「戦争法案-反対」から「安倍政権‐打倒へ」(3)

「戦争法案-反対」から「安倍政権‐打倒へ」(3)


《「戦争法案」衆議院平和・安全保障特別委員会で「強行採決」警戒警報!》
<「反‐戦争関連法案」から「反‐安倍政権・打倒!」キャンペーン>
《「戦争関連法案‐反対!」の声・抗議行動が、まだ押し寄せる!》
<「橋下」オマエ「もう辞める」と言うたんちゃうんか!?>
 橋下大阪市長(維新の党最高顧問)が「大阪都構想住民投票敗北記者会見」で「もう政界から引退する」と公然と言っていたくせに7月4日には「関西維新の会」設立を目指す考えを明らかにした。「関西の単位でいつでも国政政党にできるようにする」とも述べ、政党化を視野に入れて取り組むという。どうも、その真意の程は定かには分からないが、おそらく「戦争関連法案」の対応を見ても「安倍政権」に牽制・距離をおき安倍政権の「維新―対案」協議次第では、民主党との連携も図りながら「採決にも加わらない」との「維新―独自性」を示そうとする「維新―松野グループ(東京組)」に対して、安倍政権に「大阪都構想」で世話になり「民主党嫌い」の橋下が「独自・関西別働部隊(分裂)」になっても「戦争関連法案-採決参加」で「安倍政権のお役に立とう」とする「橋下の企て序章」⇒「維新の党執行部の牽制」と見るのが最も妥当だろう。だいたい私の長年の大衆運動経験からしても「戦争法案‐採決」というような重要な局面になると「橋下」のように権力と「やや運動側」との間をチョコチョコ動く「大物に見せたがる小物‐政治ゴロ」がいるものだ。
 それが「橋下」だ。オマエ「辞める」と言うたんちゃうんか!また「ウソツキ」だ!
 こんな人間のクズに、もうマスコミも有権者も「橋下さんなら何か、やってくれんちゃうんの~♪」なんてバカ言う連中には「退場しろ!」と言いたい。と同時に民主党「枝野」に言いたいのだが、貴方に大衆運動の活動経験がどれだけあるか知らないが「安倍政権支持率の低下」等、各世論調査で「安倍政権不利」の結果が軒並みに出てきたのは、民主党が「維新-松野」と政治的テクニック・駆引きを行っていることが功を奏したわけではないことは言うまでもない。
 若者・女性・学者・文化人・市民団体等々が点から線、そして面へと世論が胎動し始めたからだ。そして、これからも「反‐戦争関連法案」から「反‐安倍政権・打倒!」への世論喚起と院内リベラル野党との連結を図ることが基本原則であることを忘れてはならない。そして「維新」との連携については「松野」であろうが「橋下」であろうが「連携するリベラル野党」からは一線を画して慎重に対応すべきことを忠告しておく。
 再度、言うが「アベ」自身が認めているように、本当に一番、神経質になっているのは「内閣支持率(国民世論)」と「実際の国民の行動(若者等)」である。
たまには辻元議員(民主)と一緒に大衆団体と共に横断幕を持てばと思う。

