「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(14)
「戦争法-廃止」と「安倍政権‐打倒」(14)
《「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」から「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」へ》
本ブログ「リベラル広場」では、今まで「第三次安倍改造内閣の発足」を契機に「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」と表し「内閣改造しても内閣評価率・支持率の回復に繋がらないだろう」との予測の下、個別の新閣僚の劣化現象事例紹介も含めて「第三次安倍改造内閣は、むしろ腐蝕の方向にある」ことを伝えてきた。そして今日①「戦争関連法-廃法」の闘いがなお継続・地方拡大している事②「戦争関連法-強行可決(?)」を国民に忘却させるほどの次の「安倍政権人気」を浮上させる政策ステージが、ことごとく空振りしていること(アベノミックスの失敗・TPPの完敗・意味不明な「一億総活躍」・安倍(戦争)総理のウソツキイメージ、等々)③今から来夏「参議院選挙での落選運動等の盛り上がり」等々により、自民党総裁選挙では対立候補がなかったものの、最大の対立候補「リベラル大衆世論・運動」の「アベはヤメロ!」のデモかけ声に代表される「安倍政権退陣要求」が更に強まる可能性が大の様相である。
なお「アベ」は「60年・70年安保闘争やPKO法案反対闘争のように『強行』でも可決してしまえば、後はホトボリが冷める」と言っていたが「25年戦争関連法-反対闘争」は、そこが違う。何故なら国民世論「今国会で決めるべきでない」が70~80%もあったにも関らず、衆・参議院特別委員会とも「強行採決(?)」でゴリ押し、これが「戦争法賛成派」も含めて、余りにも罪深く反発を招いた事。「25年戦争関連法-反対闘争」に呼応した「リベラル大衆世論・運動」には、従来の「労組等、組織動員型」から明らかに市民・学者・女性・若者等々の個々人の自覚的目的意識で参加し盛り上がった事等が「今も継続する25年戦争関連法-反対闘争」となっているのである。
でも「戦争法-廃止」「安倍政権‐打倒」を目指すに管理者=民守は特に大きく二つの事柄に問題意識を感じる。その一つは「戦争法‐廃止」の闘いが、参議院選挙が近づけば近づくほど「選挙闘争」に流し込まれ形骸化するのではないかとの危惧の念である。具体的に言うと、そもそも特に「参議院特別委員会-強行採決(?)」は法的に「採決が可決した」と言い切れるか、法的にも相当に問題が有る。
既稿で論述しているので詳しく述べないが「採決不存在確認訴訟」を提起すれば勝訴の見込みも相当にあり私自身、原告の一人として訴訟検討・準備を進めているが正直、原告団の形成等々で、もう一つ運動側(弁護士団体も含めて)の本気度に心許ない部分もある。しかし本当に「戦争法-廃止」を求めるなら「先ずは選挙に勝って」と選挙運動に逃避するのではなく「今、やれる事は皆、ヤル!」ことが大切なのではないだろうか。 シールズの奥田君なら、どんな御意見をお持ちだろうか?
もう一つの問題意識は「参議院選挙で落選運動」もいいけれど、同時に「安倍政権に替わりうる『リベラル野党』の総結集したリアルな政権構想」を提起しなければ、またぞろ消去法により「安倍政権」が続く事になる。私としては先ずは「リベラル野党の『統一会派名簿』による暫定政権構想(オリーブの木構想)」が望ましいと思うが、これに現に近い構想として共産党の「国民連合政府」構想がある。私としては現出のモデル案である共産党の「国民連合政府」構想に賛同するが、その際、数点の事項について釘を刺したい。その事項は、むしろ民主党に言いたいのだが、一つは「野党なら何でも良い訳ではない。リベラル党派でなければならない」ということだ。その意味で「維新‐松野派」が「リベラル」と言えるのか?
