「戦争法案-反対」の蠢き(10)

「戦争法案-反対」の蠢き(10)


《「強行採決」(7月15日)以降のあれこれ③》

<瀬戸内寂聴さんの「憂い」と訴え>

作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんが19日、京都市の寂庵で定例の法話を開き、集団的自衛権行使を可能にする「戦争関連法案」の衆議院通過を受け「何とか覆さなければならない。若い人達が立ち上がっているから、希望がない訳ではない」と訴えた。自身の戦争体験にも触れ「戦争は『集団人殺し』。世のため人のための戦争など存在しない」と指摘。「かわいい息子や孫が戦争に連れて行かれ、行けば殺さないと殺される」と語った。与党による採決強行という手法と安倍首相も批判し「多くの人が反対した事は歴史に残る。安倍さんがいかに悪い政治家だったかも歴史に残る」と強調した。

<「アベ政治を…」あの筆文字プラカード、コンビニで拡散!>
「戦争関連法案‐反対」等の集会・デモで参加者が掲げ、ぶら下げているプラカードなどは元々「手作り自主参加」等の趣旨もあって各参加者が自宅等で作成して個々人持参で参加しているのだ。(ネット右翼や10代の女子に愚弄された礒崎首相補佐官、右翼ゴロ作家‐百田尚樹等は「な~んも知らんくせに『大半がアルバイト』」とツイートでデマ拡散をしている。私は右翼ゴロがデマ拡散するのは「世の常」と常識的に認識しているが、それにしても下劣・品性等の低さには「怒り」より「情けなさ」「哀れ」に感じる)
 ところが最近では手書きに代わってコンビニで印刷したものが増えている。共感するメッセージをすぐに入手できる手軽さが受け、幅広い世代に広がっている。
 18日午後1時には「戦争関連法案」の採決強行した安倍政権への抗議を込めた同じプラカードが各地で一斉に掲げられた。「PEACE NOT WAR」ある3週間前に初めてデモに参加する際、直前にコンビニに立ち寄って印刷した。「参加しようと思ったその日にプラカードを持って行ける。もっと多くの人に知って欲しい」と話す。メッセージ入りのプラカードを多くの人が共有できるのは、コンビニで画像を印刷できるサービスを活用しているからだ。メッセージを発信したい側は、専用ホームページにパソコンやスマートフォンから画像を登録。印刷に必要な番号等をツイッターやフェイスブック等で画像とともに拡散する。それを見て「いいね!」と感じた人がセブンイレブンやローソン、ファミリーマート等にある複合機で番号を入力すると印刷できる。
 A3サイズなら白黒は1枚20円、フルカラーは100円。衆議院特別委で「戦争法案」採決が強行された際、委員長を取り囲んだ野党議員は「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを掲げ抗議した。同じプラカードは18日午後1時、全国各地で一斉に掲げられた。
 ノンフィクション作家の澤地久枝さん、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんらが呼びかけ、プラカードはセブンイレブンやネットで入手できるようにした。約6千人(主催者発表)が集まった国会前デモ。ある年配女性はコンビニで印刷してきた友人にプラカードを分けてもらった。「気軽に思いを伝えられる。便利な時代になりましたね」 澤地さんは「反対だと思う人が手を繋いだ時、政治は変わります」と話した。事務局は「18日午後5時までに、ほぼ全ての都道府県から5百通以上の活動報告メールが寄せられている」と話す。
■「同じ経験、させてはいけない」 俳人の金子兜太さん
 「アベ政治を許さない」の文字を書いたのは俳人の金子兜太さん。「どれだけ頼まれても戦争は二度と行きたくない」敗戦の前年、海軍の主計中尉として南太平洋・トラック島に赴任した。手製手投げ弾の実験が失敗し目の前で工員の腕が吹き飛び背中がえぐれた。即死だった。「これからの人達に同じ経験をさせてはいけない」その思いを筆に込め一気に書き上げた。「許さない」と書きつつも、米国に「夏までに成立する」と約束し、同法案成立へと直走る日本の首相の言動をみると「気の毒にも思える」という。「でっち小僧が旦那になだめられたり引っぱたかれたり、時々菓子をもらったりして、いいようにされている姿を想像してしまう」揮毫は旧知の作家、澤地久枝さんから6月上旬に依頼された。色紙を受け取った澤地さんは「素晴らしい迫力だった」と感激してくれた。金子さんは、自分の文字が揺れるデモの光景をテレビで目にし「『反対』の声はじわじわ効いてくるはず」と感じている。

<「戦争法案」反対、学者150人会見!>

幅広い専門分野の研究者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」が20日、東京都学士会館で記者会見し、廃案を求める声明を発表した。呼び掛け人でノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京大名誉教授は「首相の判断で戦争ができる法案だ」と強く批判した。
会見には上野東大名誉教授、池内名古屋大名誉教授、山口法政大教授、小森東大教授、吉岡九州大教授ら約150人の学者が参加した。学者の会には20日現在で1万1千人以上の学者・研究者が賛同。今後、若者らと連携した抗議活動も予定している。(リテラ)

