「戦争法案-反対」から「安倍政権‐打倒へ」(4)

「戦争法案-反対」から「安倍政権‐打倒へ」(4)

《「戦争法案」衆議院平和・安全保障特別委員会で「強行採決」警戒警報!》
<「橋下」の「徹底審議された場合には採決すべきだが、
そうでない場合は採決拒否するのはあり」の意味!>
〔7日の経過‐その1;採決日程を決めたがる「維新」〕
民主党‐枝野・「維新」‐柿沢両幹事長は7日、衆議院に共同提出する方針だった「戦争関連法案」の対案一部となる「領域警備法案」について二転しながら共同提出する事になったようだ。民主党幹部によると一時「維新」が「『戦争法案』と対案の採決日程を決めて与党と交渉に入らないと~与党の強行採決を招く」と主張した事に対し、基本的には廃案を目指す民主党としては「予め採決日程を決める事は、全体として『戦争関連法案』の成立を認める」事に繋がるとして「領域警備法案-共同提出」をも見送ったもの。しかし「維新」は再び方針転換して「予め採決日程」を決めずに「共同提出」に了承したようだ。いずれにしても「枝野」は「維新」を相手にし過ぎで、安倍政権の真の意図は「維新」を利用した「与党単独採決の回避(悪魔の囁き)」であり「安倍政権のワナ」である。「枝野」は、弁護士の割には頭の切替えが悪過ぎる。これまでも何回も言ったが「維新」は形式的には野党でも、その本音思いは「橋下」も含めて「与党と共に『戦争法案推進派』だ!そんな『維新』に何を協議し何を連携すると言うのか!?「枝野」は弁護士でテクニカルな「屁理屈・小理屈の駆引き」は労を尽くすのかも知れないが、基本的に「大衆運動家」ではないようだ。院外の日々、高まる若者・市民団体・学者・文化人等々の「戦争法案‐反対」の声を聞け!そして、その大衆行動の蠢きを背景にした「リベラル派野党(特に共産党・自民党リベラル派等)との院内・院外共闘協議を図る事が今、早急に求められる事だ。「枝野」よ!これが最後だ!時間がない!「二度と『維新』と駆引きをするな!」頭を切替えて、もっと広範な大衆と連帯する戦術を考えろ!「アベ」も「若者等の行動が最も神経を尖らせる」と言っている。

〔7日の経過‐その2;「橋下」の「徹底審議された場合には採決すべきだが、そうでない場合は採決拒否するのはあり」の意味〕
上記経過により「維新」は「戦争関連法案」の対案を8日、衆議院に提出する方針を決めた。松野代表は執行役員会で「対案を1回や2回、議論して、そのまま採決するというのであれば、我々は採決には応じられない。しっかり議論して我々の案を、ぜひ実現させていきたい」と述べ、一応は対案について十分な審議時間を確保するよう与党側に求めていく考えを示した。また大阪市‐橋下市長(維新の党;最高顧問)は、記者団に対し「対案は『機が熟した』と言えるところまでしっかり審議してもらいたい。5日間程度の審議で、今月15日の採決では審議が尽くされたとは言えない。徹底審議された場合には採決すべきだが、そうでない場合は採決を拒否するのはありだ」と述べた。
この「橋下」の「徹底審議された場合には採決すべきだが、そうでない場合は採決を拒否するのはありだ」の意味は逆に言えば「7月18日頃までの審議時間を確保してくれれば、どうぞ採決してください」の意味でもあり、結局は「安倍政権の与党単独採決‐回避に協力しますよ」の意味である事を、よく戒めておかなければならない。こうした「安倍政権の目論見」を打破するには、どうすればよいか。やっぱり前述の基本戦略に立ち戻り「アベ」の嫌いなレッテル貼りで「戦争推進派(自民・公明・『維新』)」対「平和擁護・護憲派(民主・社民・共産・『生活』等と学者・若者・文化人・市民団体等のリベラル勢力)との総対決ベクトル・イメージを作り出す事だ。時間がない!15日までに「第一波院内・院外総行動」18日までに「第二波院内・院外総行動」を起こし「極右政権‐アベ」のイメージを徹底的に進化させれば、仮に「強行採決」しても「反‐安陪内閣;支持率急落」は間違いない。
 とにかく、やるしかない。辻元議員とも相談して早急に対策を講じて欲しい。