少なくとも「リベラル野党として『統一会派名簿』に入れるなら、既に民主党『岡田』は手を汚したらしいが『国家公務員賃金の削減』等、当該関係団体の意見・了解も得ずに『選挙共闘』の前提として「リベラルから離れた政策協定は締結しない事、または破棄する事」だ。合わせて民主党内部には「日本会議メンバー」が元メンバー(一人)も含めて9人いるらしいが、これら「日本会議メンバー」は「リベラル野党『統一会派名簿』」から除外すべきだ。
更に「日本会議メンバー」でなくとも「細野」らの「共産党:国民連合政府」構想に否定的な民主党国会議員も20人程度、いるらしいが正直「安倍政権が続いても共産党ギライ」を言うのなら、別に「統一会派名簿」に入らない事が直ちに「民主党分裂」になる訳でもないので「個別議員判断」ということで、ほっといておけばいい。ただ特に「政調会長‐細野」に言いたいのだが「共産党:国民連合政府」バスに乗らずに「安倍政権-打倒」の対案があるなら、ぜひ出して欲しい。
少なくともジャーナリスト岩上さんも言っていたが「共産党アレルギー」がある「細野」ら連中には、それなら自分達が現実的対案とする「安倍政権に替わる政権構想」を提起し説明する「重大な!重大な!」責任がある事を強調しておきたい。更に追加忠告として先ず「日本会議メンバー」は大々的に私の運動友好団体等(人権団体・合同労組等)と共に自民・公明以上に「重点落選候補」として大いに宣伝してやる。
もう一つの忠告として「細野」らや「連合労使癒着幹部(特に旧同盟系)」達の「反共イデオロギー」も実態的に解らないでもないが、それ以上に一般市民感覚として「反‐民主アレルギー」の方が、ずっと大きい。その実証が先般の宮城県議会選挙結果だ。
話は元に戻して「安倍第三次改造内閣」が腐蝕の方向にある中で、具体的に「戦争関連法‐廃法」と「安倍政権‐打倒」の二頭を追うプロセスとあり方等について再度「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」を復活して情報提供しながら読者の皆さんと一緒に考えて行きたい。
《「戦争法」は強行可決(?)しても私の人生観は変った〈標題:管理者〉》
10月25日、安全保障関連法に反対する学者の会&SEALDs主催「学術シンポジウム『岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義』」が開催され、大澤まみさん (SEALDs Kansai 立命館大学) が<基調報告>を行った。その内容は本ブログ「リベラル広場」が「戦争関連法‐廃法」と「安倍政権‐打倒」の二頭を追う「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」復活に相応しい【心洗われる、また感動で涙出る内容】だったので、その「スピーチ全文」を掲載する。読者の皆さんも、しんみり読んで欲しい。
<基調報告:大澤まみさん (SEALDs Kansai 立命館大学)>
SEALDsKANSAIからきました立命館大学2回生の大澤茉実といいます。
これだけの学者の先生の後で、何をお話しようかとずっと悩んでいたのですが、学者の先生には学者の先生にしかできない話があるように、目立たない私ですが、私にしかお話しできないこともあると思いますので、今日はそういう話をしたいと思います。(拍手)
SEALDsKANSAI は、SEALDsと同じ日に活動をスタートして、 勉強会と並行しながら地元関西で6月から毎月デモを行い、7月からは毎週金曜日に街宣も行ってきました。同じ街に住んでいても、自分とは違う国籍や経済状況にある人のスピーチは、私に自分とは違う誰かと生きていくことへの想像力をくれました。
もう既に、この街で一緒に生きていたんや、って気づかせてくれました。
それは、誰かに死ねというよりも、自分が明日どう生きていくか語る方がよっぽど未来を変える力を持っていることを教えてくれました。
自民党の改憲草案では、福祉という言葉が利益や秩序という言葉にすり替わりました。
でも私は、もう十分に、その福祉という言葉に、多くの人々の生活や自分自身の権利を想像できるようになったんです。草案では、国家権力を縛るための憲法が、私たちを縛ろうとしていますが、中身のない言葉では、もう私たちを動かすことは出来ません。(拍手)
それは、この夏「心」を持つ私たちが、決して無力なんかじゃないことを知ったからです。この社会には、自己責任という見て見ぬフリ、自分だけを責めることが美化される姿勢、他人を傷つけることで解消する鬱憤や、弱い者に皺寄せの行く「仕方のなさ」が溢れています。常に何かに追い立てられるように、数字で、金で、ノルマで、自分を語ることが求められています。飛び交う言葉には中身がなくなり、それは誰かを傷つけ、言葉で傷ついた人は言葉で傷つけることで自分を守ろうとし ます。その感覚が、私には痛いほどわかります。
私も小さい時から「良い子」を求められてきたからです。先生に気に入られる、空気を読む、長いものに巻かれ、議論を避け、ルールは疑わない。学校に通い続けることが正義、偏差値が高ければ勝ち組。それこそが幸福!
