コラムーひとりごと52 「え!大学で『君が代・日の丸』?」

コラムーひとりごと52
「え!大学で『君が代・日の丸』?」


{大学でも『君が代・日の丸』か}
4月10日付け「朝日」によると、9日参議院予算委員会で安倍総理は、次世代の党;松沢委員が質問で「国立大学の入学式・卒業式に国旗国歌があるのは当然」と指摘した事に対して「税金で賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針に則って正しく実施されるべきだ」と答弁したという。
 このニュースを目にした率直な感想。少々、不謹慎かも知れないが「マニアックに『君が代・日の丸』に拘る人達は一々、拘るんだな-」てな感じ。
一応、文部科学省は、これを受けて今後、学長会議や各大学への通知等、何らかの形で国旗・国歌の意義を伝え理解を求める方針だ。ただ大学には「大学自治」があり「強制や指導はできない。最終的判断は委ねる事になるだろう」と推察している。しかし一方では、もう既に「大学への交付金で事実上の強制的誘導(財政誘導)が図られるのではないか」と危惧する声は出ている、そして、これが国(文部科学省)の教育活動介入の第一歩として、どう対応するか、大学人の良識もまた問われているという。(独協大;市川教授)

{小中高校では}
因みに小中高校では、先ず学習指導要領で「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し国歌を斉唱する」と定められている。ただ、それだけでは「君が代」を唄わない教師等を処分する事はできず、その処分規定として大阪府では「君が代条例(2011年6月成立)」がある。
*なお東京都においては「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(10.23通達)」で対応している。
そして最近の「右翼的教育」の流れの中で懲戒処分を脅しに「強制君が代斉唱」が常態化してきている。右翼の方々には「そこまで無理強いして嬉しいのか?」と思うのだが-。

{大阪府教委「障害者介助」よりも『君が代』か}
大阪府教委会は5月1日、卒業式や入学式での「君が代」で起立しなかったとして、府立支援学校の男性教諭(58)を戒告処分にした。
 当該教諭については本年3月の卒業式の際、担任する生徒について「発作を防ぐために着席して介助したい」と申し出たものの、管理職が当然に「臨機応変-柔軟判断」すべきところを拒否して「起立」を命じた。そこで当該教諭は「障害生徒重視」で、やむなく「起立」しなかったことが処分の対象になったという。これは私も障害者だけに強く言うが重大問題だ。
 生徒の介助が必要と判断して、その旨「職務に誠実に」申し出た教師が、その判断を無視された上「不起立」で、生徒の健康・体調と比べれば取るに足らない内容で難癖をつけて処分されるなど、極めて非人道的な対応だ。私に言わせれば、もし当該障害生徒が、校長の「命令」どおり無理して起立し「発作事故」が起きたら校長は「損害賠償」も含めて責任を取る覚悟があったのか聞きたい。加えて「君が代-起立斉唱」如き程度のことが「当該障害生徒の発作事故の予防」よりも優先させた校長の判断こそが「誤った教育判断」として懲戒処分されるべきことだ。それにしても「右翼の輩」のヒステリックな「君が代-起立強制」にムキになって目的化している様子を見ると、ハッキリ言って「このピンボケ」発想の滑稽さと、それが「非常識の常識」となって日常常態化にまで至っていることにガクっとくる。

{もっと自由な発想で「卒業式」を!}
 そもそも小中高校においては「学習指導要領」で「その意義を踏まえ,~」と記載して入学式・卒業式に「日の丸・君が代」を掲揚・斉唱を指導するよう促している。でも「その意義を踏まえ,~」とは何ですか?実際「その意義」の説明がない。「その意義」の意味を「阿吽の呼吸で解かれ」と言うのか。文部科学省の文書にしては随分、偏差値の低い国語能力の「学習指導要領」だ。
 とにかく入学式・卒業式だから「日の丸・君が代を掲揚・斉唱すべき」なんて何の合理的・科学的理由にもならない。換言すれば別に入学式・卒業式だからといって「日の丸・君が代」がなければならない(またはできない)ことは何もない。ということは入学式・卒業式に「日の丸・君が代」を省いても何の問題もないのだ。だのに入学式・卒業式になると口パクチェックしてまで「君が代」を強制的に唄わしたいのだろう。
 私には、その「右翼輩や府教委の『日の丸・君が代』狂信症」の心境が本当に理解できない。余談だが私は特に「君が代=国歌」には抵抗感があり、その意見は結構、多い。(石原慎太郎も類似の意見を言っている)何故なら「君が代」は歌詞のごとく「天皇継承が永く続く事を願う歌」であって「日本国礼賛の歌」ではない。それに歌詞もメロディーもダサくてご詠歌見たい。これは私の「内心の自由」だから、とやかく言われる事はない。

<創作「卒業式」はダメなの?>
 そもそも「入学式・卒業式」の主役は誰か?偉そうに祝辞をたれる「校長」でもなければ、感動の涙を流す「父母」でもない。「入学・卒業する生徒自身」だ。その意味では文部科学省の頭は固い。入学式は概ね、皆が「初顔合わせ」なので「入学式次第」も「学校主導」で行って仕方ないと思うが卒業式は、定番の卒業式次第等、止めて生徒会の自主企画に任してはどうか。その方が最後の「思い出の卒業式づくり」になって教育的効果も高い。その「自主卒業式」に「日の丸・君が代」が入ろうが入らなかろうが、そこは「生徒の自主判断」に任す。だからといって教師が何もしない訳ではない。例えば、あまりおふざけの過ぎる「ドタバタ卒業式」や「公序良俗に反する演出」等は「それはダメ」ときっちり指導する。
 そうした「生徒の自主性を尊重した『創作卒業式』」の方が「クライ・ダサイ」の「日の丸・君が代」強制卒業式よりも、ずっと教育効果も上がれば「一生の思い出づくり」になると思うのだが-。とにかく「日の丸・君が代」に「ゾンビに取り付かれた」ように拘るのは、もう見直しましょウよ♪
(民守 正義)