コラムーひとりごと45 「辺野古基地移設」に思う

コラムーひとりごと45
「辺野古基地移設」に思う



《今更「本来論」ができない》
実は私は「辺野古基地移設問題」をテーマにする事に相当、悩んだ。
と言うのは本来的に言うならば、米国にとって「沖縄がアジア戦略拠点」と位置付けられている事自体、問題であるし、その根拠となる日米安保条約も、軍事同盟的な条約内容は全て破棄して、純粋的に「経済協力協定」のような内容変更すべきだと思っているからである。
しかし今、リベラル派の基本政策を言っても何の意味もない。詳しい経緯は省略するが、紆余曲折を経て、結局は2009年鳩山内閣のときに「辺野古への移設」が決着づけられた。
その意味では、私の立場では、現実的な対案もなく安易に「辺野古基地移設反対」とも言い難いのである。それは「対案なき批判は、たわ言に過ぎず」という私の信条として解って欲しい。

《「辺野古基地移設」の反対理由は何か?》
そもそも何故「辺野古基地移設」を反対する理由は何か。沖縄の方自身が主張する体系的・理論的理由を私なりに調べたが、残念ながら見当たらなかった。(本当はあるのかもしれないが・・・)ただ背景的・心情的理由については相当、理解と共感するものがあった。
それはヤマントンチュウ(本土の人)のウチナンチュウ(沖縄の人)に対する蔑視に近い意識で「米軍基地の問題を沖縄に犠牲を強いてきた」という反発的感情だ。
それは翁長知事が当選後「会わない」と逃げ捲くっていた官邸-菅官房長官が4月5日に、ようやく会談。そこで翁長知事は、こう言っている。「普天間も含めて基地は全て強制接収(自ら差出した土地はなく)された。普天間は危険だから危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろと。こういう話がされる事自体が、日本の政治の堕落ではないか」また周囲には「本土に何を言っても、すぐ忘れる。ならば石を投げた方がましかもしれない。痛みは忘れないから。ウチナンチュウは、ずっとその痛みに耐えてきた」まさにウチナンチュウのヤマントンチュウに対する根本的不信感が出ている。
もう一つの反対理由は環境問題。あれだけのジュゴンも生息し、サンゴも数多い美しい海は世界的にも有数である。それを埋立て工事で破壊するというのだから、環境的には「ダイヤモンドを、クズ鉄に変える」ようなもの。しかも自然は一度、破壊すると、もう戻せない。
三つ目の理由として上記「環境問題」とも関係するのだが「基地に頼らない沖縄振興の自信」。具体的には豊かな自然環境を活用した観光開発。私の個人的沖縄情報によると、沖縄地元財界も結構、乗り気で「この観光開発が成功すれば、もう必要悪の米軍基地に頼らなくてもよい」との判断もあって、自民党中央政界に反して元々、地元保守であった翁長知事候補を支援したということだ。
そうなると辺野古埋立て工事は、折角の観光資源を破壊する事になり当然、「辺野古への普天間基地反対」の立場になる。加えて菅官房長官が差出す「辺野古への基地移設の取引材料-地元の負担軽減・経済援助政策」も、あまり飴玉効果が無くなってしまうのだ。この「沖縄観光開発構想」は大田知事時代にもあったが、まだまだ基地依存度が高く「時期尚早」で頓挫した経過がある。