<今度は最高裁元判事たちが「集団的自衛権は違憲」と表明!(リテラ)>
「戦争法案」で参考人招致された学者や長官達の違憲表明は大きな波紋を呼んだが、しかし政府は一貫して「参考人の一人の意見」と一蹴した。その際、菅官房長官や高村副総裁が持ち出したのが最高裁だった。「憲法の番人は最高裁判所であって憲法学者ではない」。
しかし、この認識自体が「国会法」で定めている「憲法審査会」規定の趣旨を、まったく理解していない。多少、専門的理解が必要に思えるが「憲法審査は三権分立の中において三角関係(行政・立法・司法)の相互においてチェックしあうもの」が前提であって法学上は「基本中の基本」である。「高村」は弁護士らしいが、もはやプライドだけで基礎知識もボケた「頭のカビ」ではないか。それはそれとして、その最高裁元判事達でさえ次々と違憲を表明、政府批判を口にしたのだ。2012年まで最高裁判事を勤めた那須弘平さんは、7月9日に開かれた日弁連集会で集団的自衛権容認を「違憲」と断定し安倍政権をこう批判している。
「憲法解釈の変更が行われるというのは、法律的にも政治的にも認めがたいことである」
 また、安倍政権が主張する「周辺国からの脅威、安全保障環境の変化」についても「日本の安全が本当に脅かされるほどの緊急かつ深刻な事態が現に発生しているかという事だ。しかし現実にそういう事が起きているのか。そうは思えない」と、その大前提となる根拠にも大きな疑問を呈したほどだ。更に7月10日に放映された『報道ステーション』では01年から06年までの5年間、最高裁判事を勤めた濱田邦夫さんがカメラ取材に応じ「もちろん違憲だ」と断定、安倍政権の動きを憲政無視と批判している。「憲法改正を問うて選挙をしてそれでやるなら、憲政の王道に従う訳ですが、昨年夏の安倍内閣の閣議決定なるものは、昨年12月の選挙の主題になっていない。立憲主義を無視し国民各層の反対意見を無視し、無視するどころか圧殺しようという動きというのは非常に危険だ」また政府が集団的自衛権合法の根拠にしている砂川判決にしても「あくまでも米軍の駐留が問われたもので、今回の集団的自衛権の問題とは全く関係ない」と当然の一刀両断、返す刀で政権幹部達をこう皮肉った。
「高村さんや谷垣さんは私の後輩であり弁護士仲間。優れた政治家で弁護士資格を持つ人達が、なんで自民党の中で安倍さんの意向に従っているのか」(管理者;資格は弁護士でも中身は「政治ゴロ」だからだ)
 おそらく、こうした批判に対し政府は「元最高裁判事といっても、生え抜きの元判事でなく2人とも弁護士から最高裁判事に転身した元民間人。政府に批判的な変わった人達」等と一蹴するかもしれない。(管理者;なら無能「高村」はどうなるのだ!)しかし長年自民党政権と歩調を共にしたゴリゴリ保守派の元エリート官僚でさえ「戦争法制」の批判を口にしている。それが外務省事務次官から最高裁判事になった竹内行夫さんだ。竹内さんはイラク戦争の際、これに反対した天木直人さん(当時駐レバノン大使)を辞任させた対米従属官僚として知られるスーパーエリート官僚であり、08年から5年間最高裁判事を勤めている。
 竹内さんは昨年の解釈変更の閣議決定に対し「許される範囲の変更」だと安倍政権に理解を示していたが、しかし最近になって『報ステ』(7月10日放映)の取材に、こんな苦言を呈したのだ。「(集団的自衛権は)容認しているが、しかし現在の安保法案についての政府の説明を聞いていると、ホルムズ海峡の機雷掃海を集団的自衛権の代表例としているなど問題がある。じっくり時間をかけて審議して国民が理解に至るプロセスが必要だ」退官後も厳しい守秘義務を課せられている元判事達が、次々と現政権を批判する。これは異例の事態といっていい。では、もし近い将来「集団的自衛権」が最高裁で審議されるとしたら、どんな結論が出されるのか。OB達が主張するように「違憲判決」が出されるのか。
しかし残念ながら、その可能性は極めて低い。先ずは現在の最高裁の姿勢だ。最高裁は、これまでも憲法判断を回避する傾向にある。自衛隊の合憲性を争う幾つかの裁判でも現在まで最高裁判例は存在しない。また一票の格差にしても世論からの批判を受け、政治家達の顔色を窺いながらしぶしぶ判断した。最高裁判事とはいえ政治、そして組織や人事から決して自由ではないからだ。
(管理者;いや、それだけではない。「法律家として人生をかけられない根性なし」だからだ。正直に言って本筆者は「ヘタな同情・庇いだてをするな!」)
 そうした判事達の実態を指摘した『絶望の裁判所』によると、絶望の判事は最高裁も例外ではない。「キャリアシステムの中で最高裁判事になる人々は、ごく僅かな例外を除き多かれ少なかれ、他人を踏み付け、なりふり構わず上を目指す事で伸上ってきた人々であり、裁判官本来のあるべき姿からは遠い行いをしてきた例が多い」(管理者;ナルホド!)
「社会が変化しているほど最高裁は変化しておらず、事に統治と支配の根幹に触れるような事柄においては微動だにしていないし全体としても、せいぜい多少の微調整を行っているに過ぎないという方が正しい」本書では更に「日本に本当の意味での憲法判例があるか、どうかさえ疑問」と指摘しているのだ。しかも現在の違憲審査制は具体的争点となる事件が起きたとき、今回でいえば実際に集団的自衛権が行使されたときにしか行われる事はない。
現在の閣議決定だけでは違憲審査を行う事はないのである。また最高裁が仮に「違憲判断」しても、唯一の立法機関である国会が動かない限り事態は変わらない。実際、一票の格差問題でも裁判所の違憲判断にも関らず、定数削減など改善のための動きが一向に進まない事でも明らかだ。だからこそ安倍政権を「戦争法制」を今、止めなければ転がるように日本は戦争への道に向かっていくだろう。
「戦争法制」は衆議院を通過したが、ここで諦めるわけにはいかない!
(民守 正義)