「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」(9)
「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」(9)
「抗議文」「要望書」で音声も消えた。安倍政権のテレビへの「コワモテ」は2006~07年の第1次政権から突出していた。「やつらは本当にヤバイ」「一線を越えて手を突っ込んでくる」07年頃、ある民放キー局の経営者から直接聞いた言葉だ。「ヤツラ」とは当時の安倍(戦争)総理と菅義偉総務相の2人。「一線」とはメディアと政治の間に引かれた線だ。
メディアは国民の「知る権利」を背景にした権力監視が〝役割〟。一方、政治はメディアから監視・批判されるのが〝役割〟。歴代の権力者も、この線引きを尊重し領分を弁えてきた。ところが2人は、この線を易々と越え、威圧的に介入しようとする。前述の経営者は「不祥事は起こすな」「起こせば政治家につけ入られる」とも語った。07年、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』での捏造事件をキッカケに菅総務相は放送法改正案を国会に上程。
虚偽放送等の際に再発防止計画を策定させる等、政府が放送局に対し「新たな行政処分」を科す権限強化案だった。マスコミ業界等から反対の声が上がり、放送局側は自ら設立した第三者機関BPO(放送倫理・番組向上機構)の組織改編(新たに放送倫理検証委員会を設置)を決める等で法改正は免れた。しかし安倍・菅ラインが不祥事に乗じて「監督強化」を狙う強烈な印象は関係者の記憶に強く刻まれた。
この時期、菅総務相はNHKの短波ラジオ国際放送に対して「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」と放送法に基づき命令した。
法で認められた権限(管理者は、この「権限」は法令上「?」)とはいえ、具体的な放送内容を指示する命令は前代未聞だった。12年12月、安倍政権は復活した。第1次政権で総務相として放送局に睨みを利かせた「菅」は官房長官として「メディアへの牽制」を行う司令塔になった。組織全体を統制するために「トップの首をスゲカエル」手法で日銀、内閣法制局等のトップに従来の組織内の先例や規範等に拘らない人物を配し、NHKでも籾井勝人氏を会長に就任させた。
籾井氏は会長就任以来、失言等が注目されたが他方、「菅」らが拘る「国際放送の充実」を度々、強調し〝従軍慰安婦〟が「性奴隷」と英訳されて国際放送で放送された事件以降、局内のチェック強化を強めている。
<第2次安倍政権以降に巧妙化する「アメとムチ」>
第2次政権以降で際立つのが、安倍(戦争)総理の単独取材・単独出演を材料に「アメ」と「ムチ」を使いわける手法だ。13年4月に首相は「情報番組」に相次ぎ出演した。
TBSの情報番組『情報7daysニュースキャスター』が先ず単独インタビュー。第1次政権退陣後の苦節の時期に書いたノートや夫人との私生活等が中心で、政策への報道的な質問は少なかった。ニュース番組よりも時間が長く「素顔」に関心が向きがちな「情報番組」を利用する出演戦略だ。首相は日本テレビの情報番組『スッキリ.』にも生出演。スタジオは「一国の首相が来てくれた」という高揚感に包まれた。首相は翌月に迫る長嶋茂雄・松井秀喜両氏の国民栄誉賞授与式での記念品が黄金のバットだと明かし、最後に両手を前に突き出す番組の決めポーズまで披露した。国民栄誉賞の授与式は、プロ野球巨人戦の前の東京ドームで行われた。その直後の野球試合の始球式は投手・松井秀喜、打者・長嶋茂雄、主審・安倍晋三という顔ぶれで行われた。国民栄誉賞の授与という政府行事が特定のマスコミ、読売新聞・日本テレビと関係が深い施設で独占的に実施された。生中継も日テレだけが行った。一部メディアに与えられる「アメ」。これに対して他のメディアから異論も上がらず、メディアの従順化の地ならしが進んだ。だが安倍政権の政治家達の本質は「ムチ」=メディアに対する恫喝だ。報道姿勢が意に沿わないと「偏向」というレッテルを貼りペナルティーを科してくる。
13年6月26日夜のTBS『NEWS23』は通常国会の閉幕を伝えた。首相の参議院予算委欠席で野党側が出した問責決議案が可決。重要法案とされた生活保護法改正案、生活困窮者自立支援法案、電気事業法改正案等が廃案になった事を焦点化して衆参の「ネジレ」を象徴する出来事だと報じた。田村厚労相の「非常に残念」という肉声を使い、発送電分離のシステムを作る電気事業法改正案の可決に期待を寄せていた自然エネルギー財団の大林ミカ氏に 「問責決議案の前に、法案の採決をしようとする動きもあったわけですから結局、与党がそうしなかったというのは、元々システム改革法案を通す気がなかったのかも。非常に残念」とコメントさせた。翌日、自民党はTBSに対し、与党側の言い分を説明せず「著しく公正を欠いた」と抗議文を送る。参院選公示日の7月4日には党幹部への取材・出演拒否を発表。
翌日、TBS報道局長が釈明に赴いたことで「事実上の謝罪があった」と取材・出演拒否を解除したが、第2次政権以降の自民党とテレビ局の力関係を決定づけた。(管理者:これはTBSも悪い。自民党に放送局呼び出し権限はなく無視または文書提出で主張を聴取する毅然とした態度で臨むべきだった)後述する14年総選挙における自民党による主要テレビ局への「中立・公正を求める要望書」は、この〝成功体験〟で自信を深めた安倍自民党 が「事前に釘刺し」したものだ。「要望書」は守らなかった場合はどうするとは書かれず、想像させることで威嚇(暗黙の恫喝)効果があった。刀は実際に抜かない方が相手を萎縮させる効果がある。(管理者:自民党はヤクザか!)
