「戦争法案-粉砕」から「安倍政権‐打倒へ」(15)
「戦争法案-粉砕」から「安倍政権‐打倒へ」(15)
《参議院「戦争法案-廃案!」と「安陪内閣打倒!」を目指して!》
〔安倍(戦争)総理-相変わらずの「『戦争法案』は命と平和守るため不可欠」と思い込み答弁。民主党は廃案要求〕
安倍首相は参院本会議で「憲法解釈拡大違憲⇒集団的自衛権行使容認⇒『戦争関連法案』」について「我が国を取り巻く安全保障環境が益々、厳しさを増す中、憲法9条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くために不可欠な法案だ」と従来からの思い込み答弁を繰返した。安倍政権が今国会での成立を目指しているのに対し、民主党は廃案を要求。特にイラン核問題で関係国が合意した中、政府が集団的自衛権行使の例に挙げる中東・ホルムズ海峡での機雷掃海は現実的でないと追及した。
阿部首相は「ホルムズ海峡‐機雷掃海」について、米国と特段の密約をしていることを隠して(だから「戦争法案」国会提出時には「集団的自衛権行使でもホルムズ海峡は特段の措置」と言っていた。いつの間にか強調しなくなったがー)「特定の国がホルムズ海峡に機雷を撒く事を想定している訳ではない。あらゆる事態に万全の備えを整える事が重要だ」と強弁した。
〔安倍首相‐あからさまな「中国脅威論」で「戦争法案の必要性」強調〕
安倍首相は、従来は「戦争法案の必要性」を説明するのに「中国」という国名を敢えて出さなかったが、今回の参議院本会議では、むしろ積極的に「中国脅威論」を展開し「戦争法案の必要性」を強調した。これは中国を名指しして「中国脅威論」を積極的に強調することで「戦争関連法案の必要性」をより解り易く国民理解を求める狙いがあると思われる。
しかし従来からの「中国配慮」を犯しても「中国名指し批判」を行った事で、これに対する中国からの反発・対立も惹起し「安倍‐胡耀邦」会談はおろか、日中外交・経済関係も悪化する等のリスクも承知の上なのだろうか。それとも具体的対応策なしに「中国名指し批判」を行ったのか、いずれにしても、より厳しい「日中対立関係」となる可能性は大である。
〔「戦争法案」で礒崎首相補佐官が安倍総理とも矛盾するトンデモ発言〕
礒崎首相補佐官が「戦争関連法案」を巡り「法的安定性は関係ない」とした発言した。
この発言は、安倍首相でさえ「(憲法9条の範囲内で)法的安定性は保たれている」と「公式答弁」しており明らかに矛盾している。この「礒崎トンデモ発言」は与野党からも批判の声が上がっており、特に野党からは礒崎首相補佐官の辞任を求める声も出ている。
⇒28日、平和安全法制特別委で質問した福山委員(民主)に対し、安倍首相は「法的安定性を確保することは当然だ。疑念を持たれる発言は厳に慎まなければならない」と述べ、福山委員は更に礒崎首相補佐官の更迭を求めたが、安倍首相は「官房長官が注意した」と述べるに留まった。
一方、平和安全法制特別委は28・29両日の首相出席の総括的質疑と30日の集中審議を決めた。
《特別【秘密】報告-「戦争法案」は熱心でも「個人の消息不明」には冷酷?》
ジャーナリスト安田純平さんが、今現在「シリア武装勢力に拘束された」との未確定情報(官邸は否定)が入っているが、この情報はCNNに加えニューヨークタイムスでも報道された。完全な事実確認はされておらず、現在事実確認中。ただ、ほぼ事実のようだ。安田さんと音信が途絶えたのは6月から。加えて官邸・外務省は、今も何らの消息確認を取ろうとせず放置状態。官邸が「消息不明」を否定するのは「『戦争関連法案』をはじめとする国会審議に頭がいっぱい、ビビリで面倒だからだ」との憶測もマスコミ巷で流れている。
因みにイスラム国人質・殺害事件(政府は、後藤さんが11月下旬にはイスラム国人質になって後藤さんの妻が、イスラム国と身代金交渉を一人、行っていて政府は放置。外務省が口止めだけ命じたことがWEBニュース等で明らかになっている。)が起きているときに「アベ」は、それを承知に解散総選挙を行ったのだ。今回の安田さんの「消息不明-官邸・外務省の放置」が「イスラム国人質・殺害事件」の後藤さん殺害と同様に辿るのではないかと危惧されている。同時に「アベ」が一連の集団的自衛権や「戦争法案」でも「日本国民を守り抜く」という言葉を何度も繰り返している事が空しく聞こえる。
