを合わせる必要があると判断した。封筒のデザインは、その時々で発信したいメッセージやキャッチフレーズが変わるため定期的に変更している」と説明。憲法の文言が何年度から採用されたかは分からないが長い間、印字されてきたという。
この文言は10年度モデルを最後に消えたが、その理由について市は「把握できない」としている。
この黒塗りされた封筒は今月に入っても使用され、受け取った人が問題視し25日にインターネットに画像を投稿して拡散。市には抗議の電話やメールが50件近く届き「中立であるべき役所にあるまじき行為」等の批判が寄せられたという。H課長は「当時は見た目の事ばかり考えてしまい短絡的だった。憲法の文言を敢えて消す必要はなく、メッセージ性を持った行動と受け取られても仕方ない」と話し、手元に残った黒塗り封筒5百枚は全て処分する方針を示した。市は30日午後4時過ぎ、HPで経緯を掲載。
この中で大坪市長は「誤った事務処理で市民の皆様に誤解を与えて遺憾に思う。憲法をはじめとする法令順守は市政の基本であり、今後も揺るぎない」とコメントしている。
<田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話>全く普通のスローガンで消さなくてはいけない理由が思い付かない。客観的に見れば「憲法を否定する意思表示」。市民の批判は当然だ。安倍政権が進める改憲の動きと符合しており逆に政治的だ。
《赤川次郎が安倍政権に阿る大新聞とSEALDsバッシングの「週刊新潮」を批判》
「戦争法制」の問題が象徴的だったように、今や新聞メディアは、政権の言いなりとなった読売新聞や日本経済新聞「両論併記」病を罹患した朝日新聞、ジャーナリズムを放棄したネトウヨ機関紙・産経新聞といった具合に、国民の「知る権利」さえ守ろうとしていない。
こうした新聞メディアの体たらくに作家からも嘆きの声が上がっている。〈戦時下を生きた人々から「今はあの頃とソックリ」との声が上がる中、私達は戦時中の新聞、雑誌等のメディアが、どんな報道をしていたか見直すべきだ〉こう述べたのはミステリー界の大御所作家である赤川次郎氏。赤川氏は既報の通り「あまりにも状況が酷すぎるので、黙っていられなくなった」といい、これまでも度々、安倍政権批判を行ってきた作家の一人。今回は東京新聞「新聞を読む」のコーナーに『「痛み」に寄り添う報道を』という原稿を寄稿、東京新聞の紙面を取り上げながら、最近の報道の歪さを明かしている。先ず赤川氏が〈最近最も印象的〉だったとして紹介したのは「そうだ難民しよう!」というコピーがついたシリア難民を中傷したヘイトイラストの一件だ。この卑しい差別心に満ち満ちたイラストは「はすみとしこ」という漫画家がFacebookに投稿し拡散されたことで批判を浴びた。東京新聞は名物企画「こちら特捜部」で「『人種差別』世界が非難」と題し、10月10日に大々的に報じたが、赤川氏はこの問題を強い言葉で論難する。〈戦火に追われて故郷を捨て命がけで逃れなければならなかった人々の「痛み」を、この漫画家は全く分かっていないのだろう。しかも他人の写真を、そのままなぞってイラストを描くとは、漫画家としての矜持すら持ち合わせていないのか〉さらに赤川氏が憤慨するのは、この差別イラストの問題が〈国内メディアでは殆ど報道されなかった〉ことだ。しかも朝日新聞は赤川氏が、この原稿を寄稿した前日の24日、難民差別イラストを「差別か風刺か」とタイトルに記してピックアップ。了見を疑うタイトルだが、こうした問題の本質を赤川氏は、このように突いている。〈今、日本のジャーナリズムは「世界が日本を、どう見ているか」という視点に立つことを忘れている(あるいは逃げている)。安倍(戦争)総理が国連で演説したことは伝えても「聴衆が少なかった」(管理者:多くの国代表が退出してガラ空きだったらしい。それとヘタクソな英語は事実上「かん口令」がひかれた。)ことには触れない。ジャーナリズムの役割を放棄していると言われても仕方ない〉
また赤川氏は、東京新聞10月19日の第一面を紹介。それは「戦争法制」成立(?)から1カ月という節目にSEALDsが渋谷駅前で行った集会の写真と、米海軍のロナルド・レーガンに乗船した安倍(戦争)総理の写真を並べたものだった。〈ネットでは、戦闘機に乗り込んだ(安倍(戦争)総理の)ご満悦の姿が見られた。「『戦争ゴッコ』の好きな子供」という図だが、現実に傷つき死んでいく兵士の痛みには関心がなさそうだ〉
赤川氏は続けて9月29日夕刊で取り上げられた、SEALDsの中心メンバーである奥田愛基氏への殺害予告問題を取り上げる。赤川氏はこの問題を〈これこそ「戦争法」に賛成・反対を超えて、卑屈な言論への脅迫として、あらゆるメディアが非難すべき出来事だ〉というが、こちらも〈殆どのメディアは沈黙したまま〉。そして「週刊新潮」が記事にした奥田氏の父親バッシングを〈脅迫を煽っているに近い〉と批判する。
その上で、赤川氏は「週刊新潮」にこう訴えかけるのだ。(管理者:「週刊新潮」は脅迫罪幇助だ!)