第2次、第3次安倍政権はテレビ各局が何らかの形で政権に対する「気遣い」を見せ、局によって「割り切った報道」に徹した時期だ。顕著だったのがNHKだ。
第2次政権以降、その幹部らさえ首を捻ったのが看板ニュース番組『ニュースウオッチ9』で「安倍首相が話す場面」が異常に長くなったことだった。国会審議や記者会見、ぶら下がりなど、場面は違っても毎晩、首相が話す映像と肉声が放送される。首相だからという理由では理解不能なほど多く長い。各局のニュースを比較して観察する研究者の立場でみても突出した印象だった。不自然な報道も増えた。参院選の公示2日前の13年7月2日『ニュースウオッチ9』は「日米の非公式首脳会談」の映像を独自入手したとして、英国で行われていたG8サミットで安倍(戦争)総理とオバマ大統領が立ち話をする映像を放映した。サミット開催で同時に普通は実施される日米公式00首脳会談が米国側に嫌われたのか実現せず、野党に批判されていた安倍(戦争)総理。「オバマ大統領の信頼」を示す格好のニュースになった。メディアが立ち入れないサミット会場内で撮影された映像のリークであることは一目瞭然であった。14年5月1日の『ニュースウオッチ9』で消費税が5%から8%に上がった1カ月後の景気状況のリポートが放映された。増税でデパート等の売り上げが減少したが「想定内」で「一時的」だと強調する。百貨店や飲食店等で「セレブ志向」「高級路線」を試みたところ、売り上げが伸びたという実例が紹介され「消費増税の影響は限定的で高級路線で売り上げは伸びる」という報道だった。増税によって一番の打撃を受けると言われた「低所得層」をあえて除外した不自然なニュースだった。一方、安倍政権にとって本丸の政策、特定秘密保護法、憲法改正、原発再稼働、集団的自衛権、「戦争法案」を巡る問題では、NHKのニュースでは主に用語の説明や政権の意図の解説に終始し、法案や政策の中身を懸念する主張を入れる場合にも識者の声を登場させず、政党関係者の声に限って使うという「政治部報道」に徹している。
自らの調査・取材で問題点を指摘せず、各政党の主張を並べる「割り切った報道」だった。
これでは視聴者には複雑な問題が解りにくい。NHKのニュース番組を見ても視聴者には問題の本質や論点がよく解らない状態が続いている。特定秘密保護法や「戦争法案」等、政権が想定する状態が複雑になれば、なるほど「情報監視審査会」「独立公文書管理監」「グレーゾーン事態」「武力攻撃事態」「存立危機事態」等の耳慣れない用語が登場し、その解説で報道の大半が終わってしまう。「アベ」は全てのメディアの経営者らと頻繁に会食を繰り返し、また様々な報道をチェックし官邸詰めの記者らを通じてクレームや注文を伝える等、今や事実上「報道の自由」は殆ど形骸化している。
<後藤健二さん殺害のニュースで「政治部的な報道」>
まるで安倍政権と一体化したような報道では?と感じたのは15年2月1日のNHK『ニュース7』だった。その早朝に飛び込んだフリージャーナリスト後藤健二さん殺害の報。テロ組織「IS」の人質だった彼の殺害がネット上で確認され、関係者の悲しみの声など放送した後で「政治部の岩田明子記者」が生出演した。彼女は「政府は後藤さんの解放に全力を挙げてきた」と政権の努力を伝え、首相とヨルダンのアブドラ国王との首脳同士の信頼関係が背景にあってヨルダン人パイロットを絡めた解放交渉ができたと解説した。
国家安全保障会議(日本版NSC)を設置したことで各国の情報機関からも詳細な情報が得られたと政権内部の自己評価を紹介、安倍政権の危機対応体制が機能したことを強調した。
戦争で傷つく子供の姿を伝えてきた後藤さんの最期を「日本人の安全対策やテロ対策に万全を」「政府としては国際社会と連携してテロとの戦いに取り組む」など、政治の言葉で絡め取る報道姿勢には強い違和感を抱いた。「政治部の岩田明子記者」は首相の訪米や戦後70年談話等の「節目」でNHKが、ここぞとばかり登場させる。政権の「意図」や「狙い」安倍(戦争)総理の「思い」を解説する役割が多く、首相の代弁役に徹する立ち位置のように思われる。(管理者:最近では10/3「ISによる邦人(星さん)殺害」事件も「戦争関連法」犠牲者第1号であることから安倍政権に気を使い、その後、全く継続報道していない。
実際、星さんの遺体引き取りも含めて政府としては「ホッタラカシ」らしい。「アベ」は何が「テロから日本人を守る」だ!ウソツキ!)14年11月18日、衆院解散と総選挙実施を決めた夜、安倍(戦争)総理はTBS『NEWS23』に生出演した。途中で挿入された街頭インタビューのVTRはアベノミクスの効果を感じるかを問うもので「感じない」という声がやや多かったが「これ全然、声が反映されていません。おかしいじゃありませんか」と首相は声を荒らげた。
2日後の11月20日。自民党はNHKと民放キー局に対して、選挙報道の公正中立を求める「要望書」を提出した。4項目と細かい点にまで公正中立を求めていた事が特徴的だった。
4項目とは(1)出演者の発言回数や時間(2)ゲスト出演者の選定(3)テーマ選び(4)街頭インタビュー、資料映像の使い方だ。(管理者:こんな要望を出す事自体、権限外で思い上がりだ)
<自民党による「要望書」の効果?テレビに起きた「異変」>
要望書で報道は影響を受けたのか。筆者は14年の総選挙の投票前のNHK及び民放キー局の報道番組・情報番組、全てを録画し検証した。12年の総選挙では報道番組・情報番組について放送データや視聴記録が残っているものを利用して比較した。解散前、解散後で公示前、公示後で投票日前の選挙期間中という3期間の放送で12年と14年を比べてみると、いくつかの「異変」があることが判明した。
【異変その1消えた「街頭インタビュー」】
テレビにとって「街頭インタビュー」は人々の感じ方や考え方、流行等を伝える大事なツールだ。情報番組では「貴方の弁当にまつわるエピソード は?」「いざ勝負の時、貴方のゲン担ぎは?」等の声を集めた面白企画があるほど「街頭インタビュー」はテレビの武器でもある。ところが14年の総選挙では自民党の「要望書」が出された後、街頭インタビュー(被災地の声等、無差別に一般市民の声を収録したもの)は、一部のテレビ局や一部の番組を除き多くの番組で姿を消した。典型例が日本テレビだ。日テレは12年の総選挙では情報番組『スッキリ.』と報道番組『NEWS ZERO』で街頭インタビューを使っていたが、14年は系列の読売テレビが制作する『情報ライブ-ミヤネ屋』を除いて自局制作の番組で街頭インタビューを一切使っていない。
【異変その2「資料映像」の使用も消極的に】
テレビの人間以外には解りにくいが「資料映像」とは特定の日付で撮影された過去映像を「一般的な表現」として用いる際の呼び方だ。例えば自衛隊の訓練の様子を撮影した映像を、防衛予算等のニュースで使用する場合が該当する。また過去の映像全般を指す場合もある。