なお本件については、引き続き詳細が解るごとに読者にお知らせする。(参考‐リテラ)
《「戦争総理=安倍総理!」「戦争関連法案‐廃案!」の声・抗議行動!》
<「憲法9条は核兵器より強力だ」本当の戦争と日本国憲法の価値>
安倍晋三は戦争を知らない。無論、筆者も、この国で生きる大多数の人達も、それがいかなるものなのかよく知らない。どうしてだろうか。「戦後日本に憲法9条があったから」そう語るのはアレン・ネルソンさん。海兵隊の一員としてベトナム戦争の最前線にいたアフリカ系アメリカ人だ。1996年から日本全国で千二百回を超える講演を行い、2009年ベトナムで浴びた枯れ葉剤が原因とみられる血液の癌で亡くなった。享年61歳だった。今年の憲法記念日に放送された『NNNドキュメント9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(日本テレビ系)という番組の中に、生前の彼が語った言葉が収められている。
「殆どの国の子供達が戦争を知っています。アメリカの私の子供達は戦争を知っています。
イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子供達、皆、戦争を知っています。しかし、ここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから皆さんを救ってきたからです」何故、彼は言い切るのか。
それを理解するためには2003年に出版された自叙伝を下に、ネルソンさんの生涯を知る他ない。ニューヨーク生まれ、高校を中退。仕事を転々としていたネルソンさんが海兵隊の採用担当職員に声をかけられ、海兵隊入りをしたのは18歳のとき。訓練を受けたネルソンさんは翌年の66年、ベトナム戦争の最前線に派兵されるために沖縄・嘉手納基地に赴く。当時、沖縄は返還前でアメリカ兵は自分達の国の一部という感覚でいたという。
〈私達は東洋人の一人一人を見分ける事ができませんでした。皆、同じ顔に見えましたし、それでも全く問題はなかったのです。何故なら私達は東洋人を、そして沖縄の人々を人間としてみてはいなかったからです〉そしてベトナムに派遣後、 最初に遭遇した戦闘。味方の兵士が撃たれ、駆けつけたネルソンさんは、その〈目も鼻もない、ただ真っ赤につぶれた顔〉を見て戦慄する。〈皆殺してやる、自分があんな目にあう前に皆殺してやる〉、そう心の中で叫び、二度目の戦闘で初めて人を殺す。戦場で兵士達は競い合って殺し、死体から頭を切り取って記念撮影をしていた。初めての殺人の後、上官から労われたネルソンさんは〈とてもいい気分〉だったという。
だがその後〈名づけることのできない感情〉と目眩のようなものを覚えた。以降、人を殺すたびに感じるようになったこの感情は、罪の意識でも、恐怖でもなく、ましてや喜びでもなかった。〈しいていえば、人を殺す事のあまりの簡単さへの驚きといえるかもしれません。果てしない暗闇が目の前に突然に口を開けて私を飲み込んでしまったような、何とも言えぬ感情でした〉
しかしネルソンさんは、ある日の戦場で〈戦争への考えを変える事になる決定的な出来事〉を体験する。ある村を通りかかったとき、部隊は待ち伏せ攻撃を受け、ネルソンさんは銃で応戦しながら一件の民家の裏庭にある防空壕の中に身体をすべりこませた。豪の中では、若いベトナム人女性が一人、苦痛に耐えながら壁に背を押し付けていた。なんと彼女は出産の最中であったのだ。ネルソンさんは、思わず本能的に両手を差し出したという。そして彼女の中から生まれおちる赤子を、その両手で受け止めた。彼女はへその緒を歯で噛み切り、赤子を落ちていた布でくるみ抱えて、暫くして豪の外へと走り出ていった。
戦闘が終わった後、仲間と合流したネルソンさんは混乱していた。〈ベトナム人もまた人間なのだ、私と同じ人間なのだという、ごくごく当たり前の事実を、しかし、それまで決して考えてみる事のなかった事実に思い当たりました。〉 同時に自分の母や姉妹と同じような人々を数えきれぬほど殺した事について、感じる事を禁じていた様々な感情が、ゆっくりと目覚め始めたという。〈自分はまだ人間のままでいるだろうか〉、そう自問しながら、彼は戦場を生き残った。