〈「週刊新潮」に言いたい。攻撃しても自分は安全でいられる相手だけを攻撃するのはジャーナリズムの恥である。たまには自分を危うくする覚悟で記事を書いてみてはどうだ〉赤川氏が危惧するのは、冒頭にも引いたように現在の報道が、まるで戦時中のように政権や政策への批判を極端に恐れているかのような空気に包まれていることである。歴史修正に加担し、違憲の法案さえ検証を怠り、戦争へ直走ろうとする政権の暴走に目を瞑る。言論統制の下、大本営発表を流し続けた戦争責任を、メディアは忘れてしまったのか─そう誹りを受けても、おかしくはない状態だ。(管理者:たまには「安倍批判」をしてみろ!恐いのやろ~!)だが、そんな大メディアが魂を売った状況でも、東京新聞をはじめとしてブロック紙や地方紙は踏ん張っている。
例えば神奈川新聞は、安倍(戦争)総理が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2週間後から「時代の正体」と題して連載を開始。安倍政権の背後にある「日本会議」にスポットを当ててメンバーにインタビューを試みる等、様々な角度から政権の問題点と戦後70年を掘り下げた。しかし、この連載には大きな反響が寄せられる一方「記事が偏っている」という批判も受けてきた。(管理者:だいたい保守派は自分の意見に合わなかったら、直ぐに「偏向」「反日」等という。でも保守派は科学的思考ができないから「具体的論理」では反論できない)そうした意見に神奈川新聞の論説委員である石橋学氏は、10月16日付の紙面で〈私達は今、権力の暴走を目の前で見せつけられるという歴史的瞬間のただ中にある〉と書きつつ、こう返答している。〈民主主義の要諦は多様性にある。一人一人、望むままの生き方が保障されるには「各々が違っていてよい、違っているからこそよい」という価値観が保たれていなければならない。それには先ず自らが多様な内の一人でいることだ。だから空気など読まない。忖度しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ誇る。
偏っているという批判に「ええ、偏っていますが何か」と答える。そして「私が偏っていることが結果的に、貴方が誰かを偏っていると批判する権利を守ることになるのですよ」と言い添える。他の誰のものでもない自らの言葉で絶えず論を興し、そうして民主主義を体現する存在として新聞はありたい〉批判を恐れる大メディアに読んで聞かせてやりたい言葉だが、彼らが、こうしたプライドを失った今、市民ができることは、ただ一つだ。赤川氏のエッセイ集『三毛猫ホームズの遠眼鏡』から最後に、こんな言葉を紹介しておきたい。
〈政権への冷静な批判を今のジャーナリズムに期待できない以上、私達一人一人が「戦争をしない」という意志を強く持つしかない〉(リテラ:管理者部分編集)
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。
各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(pdf)】でダウンロードしてください。またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
《澤地久枝さんの呼掛けに呼応して国会前「アベ政治許さぬ」》
「戦争関連法」を成立させた安倍政権に抗議の意思を示すため、国会前に3日、約8百人(主催者発表)が集まり「アベ政治を許さない」とのメッセージを記した紙を掲げた。参加者は午後1時、国会議事堂に向けて一斉に紙を掲げ「憲法を守れ」「(臨時)国会を開け」と口々に叫んだ。
作家の落合恵子さんは「諦めてはいけない。安倍政権にレッドカードを出し続けて民主主義を取り戻しましょう」と訴えた。作家の沢地久枝さんが呼掛けた行動で、メッセージは俳人の金子兜太さんが書いた。「戦争法案」が衆院を通過した直後の7月18日に続き2回目。今後も毎月3日に同様の行動をするという。(共同)
《安倍政権批判の文言入り文具、有無を調査:北海道の学校》
北海道教育委員会が、安倍政権批判する文言を記した文房具が学校内にあるかどうかについて、道内公立学校を対象に調査を始めたことが分かった。一部の高校にあったことから「教育の政治的中立性」を保つためとしている。