14年の選挙報道においては一般的な「農業」についてのテーマで農作業風景「防衛」のテーマで海上自衛隊の艦艇等、一般的な資料映像の使用は数えるほどだった。政治とカネで辞任した元閣僚(小渕優子元経産相)の過去映像(辞任会見で頭を下げる場面)を本人が候補で出馬する「選挙区情勢」で使った例が群馬5区の報道であった程度。だが石原環境相(当時)の「最後は金目でしょ」発言や松島法相(当時)の「うちわ」問題、宮沢経産相 (当時)の「政治活動費でSMバー」問題、江渡防衛相(当時)の疑惑が指摘された収支報告を巡る過去映像は殆ど登場しなかった。自民党にとって不利と思われる過去映像の使用が意識的に控えられた印象がある。また過去映像では12年の解散総選挙の引き金を引いた与党・野田佳彦vs.野党・安倍晋三の党首討論も使用が注目された。消費税を上げる前に国会議員の定数是正を自民党・安倍総裁が約束するのと引き換えに解散総選挙実施を野田首相が表明した場面だが、自民党政権の下で、その後も定数是正が実現していない〝約束違反〟を示す重要な「資料映像」でもある。「要望書」が出る前はテレビ朝日の情報番組が一度、使用した例があったものの「要望書」の後はキー局で使った局はない。日テレ系では読売テレビが制作する『ウェークアップ!ぷらす』が一度、使ったが日テレそのものは使っていない。
麻生副首相が選挙期間中にした「高齢者よりも子供を産まない人の方が問題だ」「この2年間で利益を出していない企業は…経営者に能力がないから」との発言もニュースになったが、遡って過去の問題発言の「資料映像」を使う番組もなかった。総選挙で「政策」の報道はどうだったか。「報道番組」では12年総選挙では日テレ『NEWS every.』が「原発ゼロで暮らしは?」と各党の主張を並べ、テレ朝『報道ステーションSUNDAY』が「『続原発』『脱原発』『卒原発』その先の日本は?」の特集で経団連等の主張も紹介。フジ『新報道2001』が「〝脱〟〝卒〟〝フェードアウト〟乱立『脱原発』の本気度」を放送。
どの局も「原発」 「復興」「TPP」の政策を扱っていた。
【異変その3情報番組で消えた「政策報道」】
ところが14年にはNHKのニュース番組の他は「政策」毎にシリーズで放送したのは民放ではテレ朝『報道ステ』『Jチャン』、TBS『NEWS23』『Nスタ』だけだった。「情報番組」も12年の総選挙では(「乱!総選挙2012」等)統一キャッチフレーズでシリーズ放送した番組はTBS『みのもんたの朝ズバッ!』『ひるおび!』テレ朝『モーニングバード!』『ワイド!スクランブル』日テレ(読売テレビ制作)『情報ライブ-ミヤネ屋』等、多かった。群を抜いていたのがフジ『とくダネ!』で選挙期間中ほぼ毎日、政策についてのシリーズ「総選挙SPニッポンの選択」を放送。TPP、原発、地方再生、消費税、子育て支援等のテーマで「賛成」「反対」に分かれて主張を展開した。「ジャーナリズム性が高い」と評価され、ギャラクシー賞月間賞にも選ばれている。それが14年総選挙では「政策」シリーズばかりか選挙に関連した特集そのものが、あらゆる「情報番組」から消えた。
【異変その4消えた「政治家同士の討論」】
12年は「情報番組」で生放送での政治家の討論コーナーが多かったが、14年には全ての「情報番組」で前述のように選挙特集そのものがなくなった。「報道番組」でも12年の公示前にはニュース番組で「与党・民主党の幹部vs.野党・自民党の幹部」という組み合わせで小さな政党を除いた討論コーナーが数多くあった。しかし14年は「全政党による党首討論」スタイルばかりになった。多政党乱立で一言ずつ言いっ放しで終わり充実した議論ができない。コーナーの数も著しく減り、各番組で1回ずつやる程度で終わった。
分析すると街頭インタビューが激減し、情報番組では選挙特集自体が消える等、12年総選挙と比べ14年総選挙での衰退ぶりは明らかだ。ただ、 それが「要望書」による影響かどうかは証明が困難だ。「選挙に関する視聴者の関心が低く、視聴率を取れないので扱わなかった」(司会者の田原総一朗氏)という声がある一方「街頭インタビューは使わないようにとの指示が上層部からあった」(キー局報道局記者)との声もある。街頭インタビューは「国民の感じ方」を伝えるために普段から使用されるテレビの重要なツールである。「資料映像」の使用も過去の出来事を視覚的に想起させる強みを持つ手法だ。
「生放送での討論」も「テレビの強み」だが、14年にはそろって姿を消した。各局が総選挙の報道で「テレビらしさ」を放棄した格好だ。
第1次安倍政権でテレビ局の不祥事に乗じて介入強化を目論んだ姿勢は第2次、第3次政権で、さらに露骨になった。15年3月27日にテレビ朝日『報道ステーション』でのコメンテーター・古賀茂明氏による「菅官房長官を始め、官邸から凄いバッシングを受けてきた」という爆弾発言がキッカケになり、テレビ朝日が標的になった。菅官房長官は後の記者会見で「全くの事実無根」としながらも「放送法という法律があるので、先ずテレビ局が、どう対応されるのかを見守りたい」と発言。総務相時代の対応を振り返れば「放送法」を強調する意味は明白だった。菅氏同様に総務相の経験がある佐藤国会対策委員長はテレ朝幹部を個別に呼んで説明させた。テレビ朝日は再発防止策をまとめて発表した。(管理者:先ず「スガ」の官邸圧力「全くの事実無根」こそ虚偽で当該放送中に「古賀を黙らせろ!」との電話が官邸(おそらく「スガ」本人)から入った事は複数のスタッフが聞き及んでいる。それから放送法と憲法の「表現の自由」更には「放送事業者許認可審査事項」に照合しても「古賀さんの『官邸圧力』発言」位で放送事業者免許取り消しを行う事はできず、仮に政府-総務省が強行取り消ししても裁判で、ほぼ100%総務省が敗訴する事は間違いない。問題はテレビ朝日が、そこまで政府権力と対抗して「報道の自由」を守る気概があるかだ。今のように「アベ」と早河会長が「夜の会食」で「癒着・視聴者裏切り」しているようでは話にならない)
4月17日、自民党の情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚労相)はテレビ朝日の幹部を呼びつけて「聴取」を行った。この「聴取」にはNHKの幹部も呼びつけられた。(管理者:「呼びつけ」の権限も無いのにー。応じる放送局幹部も癒着か魂のウリか)この時期、NHKは看板報道番組の『クローズアップ現代』(追跡〝出家詐欺〟~狙われる宗教法人~)の「やらせ疑惑」を週刊誌で追及され、外部委員も交えた調査委員会の調査報告をまとめていた。この流れを受けて自民党の有力な総務族議員からは「BPOの組織を改編して規制を強化」「政府がBPOに関与」等の議論が出されている。
BPOはNHKと日本民間放送連盟が共同出資で運営する組織で、法律が定める組織ではない。これまで第三者委員会方式で個別の事案を審議。勧告・意見等を出して各放送局が自主的に再発防止に努める助言を行ってきた。(管理者:つまりメデイア・報道機関の「国家統制」をしたいのね♭自民党の単純発想!)