私はいつのまにか、自分の感覚や感情を頼りに行動することが怖くなっていました。
私は、言葉を自分の中に押し込めて、黙ることを覚えました。そうやって、ひたすら教室に、この社会に順応することが普通やと思っていました。
でも、この夏、普通だったことは、どんどん普通じゃなくなりました。
昨日までファッションの話しかしなかった学生が、政治を語り始めた。本とパソコンの前から動かなかった学者が、雨に打たれながら路上に立った。(笑い、拍手)
多くの芸能人がタブーを破り政治的な意見を表明した。
あるサラリーマンは金曜の会社帰りは街宣に立ち寄るようになったし、スピーチを聞いた彼女は通りすぎようとした恋人を引き止めた。
友達は、初めて来たデモで、黙ってプラカードを掲げたし、臆病な私が国会前でマイクを握った。「当たり前」に順応するのではなく、何を「当たり前」にしたいのか、常に思考し行動し続けること、どうやらそれだけが、未来を連れてきてくれるようです。
空気を読んでいては、いつまでも空気は変わらないのです。そのことを、デモをするたび、街宣をするたび、一緒に声をあげる名前も知らない人たちが、その勇気でもって教えてくれました。
武器を持ち、人を殺すことが「普通の国」だというのなら、わたしは、その「普通」を変えたいんです。
私には、私を支えてくれる大切な女の子たちがいます。そのうちの一人が、この間、私が嘘ついて冗談で教えた誕生日に、ない金はたいてホールケーキ買って全力でお祝いしてくれて。私が、私なんかが、生まれてきたことを喜んでくれたんです。嘘の誕生日やったけど、生まれてきてよかったって、生まれてはじめて、あんなに思いました。
私はその子が、本当は行きたかった専門学校を諦めたこと、家庭環境を馬鹿にされたこと、家が安心出来る場所じゃないこと、しんどい時に、しんどいと言われへんこと、その全部を「当たり前」のままになんかしたくない。だから私は、もう絶望という当たり前に慣れてしまうことをやめました。明日からも、その子と生きていきたいからです。
私は、手触りと沈黙を大切にし、私の言葉で私を語り続けます。それが、私にとって唯一のアイデンティティであり、私にとっての"自由"であり、私の反戦の誓いであり、ファシズムとすべての差別に対する私に出来る最大の抵抗だからです。(拍手)
そして誰にもそれを打ち砕くことは出来ない!なぜなら、私の想像力も、私の言葉ひとつひとつの背景にある笑いや涙の経験も、誰にも侵すことは出来ないからです。
私は、ほんの数年前まで新聞の中にだけあった"沖縄"を、"東北"を、こんなにも近くに感じたことはなかった。彼らの息遣いが、怒りの声が、今の私には聞こえます。
そして、原爆ドームの前に立ち尽くすあの人を、杖をついて国会前に足を運び続けるあの人を、弱音を吐けないまま死んでしまった大好きなあの子を、これほど近くに感じた夏はなかった。こんなにも人の温もりを感じた夏はなかった。
こんなにも自分が生きていることを噛み締めた夏はなかった。
私は、戦後70年を迎えるこの国に、世界中で銃声に怯える子どもたちに明るい未来を見せる努力を求めます。貧困大国であると同時に自殺大国でもあるこの国に、安心して命を育める環境を求めます。政治家の一人ひとりに、この国とこの世界に生きる人々の、暮らしや、夢や、命に対する想像力を求めます。
私の言葉を理想論だとか綺麗事や、と笑う人がいるかもしれません。
でも希望も語れなくなったら本当の終わりです。だから、私は明日からも路上に立ちながら大いに理想を語ります、夢を語ります。
それは、そうやって社会を作っていくのが、これからを生きるすべての人に対する私の使命やと思ってるからです。いま、言葉を失い、打ちひしがれ、自分には力がないと思いこまされている全ての人に、過去の私に、その姿を見せなあかんと思っているからです。
