安倍総理「戦争関連法案」答弁でも嘘とヤジ…
安倍総理「戦争関連法案」答弁でも嘘とヤジ…
これではNHKが中継を躊躇したのも頷ける。「戦争関連法案」の国会審議が26日から始まっているが、NHKは初日の中継をしなかった。各方面から批判を受けて翌27日から。ようやく中継を行ったが、分かったのは、とにかく安倍首相の答弁がデタラメで、とてもまともな議論になっていないということだった。何を聞かれても正面から答えずに話をそらす。明らかな嘘を、さも本当のように言い張る。愚か者の一つ覚えのように同じ答弁を繰り返す。
例えば「専守防衛」について。政府はこれまで「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使」する受動的なものだと説明してきた。それが今回の「戦争関連法案」では「日本が直接、攻撃されていない場合でも『わが国と密接な関係にある他国』攻撃を受け『新3要件』を満たせば、自衛隊が集団的自衛権を行使して反撃できる」としている。単純に言えば、日本が攻撃されていなくても、自衛隊が反撃できるということだ。これに対して民主党;長妻代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか?」と質したが、安倍総理は「全く変わりはない」と即座に否定する。「(他国が攻撃された場合でも)わが国の存立が脅かされる事態なのだから、これを防衛するのは、まさに『専守防衛』」というのが理由らしいが、これで国民は納得するだろうか。そもそも「新3要件」の最初にある「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」事態(存立危機事態)とはいっ たいどういう事態で、誰がどう判断するのか? 安倍総理の答えは驚くべきものだった。先ず存立危機事態とは「国民に、我国が武力行使を受けた場合と同様な 深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」で、判断基準については「様々な要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」というのである。だ・ か・ら、「国民に、我国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」とはいったいどういう状況で、誰がどう判断するのかを聞いているのに、安倍総理は一切、答えず、同じ答弁を延々と述べる。聞いているこっちの方がイライラする。
要するに、安倍総理は根拠が無くても全く気にならないのだ。得意の「アメリカの戦争に巻き込まれない」論は国会答弁で更にバージョンアップした。「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。そうした批判が全くの的外れであったことは歴史が証明している」「戦争法案というのは全く根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」とまで言い切った。
根拠が無いのは、いったいどっちだ。
もう一つ、よく言う「一般に海外派兵は認められていない」も耳タコだ。集団的自衛権行使が認められても、自衛隊が他国の領土、領海、領空で武力行使することはないと言いたいらしい。20日の民主党;岡田代表との党首討論でも「海外派兵は一般に禁止されている」「我々は、外国の領土に上陸 して、まさに戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはしない、とハッキリ申し上げておきたい」と言い切っていた。ところが、安倍総理が執心するホルムズ海峡での機雷掃海について問われると「『一般』の外だ。例外的に認められる」と言い出す始末。あるいは「米軍艦船が相手国の領海で襲われたら、自衛隊は何もしないのか?」と聞かれると、安倍総理は「極めて重要な当てはめをしていく」と武力行使の可能性を否定しない。平気で矛盾したことを言い切るのも、安倍答弁の特徴だ。
「戦争関連法案」によって自衛隊の活動範囲は全地球に及び武器制限も大幅に緩和される。当然、自衛隊員が人を殺し、殺されるリスクは格段に高まる。ところが安倍総理は、それを絶対に認めようとしない。「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」「後方支援は危険を回避して活動の安全を確保した上で実施する。新たな仕組み(新「戦争関連法案」)はリスクとは関係がない」。安倍総理の理屈は「自衛隊の活動は安全な場所に限定し、危なくなったら退避するから安全だ」というものだが、その一方で、こんなことも言っているのだ。「PKOや災害派遣など、自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけのものだ」。つまり、自衛隊は既に危ない任務を負っているので、それ以上の新たなリスクが増えるわけではない」と言いたいようだ。だが、前者の「危険な場所で活動しないから安全だ」(絶対安全)と後者の「現状より危険は増えない」(相対安全)では、全く意味が違うのは言うまでもない。
そうかと思うと「日米同盟が強化されると抑止力が高まり(自衛隊が)攻撃される可能性がなくなる」といった珍妙なことを言い出したりもする。 要は、自衛隊員の命などうでもいいと思っているのだ。その本音が出たのが「木を見て森を見ない」発言だ。野党が自衛隊員のリスクについて、しつこく質問してくることに対して、自民党役員会で思わずそう漏らしたという。