ところが自民党の一部議員の「改革案」では、これを法律で担保された組織に格上げし政府によるBPO委員の任命や官僚(またはその出身者)の就任等の案も出ている。
BPOは放送局による放送倫理違反や人権侵害等を議論する現在、唯一の組織だが、その審議においては放送局側の「自主的な協力」で「番組の提供」 や「制作者の聞き取り」が行われている。BPOは強制力を持たず局には法律上その意見に従う義務もない。是非を判断する委員達は弁護士、大学の研究者らが中心で放送や報道の実務を経験していない人も多い。それ故、現場から見れば現実離れした意見が出ることもあり、丁寧に判断して欲しいと思う場面も少な くない。与党議員の「改革案」の背景にはBPOが、いくら介入してもテレビの不祥事は、なくならないという国民の不満がある。(管理者:確かに民放局の誤報道クレームにも何の連絡・訂正放送もしない横着番組も多い。特に「ちちん・ぷいぷい」等)
他方、政府がBPOを直接統制する仕組みにすると政権の恣意的な運用になりかねない。
6月に起きた自民党勉強会での「報道圧力」発言は、報道機関の自主性を尊重せず権力的な介入を志向する議員が相当数いることを明らかにした。報道機関を「懲らしめるには広告収入をなくすのが一番。経団連に頼んでス ポンサーを降ろさせてしまえばいい」等の発言は政治とメディアの「一線」への無理解を示している。この「報道圧力」発言にニュースキャスターらも反発し新聞協会、民放連等も危機感を表明した。だが、この「政治の本音」は今後も底流に残るだろう。(管理者:自民党は何故、こんなに単純バカなのだろう)
筆者は「BPO改革」と「報道圧力」が連動するのを恐れる。これまで放送に関してはBPOが防波堤になり、権力が放送に直接「手を突っ込む」のを、くい止めてきた。たが国民に、その存在意義が理解されているとは言いがたい。BPOと放送業界には、不祥事の再発防止で、もっと効果的で厳しさを伴う仕組みに変える努力が求められる。また政府から独立した第三者機関が審査する現システムの意義を、もっとアピールしてほしい。
(管理者:管理者はBPOを、より視聴者参加型の第三者機関に見直して欲しい)
<「音」消しなど「テレビらしさの放棄」が進んでいる>
戦後70年を迎えたこの夏、テレビで何度か「音」が消された。沖縄戦での戦没者を弔う「慰霊の日」の追悼式典では安倍(戦争)総理に対して出席者から投げかけられた罵声も、NHKや幾つかの民放のニュースで音声を聞かせない編集が行われた。「戦争法案」の国会審議で安倍(戦争)総理が複数回、飛ばしたヤジも音声を消し、ヤジ行為そのものを伝えない等「不自然さ」が目につく。ヤジは映像なら状況や発話者の品性まで伝わるが、もし音を消したら悪質さの度合い等は伝わらない。(管理者:それにしても「アベ」と「夜の会食」友達でも、何故「ヤジ音消し」まで気を使うのか、相手が「アベ」ごとき愚か者だけに解らない。メディアが結束すれば「アベ」ごときが、そんなに政治力も知恵もあると思えないのだがー)
「戦争法案」が強行採決(?)された衆院特別委の質疑もNHKは中継しなかった。NHKは「各党、各会派が揃って委員会の質疑に応じるのが決まったのは当日の委員会直前の理事会であり、質疑を中継する準備が間に合わなかった。採決の模様は定時ニュースを拡大させて伝えた他、当日のニュース番組でも詳しく伝えている」と説明。「ニュースと異なりNHKの国会中継は、各会派が揃った上で平等に、きちんとした発言の機会が与えられることが大前提」とする。だが災害も大事件も我先に中継するNHKが、ケーブルやカメラ等が常設された国会で中継の準備が間に合わないとは信じ難い。「戦争法案」では憲法学者が相次ぎ「違憲」表明した衆院特別委での参考人招致や「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎首相補佐官の参院特別委での参考人招致も国会中継されなかった。NHKが放送せず視聴者は「放送」で〝生中継〟を見ることができなかった。
代わりに注目されたのはフジテレビのネット上の映像ニュースサイト「ホウドウキョク」だ。衆院特別委の採決や礒崎補佐官の招致を、ほぼ全編〝生中継〟し、いつも以上のPV数を稼いだ。「放送」や「NHK」に期待する視聴者は減り、ネットに逃げていく。政治的な問題には最大の強みである「生放送00」をせず「音」を聞かせず「過去映像」「街頭インタビュー」も避けるテレビ。「強み」を自ら放棄する現状は自殺行為といえる。
テレビニュースでは、局によっては与党の意図を代弁し与党が描く結果を先取りするような伝え方は枚挙にいとまがない。13年7月の参議院選挙の投票日当日の朝のNHKニュースは「ネジレが解消されるかどうかが焦点になっている参議院選挙」というリード文をつけた。「ネジレは解消すべきもの」という世論誘導と受け取られかねないため、こうした「リード文」を避ける報道機関がある中でのリード文だった。「与党の思惑」に呼応するかのような報道姿勢が他局でも目につく。15年7月「戦争法案」が衆院本会議を通過した際に「これで安保法案の成立は確実とみられる」「確実になった」等と一報のニュースで報じたテレビ局もあった。参議院での廃案や60日以内に参院で成立しない場合に衆院で3分の2以上の多数で再可決すれば成立する「衆院の優越」を踏まえての報道で、確かに「解説」としては問題ない。しかし「本記ニュース」に入れるのが適切かどうかは微妙だ。「もう決まったこと」「何をしても変わらない」というメッセー ジを広く伝えることにもなりかねないからだ。(管理者:そうだ!私も複数のテレビ局にクレームを入れた)
「戦後70年談話」が発表された8月14日、NHK『ニュース7』では「政治部の岩田明子記者」が再び登場した。彼女は首相が「戦争法制」成立を約束した訪米にも同行して「首相の思い」を伝えたが、安倍(戦争)総理の重要案件の会見等で「政権の考え」「首相の思い」を代弁し、この夜もその代弁役に徹しているように感じられた。その2時間後の『ニュースウオッチ9』には安倍(戦争)総理自身が生出演、談話について自ら解説した。この日のNHKニュースは「首相の思い」 を伝える時間が長く、一方で批判的な視点は欠落したような報道になった。2015年9月現在、国会周辺では「戦争法案」が違憲だとして反対する集会やデモが連日開かれている。若者、主婦、弁護士、大学教員らが各々、何百人単位で意見表明を行い、法案の行方を見守っている。
