「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」(8)

「第三次安倍内閣の醜聞と腐蝕」(8)


《安倍(戦争)総理が初の米国空母に乗艦。やって悪いこともあるはず》
安倍(戦争)総理は10月18日、神奈川県-米海軍横須賀基地に10月1日に配備された原子力空母ロナルド・レーガンに乗艦した。現職首相の米空母への乗艦は、もちろん初めて。
 「戦争関連法」の成立を受け、強固な日米同盟を国内外にアピールした形だが、平和日本が変質化したことを象徴した出来事とも言えるだろう。安倍(戦争)総理は空母上でタイソン米海軍第3艦隊司令官と懇談し「トモダチ作戦に従事をしていただいた。日米の絆のシンボルだ」と語ったそうだ。米軍普天間基地所属の垂直離着陸輸送機オスプレイも飛行した。
安倍(戦争)総理は、これに先立ち神奈川県沖の相模湾で開いた海上自衛隊の観艦式に出席。護衛艦「くらま」で訓示し「積極的平和(戦争)主義の旗を高く揚げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく決意だ」「脅威は容易に国境を越えてくる。そうした時代にあっても国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜く。そのための法的基盤」と説明した。(管理者:「脅威」に対する対応は「軍事的対応」に限らない。そこが「アベ」の単純思考なところ)安倍(戦争)総理は、自衛隊の観艦式に出席した後、今月、日本に配備されたアメリカ海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」に乗り込み艦内を視察した。現職の総理大臣がアメリカ海軍の空母に乗艦するのは初めて。原子力空母の「ロナルド・レーガン」は、アメリカ海軍が保有する10隻の原子力空母の1つで、東日本大震災の際にアメリカ軍のトモダチ作戦に参加したことでも知られ、今月、横須賀基地を拠点に活動していた空母に代わって新たに配備された。安倍(戦争)総理は18日、神奈川県沖の相模湾で行われた自衛隊の観艦式に出席した後、海上自衛隊のヘリコプターで午後4時前「ロナルド・レーガン」に乗り込んだ。そしてクリス・ボルト艦長らから説明を受けながら艦橋や格納庫を視察した他、戦闘機の操縦席に実際に乗り込む等していた。視察の中で安倍(戦争)総理は「この空母は『トモダチ作戦』に従事して頂き、まさに日米の絆のシンボルであり、またレーガン大統領と中曽根総理大臣が日米同盟を強化させたのも間違いない。今回の就航を日本として本当に歓迎する」と述べた。防衛省によると現職の総理大臣がアメリカ海軍の空母に乗艦するのは初めてで「戦争関連法」が先月、成立したことを受けて、日米同盟の一層の強化をアピールする狙いもあるものとみられる。(管理者(   )内を編集)

《安倍(戦争)総理に「バカ」はヘイトスピーチではない!「バカなネトウヨ」》
 SEALDs中心メンバーの奥田愛基氏と、その家族に対する「殺害予告」の脅迫文が届いた事件が、今なお波紋を広げている。10月2日には「安全保障関連法に反対する学者の会」が抗議声明を発表し「言論・表現の自由を脅迫と暴力で封じ込めようとすることは、民主主義社会に対する重大な挑戦で断じて許されない」と声明には書かれている。だが、こうした卑劣な脅迫に抗議する声の一方で目立つのは「じゃあ安倍首相への批判はヘイトじゃないの?」という意見だ。(管理者:「ヘイトスピーチ」の意味が全くワカッテイナイ!先ずは自分で「人権学」を勉強せよ!)事実、ネット上では「『表現の自由は自分達だけに適用される』と思っている人がいるようです」「確かに脅迫や暴力は絶対に許されない行為ですけど、反対してた人達も結構、酷い発言とかしていたように思うけど」というコメントが溢れ、多くの賛同を得ている。またネトウヨの愛読誌「ジャパニズム」26号での小特集「安倍総理への“ヘイトスピーチ”の全て」では、〈ヘイトスピーチの一番の被害者は、在日韓国人ではなく、安倍総理だと言わざるを得ない状況が、ここ最近続いているのだ〉と断言。安倍首相批判=ヘイトスピーチだとして猛批判を行っている。(管理者:この雑誌の編集者は「モノ知らず」過ぎて出版の資格が無い。「発行禁止!」と言いたい。)
「ああ、またか」と言いたくなるが、改めて反論しておこう。先ず圧倒的に力が強い権力に対して批判を自由に行えること、これこそが「表現の自由」の根幹をなす考え方だ。安倍(戦争)総理は、その最たる公人であり「安倍はやめろ」と叫ぶことも「安倍はバカ」と言うことも、表現の自由の範囲内、いやむしろ、ど真ん中で認められなければいけないものだ。
(管理者:安倍(戦争)総理自身が自覚・理解ができているかは解らないがー。でも、これは中学‐社会で習うと思うがー)翻って「安倍さんに酷いことを言っていたから殺害予告を受けても当然」という考え方は、暴力による弾圧を認めることになる。それは絶対に許してはならないものだ。(管理者:それこそ、そんな「バカなネトウヨ」がいるの~?)