そして、ついに国会の答弁でも「(自衛隊員の)リスクはないとは言っていないが、日米同盟の強化によって国民全体のリスクは減少していく」と言い始めた。
国民全体(森)の安全が保たれるのだから、自衛隊員(木)の一人や二人死んでも構わないという発想だ。
しかも安倍総理本人が目の前にいる野党の質問者を、やり込めることに夢中で、自分の発言が自衛隊員の命をないがしろにしていることに気づいていないから、呆れるばかりだ。逆ギレや不適切発言も甚だしい。「アメリカの戦争に巻き込まれるリスクがあるか?」という再三の質問には「日米同盟強化でリスクが増えるとお考えか?」と逆質問し、「なぜ、これほど急ぐ必要があるのか?」という質問に答えられず、逆に「何か起こってからは遅いでしょう。あなたはそう思いませんか?」と聞き返す。
民主党;辻元議員が質問の趣旨を述べていると「早く質問しろよ」とヤジまで飛ばす始末である。
こうした状況を見かねた政治学者の山口二郎さんが、ツイッターでこうつぶやいていた。〔安倍総理の頭は「戦争関連法案」の審議に耐えられるだろうか。だが考えようによっては、何も考えないからこそ、論理の破綻や矛盾に苦痛を感じず、一定時間を噛み合わない答弁で過ごして平気だともいえる〕
平然とウソをつき、 罪悪感が皆無で、自分の行動責任をとる気が一切ない。以前、指摘したサイコパス(反社会的人格)がまた証明されてしまったようだ。
余談だが「安倍」の成蹊大学時代の恩師は「安倍君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融等は最初から受け付けなかった」。なるほど、だから共産党:志位委員長の質問「ポツダム宣言」も知らないのか。とにかく偏差値は相当、低いようだ。
では「安倍」の保守思想はどこから来たのか。よく言われるのが、幼い頃、祖父の岸信介邸に押しかけた安保反対デモの中で「おじいちゃんは正しい」との思いを心に刻んだという。また、これに加えて家庭教師だった平沢勝栄(現自民党代議士)に連れられて東大「駒場祭」に連れて行かれた時の話が出ている。当時は佐藤内閣で学生運動が盛んな時期だった。駒場キャンパスも「反佐藤」の展示や看板で溢れていた。そんなムードに「安倍」は、学生運動=「反佐藤」「祖父の敵」を感じたという。
この刷り込まれた「左翼=身内の敵・おじいちゃんの敵」という生理的嫌悪感が、今も辻元議員らを相手にすると頭をもたげ、ついムキになってしまうということらしい。
国会答弁も、保守的な政治スタンスも結局、要は小学生の幼稚なメンタリティの延長か。こんな薄っぺらい男の薄っぺらい「保守=好戦思考」によって、日本は「戦争をする国」に引きずられていくのかー。
《「でたらめ答弁」の繰返し》
これではNHKが中継を躊躇したのも頷ける。「戦争関連法案」の国会審議が26日から始まっているが、NHKは初日の中継をしなかった。各方面から批判を受けて翌27日から。ようやく中継を行ったが、分かったのは、とにかく安倍首相の答弁がデタラメで、とてもまともな議論になっていないということだった。何を聞かれても正面から答えずに話をそらす。明らかな嘘を、さも本当のように言い張る。愚か者の一つ覚えのように同じ答弁を繰り返す。
例えば「専守防衛」について。政府はこれまで「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使」する受動的なものだと説明してきた。それが今回の「戦争関連法案」では「日本が直接、攻撃されていない場合でも『わが国と密接な関係にある他国』攻撃を受け『新3要件』を満たせば、自衛隊が集団的自衛権を行使して反撃できる」としている。単純に言えば、日本が攻撃されていなくても、自衛隊が反撃できるということだ。これに対して民主党;長妻代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか?」と質したが、安倍総理は「全く変わりはない」と即座に否定する。「(他国が攻撃された場合でも)わが国の存立が脅かされる事態なのだから、これを防衛するのは、まさに『専守防衛』」というのが理由らしいが、これで国民は納得するだろうか。そもそも「新3要件」の最初にある「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」事態(存立危機事態)とはいっ たいどういう事態で、誰がどう判断するのか? 安倍総理の答えは驚くべきものだった。先ず存立危機事態とは「国民に、我国が武力行使を受けた場合と同様な 深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」で、判断基準については「様々な要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」というのである。だ・ か・ら、「国民に、我国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」とはいったいどういう状況で、誰がどう判断するのかを聞いているのに、安倍総理は一切、答えず、同じ答弁を延々と述べる。聞いているこっちの方がイライラする。
要するに、安倍総理は根拠が無くても全く気にならないのだ。得意の「アメリカの戦争に巻き込まれない」論は国会答弁で更にバージョンアップした。「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。そうした批判が全くの的外れであったことは歴史が証明している」「戦争法案というのは全く根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」とまで言い切った。
