コラムーひとりごと61 「在日特権」と「ヘイトスピーチ」

コラムーひとりごと61
「在日特権」と「ヘイトスピーチ」



{「在日特権」と「ヘイトスピーチ」}
<「在日特権」の認識>
以前、コラム10でも掲載したように「在日特権を許さない市民の会(以下「在日特会」)」が指摘する「在日特権」について、実際に不法な「在日特権」の有無について、地道な検証を行ってきたが、「これが『不法な在日特権!』」と看做される事柄は、今のところ見当たらない。確かに細部では専門家・意識人等の所見を仰ぎたいものもないとは言わないが、そもそも1910年の少なくとも「大韓帝国」側からは望まなかった「日韓併合」により「大韓帝国植民地化-韓国・朝鮮人の日本国籍化」等が歴史的発端であり、そこの歴史的反省無し(「日韓併合」が「むしろ友好・親善的であった」という論があることは知っている)に日本の敗戦の事務的処理として制定した特別永住者規定(1991年11月1日施行『日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法』)や、その特定永住許可者に対する社会諸制度と国内諸制度との整合性や例外規定等が定められていった経過がある。そこの過程で彼等が言う「在日特権」なるものも存在するかもしれないが、今のところの検証状況は見当たらない。しかし、もう少し「特権」なのか「底上げ」なのかの評価仕分けも含め、じっくり検証するつもりだ。

{許されないヘイトスピーチ}
  しかし上記のじっくりした検証議論ならよいが、暴力的・挑発的・差別的な街宣活動となると話は全く違う。現に朝鮮人学校前で、拡声器を使って相当にひどい差別発言-授業妨害を行った。(損害賠償-約12百万円;学校周辺の街宣活動の禁止→最高裁判決)
また街宣活動で、整然としたデモならいいが、敢えて在日韓国・朝鮮人等が多く住む通りで通行人に露骨な差別発言を浴びせて挑発する。こうした行動は、折角の彼等の「在日特権」の問題指摘も吹っ飛び、露骨な差別肯定宣伝になるだけである。
なお少々、強弁かもしれないが、「差別」を「差別でない」と言い訳している間は、まだ啓発と意識改革の可能性があると思うが、「そうだ!差別して何が悪い!」と、堂々と「差別」を肯定するならば、それはもう弾圧の対象でしかない。
 具体的なヘイトスピーチ例として「朝鮮人は全員死にさらせ。首をつれ。焼身自殺しろ。」「いつまでも調子に乗っとったら、鶴橋大虐殺を実行しますよ。」「おまえら朝鮮人は腐れ朝鮮人なんだよ、腐れ朝鮮人。ゴキブリ、うじ虫、朝鮮人。」「殺せ、殺せ、朝鮮人。出てけ、出てけ、朝鮮人。」「なにが子どもじゃ。スパイの子どもやないか。」等々と筆舌しがたい差別・排除、刑事犯罪の教唆・扇動とも言える侮蔑・罵倒発言・暴力的脅威を与えながら「チンタラ差別・侮蔑発言等行進」を行っている。こうした「チンタラ差別・侮蔑発言等行進」を「当然!」と思って行っている方々は、逆に、かつて日系移民がハワイ等で受けた強制収用・排斥・差別等や「今もある」と言われるヨーロッパ等で見られる日本人も含めた有色人種に対する堂々たる差別・排除も、立場が違うだけで日本人への差別・侮蔑も甘んじて、我慢・許容するのですね?差別肯定論者には、自分達に向けられた差別には、どのようなお考えをお持ちなのか知りたい。
(もっとも差別肯定論者には自分が加害行為の場合しか考えていないかとも思うが-)

<ヘイトスピーチの自分勝手の理屈>
 私は「チンタラ差別・侮蔑発言等行進」に実際に参加している方から「何故、そんな酷い『差別・侮蔑発言』をするの?」と聞いたことがある。その答えは「暴力的な言葉を使うことにこそ意味がある。相手の喉元に突撃する。ストレートに相手の嫌がる抗議をする。そこに、この『デモ』の魅力と意味がある」と言っていた。つまり「差別・侮蔑発言」等を行う事自体が目的化しているのだから、それ以上に話は進まなかった。
 ただ、このような理屈は自分達の中だけで通用する「自己陶酔型価値観」で、よく裁判で言われる「客観的合理的理由と社会通念上の相当性~」からは完全逸脱し社会的説得力は何ら無いことだけは付言しておく。
 それと余談だが私は1970年前後にベトナム反戦運動に身を投じて、2~3万人規模の集会・デモや機動隊の規制を跳ね除け、御堂筋いっぱいに両手を上げてフランスデモ等を、しょっちゅう行ってきた経験上、どうしても100人程度の一個小隊程度の「デモ」は「デモ」と呼ぶ気になれない。それで「チンタラ差別・侮蔑発言等行進」と呼称してしまうのだが、決して悪意がある訳ではない。でも失礼かとも思い謝罪する。

{まだある「在日韓国・朝鮮人差別問題」}
 「在日特権」の有無は、上記のとおり「検証続行中」だが、一方では噂・伝聞ではなく、直接に在日コリアンと、今も、どのような差別があるのか、膝を交えて話してみれば、どうかと思う。生野区コリアタウンには交流センターもある。少なくとも最近の就職面接でも「本名-在日韓国人」であることを明らかにした途端に面接が終わって不合格というのは、よく聞く話である。
 更に民族意識を強く自覚しているAさんが、営業で本名の記載がある名刺を出したところ「こんな名刺を出しやがって!お前は北朝鮮のスパイか?!」等と罵られ、裁判になった実例もある。他にも入居差別・結婚差別等は具体的に知っており「在日特権」どころでない差別実態があることが現実だ。
 そうした在日コリアンの実態も関心なくヘイトスピーチを繰り返すとするなら、それは「差別の心理学」で言えば、本当は自分自身へのコンプレックスの裏返しで「自分への差別意識を在日コリアンに照射して、実は自分へのヘイトスピーチになっている」と心理分析される。加えて、いくら「ヘイトスピーチ」を繰り返しても自分の生活向上にはつながらない。ただ一過性の「非人間的気分転換」になるだけだろう。

{新たな「在日韓国・朝鮮人問題」の変化}
 その一方で、最近では日本で生まれ育った在日三世・四世の世代で、民族意識も薄まり「帰化」する人も多く、2007年末には始めて在日中国人数が在日韓国・朝鮮人数を上回るなど「在日韓国・朝鮮人問題」も、やや風化が始まっている。
  いずれにしても在日外国人問題を考えるとき元々、人類学的に「大和民族」なるものはなく、日本人は大陸系・北方系、南方系の雑種であり、そこに在日中国人や在日韓国・朝鮮人等の様々な外国人が暮らす日本である。言わば半他民族国家であって、その大局観をもって「共生社会の創造」を念頭にした方が、適切な思考ができるのではないか。
(民守 正義)