生きる希望を見せなあかんと思っているからです。私はもうぜんぶ失ってしまった。国への信頼も、豊かさへの信頼も、自分らしく生きる場所も、搾り取られるように失ってしまった。そして一方で誰かから、それらを奪い取っている。この国のどこかで、第三世界の大地で。私の手の中には、ただ未来だけが残されています。
私はもう、何も奪いたくないし、何も奪わせない。その理想を掲げ続けます。
私の望む未来から安倍政権の退陣を求めます!(拍手)
本を読み、過去に学び、路上に立ち続けましょう。
希望を語り、小さなことをやり続けましょう。それが目の前の「当たり前」の絶望を変えていくことを、歴史が証明しています。
2015 年 10 月 25 日、大澤茉実、私は安全保障関連法に反対し、私と、私の大切な人が生きる社会に、自由と民主主義を求め続けます。(長い拍手)
《「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」から「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」へ》
本ブログ「リベラル広場」では、今まで「第三次安倍改造内閣の発足」を契機に「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」と表し「内閣改造しても内閣評価率・支持率の回復に繋がらないだろう」との予測の下、個別の新閣僚の劣化現象事例紹介も含めて「第三次安倍改造内閣は、むしろ腐蝕の方向にある」ことを伝えてきた。そして今日①「戦争関連法-廃法」の闘いがなお継続・地方拡大している事②「戦争関連法-強行可決(?)」を国民に忘却させるほどの次の「安倍政権人気」を浮上させる政策ステージが、ことごとく空振りしていること(アベノミックスの失敗・TPPの完敗・意味不明な「一億総活躍」・安倍(戦争)総理のウソツキイメージ、等々)③今から来夏「参議院選挙での落選運動等の盛り上がり」等々により、自民党総裁選挙では対立候補がなかったものの、最大の対立候補「リベラル大衆世論・運動」の「アベはヤメロ!」のデモかけ声に代表される「安倍政権退陣要求」が更に強まる可能性が大の様相である。
なお「アベ」は「60年・70年安保闘争やPKO法案反対闘争のように『強行』でも可決してしまえば、後はホトボリが冷める」と言っていたが「25年戦争関連法-反対闘争」は、そこが違う。何故なら国民世論「今国会で決めるべきでない」が70~80%もあったにも関らず、衆・参議院特別委員会とも「強行採決(?)」でゴリ押し、これが「戦争法賛成派」も含めて、余りにも罪深く反発を招いた事。「25年戦争関連法-反対闘争」に呼応した「リベラル大衆世論・運動」には、従来の「労組等、組織動員型」から明らかに市民・学者・女性・若者等々の個々人の自覚的目的意識で参加し盛り上がった事等が「今も継続する25年戦争関連法-反対闘争」となっているのである。
でも「戦争法-廃止」「安倍政権‐打倒」を目指すに管理者=民守は特に大きく二つの事柄に問題意識を感じる。その一つは「戦争法‐廃止」の闘いが、参議院選挙が近づけば近づくほど「選挙闘争」に流し込まれ形骸化するのではないかとの危惧の念である。具体的に言うと、そもそも特に「参議院特別委員会-強行採決(?)」は法的に「採決が可決した」と言い切れるか、法的にも相当に問題が有る。
既稿で論述しているので詳しく述べないが「採決不存在確認訴訟」を提起すれば勝訴の見込みも相当にあり私自身、原告の一人として訴訟検討・準備を進めているが正直、原告団の形成等々で、もう一つ運動側(弁護士団体も含めて)の本気度に心許ない部分もある。しかし本当に「戦争法-廃止」を求めるなら「先ずは選挙に勝って」と選挙運動に逃避するのではなく「今、やれる事は皆、ヤル!」ことが大切なのではないだろうか。 シールズの奥田君なら、どんな御意見をお持ちだろうか?