 しかも頭が痛くなるのは、政治への抵抗がヘイトになってしまうという、社会を覆う誤った認識だ。例として前述の「ジャパニズム」におけるヘイトスピーチの定義を引いてみよう。〈人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済状態、外見等を理由に、それの異なる集団や個人を貶め、暴力や差別的行為を煽動したりする発言〉この定義自体には文句はない。問題はこの後だ。同誌は〈一国の総理とはいえ、安倍総理にも人権がある以上、どんな言葉を投げかけてもよいという理屈は成り立たないはずだ〉と言い、“安倍首相へのヘイトスピーチの一例”として〈岸信介の孫という「血」や「生まれ」を根拠に、安倍晋三は「タカ派の右翼だ」という批判〉を挙げる。そして〈これこそナチス的な恐ろしい発想・発言である〉というのだ。確かに「血」や「生まれ」を理由にして根拠なく個人を貶めることは許されない。だがヘイトスピーチの大前提は「本人には変更不可能な事柄」であることだ。安倍(戦争)総理の場合、華麗なる一族に生まれ、折に触れ、その政治一家の「血」を誇ってきた。(管理者:幼少から大学生の頃でも、その「自慢話」は有名)しかも大学卒業後は神戸製鋼に入社したものの、父の代から続く地盤を自らの意志で受け継ぎ、政治家となっている。その「血」や「生まれ」は差別されるどころか、安倍本人が自ら進んで大看板に掲げているではないか。そもそも「タカ派の右翼」という言葉は単純に彼の政治思想を批評した(客観用語)ものに過ぎず何の差別性もない。更に祖父・岸信介については、安倍自身が敬愛と影響を常日頃、公言しており、その政策や思想の背景に岸の影響が大きいことは明白だ。一方で父方の祖父・安倍寛(管理者:反戦活動家だった)については一切、語らないことを考えれば、岸の思想的影響を安倍自身が選び取っていることは明らかだろう。最高権力者の政策や思想の背景にある家族関係やルーツを検証することと差別とは全く違う。(管理者:「バカなネトウヨ」に解るかなー)
都合が良いときは「政界のサラブレッド」と呼び、都合が悪くなると「ナチスの発想だ」と批判するのは、あまりに無節操ではないか。だいたい、この国の最高権力者への批判を、在日や被差別部落の人々が受けている変更不可能で根拠のない差別と混同して〈ヘイトスピーチの一番の被害者〉と言い切る時点で、これ自体が差別を利用した悪質な異論封じと思わざるを得ない。(管理者:そうだ!本当の社会的差別問題には何ら関心のないどころか、直ぐに差別語を書き込んで「完全に差別者」の立場に立っているくせに!)もう既に彼らの主張は詭弁に過ぎないことがお解りかと思うが、同誌の反論はまだ続く。中でも同誌が“ヘイトスピーチ認定”しているのは、『日本戦後史論』における内田樹と白井聡の発言である。
 例えば「安倍首相は、たぶん人格乖離しているのだと思います」という内田の発言に対し、同誌はこのように批判する。〈障害を理由に人を差別的に扱う言葉がヘイトスピーチであるならば、この内田の言説は立派なヘイトスピーチであろう〉 あの~「貴方は本当に『日本戦後史論』を読んだの?」と問いたくなるが、当然ながら内田は唐突に「人格乖離」等と言った訳ではない。「積極的平和(管理者:本当は「積極的(戦争)主義」が適切)主義」や「歴史認識」について、極端な政策を次々と打ち出していることを語った後に「人格乖離」と表現し、安倍(戦争)総理本人を知る人物が「とても、いい人」と語っていることと「政治家になると、まるで別人に変わる」ということを挙げて「生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なのです」と論評しているのだ。病名としての“人格乖離”ではなく「やることが極端」ということの比喩として使っているだけだ。そして同誌が〈安倍総理にたいするヘイト感情がムキダシになった最大級の言葉だ〉と非難しているのは、白井の「インポ・マッチョ」発言だ。