文房具を配った教職員組合側は「学校現場を萎縮させる」等として反発している。自民党道議が9月、一部の学校で「アベ政治を許さない」との文言が印刷されたクリアファイルが教師の机の上に置かれていると指摘し調査を要求。道教委は今月14日付で、政令指定市の札幌市立以外の小中高校等1681校に調査票を配った。
質問内容は、いつ誰が使ったり配布したりしたか、校内のどこで見たかなど。回答は任意だが関わった人の名前を記すよう求めている。管理職には、関わった教職員が特定できれば指導するよう求めた。道教委は、クリアファイルの配布が教職員に禁じられた政治的行為の内「特定の内閣を支持またはこれに反対すること」(人事院規則)に当たる可能性があるとみている。机上に置くことは人事院規則違反ではないものの「児童生徒らの目に触れ、誤解される恐れがある」と問題視している。北海道高等学校教職員組合連合会はクリアファイルの作製を認めた上で「組合活動として組合員だけに配った。校内での掲示や配布は指示していない」と説明。道教委に対し15日付で調査中止を求めた。クリアファイルにある文言は、俳人の金子兜太さんが揮毫。各地の市民集会等で、プラカードやポスター等に使われている。道内の市教委の男性職員は「こんな調査は初めて。クリアファイルを持っていたら法令違反なのか」と戸惑う。50代の男性教員は「調査には驚いた。まるで監視社会だ」と話した。
◇〈広田照幸・日大教授(教育社会学)の話〉教育委員会は、先ず禁じられる政治的行為の例を教職員に周知するべきで、今回の件に関わった人の氏名まで報告させる調査は不適切だ。選挙権年齢の引き下げに伴い、主権者教育を進めるためには、教員自身が社会に関心や知識を持つことが、より必要になる。このような調査は現場を萎縮させ、ものを考えない教員を増やしてしまう恐れがある。
《「戦争法」抗議「終わっていない」殺害予告にもひるまず再起》
「戦争関連法制」の成立(?)から19日で1カ月。国会前を離れ、各々の暮らしに戻った若者たちは、今後も日常生活の中で、街で法制反対の声を上げていく。「終わっているなら、始めましょう!」。学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーで国際基督教大4年のKさんがステージの上で叫ぶと、東京・渋谷のハチ公前広場を埋めた人達から大きな歓声が沸いた。「法制が成立しても、抗議が終わったわけではない」という思いを込めた。関連法の成立後、夏休み明けの大学に戻ると、多くの友人が「戦争法制」自体を知らないことに気付かされ失望もした。短期留学したドイツでは、移民問題について排外的な主張をするデモ隊を何倍もの市民が囲んで抗議する様子を見た。痛感した。「日本はまだ政治が日常に根付いていない」それでも18日のハチ公前で変化の芽も実感できた。
スピーチでは「日常が危機に追い込まれている」と訴え奨学金返済に追われる学生や、生活苦にあえぐ若者についても語った。いつもは政治の話をしない友人が何人も見に来てくれ「よかったじゃん」と声をかけてくれた。都立高3年のFさんも、この1カ月「T―ns(ティーンズ)SOWL(ソウル)」のメンバーとして連日、国会に通った日々から、勉強中心の生活に戻った。学校では友達の対応に変化があったという。「受験生なのに何やってるの」と冷笑していた友人が応援してくれる。ツイッターでは、政治の話をしたこともない友達が「ユーチューブで4時間、国会中継見た」と書いていた。休み時間には18歳以上が投票権を初めて持つ来年の参院選が話題に上るようになった。社会に色んな形で関ろうと、今月には豪雨被害を受けた茨城県常総市のボランティアにも行った。瓦礫を運びながら地元の人と話す。収穫直後のお米や思い出の写真が流された話に、奪われた「日常」の重みを感じた。11月には法制を巡る高校生向けの勉強会やデモを予定している。「あの時の熱を冷まさず、気持ちを持ち続けるために来たかった」と京都から駆けつけた大学生もいた。同志社大2年のSさん。「SEALDs KANSAI」のメンバーとして街頭に立っていたが、大学では「安保」の話をする友達はあまりいない。「街頭の空気とは違う」と思い知った。その思いをステージ上でマイクを握り、ぶつけた。「私達は、憲法の理念を諦めることはできない」
