「戦争法案-強行採決(?)」の副作用(5)

「戦争法案-強行採決(?)」の副作用(5)


《「戦争法」成立(?)、日本の行方は?:長谷部氏・杉田氏が対談(敬称略)》
 やまない「違憲」批判を押し切って、安倍政権は「戦争関連法」を成立させた。この法制を巡る論議から見えてきたものは何か。何が変わり何が変わらなかったのか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回「戦争法成立」後の社会と民主主義の行方を語り合ってもらった。

杉田:新しい「戦争法制」が成立しました。元最高裁長官や歴代の内閣法制局長官、多くの憲法学者や法律家らが違憲と指摘する中、政治権力が押し切った。日本の立憲主義は壊れてしまったのでしょうか。
長谷部:少なくとも集団的自衛権の行使は憲法上許されないという9条解釈のコンセンサス(合意)は壊れていません。
 法律問題が生じた時、殆どは条文を読めば白黒の判断がつきますが、9条のように 条文だけで結論を決められない問題が時々出てくる。その時、答えを決めるのは長年議論を積み重ねた末に到達した「法律家共同体」のコンセンサスです。政治がどうあれ、ここは全く揺らいでいない。今後も昨年の閣議決定は間違いだ、元に戻せと、あらゆる機会と手段を使って言い続けていくことになります。
杉田:しかし推進側は、最高裁判決が出るまでは、法律家でなく政治家が答えを決めると主張しています。裁判になっても、最高裁は憲法判断を避けるだろうとタカを括っているようです。
長谷部:希望的観測ですね。法律家共同体のコンセンサスを甘く見過ぎていると思います。
そもそも憲法は政治権力を縛るためにあるのだから、その意味内容を政治家が決めてよいはずがない。安倍政権の下、シビリアンコントロールどころかシビリアンの方が暴走しています。
杉田:与党は今回、議会運営上の慣例を色々と壊し、野党の最後の抵抗手段としての質問時間さえ数の力で奪った。
 最終局面の大きな論点は、法制への賛否以前に「こんなやり方が許されるのか」だったと思います。憲法は無視、専門家の意見も無視、議会の慣例も破壊する。
これは権力の暴走に歯止めをかけるという立憲主義の精神に反する「非立憲」です。「立憲」か「非立憲」か。これまで十分に可視化されていなかった日本社会の対立軸が、今回はからずも見えてきました。
長谷部:そして予想以上に日本には立憲主義者がいた。抗議デモに参加した人達だけでなく自民党支持者や法制は必要だという人達にも、憲法の重要性や権力を縛る立憲主義の意義についての認識が広まった。安倍政権の「教育効果」は大きかったと言えます。
杉田:非立憲主義者は、政策的に必要だと政治が判断すれば、法や慣例を破っても構わないとする。
 それも一つの立場だが「あなたは非立憲主義だ」と自覚を促す必要があります。「右/左」「保守/革新」というものさしでははかれなかった関係が「立憲/非立憲」でスッキリ整理される。
 日本政治の見通しが随分、良くなります。
長谷部:立憲主義者だけでなく、日本に多くの共和主義者がいたことも発見でした。デモに行くのは選挙に行くよりはるかに時間とコストがかかる。 それでも世のために声をあげなければと思う個人がたくさんいた。自分の利害を脇において、公共の利益のために身を捧げる。まさに共和主義です。組織や団体の動員ではなく、自分の判断で動いているから、今後も声は上がり続けるでしょう。日本の希望だと思います。
杉田:民意は選挙の際に表明すべきで、デモは「雑音」だといわんばかりの論が一部メディアやネット上に溢れていますが何故、二者択一なのか不思議です。選挙がある国では、当たり前にデモもある。デモができない国は選挙も許されない国です。本当はデモの効力を知っているから「意味がない」と言っているのかもしれませんが。