根拠が無いのは、いったいどっちだ。
《「矛盾答弁」は平気》
もう一つ、よく言う「一般に海外派兵は認められていない」も耳タコだ。集団的自衛権行使が認められても、自衛隊が他国の領土、領海、領空で武力行使することはないと言いたいらしい。20日の民主党;岡田代表との党首討論でも「海外派兵は一般に禁止されている」「我々は、外国の領土に上陸 して、まさに戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはしない、とハッキリ申し上げておきたい」と言い切っていた。ところが、安倍総理が執心するホルムズ海峡での機雷掃海について問われると「『一般』の外だ。例外的に認められる」と言い出す始末。あるいは「米軍艦船が相手国の領海で襲われたら、自衛隊は何もしないのか?」と聞かれると、安倍総理は「極めて重要な当てはめをしていく」と武力行使の可能性を否定しない。平気で矛盾したことを言い切るのも、安倍答弁の特徴だ。
「戦争関連法案」によって自衛隊の活動範囲は全地球に及び武器制限も大幅に緩和される。当然、自衛隊員が人を殺し、殺されるリスクは格段に高まる。ところが安倍総理は、それを絶対に認めようとしない。「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」「後方支援は危険を回避して活動の安全を確保した上で実施する。新たな仕組み(新「戦争関連法案」)はリスクとは関係がない」。安倍総理の理屈は「自衛隊の活動は安全な場所に限定し、危なくなったら退避するから安全だ」というものだが、その一方で、こんなことも言っているのだ。「PKOや災害派遣など、自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけのものだ」。つまり、自衛隊は既に危ない任務を負っているので、それ以上の新たなリスクが増えるわけではない」と言いたいようだ。だが、前者の「危険な場所で活動しないから安全だ」(絶対安全)と後者の「現状より危険は増えない」(相対安全)では、全く意味が違うのは言うまでもない。
そうかと思うと「日米同盟が強化されると抑止力が高まり(自衛隊が)攻撃される可能性がなくなる」といった珍妙なことを言い出したりもする。 要は、自衛隊員の命などうでもいいと思っているのだ。その本音が出たのが「木を見て森を見ない」発言だ。野党が自衛隊員のリスクについて、しつこく質問してくることに対して、自民党役員会で思わずそう漏らしたという。
そして、ついに国会の答弁でも「(自衛隊員の)リスクはないとは言っていないが、日米同盟の強化によって国民全体のリスクは減少していく」と言い始めた。
国民全体(森)の安全が保たれるのだから、自衛隊員(木)の一人や二人死んでも構わないという発想だ。
《歴代総理でも行儀の悪い「野次総理」》
しかも安倍総理本人が目の前にいる野党の質問者を、やり込めることに夢中で、自分の発言が自衛隊員の命をないがしろにしていることに気づいていないから、呆れるばかりだ。逆ギレや不適切発言も甚だしい。「アメリカの戦争に巻き込まれるリスクがあるか?」という再三の質問には「日米同盟強化でリスクが増えるとお考えか?」と逆質問し、「なぜ、これほど急ぐ必要があるのか?」という質問に答えられず、逆に「何か起こってからは遅いでしょう。あなたはそう思いませんか?」と聞き返す。
民主党;辻元議員が質問の趣旨を述べていると「早く質問しろよ」とヤジまで飛ばす始末である。
こうした状況を見かねた政治学者の山口二郎さんが、ツイッターでこうつぶやいていた。〔安倍総理の頭は「戦争関連法案」の審議に耐えられるだろうか。だが考えようによっては、何も考えないからこそ、論理の破綻や矛盾に苦痛を感じず、一定時間を噛み合わない答弁で過ごして平気だともいえる〕
平然とウソをつき、 罪悪感が皆無で、自分の行動責任をとる気が一切ない。以前、指摘したサイコパス(反社会的人格)がまた証明されてしまったようだ。
《薄っぺらい「安倍」の保守主義》
余談だが「安倍」の成蹊大学時代の恩師は「安倍君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融等は最初から受け付けなかった」。なるほど、だから共産党:志位委員長の質問「ポツダム宣言」も知らないのか。とにかく偏差値は相当、低いようだ。
では「安倍」の保守思想はどこから来たのか。よく言われるのが、幼い頃、祖父の岸信介邸に押しかけた安保反対デモの中で「おじいちゃんは正しい」との思いを心に刻んだという。また、これに加えて家庭教師だった平沢勝栄(現自民党代議士)に連れられて東大「駒場祭」に連れて行かれた時の話が出ている。当時は佐藤内閣で学生運動が盛んな時期だった。駒場キャンパスも「反佐藤」の展示や看板で溢れていた。そんなムードに「安倍」は、学生運動=「反佐藤」「祖父の敵」を感じたという。
この刷り込まれた「左翼=身内の敵・おじいちゃんの敵」という生理的嫌悪感が、今も辻元議員らを相手にすると頭をもたげ、ついムキになってしまうということらしい。
国会答弁も、保守的な政治スタンスも結局、要は小学生の幼稚なメンタリティの延長か。こんな薄っぺらい男の薄っぺらい「保守=好戦思考」によって、日本は「戦争をする国」に引きずられていくのかー。
(民守 正義)
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