もう一つの問題意識は「参議院選挙で落選運動」もいいけれど、同時に「安倍政権に替わりうる『リベラル野党』の総結集したリアルな政権構想」を提起しなければ、またぞろ消去法により「安倍政権」が続く事になる。私としては先ずは「リベラル野党の『統一会派名簿』による暫定政権構想(オリーブの木構想)」が望ましいと思うが、これに現に近い構想として共産党の「国民連合政府」構想がある。私としては現出のモデル案である共産党の「国民連合政府」構想に賛同するが、その際、数点の事項について釘を刺したい。その事項は、むしろ民主党に言いたいのだが、一つは「野党なら何でも良い訳ではない。リベラル党派でなければならない」ということだ。その意味で「維新‐松野派」が「リベラル」と言えるのか?
少なくとも「リベラル野党として『統一会派名簿』に入れるなら、既に民主党『岡田』は手を汚したらしいが『国家公務員賃金の削減』等、当該関係団体の意見・了解も得ずに『選挙共闘』の前提として「リベラルから離れた政策協定は締結しない事、または破棄する事」だ。合わせて民主党内部には「日本会議メンバー」が元メンバー(一人)も含めて9人いるらしいが、これら「日本会議メンバー」は「リベラル野党『統一会派名簿』」から除外すべきだ。
更に「日本会議メンバー」でなくとも「細野」らの「共産党:国民連合政府」構想に否定的な民主党国会議員も20人程度、いるらしいが正直「安倍政権が続いても共産党ギライ」を言うのなら、別に「統一会派名簿」に入らない事が直ちに「民主党分裂」になる訳でもないので「個別議員判断」ということで、ほっといておけばいい。ただ特に「政調会長‐細野」に言いたいのだが「共産党:国民連合政府」バスに乗らずに「安倍政権-打倒」の対案があるなら、ぜひ出して欲しい。
少なくともジャーナリスト岩上さんも言っていたが「共産党アレルギー」がある「細野」ら連中には、それなら自分達が現実的対案とする「安倍政権に替わる政権構想」を提起し説明する「重大な!重大な!」責任がある事を強調しておきたい。更に追加忠告として先ず「日本会議メンバー」は大々的に私の運動友好団体等(人権団体・合同労組等)と共に自民・公明以上に「重点落選候補」として大いに宣伝してやる。
もう一つの忠告として「細野」らや「連合労使癒着幹部(特に旧同盟系)」達の「反共イデオロギー」も実態的に解らないでもないが、それ以上に一般市民感覚として「反‐民主アレルギー」の方が、ずっと大きい。その実証が先般の宮城県議会選挙結果だ。
話は元に戻して「安倍第三次改造内閣」が腐蝕の方向にある中で、具体的に「戦争関連法‐廃法」と「安倍政権‐打倒」の二頭を追うプロセスとあり方等について再度「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」を復活して情報提供しながら読者の皆さんと一緒に考えて行きたい。
《「戦争法」は強行可決(?)しても私の人生観は変った〈標題:管理者〉》