だが、戦地から遠ざかった後も“戦争”に苛まれ続ける。
4年の契約期間を終えニューヨークへ戻ったネルソンさんは、23歳でホームレスになっていた。原因は帰還後、毎晩見るようになったベトナムの悪夢だ。神経過敏になり、精神科医の診療も受けるようになったが、薬は役に立たず、かえって副作用のため日常生活に支障をきたすようになっていたのである。PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。ベトナム戦争後に、その症状が広く知られるようになったPTSDだが、アメリカでは今も深刻な社会問題であり続けている。
書籍『帰還兵はなぜ自殺するのか』によれば、イラク・アフガン戦争のアメリカ帰還兵200万人の内、4人に1人がPTSDやTBI(外傷性脳損傷)等に苦しめられ結果、毎年250名を超える自殺者を出しているという。これは日本の自衛隊の未来を暗示している。事実、イラク戦争にあたって約1万人の自衛隊員が派遣されたが、帰還後に28人もの隊員が自殺している。通常の日本の自殺率と比べると、実に14倍だ。安倍政権が目指す「戦争法制」によって、自衛隊の活動範囲は飛躍的に拡大する。
にも関らず政府は、自衛隊員の戦死やPTSD等のリスクについての説明を避け続けている。安倍首相は「日米同盟 を“血の同盟”にする」と大見得をきったが、現実に待ち構えているのは比喩でない。もちろん安倍首相自身は一滴も血を流すつもりはないだろうが。話をネルソンさんに戻そう。PTSDに苦しめられ、ホームレスを続けるしかなかった、ある日、たまたま再会した同級生にベトナム戦争について講演をする事を勧められた。ネルソンさんは迷ったが結局、小学校にいき、子供達の前に立った。ぎこちなく語り終えると、子供達からの質問時間になった。そこで出たある女の子からの質問にネルソンさんは固まる。それは彼の自叙伝のタイトルにもなっている。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」長い沈黙の後、ネルソンさんは目を閉じたまま言った。「殺した」。すると誰かの手が体に触れた。ネルソンさんが目を開けると、質問をした女の子がそこにいた。彼女はネルソンさんを抱きしめ、涙を浮かべながら見上げて言った。「かわいそうなネルソンさん」。子供達は一人、また一人とネルソンさんの体を抱きしめていった。ネルソンさんの中で何かが溶け出した。〈自分自身の事が、とてもよく見えるような気がしました。何をすべきかも解ったような気がしました。私が戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋に閉じこめるのではなく、今もなお目の前で起きている事として見つめなくてならないのです。〉ネルソンさんは、その後、日本での講演活動を開始する。きっかけとなったのは1995年、沖縄で起きた海兵隊による少女レイプ事件だった。
アメリカのテレビで、そのニュースを聞いた彼はそのとき、沖縄にまだ基地があり、アメリカ兵がいるという事実を意外に感じたという。ベトナム戦争が終わって、とっくに米軍は撤収していると思っていたからだ。ネルソンさんは何かしなければと沖縄へ向かう。
そして日本国憲法の事を知った。ネルソンさんはホテルで9条の条文を読み、立ち上がるほどのショックをうけたという。前述の『NNNドキュメント』の中で、こう語っている。
「憲法第9条を読んだとき、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。日本国憲法第9条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子供達の顔に、とても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子供達の表情から戦争を知らないことが解るのです。それこそ第9条の持つ力です」9条こそが子供達を守ってきた。ネルソンさんは、夢や理想ではなく現実として語っているのである。そして番組のもう一つのハイライトは、ネルソンさんがアメリカ人政治学者のダグラス・ラミス元津田塾大学教授と9条について語り合う場面だ。VTRは少なくとも今から10年近く前のものであるはずだが、その内容は、まさに現在の安倍政権を巡る日本の状況を示唆している。引用しよう。
