コラムーひとりごと64 「改憲論議」雑感
コラムーひとりごと64
「改憲論議」雑感
{「現行憲法」は歓迎された}
<国民は「憲法祝賀ムード」>
1947年5月3日、皇居前広場には一万人が集まった。「各々の人が今日の感慨に包まれながら来る中に、わけて嬉しげに見えるのは、その権利を封建の圧制から解き放れた女性の輝かしい顔でもある」現行憲法が施行された「朝日」が出した祝賀メッセージである。今「改憲・保守派」がいう「占領軍押し付け憲法」世論等、全くなく、むしろ「軍国主義・圧制からの解放」が世論は包まれた。これが現行憲法施行時の世相真実である。
{国民が望まない「改憲」論議}
現行憲法が施行されて68年。国民は9条の矛盾点があるにしろ、現行憲法を享受しているのに安倍政権は「現行憲法が、現状に合わなくなった」「押し付け憲法だ」等が主要理由で再来年通常国会までには「憲法改悪案」を国会発議し国民投票に持ち込む目論見だ。
憲法改正発議するには、衆参議院2/3以上の賛同議席数が必要だが、衆議院では自民・公明連立与党が必要議席数を有するものの、参議院では満たしていない。
そこで自民党が描いているのが、姑息な「二段階戦略」。自民党が本来的に望む改悪の天王山は憲法9条。でも憲法9条は、実体乖離は別として規定そのものは高い支持を得ている(「朝日」世論調査)。そこで先ず野党の賛同も得やすい「大災害等に備える緊急事態条項」や「環境権」等を改憲先行させて、その後に「9条改正」に取組む。いわゆる「お試し改憲」だ。しかし、この「お試し改憲」も狙いが見え透いているせいか、改憲賛成派も同反対派も過半数が「セコイ!」と反対だ(「朝日」世論調査)。
{今更、通用しない「押し付け憲法論」の押し付け}
最近、安倍政権が「戦争一連法案」が国民世論からは冷ややかなこと、「改憲論議」も「自民党が勝手に言っているだけ」と良いか悪いかは別として「無関心」が優っている事等から、再び「押し付け憲法論」を展開し始めている。(例;GHQ25人委員が、全くの素人で、たったの8日間でつくられた、等々)確かに敗戦国日本が一定、細かい事を言えば「押し付けられ事実」があった事は事実だろうが、その一方、【コラムーひとりごと56「『戦争法案』と『積極的平和主義』」】でも記載したように憲法9条案「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を加えたのは日本側の衆議院「芦田小委員会」だった。その意義は「武装解除と戦争放棄という敗戦国への主権制限に過ぎなかった9条が、国際平和という価値を掲げる条項へと性格が変えるためのものだった」と位置づけている。これこそ日本が69年前に憲法に盛り込んだ「積極的平和主義」だ。つまり「押し付けられ憲法」というが確かに敗戦国日本が、GHQと全く対等平等に「憲法草案」を作成できるはずがなく、そこは日本の「弱い力関係」を前提にしながらも、粘り強い駆引きで日本側主張も取り入れられたものもある事は、先人の努力も含め、認めないといけないことだ。
そして1947年の憲法制定時から今日の世論調査に至るまで、国民の中に「押し付けられた憲法観」はなく、むしろ「我等の憲法」という歓迎感情の方が圧倒的であることに安倍総理をはじめ「保守・右翼派」は、頭を切替えて謙虚にならなくてはならない。その意味で敢えて遠慮なしに言わせて貰うと、安倍総理の今更の「憲法押し付け論」は何の世論効果もなく義父A級戦犯だった戦争遂行者達の「負け犬の遠吠え」としか映らず「みっともないから止めなさい」と御忠信より申し上げる。
{思想から全面改悪の「自民党憲法改悪草案」}
「自民党憲法改悪草案」は「前文」からの全面見直しで、憲法学の基本中の基本「憲法は国家の暴走行為を国民から守るもの」から「天皇=元首をはじめとする国体護持・国民の権利と義務の明確化」と、明治憲法回帰の「思想転換」まで図られている。
具体的な改悪ポイントは「憲法9条-集団的自衛権容認/自衛隊⇒国防軍」また「生命、自由及び幸福の追求」や「表現の自由」等の国民の権利には一々「公益及び公の秩序に反しない限り」という留保が付けられている。だから明治憲法回帰の「天皇によって法律の範囲で恩恵的に認められた人権保障」と評されている。
これが自民党が「理想とする憲法像」かと思うと、あまりにも時代錯誤・非国際的で愕然とするが、安倍政権は既に「改憲手続」を度外視して「集団的自衛権行使容認-閣議決定」「いつでも、どこでも『我が軍』派遣法案(「重要影響事態法」+「国際平和支援法」)の先行国会審議」「マスコミへの横暴介入」「大学自治を尊重しない国旗掲揚・国歌斉唱の要請」と「できる限りの自民党憲法草案の実行化」を推進めようとしている。
だからこそ今、我々に求められているのは、安倍政権が「与党が圧倒的多数を握っている今の内に改憲を!」という「上からの改憲=安倍政権による『押し付けられ改憲』」ではなく国民世論から湧き上がる「現行憲法の再評価と現行憲法を少しでも遵守させる国民の声」を明確に示し対抗することではないだろうか。
(民守 正義)
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