様々な団体が一堂に会する場である学者が「報道は、どこにいる?」と疑問を投げかけたことがネットで話題になった。「報道が見えない」「報道はいないのか」という問いかけだった。安倍政権で「報道」が消えつつある。特にテレビ報道は強みを発揮できず機能不全だ。政治との「一線」はどうあるべきで「テレビの強み」「らしさ」は何なのか。もう手遅れかもしれないが、一度立ち止まって考えてみてほしい。(『Journalism』10月号/管理者一部編集)
《テレビ報道の〝強み〟を封じた安倍自民》
「抗議文」「要望書」で音声も消えた。安倍政権のテレビへの「コワモテ」は2006~07年の第1次政権から突出していた。「やつらは本当にヤバイ」「一線を越えて手を突っ込んでくる」07年頃、ある民放キー局の経営者から直接聞いた言葉だ。「ヤツラ」とは当時の安倍(戦争)総理と菅義偉総務相の2人。「一線」とはメディアと政治の間に引かれた線だ。
メディアは国民の「知る権利」を背景にした権力監視が〝役割〟。一方、政治はメディアから監視・批判されるのが〝役割〟。歴代の権力者も、この線引きを尊重し領分を弁えてきた。ところが2人は、この線を易々と越え、威圧的に介入しようとする。前述の経営者は「不祥事は起こすな」「起こせば政治家につけ入られる」とも語った。07年、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』での捏造事件をキッカケに菅総務相は放送法改正案を国会に上程。
虚偽放送等の際に再発防止計画を策定させる等、政府が放送局に対し「新たな行政処分」を科す権限強化案だった。マスコミ業界等から反対の声が上がり、放送局側は自ら設立した第三者機関BPO(放送倫理・番組向上機構)の組織改編(新たに放送倫理検証委員会を設置)を決める等で法改正は免れた。しかし安倍・菅ラインが不祥事に乗じて「監督強化」を狙う強烈な印象は関係者の記憶に強く刻まれた。
この時期、菅総務相はNHKの短波ラジオ国際放送に対して「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」と放送法に基づき命令した。
法で認められた権限(管理者は、この「権限」は法令上「?」)とはいえ、具体的な放送内容を指示する命令は前代未聞だった。12年12月、安倍政権は復活した。第1次政権で総務相として放送局に睨みを利かせた「菅」は官房長官として「メディアへの牽制」を行う司令塔になった。組織全体を統制するために「トップの首をスゲカエル」手法で日銀、内閣法制局等のトップに従来の組織内の先例や規範等に拘らない人物を配し、NHKでも籾井勝人氏を会長に就任させた。
籾井氏は会長就任以来、失言等が注目されたが他方、「菅」らが拘る「国際放送の充実」を度々、強調し〝従軍慰安婦〟が「性奴隷」と英訳されて国際放送で放送された事件以降、局内のチェック強化を強めている。
<第2次安倍政権以降に巧妙化する「アメとムチ」>
第2次政権以降で際立つのが、安倍(戦争)総理の単独取材・単独出演を材料に「アメ」と「ムチ」を使いわける手法だ。13年4月に首相は「情報番組」に相次ぎ出演した。
TBSの情報番組『情報7daysニュースキャスター』が先ず単独インタビュー。第1次政権退陣後の苦節の時期に書いたノートや夫人との私生活等が中心で、政策への報道的な質問は少なかった。ニュース番組よりも時間が長く「素顔」に関心が向きがちな「情報番組」を利用する出演戦略だ。首相は日本テレビの情報番組『スッキリ.』にも生出演。スタジオは「一国の首相が来てくれた」という高揚感に包まれた。首相は翌月に迫る長嶋茂雄・松井秀喜両氏の国民栄誉賞授与式での記念品が黄金のバットだと明かし、最後に両手を前に突き出す番組の決めポーズまで披露した。国民栄誉賞の授与式は、プロ野球巨人戦の前の東京ドームで行われた。その直後の野球試合の始球式は投手・松井秀喜、打者・長嶋茂雄、主審・安倍晋三という顔ぶれで行われた。国民栄誉賞の授与という政府行事が特定のマスコミ、読売新聞・日本テレビと関係が深い施設で独占的に実施された。生中継も日テレだけが行った。一部メディアに与えられる「アメ」。これに対して他のメディアから異論も上がらず、メディアの従順化の地ならしが進んだ。だが安倍政権の政治家達の本質は「ムチ」=メディアに対する恫喝だ。報道姿勢が意に沿わないと「偏向」というレッテルを貼りペナルティーを科してくる。
13年6月26日夜のTBS『NEWS23』は通常国会の閉幕を伝えた。首相の参議院予算委欠席で野党側が出した問責決議案が可決。重要法案とされた生活保護法改正案、生活困窮者自立支援法案、電気事業法改正案等が廃案になった事を焦点化して衆参の「ネジレ」を象徴する出来事だと報じた。田村厚労相の「非常に残念」という肉声を使い、発送電分離のシステムを作る電気事業法改正案の可決に期待を寄せていた自然エネルギー財団の大林ミカ氏に 「問責決議案の前に、法案の採決をしようとする動きもあったわけですから結局、与党がそうしなかったというのは、元々システム改革法案を通す気がなかったのかも。非常に残念」とコメントさせた。翌日、自民党はTBSに対し、与党側の言い分を説明せず「著しく公正を欠いた」と抗議文を送る。参院選公示日の7月4日には党幹部への取材・出演拒否を発表。
翌日、TBS報道局長が釈明に赴いたことで「事実上の謝罪があった」と取材・出演拒否を解除したが、第2次政権以降の自民党とテレビ局の力関係を決定づけた。(管理者:これはTBSも悪い。自民党に放送局呼び出し権限はなく無視または文書提出で主張を聴取する毅然とした態度で臨むべきだった)後述する14年総選挙における自民党による主要テレビ局への「中立・公正を求める要望書」は、この〝成功体験〟で自信を深めた安倍自民党 が「事前に釘刺し」したものだ。「要望書」は守らなかった場合はどうするとは書かれず、想像させることで威嚇(暗黙の恫喝)効果があった。刀は実際に抜かない方が相手を萎縮させる効果がある。(管理者:自民党はヤクザか!)