ネルソン「平和憲法は日本人が考え出したものではないとか、アメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。しかし誰に貰ったかは問題ではありません。平和憲法は私達が進むべき未来を示しています。例え宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです」
ラミス「私達は平和憲法の下、平和な日本で暮らしています。日本は世界一の平和国家と言われています。でも同時に沖縄には米軍基地がある。これはファンタジーです」
ネルソン「確かにそこは大きな問題です。日本人は間接的に戦争に関与してきました。しかし9条のおかげで直接的に戦争には関わっていません。言い換えると第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。そこが私には素晴らしいと思えるのです」
日本国憲法は“誰がつくったか”が本質ではない。条文が示す「戦争放棄、戦力不保持、平和主義の理念を見つめるべき」そうネルソンさんは訴えるのである。昨今、護憲派の人々は、改憲派やネット右翼らから「脳内お花畑」とか「9条教」などと揶揄されている。しかしネルソンさんが9条をこれほど高く評価するのは、戦場で人を殺し、生還後もPTSDに苦しんできた自身の体験があるからだ。
ネルソンさんは決して夢想家ではない。少なくとも、戦場の実態を知っているという意味では、安倍首相をはじめとする殆どの改憲派の人達よりもリアリストだろう。戦争で人を殺さず、殺されないこと。その事をはっきりと規定した9条の条文が、ときの権力者の暴走に歯止めをかけてきた。ネルソンさんの言葉は、その事実を改めて私達に突きつける。
あの戦争の終結から70年。人を殺し殺されることが「当たり前の事実」になる日を目の前にして、私達はこのまま、手をこまねいているだけでいいのだろうか。(リテラ)
《参議院「戦争法案-廃案!」と「安陪内閣打倒!」を目指して!》
<参議院本会議審議状況(27日)>
〔安倍(戦争)総理-相変わらずの「『戦争法案』は命と平和守るため不可欠」と思い込み答弁。民主党は廃案要求〕
安倍首相は参院本会議で「憲法解釈拡大違憲⇒集団的自衛権行使容認⇒『戦争関連法案』」について「我が国を取り巻く安全保障環境が益々、厳しさを増す中、憲法9条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くために不可欠な法案だ」と従来からの思い込み答弁を繰返した。安倍政権が今国会での成立を目指しているのに対し、民主党は廃案を要求。特にイラン核問題で関係国が合意した中、政府が集団的自衛権行使の例に挙げる中東・ホルムズ海峡での機雷掃海は現実的でないと追及した。
阿部首相は「ホルムズ海峡‐機雷掃海」について、米国と特段の密約をしていることを隠して(だから「戦争法案」国会提出時には「集団的自衛権行使でもホルムズ海峡は特段の措置」と言っていた。いつの間にか強調しなくなったがー)「特定の国がホルムズ海峡に機雷を撒く事を想定している訳ではない。あらゆる事態に万全の備えを整える事が重要だ」と強弁した。
〔安倍首相‐あからさまな「中国脅威論」で「戦争法案の必要性」強調〕
安倍首相は、従来は「戦争法案の必要性」を説明するのに「中国」という国名を敢えて出さなかったが、今回の参議院本会議では、むしろ積極的に「中国脅威論」を展開し「戦争法案の必要性」を強調した。これは中国を名指しして「中国脅威論」を積極的に強調することで「戦争関連法案の必要性」をより解り易く国民理解を求める狙いがあると思われる。
しかし従来からの「中国配慮」を犯しても「中国名指し批判」を行った事で、これに対する中国からの反発・対立も惹起し「安倍‐胡耀邦」会談はおろか、日中外交・経済関係も悪化する等のリスクも承知の上なのだろうか。それとも具体的対応策なしに「中国名指し批判」を行ったのか、いずれにしても、より厳しい「日中対立関係」となる可能性は大である。
〔「戦争法案」で礒崎首相補佐官が安倍総理とも矛盾するトンデモ発言〕