10月25日、安全保障関連法に反対する学者の会&SEALDs主催「学術シンポジウム『岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義』」が開催され、大澤まみさん (SEALDs Kansai 立命館大学) が<基調報告>を行った。その内容は本ブログ「リベラル広場」が「戦争関連法‐廃法」と「安倍政権‐打倒」の二頭を追う「『戦争法-廃止』と『安倍政権‐打倒』(続シリーズ)」復活に相応しい【心洗われる、また感動で涙出る内容】だったので、その「スピーチ全文」を掲載する。読者の皆さんも、しんみり読んで欲しい。
<基調報告:大澤まみさん (SEALDs Kansai 立命館大学)>
SEALDsKANSAIからきました立命館大学2回生の大澤茉実といいます。
これだけの学者の先生の後で、何をお話しようかとずっと悩んでいたのですが、学者の先生には学者の先生にしかできない話があるように、目立たない私ですが、私にしかお話しできないこともあると思いますので、今日はそういう話をしたいと思います。(拍手)
SEALDsKANSAI は、SEALDsと同じ日に活動をスタートして、 勉強会と並行しながら地元関西で6月から毎月デモを行い、7月からは毎週金曜日に街宣も行ってきました。同じ街に住んでいても、自分とは違う国籍や経済状況にある人のスピーチは、私に自分とは違う誰かと生きていくことへの想像力をくれました。
もう既に、この街で一緒に生きていたんや、って気づかせてくれました。
それは、誰かに死ねというよりも、自分が明日どう生きていくか語る方がよっぽど未来を変える力を持っていることを教えてくれました。
自民党の改憲草案では、福祉という言葉が利益や秩序という言葉にすり替わりました。
でも私は、もう十分に、その福祉という言葉に、多くの人々の生活や自分自身の権利を想像できるようになったんです。草案では、国家権力を縛るための憲法が、私たちを縛ろうとしていますが、中身のない言葉では、もう私たちを動かすことは出来ません。(拍手)
それは、この夏「心」を持つ私たちが、決して無力なんかじゃないことを知ったからです。この社会には、自己責任という見て見ぬフリ、自分だけを責めることが美化される姿勢、他人を傷つけることで解消する鬱憤や、弱い者に皺寄せの行く「仕方のなさ」が溢れています。常に何かに追い立てられるように、数字で、金で、ノルマで、自分を語ることが求められています。飛び交う言葉には中身がなくなり、それは誰かを傷つけ、言葉で傷ついた人は言葉で傷つけることで自分を守ろうとし ます。その感覚が、私には痛いほどわかります。
私も小さい時から「良い子」を求められてきたからです。先生に気に入られる、空気を読む、長いものに巻かれ、議論を避け、ルールは疑わない。学校に通い続けることが正義、偏差値が高ければ勝ち組。それこそが幸福!