<「不自然さ」が増えたNHKのニュース>
第2次、第3次安倍政権はテレビ各局が何らかの形で政権に対する「気遣い」を見せ、局によって「割り切った報道」に徹した時期だ。顕著だったのがNHKだ。
第2次政権以降、その幹部らさえ首を捻ったのが看板ニュース番組『ニュースウオッチ9』で「安倍首相が話す場面」が異常に長くなったことだった。国会審議や記者会見、ぶら下がりなど、場面は違っても毎晩、首相が話す映像と肉声が放送される。首相だからという理由では理解不能なほど多く長い。各局のニュースを比較して観察する研究者の立場でみても突出した印象だった。不自然な報道も増えた。参院選の公示2日前の13年7月2日『ニュースウオッチ9』は「日米の非公式首脳会談」の映像を独自入手したとして、英国で行われていたG8サミットで安倍(戦争)総理とオバマ大統領が立ち話をする映像を放映した。サミット開催で同時に普通は実施される日米公式00首脳会談が米国側に嫌われたのか実現せず、野党に批判されていた安倍(戦争)総理。「オバマ大統領の信頼」を示す格好のニュースになった。メディアが立ち入れないサミット会場内で撮影された映像のリークであることは一目瞭然であった。14年5月1日の『ニュースウオッチ9』で消費税が5%から8%に上がった1カ月後の景気状況のリポートが放映された。増税でデパート等の売り上げが減少したが「想定内」で「一時的」だと強調する。百貨店や飲食店等で「セレブ志向」「高級路線」を試みたところ、売り上げが伸びたという実例が紹介され「消費増税の影響は限定的で高級路線で売り上げは伸びる」という報道だった。増税によって一番の打撃を受けると言われた「低所得層」をあえて除外した不自然なニュースだった。一方、安倍政権にとって本丸の政策、特定秘密保護法、憲法改正、原発再稼働、集団的自衛権、「戦争法案」を巡る問題では、NHKのニュースでは主に用語の説明や政権の意図の解説に終始し、法案や政策の中身を懸念する主張を入れる場合にも識者の声を登場させず、政党関係者の声に限って使うという「政治部報道」に徹している。
自らの調査・取材で問題点を指摘せず、各政党の主張を並べる「割り切った報道」だった。
これでは視聴者には複雑な問題が解りにくい。NHKのニュース番組を見ても視聴者には問題の本質や論点がよく解らない状態が続いている。特定秘密保護法や「戦争法案」等、政権が想定する状態が複雑になれば、なるほど「情報監視審査会」「独立公文書管理監」「グレーゾーン事態」「武力攻撃事態」「存立危機事態」等の耳慣れない用語が登場し、その解説で報道の大半が終わってしまう。「アベ」は全てのメディアの経営者らと頻繁に会食を繰り返し、また様々な報道をチェックし官邸詰めの記者らを通じてクレームや注文を伝える等、今や事実上「報道の自由」は殆ど形骸化している。
<後藤健二さん殺害のニュースで「政治部的な報道」>
まるで安倍政権と一体化したような報道では?と感じたのは15年2月1日のNHK『ニュース7』だった。その早朝に飛び込んだフリージャーナリスト後藤健二さん殺害の報。テロ組織「IS」の人質だった彼の殺害がネット上で確認され、関係者の悲しみの声など放送した後で「政治部の岩田明子記者」が生出演した。彼女は「政府は後藤さんの解放に全力を挙げてきた」と政権の努力を伝え、首相とヨルダンのアブドラ国王との首脳同士の信頼関係が背景にあってヨルダン人パイロットを絡めた解放交渉ができたと解説した。
国家安全保障会議(日本版NSC)を設置したことで各国の情報機関からも詳細な情報が得られたと政権内部の自己評価を紹介、安倍政権の危機対応体制が機能したことを強調した。
戦争で傷つく子供の姿を伝えてきた後藤さんの最期を「日本人の安全対策やテロ対策に万全を」「政府としては国際社会と連携してテロとの戦いに取り組む」など、政治の言葉で絡め取る報道姿勢には強い違和感を抱いた。「政治部の岩田明子記者」は首相の訪米や戦後70年談話等の「節目」でNHKが、ここぞとばかり登場させる。政権の「意図」や「狙い」安倍(戦争)総理の「思い」を解説する役割が多く、首相の代弁役に徹する立ち位置のように思われる。(管理者:最近では10/3「ISによる邦人(星さん)殺害」事件も「戦争関連法」犠牲者第1号であることから安倍政権に気を使い、その後、全く継続報道していない。
実際、星さんの遺体引き取りも含めて政府としては「ホッタラカシ」らしい。「アベ」は何が「テロから日本人を守る」だ!ウソツキ!)14年11月18日、衆院解散と総選挙実施を決めた夜、安倍(戦争)総理はTBS『NEWS23』に生出演した。途中で挿入された街頭インタビューのVTRはアベノミクスの効果を感じるかを問うもので「感じない」という声がやや多かったが「これ全然、声が反映されていません。おかしいじゃありませんか」と首相は声を荒らげた。
2日後の11月20日。自民党はNHKと民放キー局に対して、選挙報道の公正中立を求める「要望書」を提出した。4項目と細かい点にまで公正中立を求めていた事が特徴的だった。
4項目とは(1)出演者の発言回数や時間(2)ゲスト出演者の選定(3)テーマ選び(4)街頭インタビュー、資料映像の使い方だ。(管理者:こんな要望を出す事自体、権限外で思い上がりだ)
<自民党による「要望書」の効果?テレビに起きた「異変」>
要望書で報道は影響を受けたのか。筆者は14年の総選挙の投票前のNHK及び民放キー局の報道番組・情報番組、全てを録画し検証した。12年の総選挙では報道番組・情報番組について放送データや視聴記録が残っているものを利用して比較した。解散前、解散後で公示前、公示後で投票日前の選挙期間中という3期間の放送で12年と14年を比べてみると、いくつかの「異変」があることが判明した。
【異変その1消えた「街頭インタビュー」】
テレビにとって「街頭インタビュー」は人々の感じ方や考え方、流行等を伝える大事なツールだ。情報番組では「貴方の弁当にまつわるエピソード は?」「いざ勝負の時、貴方のゲン担ぎは?」等の声を集めた面白企画があるほど「街頭インタビュー」はテレビの武器でもある。ところが14年の総選挙では自民党の「要望書」が出された後、街頭インタビュー(被災地の声等、無差別に一般市民の声を収録したもの)は、一部のテレビ局や一部の番組を除き多くの番組で姿を消した。典型例が日本テレビだ。日テレは12年の総選挙では情報番組『スッキリ.』と報道番組『NEWS ZERO』で街頭インタビューを使っていたが、14年は系列の読売テレビが制作する『情報ライブ-ミヤネ屋』を除いて自局制作の番組で街頭インタビューを一切使っていない。
【異変その2「資料映像」の使用も消極的に】
テレビの人間以外には解りにくいが「資料映像」とは特定の日付で撮影された過去映像を「一般的な表現」として用いる際の呼び方だ。例えば自衛隊の訓練の様子を撮影した映像を、防衛予算等のニュースで使用する場合が該当する。また過去の映像全般を指す場合もある。