<「友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません」>
【アフガニスタンの戦争の現実‐スピーチ全文掲載】
「戦争に参加するなら武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか」こうスピーチしたのは、三年前にアフガニスタンの子供達と数か月を共に過ごした経験を持つミキさん。彼女は2015年6月27日に渋谷ハチ公前で行われた「SEALDs(シールズ)」主催の「戦争立法」に反対する集会に登壇し、自身が目の当たりにした「戦争の悲惨な現実」について痛切に訴えた。ミキさんはアフガニスタンで垣間見た「戦争」の一端について触れ、日本国憲法について「今ある『普通の国』のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいもの」と語った。そして「憎悪の連鎖」を止め、平和と安全を達成するためには「徹底して武力行使をしないこと」と真剣な面持ちでスピーチした。
 人で溢れ返った渋谷ハチ公前では、彼女のスピーチに涙し「そうだ!」の声をあげる多くの人の姿があった。ネット上でも大変な反響を呼び、拡散している。以下、ミキさんのスピーチの全文書き起こしを掲載する。
〔以下、ミキさんスピーチ全文書き起こし(要約)〕
いきなり戦争だなんて大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。でも私は怒り狂っている訳でも、バカの一つ覚えみたいに反戦を叫んでいる訳でもありません。確かに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。日本は今年、戦後70年を迎えました。「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争は どこか野蛮な国の人達が行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。そして戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し殺される論理の中にいました。それは悲劇以外の何物でもありません。だけど今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうといつの間にか私達は、思い込んでいます。だけど戦争は70年前だから起こったのでしょうか。今の私達だって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。
 今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっている訳ではないのです。各々の信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちにきっと変わりはないはずです。そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。
 今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だった訳ではない。私達の持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し話し合って、ようやく幾つかの約束事として形にしてきたのではないでしょうか。その積み重ねの最たるものの一つが日本国憲法です。そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、 ちょうど戦争をしない日本に私達は生まれてきました。
 だから歴史上の今の日本だけを切り取って武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて簡単に確信を持てません。一度戦地にいけば、幾らでも戦争のきっかけは生まれ「やり返せ」と私達の感情に訴えてくるはずです。私達がすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまう事なんでしょうか。捨てる事は簡単かもしれないけれど、私は、先人達の思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。むしろそれを生かして犠牲のない世界を作れると信じたいのです。馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。
戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、その事について本当によく考えられているでしょうか。日本だけがイラク戦争について検証も反省もしていません。それは物資の支援だけで多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。先ずは過去から振り返ってその責任に向き合うべきでしょう。テロリスト達はどうしてテロリストになったのでしょうか。彼らの多くは報復を目的としています。それは戦争が原因であったり、社会への不満があったりします。日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。協力したアメリカの政策に落ち度はなかったでしょうか。本当に向き合うべきことは、テロリストを生み出した今の世の中ではないでしょうか。テロリストは残酷で武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。
 だから私は彼らも許せません。自分達の正しさを押し通すために武力を用いる彼らを私は許せません。だけど、だからこそ何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなのです。9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、何があっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも許されるべきではないはずです。
なぜなら戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。これ以上の連鎖をとめるために、私達は自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。
聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。
 戦争は人を傷つけます。子供や未来も傷つけます。戦争は町や人を破壊します。
 70年間、言われ続けた戦争の恐ろしさを伝える言葉達に新鮮さを感じなくなって蔑ろにするようになっていませんか。どうか想像してみてください。戦争の恐ろしさと過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私達と、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら過去を悔いて、武力行使を放棄する私達。各々の道の先には何が待っているのかを。私達はかつて後者にいたはずで、そしてこれからも同じ選択をしていきたいのです。私は長い長い紛争で何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。
 3年前、生きるために親元を離れて治療をするアフガニスタンの子供達に出会い、数カ月を共に過ごしました。アフガニスタンでは長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で決してかわいそうな存在ではありません。
 手足がなくても顔に火傷を負って差別されても子供達は助け合い、大抵の事は自分達で出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして大切な成長期に親元にいられない事や、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦争の結果で戦争の現実にほかなりません。
 子供達が、あんな思いを今しているのは「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。私が出会った子供達の人生は、物語でもないし美談でもありません。
 アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんな事はあってはならないのです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。だから、こういう現実を見たからこそ、なお私は理想を掲げ続けたいのです。戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。
 きっと1人目の日本人犠牲者が出たら、その憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。
 国の政策も国民の感情も歯止めがきかなくなります。今もう既に様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きる事を、ここでやめましょう。この法案が通って初めの自衛隊員が亡くなる前に、または自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。アフガニスタンには大切な小さな友人達がいます。
 彼らやその家族を日本人が、日本人の作った武器が、傷つける事に私は耐えられません。
 この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つく事に私は耐えられません。やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていく事に私は耐えられません。私達の憲法は、今ある普通の国のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。徹底して武力行使をしない事こそが、世界の平和と安全を形作るものだと信じています。
 今、実は反対しているのに声を上げていない人が私の周りにはたくさんいます。そういう人達に聞いてもらいたい。犠牲者が出てからでは遅いのです。福島の原発事故で、その事を痛い程私達は突きつけられました。法案が通って人が亡くなった時「だからそうだと思っていたんだ」と「僕の、私の思っていた通りになった」と優越感に浸るんですか。反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。そんな事を、また繰り返すのですか。声を上げるなら今です。
 「SNSでいいね!」が増えても、安倍さんに危機感を持たせる事はできないでしょう。彼は彼の人生における大きな使命を今全うしようとしているのですから。私達も、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。国会前に集まってください。デモで一緒に歩いてください。想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては私達の意志は伝わりません。忙しいのにわざわざ来るからこそ意味があるのです。「疲れているけれど、行かなくては」と思うそのエネルギーに驚くのです。(そうだ!アベは鈍感だから!)
 彼も私達と同じ人間ならば何万、何十万人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。私達が反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして無視してはいられないでしょう。憎悪の連鎖を私達自身が止めましょう。過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私達は誓ったはずです。
 私達なら止められる。私達が止めるのです。
 本年6月27日、私は戦争法案に反対します。
(民守 正義)