コラムーひとりごと56 「『戦争法案』と『積極的平和主義』」
コラムーひとりごと56
「『戦争法案』と『積極的平和主義』」
{「戦争法案」何が悪い}
本「リベラル広場-<【不満一言】「戦争法案」発言、何が悪い!「安倍談話」-「過去の反省」に触れず!(4/21UP)>でも取り上げたが、簡単に「おさらい」すると社民党福島議員が4月17日、参院予算委員会で安倍首相に質問した際、政府が提出をめざす安全保障関連法案を「戦争法案だ」等と批判。これに対して安倍首相は「レッテルを貼って、議論を矮小化していくことは断じて甘受できない」と反論したが、福島議員は重ねて「戦争ができるようになる法案だ」と指摘した。この質疑を受けて、岸委員長(自民)が「不適切と認められるような言辞があったように思われる。理事会で速記録を調査の上、適当な処置をとる」と述べ、自民党理事は17日、一方的な表現だとして修正(「戦争関連法案」にしてはどうか等)を求めた件である。もちろん福島議員が、そんな修正に応じるはずもなく、議事録が確定・公開できない状態が続いていた。最終的に4月28日に岸委員長が「委員長判断」として発言修正せずに議事録公開となった。至極、当然の結果だが、何故「『戦争法案』と批判的比喩」しただけで、こんなに時間と労力をかけて「スッタモンダ」しなければいけないのか。言論の府「国会」でさえ自由な論戦が実質的に規制されるようでは安倍政権=自民党は「少しの政権批判も言わしたくないし聞きたくない」が本音かと思いたくなる。そもそも総理「アベ」が「戦争法案」と比喩された事が「甘受できない」と言った事が事の発端だが、私に言わせれば「甘受しろ!」と言いたい。だって「戦争法案」は与党協議を経て「安倍政権」として国会上程されたもの。そんなもの、少なくとも社民党・共産党等からは「真っ向・真逆・斜交いからの批判集中」を受けて当然。それに耐えられないなら「根性なし総理」として「総理辞任して身体を、もう一度、休めたら」と言ってあげたい。少なくとも安倍総理は「戦争法案」を国会に上程できても「実際に『戦争一連法』を発動する指揮官」としては信頼に足らない小物政治家だろう。
一方、福島議員は「野党国会議員の質問が、何で与党の検閲を受けなければならないのか」と怒りを表したと言うが、私も安倍総理の「甘受できない」よりも福島議員に同情的で「自民党の一強のおごりもええ加減にせえ!」と言いたい。 ここで「朝日」が比較的、適切な論評を掲載しているので、要約して紹介する。
<視点-議員の「見方」国民の側が判断>
◎福島議員への「戦争法案」発言修正要求は「言論の府-国会」論戦の自由を」を侵す行為。
◎「戦争法案」は福島議員の見方。その修正を求めた事は、政権に不都合な見方や意見を抑圧したに等しい。福島委員の的確指摘「戦争法案」なのか、安倍総理の反論「レッテル張り」なのかは、国会論戦を通じて国民が判断すべきこと。
◎本国会では安倍総理が委員会で野次を飛ばしたり、野党から如何に問われても同じ答弁を繰り返し正面から答えようとしないことが多々ある。野党との質疑軽視する姿勢が自民の「戦争法案」発言-修正要求にも繋がっていないだろうか。
◎野党は政府の政策・法案、政治姿勢に厳しく質問し安倍総理・閣僚も真正面から答える。
その事で国民が政策への賛否を決め易くなったり、理解を深めたりできるはずだ。
{真の「積極的平和主義」は日本の平和主義の原点}
私はかねてから安倍総理の言う「積極的平和主義」は完全に日本語の使い方として間違っていることを指摘している。(「積極的平和主義」とは非軍事部門における外交政策のこと)
しかし、マスコミも誰も「安倍」に間違いを指摘しない。ところが、やっと私の問題意識とほぼ共有する「朝日-社説」を見つけた。
先ず、その「社説」を要約する。時は1946年2月。憲法9条案「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を加えたのは衆議院「芦田小委員会」だった。その意義は「武装解除と戦争放棄という敗戦国への主権制限に過ぎなかった9条が、国際平和という価値を掲げる条項へと性格が変えるものだった」と位置づけられている。これこそ69年前の憲法に残した「積極的平和主義」だ。9条に立脚した平和主義こそ日本が育んだ価値であり、今後も守るべきことである。
以上が「社説」の要約であるが、敗戦間もなくの憲法草案の段階から、日本自ら真の「積極的平和主義」を掲げた事は特筆すべき事である。
{安倍政権の「積極的平和主義」は誤用よりも悪意}
前回コラム55でも記載したとおり「朝日-世論調査」によると「極右-安倍政権」の本音政策「憲法改悪・戦争法案」等には国民世論は意外と冷静・冷ややかでかつ健全だ。
むしろ安倍政権の「タカ派宣伝-押し付けられ憲法」論には逆に国民には「押し付けられ憲法論の押し付け」とまで映っている感がある。その意味で「押し付けられ憲法論⇒自主憲法制定」は古くさすぎて国民の支持・理解は到底、得られないだろう。
それどころか敗戦後約70年経過して現行憲法は、むしろ「我等の憲法」という率直な国民感情の方が増さっているのではないか。
ところで安倍総理は「集団自衛権」や「憲法改悪・戦争法案」等々の「極右日米軍事政策」を語るに至っては一々、「積極的平和主義に基き~」と誤用の装飾を付けている。これは福島議員の「評価に関る言葉の比喩」の範囲をはるかに逸脱して、それこそ「甘受できない」欺瞞と悪意に満ちた言語表現になっている。つまり「極右好戦的‐憲法改悪・軍事戦争法案」を「積極的平和主義」という包装紙で包んで「イメージ詐欺」を図っているのだ。
本来、衆議院議長から安倍総理に対して「『積極的平和主義』の誤用のみならず真逆の言語活用しており、国民に誤解を招くので修正するように」と修正指示し、安倍総理が国語能力無く拒否するなら「衆議院議長職権-議事録修正または削除」措置を取ってしかるべきだと思うぐらいだ。とにかく安倍総理は米国上下両議員総会で「ヘタクソ」な英語演説をして大分、お調子乗りのようだが、一国の総理なのだから、基礎学力だけは、しっかり身を締めて対応して頂きたい。
(民守 正義)
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