コラムーひとりごと65 「朝鮮人強制連行」の真実
コラムーひとりごと65
「朝鮮人強制連行」の真実
{歴史を隠蔽する風潮}
最近「安倍談話」を巡って「過去の侵略・植民地支配に対する謝罪」を使いたがらなかったり、酷いのは「南京大虐殺・従軍慰安婦制度」もなかったような似非右翼歴史学者の論調も流されている。歴史とは「客観的事実」である。「認めたい・認めたくない」の問題でなく「客観的事実」に如何に率直に受け止め、将来にその経験・教訓を生かしていくべきか。これが邪心のない生きた「歴史学」である。
しかし最近「朝鮮人強制連行」の記録にも、その「客観的事実」を隠蔽する行為が広がってきた。そこで「朝鮮人強制連行の歴史」を研究し続けている外村;東大教授に、その「客観的事実」の研究の程をインタビュー記事紹介してみた。(「朝日」)
{「朝鮮人強制連行」の真実}
Q;強制連行の歴史に拘ったのは何故ですか?
A;「どうせ韓国の味方でしょう」とか「『反日』らしい」とか色眼鏡で見られがちですが、私は日本近現代史の実証を重んじる研究者です。戦前の日本帝国の実像は、裏側の方が良く見える。今後、日本がどんな社会をつくっていくかを考える上でも大切な歴史。韓国・朝鮮人のためというより日本人自身のため、未来のために記憶し、伝えていくべきだと思っている。
Q;「強制連行はなかった」と主張する人がいますが-。
A;とんでもない。朝鮮半島で日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していた事は史料や証言からも否定しようがありません。
政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により「募集」「官あっせん」「徴用」と変わったが、全ての時期で概ね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出された。こんな当り前の史実が近頃、何故か局解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と世間の一部感覚とが、ずれてきたように感じる。
Q;何故こんなことに?
A;特に90年代半ばから史料の発掘が進み、様々な話が出てきた。朝鮮人の待遇が日本人より良かったとか、自ら望んで来た人がいたとか。いずれも事実の断片である。
では暴力的な連行や虐待は例外だったかと言うと、それは違う。
事実というものは無限にある。都合のいい事実だけを繋ぎ合わせれば別の歴史も生まれる。でも、それは「こうあってほしい」という歪んだ願望や妄想に近い。慰安婦問題で国が直接、連行を命じた文書が出ていない事に乗じ強制連行までも「なかった」事にしたい人がいるのでしょう。
Q;事実の断片と歴史の本筋。どうすれば見分けられますか?
A;何が一般的で何が例外的な出来事だったかを見分けるには幅広い史料にあたり、ミクロとマクロの両方から押さえる必要がある。日本統治機関である朝鮮総督府の調べでは、太平洋戦争開戦前年1940年に朝鮮農村で「転業」を希望していた男性は24万人程度しかいなかった。朝鮮内部の動員や満州移民もあったから、その年だけでも底を付く人数だ。翌年から人集めが大変になったのは疑いようがない。実際、内務省の朝鮮派遣調査によると、動員の実情について「拉致同様な状態」と文書報告している。また当時の厚生省出張職員も1945年1月「袋叩きににされたり刃物を突きつけられたり命がけ」と報告している。それほど抵抗が広がっているのに、日本帝国は無理に無理を重ね、逆に動員数を増やしていった。
Q;そこまで動員数を増やしたのは何故ですか?
A;政府が目指したのは、あくまで戦争勝利。そのために労働力を総動員し、石炭や食料を増産しようとした。朝鮮人が多く投入されたのも炭鉱だ。炭鉱は重要産業なのに人手不足。待遇が悪く労務管理も劣悪。本来なら機械化と意識改革を進めるべきだった。しかし業界は朝鮮農村の困窮や無知に付け込み、安い労働力を確保しようとした。ただ当時の朝鮮人は識字率も低く、電気もない生活水準で労働者を集めるのは至難。とにかく若い男を呼び出し、最後はトラックに押し込む事態だった。
Q;「募集」段階では「強制」はなかったという人もいますが-?
A;初期段階から当局は深く関っている。例えば業者募集係に同行し、日本人警官が家の前に立つ。役人から呼び出しがかかる。それだけで多くの朝鮮人が恐れをなし、おとなしく応じる。断って痛い目にあったという噂は出回っていた-それが植民地。その後、戦局の悪化と共に「暴力性」はより顕著となった。
Q;最後は「徴用」までしたということですか?
A;そこが誤解されがちですが「徴用」は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので国の栄誉を担う労働者だったのだ。
だから日本人は戦争初期から徴用された。
ところが朝鮮人に徴用制度が適用されたのは戦争末期1944年。徴用令を適用しないまま、多くを動員したのが特徴だった。
Q;何故ですか?
A;日本人と違って、ちゃんとした権利を持つ主体ではなく法に基く行政命令がなくても動かせると看做していた。安くても厳しくとも文句を言わずに働くだろうと-差別意識があったから。
Q;最近の外国人労働者問題に似ていますね。
A;そうです。「人手不足が深刻な分野で、賃金UPや労働環境改善によって日本人を定着させるのではなく、低賃金でも働く外国人を期間を限って働かせる」という発想は同じ。
Q;裏側から「日本帝国」のどのような姿が見えてきましたか?
A;戦争に勝つための国家運営・構想・政策と、ほど遠かった現実。総力戦では、まさにその国の素の姿が現れる。英国では労働運動が盛んで、労働者の意見を取り入れた方が生産性も上がると考えた。日本では民主主義も労働運動も弱かったので「ともかく働け」となった。民主主義を欠いた社会が、十分な準備も態勢もないまま無謀な目標に突き進めば、結局は、その社会で最も弱い人々が犠牲になる。社会全体も人間らしさを失っていく。そういう歴史として記憶すべきだと思う。
<「安倍談話」に向けて>
Q;「安倍談話」が議論になっていますが-?
A;朝鮮半島で起きた歴史を踏まえれば「植民地支配」への「お詫び」は盛り込んで当り前。ただ特定の言葉が入るかどうかだけが問題でなく、もっと若い世代にも語り継いでいく努力‐具体的な行動の積重ね・信頼関係の構築が大切だ。
怖いのは学校教育の現場で「強制連行の問題は厄介だから触れずにおこう」という雰囲気が広がることその気配は既に現れている。追悼碑の問題も自治体は明らかに腰が引けている。しかし地元の人達が強制連行の歴史を掘り起こした地域例も少なくない。そんな歴史があったことを自治体トップがブレズに認め発信する。【歴史の真贋を見抜く力が今、私達に求められている】
<外村教授のインタビューを聞いて>
外村教授の話を聞いて、本当に痛切に感じたのは「日本の加害行為に目を逸らしてはダメだ」ということだ。ピースおおさかでも「日本の加害行為展示」を全面撤去した。
これでは「自虐史観」どころか「主観的・自己満足的戦争史観」だ。戦争は「加害行為」と「被害行為」を一つの総合的出来事として映し出してこそ「歴史事実」となる。
もう行政トップや右翼の輩がガタガタ言うなら市民本位の「草の根-平和展示コーナー」を教組や労組等を中心に移動展示すればどうかと思う。現に賛同者はいる。
(民守 正義)
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