《「戦争関連法案‐反対!」の声・抗議行動が、まだ押し寄せる!》
<演劇人も「戦争できる国づくり」に反対の声を上げ始めた!>
 日本を戦争のできる国に導く「戦争法制」の強行採決が迫り、様々な分野のアーティスト、表現者が反対の声をあげているが、演劇人の中からも、安倍政権のやり方に対する批判の声が上がっている。
「閣議決定でなんでも決められるなら、民主主義など意味がない」「『反対』を口にするのはあたりまえだ」
 こんな怒りの声をあげたのは竹中直人や、いとうせいこうも在籍したラジカル・ガジベリビンバ・システムでも知られる劇作家・宮沢章夫だ。演劇雑誌「悲劇喜劇」(早川書房)2015年7月号の特集「演劇と戦争 いま思うこと」では、多数の劇作家や俳優が“戦争”をテーマに演劇人として思うことを語っている。
 宮沢が、こうして強い表現で懸念のメッセージを送るのには理由がある。歴史を振り返れば分かる通り、戦争への道は国民がそれと気づかない間にどんどん進み、気がついたときには、もう引き返す事ができなくなっているものだからだ。〈おそらく「戦争」は、それと気がつかぬうちにやってくると想像する。未来の「戦争」だけでなく、過去は明らかにそうだったはずで1930年代、気がついたら泥沼の戦争状態になっていたが、誰も始めは気がつかなかった。今もそうだ。もう戦争は始まっているかもしれない。だから私は演劇を通じて、いかにその事に加担しないかを考えている。不意をつかれるのだ。気がついたら加担しているのだ。今まで通りに舞台を作っていたら、それが知らぬ内に「戦争」に加担している事になっているのではないか。〉
 またトラッシュマスターズを主宰する劇作家・中津留章仁は今、日本が右翼的な動きに傾倒していっている理由として「アジアで随一の先進国ではなくなった」という事実を受け容れられない人が多いからだと主張する。〈この国の近代以降の歩みをみると、豊かさ=経済成長という概念が主たる思想となっています。
 安倍首相の一連の政策の背景には、先ず中国の経済躍進と深い関わりがあるように思います。日本がアジアで随一の先進国ではなくなったという事実を「安倍」や彼を支持する方々は簡単に受け容れる事が出来ないのかもしれません。ですが真の豊かさとは、経済的な側面を示すものではなく、市民の心、つまり豊かな人間性を意味するものであると発想を転換する事が出来るならば、それも容易に受け容れられると私は考えるのです。〉劇作家として“言葉”を重んじる坂手洋二には、安倍首相の語る“言葉”の軽さが気になる。首相の“言葉”には、我々国民の“命”が預けられているのにも関らずだ。集団的自衛権に関する議論に関してはこう批判する。〈しかし軽い。あまりにも軽い。「命」や「死」が、机上の空論としてゲームのコマを運ばせる手つきで語られている。コトバの重みというものは、見事になくなった。〉〈今日の新聞を開いてみよう。ちらりと眺めただけで表層でしかなくなった言葉の弾み方の気味悪さに唖然とする。
 「戦争法制」に対して「新しい」という冠をつける事で、いいことのように響かせる。「国際貢献」「切れ目のない対応」といった曖昧な言い方が軍事を示していることを隠す。「専守防衛」という言葉が「偏った言葉」とされてしまう。PKO業務を「駆けつけ警護」「周辺事態法」を「重要周辺事態法案」 と言いつのる。「自衛隊に課せられていた様々な制約が取り払われる」「米国の防衛政策の一部を肩代わり」を、まるでいい事のように届けようとしている。〉 戦後から70年あまりが経ち何故今、戦争への道へ突き進もうとする政治の動きが過剰になったのだろうか?その理由の一つとして先の戦争を経験し、その悲惨さを、身をもって体験した先人達が、この世からいなくなりつつあるからということが挙げられる。テレビでも活躍する女優で劇作家の渡辺えりは、戦時中に武蔵野の飛行機工場で零戦のエンジンをつくる旋盤工を務め、アメリカ軍による爆撃で九死に一生を得た父の話を聞き、その思いをエッセイに寄せている。
〈父からこの話を聞いたときから私は変わった、自分という内面を見る自分が外に押し出された感覚とでもいうのだろうか?もし父が爆撃で倒れていたら勿論、私はこの世に生を受けてはいない。あの戦争で犠牲になった多くの人達と生まれなかった私と同世代の夥しい数の人間達の姿が現れたと感じた。自分は一人で生きているのではない。生まれるはずだった人達。生まれたくても生まれる事のできなかった人達の分も生かされているのだと強く感じた。そして自分は戦争の中から生まれた子供だったのだと分かったのだった。〉
 先にあげた坂手洋二の指摘した“言葉の軽さ”にもつながる話だが、今この国を戦争を可能にする国へと変えようとしている人達に、この“当事者意識”はあるのだろうか?戦争が始まれば人は死ぬ。それは本当に多くの人達、今、生きている人だけではなく、今後生まれてくる人々の運命をも変えてしまう事なのだ。
 しかし、その“当事者意識”をもちえない人々が、この国には確実に存在し、その影響力はどんどん力を増しているように見える。では、そのような人々に対し、我々はどうすればよいのだろうか? 戦争を軽いものとして考える人々の増えている今、その悲惨さ・悲しさを最も強く伝える戦争教育のあり方について、劇作家の鴻上尚史はこう語る。
〈沖縄の 友人が言います。「平和教育だって言って、修学旅行の生徒達を先ず、ひめゆりの塔とか戦争関係の所に連れていくんだよ。そんな事したら、みんな深刻な顔になって、沖縄を楽しめないんだよ。逆なのだよ。沖縄に来て、青い海や青い空でさんざん遊んで「沖縄サイコー!」てなった最終日、戦争の傷跡を見せるんだよ。「ええ! こんな素的な場所で、こんな事が!?」って呆然としたまま、飛行機に乗せるのだよ。それが沖縄を理解する正しい順番なんだよ」〉
 鴻上が語った戦争教育の考えは、文筆家である吉田健一の言葉で、後にピチカート・ファイヴの小西康陽が引用し若い世代にも知られるようになった名文「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着する事である」に通じるものがある。
 圧倒的な数の暴力で強引な政治を行おうとする与党に対し、一市民である我々ができることはあまりにも少ないが、負けずにこの平和で豊かな生活に執着し続けたい。本当に戦争が始まってしまってからでは、もう遅いのだから。
               
(民守 正義)