国会審議中、いつも運動の中心にいた「SEALDs」の奥田愛基さんは、この日、殆ど姿を見せなかった。成立直後に本人と家族を「殺害する」との脅迫文が届き、大学で警察の警備がついたこともあった。「僕が行くと警備の人達も、いなきゃいけない」と不参加も考えた。だが近くから見守ることに。最後には短く壇上に上り「民主主義って何だ!」とコール。「やれることをやっていきましょう」と声を上げると、拍手が鳴り響いた。
【管理者:民守】奥田君へ!脅迫文にビビルことはない。ホントに単なる脅迫だ。ビビレば、それだけで犯人の思うツボ!むしろハデに闘って振舞ってやれ!ただ警備の人の迷惑も考えて「闘い・行動」を控えめになるのは「気持ち」として理解ができるが、それ以上に奥田君に励まされ、人生観も変った同世代の仲間たちの「気持ち」は、どうなるのだ!?奥田君の姿が見られずに心配する仲間、不安がる仲間もいるだろうと思う。そして何よりも「戦争法―廃案:安倍(戦争)内閣打倒」に向けた取組みも続いている。警備の方は、ハッキリ言って、それはそれで給与も出ている。「すんまへんな」と言って、まだまだ続く「25年『戦争法反対闘争』に、気兼ねする事無く今の奥田君にマッチするスタイルで取り組もう!
中学から社会運動に関ってきた小生が、ちょっと「上から目線」で言うと「闘う者はデリカシーある優しさ」がなければならない。同時に妨害者や権力等が何と言おうと「『信』を貫く頑固さと厚かましさ」がなければならない。でも「勉強と実践は繰り返し成長」しなければならない。そして「反省はしても後悔をしてはいけない」。小生は難病(サルコイドーシス)で車椅子・肩からのシビレの日常生活だ。それでも奥田君をはじめ若者達等に1ミリでも良い社会を残してやりたいという使命感でブログ「リベラル広場」のみならず人権課題等にも取り組んでいる。一方的に同志と思い込むオッチャンの言葉だ。これを読んでくれたら嬉しい♪】
今は図書館に通う日々。大学院進学のためだけではない。「勉強しないと自分の言葉がどんどんスッカラカンになっていくから」だ。今後については「各々が自分達の日常の中で何ができるか。主体的に動いていくしかない」と語る。来年の参院選に向けて何ができるか、その後はどうするのか。思いを巡らせている。
《「憲法守ろう」黒塗り日野市封筒:当然の「憲法順守」理念が消された》
東京都日野市が、公用封筒に印字された「日本国憲法の理念を守ろう」という文言を黒く塗りつぶし、市民らに7百~8百枚を発送していたことが分かった。市側は「封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため」と釈明しているが、市民から抗議の声が寄せられ、大坪市長が市のホームページで「誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えた」と対応の拙さを認めた。問題となったのは、長形3号の縦長の郵便用茶封筒で、大きな「日野市」の文字の左下に「憲法の理念を守ろう」の文言が印字されている。2010年度のモデルで4月1日からの一年間、全庁的に使われた。市によると今年2月頃、用水路や公園の維持管理を担う「緑と清流課」で、使っていない10年度モデルが課内の段ボール箱に1千枚以上残っているのが見つかり捨てずに利用することにした。同月、現行モデルにはない憲法の文言を、黒いフェルトペンで塗りつぶし、同課の業務で、主に返信用封筒として市民らに郵送。この他、封筒を貸した都市計画課からも黒塗りされた二十枚が発送された。
緑と清流課-H課長は自身が指示した事を認めた上で「現行モデルと見た目のデザインを合わせる必要があると判断した。封筒のデザインは、その時々で発信したいメッセージやキャッチフレーズが変わるため定期的に変更している」と説明。憲法の文言が何年度から採用されたかは分からないが長い間、印字されてきたという。
この文言は10年度モデルを最後に消えたが、その理由について市は「把握できない」としている。
この黒塗りされた封筒は今月に入っても使用され、受け取った人が問題視し25日にインターネットに画像を投稿して拡散。市には抗議の電話やメールが50件近く届き「中立であるべき役所にあるまじき行為」等の批判が寄せられたという。H課長は「当時は見た目の事ばかり考えてしまい短絡的だった。憲法の文言を敢えて消す必要はなく、メッセージ性を持った行動と受け取られても仕方ない」と話し、手元に残った黒塗り封筒5百枚は全て処分する方針を示した。市は30日午後4時過ぎ、HPで経緯を掲載。