私はいつのまにか、自分の感覚や感情を頼りに行動することが怖くなっていました。
私は、言葉を自分の中に押し込めて、黙ることを覚えました。そうやって、ひたすら教室に、この社会に順応することが普通やと思っていました。
でも、この夏、普通だったことは、どんどん普通じゃなくなりました。
昨日までファッションの話しかしなかった学生が、政治を語り始めた。本とパソコンの前から動かなかった学者が、雨に打たれながら路上に立った。(笑い、拍手)
多くの芸能人がタブーを破り政治的な意見を表明した。
あるサラリーマンは金曜の会社帰りは街宣に立ち寄るようになったし、スピーチを聞いた彼女は通りすぎようとした恋人を引き止めた。
友達は、初めて来たデモで、黙ってプラカードを掲げたし、臆病な私が国会前でマイクを握った。「当たり前」に順応するのではなく、何を「当たり前」にしたいのか、常に思考し行動し続けること、どうやらそれだけが、未来を連れてきてくれるようです。
空気を読んでいては、いつまでも空気は変わらないのです。そのことを、デモをするたび、街宣をするたび、一緒に声をあげる名前も知らない人たちが、その勇気でもって教えてくれました。
武器を持ち、人を殺すことが「普通の国」だというのなら、わたしは、その「普通」を変えたいんです。
私には、私を支えてくれる大切な女の子たちがいます。そのうちの一人が、この間、私が嘘ついて冗談で教えた誕生日に、ない金はたいてホールケーキ買って全力でお祝いしてくれて。私が、私なんかが、生まれてきたことを喜んでくれたんです。嘘の誕生日やったけど、生まれてきてよかったって、生まれてはじめて、あんなに思いました。
私はその子が、本当は行きたかった専門学校を諦めたこと、家庭環境を馬鹿にされたこと、家が安心出来る場所じゃないこと、しんどい時に、しんどいと言われへんこと、その全部を「当たり前」のままになんかしたくない。だから私は、もう絶望という当たり前に慣れてしまうことをやめました。明日からも、その子と生きていきたいからです。
私は、手触りと沈黙を大切にし、私の言葉で私を語り続けます。それが、私にとって唯一のアイデンティティであり、私にとっての"自由"であり、私の反戦の誓いであり、ファシズムとすべての差別に対する私に出来る最大の抵抗だからです。(拍手)
そして誰にもそれを打ち砕くことは出来ない!なぜなら、私の想像力も、私の言葉ひとつひとつの背景にある笑いや涙の経験も、誰にも侵すことは出来ないからです。
私は、ほんの数年前まで新聞の中にだけあった"沖縄"を、"東北"を、こんなにも近くに感じたことはなかった。彼らの息遣いが、怒りの声が、今の私には聞こえます。
そして、原爆ドームの前に立ち尽くすあの人を、杖をついて国会前に足を運び続けるあの人を、弱音を吐けないまま死んでしまった大好きなあの子を、これほど近くに感じた夏はなかった。こんなにも人の温もりを感じた夏はなかった。
こんなにも自分が生きていることを噛み締めた夏はなかった。
私は、戦後70年を迎えるこの国に、世界中で銃声に怯える子どもたちに明るい未来を見せる努力を求めます。貧困大国であると同時に自殺大国でもあるこの国に、安心して命を育める環境を求めます。政治家の一人ひとりに、この国とこの世界に生きる人々の、暮らしや、夢や、命に対する想像力を求めます。
私の言葉を理想論だとか綺麗事や、と笑う人がいるかもしれません。
でも希望も語れなくなったら本当の終わりです。だから、私は明日からも路上に立ちながら大いに理想を語ります、夢を語ります。
それは、そうやって社会を作っていくのが、これからを生きるすべての人に対する私の使命やと思ってるからです。いま、言葉を失い、打ちひしがれ、自分には力がないと思いこまされている全ての人に、過去の私に、その姿を見せなあかんと思っているからです。
生きる希望を見せなあかんと思っているからです。私はもうぜんぶ失ってしまった。国への信頼も、豊かさへの信頼も、自分らしく生きる場所も、搾り取られるように失ってしまった。そして一方で誰かから、それらを奪い取っている。この国のどこかで、第三世界の大地で。私の手の中には、ただ未来だけが残されています。
私はもう、何も奪いたくないし、何も奪わせない。その理想を掲げ続けます。
私の望む未来から安倍政権の退陣を求めます!(拍手)
本を読み、過去に学び、路上に立ち続けましょう。
希望を語り、小さなことをやり続けましょう。それが目の前の「当たり前」の絶望を変えていくことを、歴史が証明しています。
2015 年 10 月 25 日、大澤茉実、私は安全保障関連法に反対し、私と、私の大切な人が生きる社会に、自由と民主主義を求め続けます。(長い拍手)
(民守 正義)
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