14年の選挙報道においては一般的な「農業」についてのテーマで農作業風景「防衛」のテーマで海上自衛隊の艦艇等、一般的な資料映像の使用は数えるほどだった。政治とカネで辞任した元閣僚(小渕優子元経産相)の過去映像(辞任会見で頭を下げる場面)を本人が候補で出馬する「選挙区情勢」で使った例が群馬5区の報道であった程度。だが石原環境相(当時)の「最後は金目でしょ」発言や松島法相(当時)の「うちわ」問題、宮沢経産相 (当時)の「政治活動費でSMバー」問題、江渡防衛相(当時)の疑惑が指摘された収支報告を巡る過去映像は殆ど登場しなかった。自民党にとって不利と思われる過去映像の使用が意識的に控えられた印象がある。また過去映像では12年の解散総選挙の引き金を引いた与党・野田佳彦vs.野党・安倍晋三の党首討論も使用が注目された。消費税を上げる前に国会議員の定数是正を自民党・安倍総裁が約束するのと引き換えに解散総選挙実施を野田首相が表明した場面だが、自民党政権の下で、その後も定数是正が実現していない〝約束違反〟を示す重要な「資料映像」でもある。「要望書」が出る前はテレビ朝日の情報番組が一度、使用した例があったものの「要望書」の後はキー局で使った局はない。日テレ系では読売テレビが制作する『ウェークアップ!ぷらす』が一度、使ったが日テレそのものは使っていない。
麻生副首相が選挙期間中にした「高齢者よりも子供を産まない人の方が問題だ」「この2年間で利益を出していない企業は…経営者に能力がないから」との発言もニュースになったが、遡って過去の問題発言の「資料映像」を使う番組もなかった。総選挙で「政策」の報道はどうだったか。「報道番組」では12年総選挙では日テレ『NEWS every.』が「原発ゼロで暮らしは?」と各党の主張を並べ、テレ朝『報道ステーションSUNDAY』が「『続原発』『脱原発』『卒原発』その先の日本は?」の特集で経団連等の主張も紹介。フジ『新報道2001』が「〝脱〟〝卒〟〝フェードアウト〟乱立『脱原発』の本気度」を放送。
どの局も「原発」 「復興」「TPP」の政策を扱っていた。
【異変その3情報番組で消えた「政策報道」】
ところが14年にはNHKのニュース番組の他は「政策」毎にシリーズで放送したのは民放ではテレ朝『報道ステ』『Jチャン』、TBS『NEWS23』『Nスタ』だけだった。「情報番組」も12年の総選挙では(「乱!総選挙2012」等)統一キャッチフレーズでシリーズ放送した番組はTBS『みのもんたの朝ズバッ!』『ひるおび!』テレ朝『モーニングバード!』『ワイド!スクランブル』日テレ(読売テレビ制作)『情報ライブ-ミヤネ屋』等、多かった。群を抜いていたのがフジ『とくダネ!』で選挙期間中ほぼ毎日、政策についてのシリーズ「総選挙SPニッポンの選択」を放送。TPP、原発、地方再生、消費税、子育て支援等のテーマで「賛成」「反対」に分かれて主張を展開した。「ジャーナリズム性が高い」と評価され、ギャラクシー賞月間賞にも選ばれている。それが14年総選挙では「政策」シリーズばかりか選挙に関連した特集そのものが、あらゆる「情報番組」から消えた。
【異変その4消えた「政治家同士の討論」】
12年は「情報番組」で生放送での政治家の討論コーナーが多かったが、14年には全ての「情報番組」で前述のように選挙特集そのものがなくなった。「報道番組」でも12年の公示前にはニュース番組で「与党・民主党の幹部vs.野党・自民党の幹部」という組み合わせで小さな政党を除いた討論コーナーが数多くあった。しかし14年は「全政党による党首討論」スタイルばかりになった。多政党乱立で一言ずつ言いっ放しで終わり充実した議論ができない。コーナーの数も著しく減り、各番組で1回ずつやる程度で終わった。
分析すると街頭インタビューが激減し、情報番組では選挙特集自体が消える等、12年総選挙と比べ14年総選挙での衰退ぶりは明らかだ。ただ、 それが「要望書」による影響かどうかは証明が困難だ。「選挙に関する視聴者の関心が低く、視聴率を取れないので扱わなかった」(司会者の田原総一朗氏)という声がある一方「街頭インタビューは使わないようにとの指示が上層部からあった」(キー局報道局記者)との声もある。街頭インタビューは「国民の感じ方」を伝えるために普段から使用されるテレビの重要なツールである。「資料映像」の使用も過去の出来事を視覚的に想起させる強みを持つ手法だ。
「生放送での討論」も「テレビの強み」だが、14年にはそろって姿を消した。各局が総選挙の報道で「テレビらしさ」を放棄した格好だ。
<「不祥事につけ入る」構図でBPO改革案も>
第1次安倍政権でテレビ局の不祥事に乗じて介入強化を目論んだ姿勢は第2次、第3次政権で、さらに露骨になった。15年3月27日にテレビ朝日『報道ステーション』でのコメンテーター・古賀茂明氏による「菅官房長官を始め、官邸から凄いバッシングを受けてきた」という爆弾発言がキッカケになり、テレビ朝日が標的になった。菅官房長官は後の記者会見で「全くの事実無根」としながらも「放送法という法律があるので、先ずテレビ局が、どう対応されるのかを見守りたい」と発言。総務相時代の対応を振り返れば「放送法」を強調する意味は明白だった。菅氏同様に総務相の経験がある佐藤国会対策委員長はテレ朝幹部を個別に呼んで説明させた。テレビ朝日は再発防止策をまとめて発表した。(管理者:先ず「スガ」の官邸圧力「全くの事実無根」こそ虚偽で当該放送中に「古賀を黙らせろ!」との電話が官邸(おそらく「スガ」本人)から入った事は複数のスタッフが聞き及んでいる。それから放送法と憲法の「表現の自由」更には「放送事業者許認可審査事項」に照合しても「古賀さんの『官邸圧力』発言」位で放送事業者免許取り消しを行う事はできず、仮に政府-総務省が強行取り消ししても裁判で、ほぼ100%総務省が敗訴する事は間違いない。問題はテレビ朝日が、そこまで政府権力と対抗して「報道の自由」を守る気概があるかだ。今のように「アベ」と早河会長が「夜の会食」で「癒着・視聴者裏切り」しているようでは話にならない)
4月17日、自民党の情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚労相)はテレビ朝日の幹部を呼びつけて「聴取」を行った。この「聴取」にはNHKの幹部も呼びつけられた。(管理者:「呼びつけ」の権限も無いのにー。応じる放送局幹部も癒着か魂のウリか)この時期、NHKは看板報道番組の『クローズアップ現代』(追跡〝出家詐欺〟~狙われる宗教法人~)の「やらせ疑惑」を週刊誌で追及され、外部委員も交えた調査委員会の調査報告をまとめていた。この流れを受けて自民党の有力な総務族議員からは「BPOの組織を改編して規制を強化」「政府がBPOに関与」等の議論が出されている。
BPOはNHKと日本民間放送連盟が共同出資で運営する組織で、法律が定める組織ではない。これまで第三者委員会方式で個別の事案を審議。勧告・意見等を出して各放送局が自主的に再発防止に努める助言を行ってきた。(管理者:つまりメデイア・報道機関の「国家統制」をしたいのね♭自民党の単純発想!)