以下、白井の発言を引用しよう。「不思議なのは、安倍首相がお父さんの晋太郎さんの話を全くしない事です。お爺ちゃんの岸信介の話ばかりする。たぶん晋三から見て、晋太郎の政治家としてのスタンスは全然、男らしくないと映るんでしょう。爺ちゃんは本物の男だった、それを受け継ぐんだということなのでしょう。ところが戦に強いということを誇りにはできない、もう男になれないというのは、戦後日本の所与の条件なんですよね。軍事的にインポテンツであることを運命づけられている」「それでインポ・マッチョというのが一番性質が悪い。自分がインポであるというのを何がなんでも否定する。それが『敗戦の否認』ということの言い換えなのですが。そういう人間は首尾一貫しないことをやる」なかなか刺激的な論評だが、これはもちろん人格攻撃等ではない。以前、本サイトでもこの発言を紹介したが、白井が問題にしているのは「“マッチョなのにインポ”だという苛立ちが安倍(戦争)総理はじめ日本の右派勢力の最大のモチベーションになっている」という点だ。戦争に強いという国家の誇りを取り戻したいのに、憲法によってそれができない。だからこそ彼らは憲法を攻撃するし、そこにあるのは非常にエモーショナルな動機であり、現実の政策判断とは殆ど関係がないという鋭い指摘だ。だが文意を読み解く力が足りないせいか、同誌は白井発言がヘイトスピーチである理由を、このように書くのだ。〈白井が皮肉を織り交ぜながら、安倍総理をインポという言葉を結びつけるのは、当然のことながら、安倍総理に子供がいないという事実を知ってのことである〉…一体、どこをどう読んだら、そんな話になるのだろうか。白井は右派勢力全体が抱えもつ“戦に勝つ=男の誇り”という価値観と、それが果たし得ない苛立ちを「軍事的にインポテンツ」と表現しただけだ。逆に「子供がいない=インポ」と結びつけるこの反論こそが、偏見をもって安倍(戦争)総理を貶めているのではないだろうか。そもそも、この「ジャパニズム」という雑誌自体が中国や韓国に対するヘイトの塊なわけで、正しいヘイトスピーチの認識を持ち合わせていないのは当然の話である。(管理者:な~んだ#右翼・差別雑誌だったのか♭アホらし♪)「これはヘイトスピーチだ!」とがなり立てるのなら、自分達の雑誌を読み直してヘイトスピーチに、どれだけ加担してきたかを考え直すべきだろう。だが問題なのは「ヘイトスピーチ」がどういうものを指すのかということが理解されないまま使用されている現実だろう。ネット上に溢れる「安保反対派の意見はヘイトスピーチ」という意識からも、それは如実に表れている。(管理者:だいたい「保守・右翼の連中」は人権意識の無い「差別者」だ)だからこそ冒頭で紹介した「『表現の自由は自分達だけに適用される』と思っている人がいるようです」という声に、ここでもう一度、応えておきたい。「表現の自由の最も根幹にあるのは権力への批判であり、最大の権力者たる総理大臣に対して抗う言葉が守られてこそ、表現の自由は表現の自由たり得る」のだと。立憲主義(管理者:「憲法は権力者の横暴・暴走を縛るもの」)が危機に瀕する今、この基本中の基本は徹底されなくてはいけないだろう。(リテラ/管理者‐部分編集)
(民守 正義)