長谷部:民主主義は、選挙で選ばれたプロの政治家による審議や決定に留まらない。プロの政治家の行動が主権者の意思と離れた時に抗議するデモや集会。プロの審議に新たな材料を提供したり、別の方向性を示したりして補完するマスメディアや知識人の働き。
 そんな様々な「カウンターデモクラシー」の要素を含んだものが民主主義です。
杉田:「カウンターデモクラシー」だけでなく、野党の役割や存在意義についての認識も、日本ではあまり深まっていないのではないか。
 野党の第一の役割は、政権与党の政策の監視です。目的が曖昧で違憲の疑いが強い法案には、撤回を迫るのが当然でしょう。ところが野党の対応には批判が多い。
長谷部:多数派の都合で全てを決するなら、そもそも議会政治というゲームは成り立たない。弱小勢力も含め、全てのプレーヤーがゲームへの参加に意義を見出す事ができて初めて、議会政治というゲームは続く。選挙で勝った与党に文句を言うのはおかしいと言わんばかりの批判は選挙の意義の過大評価です。
杉田:そもそも国の存立にかかわる安全保障の問題については、国民的合意が不可欠です。与党は本来、超党派的な合意が可能な、しっかりとした案を出すべきでしたし、これだけ批判を受けたら、やり直すべきでした。
長谷部:自衛隊という実力部隊を戦地に赴かせるのだから、全政党のコンセンサスを得るのが基本です。
杉田:しかし、こういう議論に対しては「日本にはもう、ぐずぐず議論している時間はないのだ」という批判が飛んできます。野党や学者のやっていることは単なる遅延行為だと。
長谷部:権力は暴走しているのじゃない。全速力で走っているだけだ。何故その邪魔をするのかと。
杉田:中国が台頭する一方、日本は人口が減り経済力も下がっている。そのことへの不安と焦りから、人々が非立憲的な方向に押し流されている面もあるのでは。安保(戦争)法制への世論の反対は強いのに、内閣支持率の低下に必ずしも繋がらない背景にも、こうした心理がありそうです。
長谷部:しかし日本は、世界有数の平和で安全な国です。何をそんなに焦ったり不安がったりする必要があるのか。テストですでに90点を取っているのだから、下手に新しいことに手を出すより、これまで通りのやり方で現状維持を図った方が賢明です。
杉田:非立憲主義は、ある種の功利主義とも相性がいい。「最大多数の最大幸福」のために、弱者や少数派の意見は切り捨てるべきだと。沖縄の基地問題についても、本土の冷淡な世論が政権の対応を支えています。自分は強者の側、多数派の側にいると思っている人達にとっては、分断・対決型の安倍晋三(戦争)首相の政治手法も、好ましく映るのかもしれません。
長谷部:「戦争法制」の必要性を説く人達は具体的な必要性を論証しようとしない。中国が怖い、北朝鮮も怖い、だから軍事的オプションを増やさなければならない、としか言えていない。
 これは安全保障論ではなく「安心保障論」。不安そのものをなくそうとしてもきりがありません。(管理者:旨い事、言うな~。その意味では「平和外交政策」一辺倒でもよい)
杉田:「必要は法を破る」とばかりに法的安定性をないがしろにしていると、安全な側にいたはずの人達にも、いつ矛先が向けられるか解りません。非立憲主義者には、そのリスクをぜひ考えてもらいたいものです。
<解説の視点>
 政治というアリーナで闘うためには、自分が何者かという自覚と、相手が何者であるかの認識、いわば「ユニホーム」が必要だ。これまでも政党名や「右/左」という漠然としたものはあったが、安保(戦争)法制の審議を経て、新たに見いだされたのが「立憲/非立憲」だ。その時々に旨くユニホームを選び、常に主導権を握ってきた安倍政権。それに抗する側は、先に「立憲」のユニホームを着てアリーナに立つことができるか。
 小異を捨てて対立軸を明確に示すことができるのか。そのことがいま、問われている。