この中で大坪市長は「誤った事務処理で市民の皆様に誤解を与えて遺憾に思う。憲法をはじめとする法令順守は市政の基本であり、今後も揺るぎない」とコメントしている。
<田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話>全く普通のスローガンで消さなくてはいけない理由が思い付かない。客観的に見れば「憲法を否定する意思表示」。市民の批判は当然だ。安倍政権が進める改憲の動きと符合しており逆に政治的だ。
《赤川次郎が安倍政権に阿る大新聞とSEALDsバッシングの「週刊新潮」を批判》
「戦争法制」の問題が象徴的だったように、今や新聞メディアは、政権の言いなりとなった読売新聞や日本経済新聞「両論併記」病を罹患した朝日新聞、ジャーナリズムを放棄したネトウヨ機関紙・産経新聞といった具合に、国民の「知る権利」さえ守ろうとしていない。
こうした新聞メディアの体たらくに作家からも嘆きの声が上がっている。〈戦時下を生きた人々から「今はあの頃とソックリ」との声が上がる中、私達は戦時中の新聞、雑誌等のメディアが、どんな報道をしていたか見直すべきだ〉こう述べたのはミステリー界の大御所作家である赤川次郎氏。赤川氏は既報の通り「あまりにも状況が酷すぎるので、黙っていられなくなった」といい、これまでも度々、安倍政権批判を行ってきた作家の一人。今回は東京新聞「新聞を読む」のコーナーに『「痛み」に寄り添う報道を』という原稿を寄稿、東京新聞の紙面を取り上げながら、最近の報道の歪さを明かしている。先ず赤川氏が〈最近最も印象的〉だったとして紹介したのは「そうだ難民しよう!」というコピーがついたシリア難民を中傷したヘイトイラストの一件だ。この卑しい差別心に満ち満ちたイラストは「はすみとしこ」という漫画家がFacebookに投稿し拡散されたことで批判を浴びた。東京新聞は名物企画「こちら特捜部」で「『人種差別』世界が非難」と題し、10月10日に大々的に報じたが、赤川氏はこの問題を強い言葉で論難する。〈戦火に追われて故郷を捨て命がけで逃れなければならなかった人々の「痛み」を、この漫画家は全く分かっていないのだろう。しかも他人の写真を、そのままなぞってイラストを描くとは、漫画家としての矜持すら持ち合わせていないのか〉さらに赤川氏が憤慨するのは、この差別イラストの問題が〈国内メディアでは殆ど報道されなかった〉ことだ。しかも朝日新聞は赤川氏が、この原稿を寄稿した前日の24日、難民差別イラストを「差別か風刺か」とタイトルに記してピックアップ。了見を疑うタイトルだが、こうした問題の本質を赤川氏は、このように突いている。〈今、日本のジャーナリズムは「世界が日本を、どう見ているか」という視点に立つことを忘れている(あるいは逃げている)。安倍(戦争)総理が国連で演説したことは伝えても「聴衆が少なかった」(管理者:多くの国代表が退出してガラ空きだったらしい。それとヘタクソな英語は事実上「かん口令」がひかれた。)ことには触れない。ジャーナリズムの役割を放棄していると言われても仕方ない〉
また赤川氏は、東京新聞10月19日の第一面を紹介。それは「戦争法制」成立(?)から1カ月という節目にSEALDsが渋谷駅前で行った集会の写真と、米海軍のロナルド・レーガンに乗船した安倍(戦争)総理の写真を並べたものだった。〈ネットでは、戦闘機に乗り込んだ(安倍(戦争)総理の)ご満悦の姿が見られた。「『戦争ゴッコ』の好きな子供」という図だが、現実に傷つき死んでいく兵士の痛みには関心がなさそうだ〉
赤川氏は続けて9月29日夕刊で取り上げられた、SEALDsの中心メンバーである奥田愛基氏への殺害予告問題を取り上げる。赤川氏はこの問題を〈これこそ「戦争法」に賛成・反対を超えて、卑屈な言論への脅迫として、あらゆるメディアが非難すべき出来事だ〉というが、こちらも〈殆どのメディアは沈黙したまま〉。そして「週刊新潮」が記事にした奥田氏の父親バッシングを〈脅迫を煽っているに近い〉と批判する。
その上で、赤川氏は「週刊新潮」にこう訴えかけるのだ。(管理者:「週刊新潮」は脅迫罪幇助だ!)