礒崎首相補佐官が「戦争関連法案」を巡り「法的安定性は関係ない」とした発言した。
この発言は、安倍首相でさえ「(憲法9条の範囲内で)法的安定性は保たれている」と「公式答弁」しており明らかに矛盾している。この「礒崎トンデモ発言」は与野党からも批判の声が上がっており、特に野党からは礒崎首相補佐官の辞任を求める声も出ている。
⇒28日、平和安全法制特別委で質問した福山委員(民主)に対し、安倍首相は「法的安定性を確保することは当然だ。疑念を持たれる発言は厳に慎まなければならない」と述べ、福山委員は更に礒崎首相補佐官の更迭を求めたが、安倍首相は「官房長官が注意した」と述べるに留まった。
一方、平和安全法制特別委は28・29両日の首相出席の総括的質疑と30日の集中審議を決めた。
《特別【秘密】報告-「戦争法案」は熱心でも「個人の消息不明」には冷酷?》
ジャーナリスト安田純平さんが、今現在「シリア武装勢力に拘束された」との未確定情報(官邸は否定)が入っているが、この情報はCNNに加えニューヨークタイムスでも報道された。完全な事実確認はされておらず、現在事実確認中。ただ、ほぼ事実のようだ。安田さんと音信が途絶えたのは6月から。加えて官邸・外務省は、今も何らの消息確認を取ろうとせず放置状態。官邸が「消息不明」を否定するのは「『戦争関連法案』をはじめとする国会審議に頭がいっぱい、ビビリで面倒だからだ」との憶測もマスコミ巷で流れている。
因みにイスラム国人質・殺害事件(政府は、後藤さんが11月下旬にはイスラム国人質になって後藤さんの妻が、イスラム国と身代金交渉を一人、行っていて政府は放置。外務省が口止めだけ命じたことがWEBニュース等で明らかになっている。)が起きているときに「アベ」は、それを承知に解散総選挙を行ったのだ。今回の安田さんの「消息不明-官邸・外務省の放置」が「イスラム国人質・殺害事件」の後藤さん殺害と同様に辿るのではないかと危惧されている。同時に「アベ」が一連の集団的自衛権や「戦争法案」でも「日本国民を守り抜く」という言葉を何度も繰り返している事が空しく聞こえる。
なお本件については、引き続き詳細が解るごとに読者にお知らせする。(参考‐リテラ)
《「戦争総理=安倍総理!」「戦争関連法案‐廃案!」の声・抗議行動!》
<「憲法9条は核兵器より強力だ」本当の戦争と日本国憲法の価値>
安倍晋三は戦争を知らない。無論、筆者も、この国で生きる大多数の人達も、それがいかなるものなのかよく知らない。どうしてだろうか。「戦後日本に憲法9条があったから」そう語るのはアレン・ネルソンさん。海兵隊の一員としてベトナム戦争の最前線にいたアフリカ系アメリカ人だ。1996年から日本全国で千二百回を超える講演を行い、2009年ベトナムで浴びた枯れ葉剤が原因とみられる血液の癌で亡くなった。享年61歳だった。今年の憲法記念日に放送された『NNNドキュメント9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(日本テレビ系)という番組の中に、生前の彼が語った言葉が収められている。
「殆どの国の子供達が戦争を知っています。アメリカの私の子供達は戦争を知っています。
イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子供達、皆、戦争を知っています。しかし、ここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから皆さんを救ってきたからです」何故、彼は言い切るのか。
それを理解するためには2003年に出版された自叙伝を下に、ネルソンさんの生涯を知る他ない。ニューヨーク生まれ、高校を中退。仕事を転々としていたネルソンさんが海兵隊の採用担当職員に声をかけられ、海兵隊入りをしたのは18歳のとき。訓練を受けたネルソンさんは翌年の66年、ベトナム戦争の最前線に派兵されるために沖縄・嘉手納基地に赴く。当時、沖縄は返還前でアメリカ兵は自分達の国の一部という感覚でいたという。