《名古屋大学「暴行採決(?)」から「戦争法」成立(?)に抗議声明》
 名古屋大学では全学共同で標記「声明」を9月23日、発表した。下記は、その全文。

「自由・平和・民主主義を愛し戦争法案に反対する名古屋大学人の会」
世話人・呼びかけ人有志一同


憲法違反の安全保障法の制定に強く抗議する

 2015年9月23日

 9月19日未明に、憲法違反の安全保障関連二法が、我々を含む多くの学者・研究者、学生、良識ある各層の市民、市民団体、労働組合、そしてマスコミの強い反対にもかかわらず、参議院で可決され制定された。私たちは、この暴挙を断じて許すことができない。
 第1に、同法は、集団的自衛権を認める余地のない憲法9条に明確に反しているからである。同法は、日本を他国の戦争に加担させることを可能にする法律であり、戦後私たちが必死になって確立し維持してきた平和主義を破壊するものである。
 第2に、同法は、立憲主義を完全に否定し、基本的人権に制約を加えようとする自民党の憲法改正に先鞭を付けるものである。国民主権に基づく近代立憲主義憲法を否定する内容の悪法の制定は許されない。 第3に、今回の法制定では、会期は戦後最長とされたものの、国会での政府の答弁の曖昧さ、一貫性のなさは明らかであり、ときには答弁に窮して審議が中断さ れる事態が多発した。そもそもこの法は、多くの重要な法律を一本に纏め、分かりにくい上に、政府与党は説明能力を欠いていた。
 こうした法律を、たまたま国会で多数を握っている(それも小選挙区制というマジックに助けられて)ことを利用し、国民の意思に完全に反して、数の力によって制定したものである。同法 は、こうした審議過程の面でも民主主義に反していると言える。 第4に、同法の制定に至る過程では、マスコミへの誘導や威圧(法制定までの市民の動きをほとんど報道しなかったNHKの例が典型である)をはじめとして、 武器輸出3原則の放棄、国立大学に対する国旗掲揚・国歌斉唱の強制の示唆等、表現の自由、報道の自由、学問の自由そして平和主義に対する政府の侵害が多発 していた。
 同法は、こうした権威主義、反民主主義の性格を持つ政策の一環として制定された。
 その意味では戦後民主主義の危機を体現するものである。
 以上の理由から、私たちは、戦争法とも言える安全保障関連二法の制定に強く抗議する。

以 上
 

《栃木県内識者も【戦争関連法は違憲立法】声上げ続ける》
 与野党攻防の末「戦争関連法」が成立した19日、安全保障(戦争)政策を大転換する両法について県弁護士会の若狭昌稔会長と、宇都宮大教員有志による同法案の廃案を求める声明の呼びかけ人・同大国際学部の清水奈名子准教授に聞いた。
<声上げ続け国民の意思明らかにー若狭昌稔県弁護士会会長>
 予想していた一方で「本当に成立させるのか」という思いもあった。これだけ市民や学者や元最高裁判事までもが、こぞって違憲と言っているものを成立させたことは信じがたい。国民の意見を無視して違憲と言える法律を通し実質的に憲法が変えられた。主権者たる国民は、決して許してはいけない。すぐに集団的自衛権を行使するような状況になるとは考えにくく、戦いはむしろ、これから。来年は選挙もある。法案が違憲だという訴訟も各地で起こされるだろう。国民の意思を明らかにしていくことが必要だ。
<否定し続けることが大切-清水奈名子宇都宮大准教授>
 立憲主義、民主主義、それと不可分な平和主義が根底から崩されている。法の成立は、平和を守ってきた戦後を破壊する行為だ。政権の「安全保障分野は国民が理解しなくても進める」という行為に「国民軽視」の姿勢が露骨に出ている。
安保問題に留まらず、教育や経済など他分野でも起きかねない危機だ。
 一方「成立したから終わり」ではない。成立で法を必要とする声が高まるかもしれないが、違憲性や強行採決など手続き上の瑕疵をクリアするものではない。
主権者たる国民が法を否定し続けることが大切だ。
(民守 正義)