〈「週刊新潮」に言いたい。攻撃しても自分は安全でいられる相手だけを攻撃するのはジャーナリズムの恥である。たまには自分を危うくする覚悟で記事を書いてみてはどうだ〉赤川氏が危惧するのは、冒頭にも引いたように現在の報道が、まるで戦時中のように政権や政策への批判を極端に恐れているかのような空気に包まれていることである。歴史修正に加担し、違憲の法案さえ検証を怠り、戦争へ直走ろうとする政権の暴走に目を瞑る。言論統制の下、大本営発表を流し続けた戦争責任を、メディアは忘れてしまったのか─そう誹りを受けても、おかしくはない状態だ。(管理者:たまには「安倍批判」をしてみろ!恐いのやろ~!)だが、そんな大メディアが魂を売った状況でも、東京新聞をはじめとしてブロック紙や地方紙は踏ん張っている。
例えば神奈川新聞は、安倍(戦争)総理が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2週間後から「時代の正体」と題して連載を開始。安倍政権の背後にある「日本会議」にスポットを当ててメンバーにインタビューを試みる等、様々な角度から政権の問題点と戦後70年を掘り下げた。しかし、この連載には大きな反響が寄せられる一方「記事が偏っている」という批判も受けてきた。(管理者:だいたい保守派は自分の意見に合わなかったら、直ぐに「偏向」「反日」等という。でも保守派は科学的思考ができないから「具体的論理」では反論できない)そうした意見に神奈川新聞の論説委員である石橋学氏は、10月16日付の紙面で〈私達は今、権力の暴走を目の前で見せつけられるという歴史的瞬間のただ中にある〉と書きつつ、こう返答している。〈民主主義の要諦は多様性にある。一人一人、望むままの生き方が保障されるには「各々が違っていてよい、違っているからこそよい」という価値観が保たれていなければならない。それには先ず自らが多様な内の一人でいることだ。だから空気など読まない。忖度しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ誇る。
偏っているという批判に「ええ、偏っていますが何か」と答える。そして「私が偏っていることが結果的に、貴方が誰かを偏っていると批判する権利を守ることになるのですよ」と言い添える。他の誰のものでもない自らの言葉で絶えず論を興し、そうして民主主義を体現する存在として新聞はありたい〉批判を恐れる大メディアに読んで聞かせてやりたい言葉だが、彼らが、こうしたプライドを失った今、市民ができることは、ただ一つだ。赤川氏のエッセイ集『三毛猫ホームズの遠眼鏡』から最後に、こんな言葉を紹介しておきたい。
〈政権への冷静な批判を今のジャーナリズムに期待できない以上、私達一人一人が「戦争をしない」という意志を強く持つしかない〉(リテラ:管理者部分編集)
《お知らせと【拡散希望】「澤地久枝のよびかけ-アベ政治を許さない!」》
同じポスターを全国一斉にかかげよう!
12月3日(水)午後1時きっかり◆◆全国一斉行動:再開のお知らせ◆◆
政治のあまりの酷さに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、呼びかけます。
再開第二回目の12月3日(水)で国会前には、有志が立ちます。そして毎月3日午後1時に繰り返します。
各々の場で、同じ抗議ポスターを、同じ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。
2015年10月 澤地久枝
*「アベ政治をゆるさない」A4ポスターは【アベ政治を許さない(pdf)】でダウンロードしてください。またA3ポスターは「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
・予約番号42066022:A3,白黒:プリント有効期限2015/11/05(1枚20円)
(民守 正義)
0コメント