〈私達は東洋人の一人一人を見分ける事ができませんでした。皆、同じ顔に見えましたし、それでも全く問題はなかったのです。何故なら私達は東洋人を、そして沖縄の人々を人間としてみてはいなかったからです〉そしてベトナムに派遣後、 最初に遭遇した戦闘。味方の兵士が撃たれ、駆けつけたネルソンさんは、その〈目も鼻もない、ただ真っ赤につぶれた顔〉を見て戦慄する。〈皆殺してやる、自分があんな目にあう前に皆殺してやる〉、そう心の中で叫び、二度目の戦闘で初めて人を殺す。戦場で兵士達は競い合って殺し、死体から頭を切り取って記念撮影をしていた。初めての殺人の後、上官から労われたネルソンさんは〈とてもいい気分〉だったという。
だがその後〈名づけることのできない感情〉と目眩のようなものを覚えた。以降、人を殺すたびに感じるようになったこの感情は、罪の意識でも、恐怖でもなく、ましてや喜びでもなかった。〈しいていえば、人を殺す事のあまりの簡単さへの驚きといえるかもしれません。果てしない暗闇が目の前に突然に口を開けて私を飲み込んでしまったような、何とも言えぬ感情でした〉
しかしネルソンさんは、ある日の戦場で〈戦争への考えを変える事になる決定的な出来事〉を体験する。ある村を通りかかったとき、部隊は待ち伏せ攻撃を受け、ネルソンさんは銃で応戦しながら一件の民家の裏庭にある防空壕の中に身体をすべりこませた。豪の中では、若いベトナム人女性が一人、苦痛に耐えながら壁に背を押し付けていた。なんと彼女は出産の最中であったのだ。ネルソンさんは、思わず本能的に両手を差し出したという。そして彼女の中から生まれおちる赤子を、その両手で受け止めた。彼女はへその緒を歯で噛み切り、赤子を落ちていた布でくるみ抱えて、暫くして豪の外へと走り出ていった。
戦闘が終わった後、仲間と合流したネルソンさんは混乱していた。〈ベトナム人もまた人間なのだ、私と同じ人間なのだという、ごくごく当たり前の事実を、しかし、それまで決して考えてみる事のなかった事実に思い当たりました。〉 同時に自分の母や姉妹と同じような人々を数えきれぬほど殺した事について、感じる事を禁じていた様々な感情が、ゆっくりと目覚め始めたという。〈自分はまだ人間のままでいるだろうか〉、そう自問しながら、彼は戦場を生き残った。
だが、戦地から遠ざかった後も“戦争”に苛まれ続ける。
4年の契約期間を終えニューヨークへ戻ったネルソンさんは、23歳でホームレスになっていた。原因は帰還後、毎晩見るようになったベトナムの悪夢だ。神経過敏になり、精神科医の診療も受けるようになったが、薬は役に立たず、かえって副作用のため日常生活に支障をきたすようになっていたのである。PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。ベトナム戦争後に、その症状が広く知られるようになったPTSDだが、アメリカでは今も深刻な社会問題であり続けている。
書籍『帰還兵はなぜ自殺するのか』によれば、イラク・アフガン戦争のアメリカ帰還兵200万人の内、4人に1人がPTSDやTBI(外傷性脳損傷)等に苦しめられ結果、毎年250名を超える自殺者を出しているという。これは日本の自衛隊の未来を暗示している。事実、イラク戦争にあたって約1万人の自衛隊員が派遣されたが、帰還後に28人もの隊員が自殺している。通常の日本の自殺率と比べると、実に14倍だ。安倍政権が目指す「戦争法制」によって、自衛隊の活動範囲は飛躍的に拡大する。
にも関らず政府は、自衛隊員の戦死やPTSD等のリスクについての説明を避け続けている。安倍首相は「日米同盟 を“血の同盟”にする」と大見得をきったが、現実に待ち構えているのは比喩でない。もちろん安倍首相自身は一滴も血を流すつもりはないだろうが。話をネルソンさんに戻そう。PTSDに苦しめられ、ホームレスを続けるしかなかった、ある日、たまたま再会した同級生にベトナム戦争について講演をする事を勧められた。ネルソンさんは迷ったが結局、小学校にいき、子供達の前に立った。ぎこちなく語り終えると、子供達からの質問時間になった。そこで出たある女の子からの質問にネルソンさんは固まる。それは彼の自叙伝のタイトルにもなっている。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」長い沈黙の後、ネルソンさんは目を閉じたまま言った。「殺した」。すると誰かの手が体に触れた。ネルソンさんが目を開けると、質問をした女の子がそこにいた。