コラム-ひとりごと46 心の指針「瀬戸内寂聴」
コラム-ひとりごと46
心の指針「瀬戸内寂聴」
新聞の端に瀬戸内 寂聴さんが11ヶ月ぶりに病床(癌)から復帰されて法話をされたことが掲載されていた。御年92歳。父が生きていれば、父よりも一つ下でまさに戦前・戦中時代。私は80歳以上の方の戦争体験や人生体験は、できるだけ真摯に聞くようにしている。それは私の世代論にも関連するのだが、本当に「戦争体験者」と言えるのは戦時中に「青春時代」を送った方々で、男性は「戦闘体験」女性は「空襲体験」等々、真に「戦争の生きた体験」を語れる方々だからである。その方々から言わせれば今、問題になっている「従軍慰安婦問題」や「日本軍の中国の蛮行」等があったことは常識で、それを「戦争体験」を知らない右翼世代が、さも歴史研究者のようになって「そのような歴史事実はない(または疑わしい)」と大見得を切って言っているのを見ると、いつの時代でも、よく言う「今の若い者は、何も知らないで、勝手な事を言って~」と本音では思うらしい。でも、それでも「戦争体験者」があまり「戦時中の日本軍の非行」を語りたがらないのは、それだけ「罪の意識」が深く、また特に家族には語りたくない「とても嫌な思い出」として残っているからだろう。それは以前、コラム-ひとりごと9「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」で記載したが、父が亡くなる二・三年前に涙を浮かべながら語ってくれた中国―香港で行った「悔いの念」を聞いて、本当にそう思った。瀬戸内 寂聴は言う。「あらゆる戦争は悪だと思っています。戦争にいい戦争なんてありません。私たち老人は、そのことを語り継がなければなりません」実にありがたい言葉だが、現に一昔前の自民党には、保守タカ派と呼ばれた後藤田 正晴さんとか元幹事長の野中広務さんとかが居られて大概、野党との論戦では保守の論客・策略家として名を馳せていたが、事、戦争の話になると「絶対に戦争はしてはいけない」と熱弁を振るっていた。やはり「戦争体験者」は芯が違うのだ。お坊ちゃま「アベチャン」には解らないだろうが-。
随分、前置きが長くなったが、実は私は瀬戸内 寂聴さんの文学作品は、馬鹿にされるが殆ど読んだ事はない。ただ瀬戸内 寂聴さんの人生禄を読んだりテレビ等での「語り」を、できるだけ欠かさず聞いている程度だ。それでも、いつも心に打ち響くものがあって、瀬戸内 寂聴さんの人生禄を読んでは、心の迷いや怒り、落込み等を洗い直してきた。その意味では瀬戸内 寂聴さんは、私にとって「心の指針」と言える。今回、本コラムを書くにあたって、慌てて「瀬戸内 寂聴-名言集」を手に入れた。それを抜粋しながら「瀬戸内 寂聴」を随想してみたい。
《「瀬戸内 寂聴」名言の随想》
◎「本当の恋の醍醐味は不倫ですよ」-いきなりドキッとする言葉の紹介だが、瀬戸内 寂聴さんは出家するまでに壮絶な不倫(恋)の経験をしている。今では、その事は先ず語らないが、本人なりに相当、総括し罪滅ぼしも含めて出家したのだろう。実は私も不倫と離婚の経験があるだけに言われる「言葉の重み」の一端は解るとだけ言っておく。◎「どんな悲しみや苦しみも歳月が癒してくれます。(略)時間こそが心の傷の妙薬なのです」-これによく似た歌に私のカラオケ18番の「私、祈ってます」(敏いとうとはっぴー&ブルース)がある。「時間が必ず解決するのよ。どんなに苦しい出来事だって~♪」私は過去に自死行為を二回、試みるほど苦しかった事がある。でも二か月ほど殆ど寝込んでいる状態から、ふと起き上がり周りを見てみると、周囲の状況の方が変わっていて「な~んだ」と元気を取り戻したことがある。「時間」というのは、それ自体「解決のエネルギー」を持っているのだ。◎「お子さんに『何のために生きるの?』と聞かれたら『誰かを幸せにするために生きるのよ』と答えてあげてください」-実に名言だと思う。私も娘が反抗的に「何で私を生んだんよ!?」と言った事があって、私には、こんな名言は言えず、娘が小学高学年だったので「性教育」も兼ねて「お父さんが、お母さんのお腹に何億もの精子をばら撒いたら、その内のたった一匹が凄い競争の中で、他の精子を押しのけ、お母さんの卵子に辿り着き受精したのがオマエだ。だからオマエは生まされたのでなく、自ら自分の力で生まれたのだ!だからオマエが生まれたのは、オマエ自身の事で、自分に聞け!」と言い返してやったことがある。そうすると娘はケラケラ笑い出し、それから、その類の質問はしなくなった。
《「瀬戸内 寂聴」という人は》
名言集からの随想は、これ位にして私は瀬戸内 寂聴さんを「日本のマザーテレサ」と思う位、評価している。瀬戸内 寂聴さんは麻薬逮捕された萩原健一さんの更正に尽力を尽くした事や「連合赤軍事件」で死刑判決を受けた永田洋子さん(既に病死)とは親交・影響力があって永田さんは「獄中出家」している。また映画「裸の19歳」(原田大二郎デビュー作)にもなった「連続射殺事件」で死刑執行された永山則夫さんとも親交があった。更に三菱銀行北畠支店人質・殺人事件の実行犯-梅川照美さん(犯行途中、射殺)の遺骨の引取り手が親族にはなく、瀬戸内 寂聴さんが引き取り葬ったと言われている。
また瀬戸内 寂聴さんは反戦活動家でもある。1991年2月に湾岸戦争の停戦を祈って7日間の断食を行い、また米国の同時多発テロの報復攻撃にも抗議し短期間のハンガーストライキを決行している。その瀬戸内 寂聴さんが最近「なんか、今の時代の空気が戦前と同じ空気なんですよ。本当に似てるんだもの。具体的には例えば特定秘密保護法なんて、あれは前の戦争のときと同じ感じですよね」と、まさに「戦争体験者」ならではの感性である。そして安倍政権に対する批判も厳しい。また瀬戸内寂聴さんは「反原発」の立場でもあり「反原発運動に残りの生涯は携わりたい」と決意を述べている。
とはいえ御高齢の瀬戸内 寂聴さんである。瀬戸内 寂聴さんの祈りとアクティブな活動は、我々60代も継承していかなければいけないと思う反面、瀬戸内 寂聴さんには、まだまだ発言して頂きたい気持ちも大いにある。後、どれくらいか解らないが、現世でもう少し、一緒に活動しませんか。
(民守 正義)
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