ところが自民党の一部議員の「改革案」では、これを法律で担保された組織に格上げし政府によるBPO委員の任命や官僚(またはその出身者)の就任等の案も出ている。
BPOは放送局による放送倫理違反や人権侵害等を議論する現在、唯一の組織だが、その審議においては放送局側の「自主的な協力」で「番組の提供」 や「制作者の聞き取り」が行われている。BPOは強制力を持たず局には法律上その意見に従う義務もない。是非を判断する委員達は弁護士、大学の研究者らが中心で放送や報道の実務を経験していない人も多い。それ故、現場から見れば現実離れした意見が出ることもあり、丁寧に判断して欲しいと思う場面も少な くない。与党議員の「改革案」の背景にはBPOが、いくら介入してもテレビの不祥事は、なくならないという国民の不満がある。(管理者:確かに民放局の誤報道クレームにも何の連絡・訂正放送もしない横着番組も多い。特に「ちちん・ぷいぷい」等)
他方、政府がBPOを直接統制する仕組みにすると政権の恣意的な運用になりかねない。
6月に起きた自民党勉強会での「報道圧力」発言は、報道機関の自主性を尊重せず権力的な介入を志向する議員が相当数いることを明らかにした。報道機関を「懲らしめるには広告収入をなくすのが一番。経団連に頼んでス ポンサーを降ろさせてしまえばいい」等の発言は政治とメディアの「一線」への無理解を示している。この「報道圧力」発言にニュースキャスターらも反発し新聞協会、民放連等も危機感を表明した。だが、この「政治の本音」は今後も底流に残るだろう。(管理者:自民党は何故、こんなに単純バカなのだろう)
筆者は「BPO改革」と「報道圧力」が連動するのを恐れる。これまで放送に関してはBPOが防波堤になり、権力が放送に直接「手を突っ込む」のを、くい止めてきた。たが国民に、その存在意義が理解されているとは言いがたい。BPOと放送業界には、不祥事の再発防止で、もっと効果的で厳しさを伴う仕組みに変える努力が求められる。また政府から独立した第三者機関が審査する現システムの意義を、もっとアピールしてほしい。
(管理者:管理者はBPOを、より視聴者参加型の第三者機関に見直して欲しい)
<「音」消しなど「テレビらしさの放棄」が進んでいる>
戦後70年を迎えたこの夏、テレビで何度か「音」が消された。沖縄戦での戦没者を弔う「慰霊の日」の追悼式典では安倍(戦争)総理に対して出席者から投げかけられた罵声も、NHKや幾つかの民放のニュースで音声を聞かせない編集が行われた。「戦争法案」の国会審議で安倍(戦争)総理が複数回、飛ばしたヤジも音声を消し、ヤジ行為そのものを伝えない等「不自然さ」が目につく。ヤジは映像なら状況や発話者の品性まで伝わるが、もし音を消したら悪質さの度合い等は伝わらない。(管理者:それにしても「アベ」と「夜の会食」友達でも、何故「ヤジ音消し」まで気を使うのか、相手が「アベ」ごとき愚か者だけに解らない。メディアが結束すれば「アベ」ごときが、そんなに政治力も知恵もあると思えないのだがー)
「戦争法案」が強行採決(?)された衆院特別委の質疑もNHKは中継しなかった。NHKは「各党、各会派が揃って委員会の質疑に応じるのが決まったのは当日の委員会直前の理事会であり、質疑を中継する準備が間に合わなかった。採決の模様は定時ニュースを拡大させて伝えた他、当日のニュース番組でも詳しく伝えている」と説明。「ニュースと異なりNHKの国会中継は、各会派が揃った上で平等に、きちんとした発言の機会が与えられることが大前提」とする。だが災害も大事件も我先に中継するNHKが、ケーブルやカメラ等が常設された国会で中継の準備が間に合わないとは信じ難い。「戦争法案」では憲法学者が相次ぎ「違憲」表明した衆院特別委での参考人招致や「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎首相補佐官の参院特別委での参考人招致も国会中継されなかった。NHKが放送せず視聴者は「放送」で〝生中継〟を見ることができなかった。
代わりに注目されたのはフジテレビのネット上の映像ニュースサイト「ホウドウキョク」だ。衆院特別委の採決や礒崎補佐官の招致を、ほぼ全編〝生中継〟し、いつも以上のPV数を稼いだ。「放送」や「NHK」に期待する視聴者は減り、ネットに逃げていく。政治的な問題には最大の強みである「生放送00」をせず「音」を聞かせず「過去映像」「街頭インタビュー」も避けるテレビ。「強み」を自ら放棄する現状は自殺行為といえる。
<現状を「追認する」テレビ報道>
テレビニュースでは、局によっては与党の意図を代弁し与党が描く結果を先取りするような伝え方は枚挙にいとまがない。13年7月の参議院選挙の投票日当日の朝のNHKニュースは「ネジレが解消されるかどうかが焦点になっている参議院選挙」というリード文をつけた。「ネジレは解消すべきもの」という世論誘導と受け取られかねないため、こうした「リード文」を避ける報道機関がある中でのリード文だった。「与党の思惑」に呼応するかのような報道姿勢が他局でも目につく。15年7月「戦争法案」が衆院本会議を通過した際に「これで安保法案の成立は確実とみられる」「確実になった」等と一報のニュースで報じたテレビ局もあった。参議院での廃案や60日以内に参院で成立しない場合に衆院で3分の2以上の多数で再可決すれば成立する「衆院の優越」を踏まえての報道で、確かに「解説」としては問題ない。しかし「本記ニュース」に入れるのが適切かどうかは微妙だ。「もう決まったこと」「何をしても変わらない」というメッセー ジを広く伝えることにもなりかねないからだ。(管理者:そうだ!私も複数のテレビ局にクレームを入れた)
「戦後70年談話」が発表された8月14日、NHK『ニュース7』では「政治部の岩田明子記者」が再び登場した。彼女は首相が「戦争法制」成立を約束した訪米にも同行して「首相の思い」を伝えたが、安倍(戦争)総理の重要案件の会見等で「政権の考え」「首相の思い」を代弁し、この夜もその代弁役に徹しているように感じられた。その2時間後の『ニュースウオッチ9』には安倍(戦争)総理自身が生出演、談話について自ら解説した。この日のNHKニュースは「首相の思い」 を伝える時間が長く、一方で批判的な視点は欠落したような報道になった。2015年9月現在、国会周辺では「戦争法案」が違憲だとして反対する集会やデモが連日開かれている。若者、主婦、弁護士、大学教員らが各々、何百人単位で意見表明を行い、法案の行方を見守っている。
様々な団体が一堂に会する場である学者が「報道は、どこにいる?」と疑問を投げかけたことがネットで話題になった。「報道が見えない」「報道はいないのか」という問いかけだった。安倍政権で「報道」が消えつつある。特にテレビ報道は強みを発揮できず機能不全だ。政治との「一線」はどうあるべきで「テレビの強み」「らしさ」は何なのか。もう手遅れかもしれないが、一度立ち止まって考えてみてほしい。(『Journalism』10月号/管理者一部編集)
(民守 正義)
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