彼女はネルソンさんを抱きしめ、涙を浮かべながら見上げて言った。「かわいそうなネルソンさん」。子供達は一人、また一人とネルソンさんの体を抱きしめていった。ネルソンさんの中で何かが溶け出した。〈自分自身の事が、とてもよく見えるような気がしました。何をすべきかも解ったような気がしました。私が戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋に閉じこめるのではなく、今もなお目の前で起きている事として見つめなくてならないのです。〉ネルソンさんは、その後、日本での講演活動を開始する。きっかけとなったのは1995年、沖縄で起きた海兵隊による少女レイプ事件だった。
アメリカのテレビで、そのニュースを聞いた彼はそのとき、沖縄にまだ基地があり、アメリカ兵がいるという事実を意外に感じたという。ベトナム戦争が終わって、とっくに米軍は撤収していると思っていたからだ。ネルソンさんは何かしなければと沖縄へ向かう。
そして日本国憲法の事を知った。ネルソンさんはホテルで9条の条文を読み、立ち上がるほどのショックをうけたという。前述の『NNNドキュメント』の中で、こう語っている。
「憲法第9条を読んだとき、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。日本国憲法第9条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子供達の顔に、とても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子供達の表情から戦争を知らないことが解るのです。それこそ第9条の持つ力です」9条こそが子供達を守ってきた。ネルソンさんは、夢や理想ではなく現実として語っているのである。そして番組のもう一つのハイライトは、ネルソンさんがアメリカ人政治学者のダグラス・ラミス元津田塾大学教授と9条について語り合う場面だ。VTRは少なくとも今から10年近く前のものであるはずだが、その内容は、まさに現在の安倍政権を巡る日本の状況を示唆している。引用しよう。
ネルソン「平和憲法は日本人が考え出したものではないとか、アメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。しかし誰に貰ったかは問題ではありません。平和憲法は私達が進むべき未来を示しています。例え宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです」
ラミス「私達は平和憲法の下、平和な日本で暮らしています。日本は世界一の平和国家と言われています。でも同時に沖縄には米軍基地がある。これはファンタジーです」
ネルソン「確かにそこは大きな問題です。日本人は間接的に戦争に関与してきました。しかし9条のおかげで直接的に戦争には関わっていません。言い換えると第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。そこが私には素晴らしいと思えるのです」
日本国憲法は“誰がつくったか”が本質ではない。条文が示す「戦争放棄、戦力不保持、平和主義の理念を見つめるべき」そうネルソンさんは訴えるのである。昨今、護憲派の人々は、改憲派やネット右翼らから「脳内お花畑」とか「9条教」などと揶揄されている。しかしネルソンさんが9条をこれほど高く評価するのは、戦場で人を殺し、生還後もPTSDに苦しんできた自身の体験があるからだ。
ネルソンさんは決して夢想家ではない。少なくとも、戦場の実態を知っているという意味では、安倍首相をはじめとする殆どの改憲派の人達よりもリアリストだろう。戦争で人を殺さず、殺されないこと。その事をはっきりと規定した9条の条文が、ときの権力者の暴走に歯止めをかけてきた。ネルソンさんの言葉は、その事実を改めて私達に突きつける。
あの戦争の終結から70年。人を殺し殺されることが「当たり前の事実」になる日を目の前にして、私達はこのまま、手をこまねいているだけでいいのだろうか。(リテラ)
(民守 正義)
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