《ヤマントンチュウ目線で「辺野古基地移設」反対理由を言うのは止めよう》
私は前記のとおり「沖縄の方自身が主張する体系的・理論的理由を私なりに調べたが、残念ながら見当たらなかった」と述べたが、その調べる過程で二つの疑義を感じるサイトを見つけた。
一つは「米軍基地 辺野古移設問題 賛成派vs反対派 それぞれの論理」で、その文中「県内の主要ニ紙(沖縄タイムス・琉球新報)は、基地問題に関しては完全に左に偏向している。また全国紙でも朝日・毎日の移設反対派への肩入れは甚だしい」と記載している。しかし「沖縄タイムス・琉球新報」は地元紙としては結構、地元の心情を反映して愛読されている。つまり「地元の心情を反映して受け入れられている」事自体、ウチナンチュウとヤマトンチュウの意識ギャップを示す証左と捉えるべきで「完全に左に偏向している」とバッサリでは「ヤマントンチュウ-上から目線」と疑念を持たざるを得ない。加えて「朝日・毎日の移設反対派への肩入れは甚だしい」も、それは貴方の思想的かつ主観的背景を前提とした評価で、せめて「~と私は評価する」と加えるべきだったと思う。因みに私は「産経」「読売」の方が「謝罪なき捏造」や「事実歪曲」等による「政権賛美」や「政権批判側への誹謗・中傷・虚言」に枚挙にいとまなく「産経」に至っては、もはや「報道新聞」と言うより「政府広報紙」と言った方が的確だと思っている。でも全体としての分析は比較的よくできていると思った事は申し添えておく。
もう一つの問題あるサイトが「【報道されない沖縄の真実】普天間基地・オスプレイ反対の本当の理由」で、 もう一々、細かい指摘も勿体無く、ただ「辺野古への基地移設反対の方々を、ヤマントンチュウ上から目線で、 悪意と敵愾心をもってデマ・歪曲満載」とだけ指摘しておこう。

《民主主義の「裏切り者」仲井真前知事》
翁長候補(現知事)が「辺野古への基地移設反対」で圧勝し民意としては決着した。にも関らず敗北した仲井真前知事は、国からの新基地建設に向けた2件の埋立工事の変更申請を退任4日前に承認した。現在の辺野古への基地移転を巡る事実上の沖縄県と国との対立の出発点とも言えるもので、その暴挙は「仲井真-沖縄県民の裏切り者」との反発が強まっている。特に翁長候補は「言わずもがな」ながら、わざわざ特段に繰り返し「沖縄の将来のためにも、次期知事に判断を委ねてほしい」と求めてきた。それでも民意に反して国の埋立工事の変更申請-承認を強行した事に対して、翁長候補を支持する政党や団体;約2千人が県庁を包囲し大抗議した。
民主主義とは、言うまでもなく十分な議論の上に多数意思に基く民主的手続(多数決)で成り立っている。その根本の「多数意思」で敗北が明確になっているのに、承認強行するということは「民主主義の裏切り者」と言わざるを得ない。それにしても「仲井真」は昨年1月に公約では辺野古移設-埋立反対だったが、その公約に反して承認する等、元々、本当に沖縄県民と心を合わせて県政を担っていたか自体、今更ながら大いに不信を感じる。
また余談だが75歳にもなって、人間として「正直に悔いのない人生」の終末に自らケチを付け「お父さん・お爺さんは立派だった」とは言われずらくなった事は自覚して欲しい。

《「粛々と移設工事続行」は変わらず》
 本月5日に菅官房長官とようやく会見。中谷防衛大臣も対話の意向を姿勢を示しており、政府として「話合い解決」に方針転換したかのように見えるかもしれないが、それは決してそうではない。実は米国安保外交政策に発言力のあるジョセフ・ナイ元国防次官補が本月2日、普天間基地の辺野古への移設について、地元同意のない辺野古移設を再検討すべきだとの見解を示した。すなわち沖縄の民意を無視する形で工事が進むことに米国内でも懸念が広がっている表れと見られている。併せてナイ氏は辺野古移設に反対する翁長知事が就任する等、県内移設反対の声が根強いことについても「承知している」と述べ、沖縄と日本政府が、もっと話し合う必要性も強調した。その事があって政府は徐々に話合いのポーズを取り出したのだ。おりしも本年4月29日、安倍首相は米国議会上下両院合同会議で演説することになっており、その演説内容に「辺野古移設」も述べるならば一定、沖縄-地元の反発を和らげておく必要があるからだ。
 翁長知事は直接、安倍総理との会談も望んでいるようだが、 私としては、それはないと思う。何故なら米国議会上下両院合同会議で演説する当の本人「安倍総理」が直接、翁長知事と会談する事は考えにくく、合わせて安倍総理のファッショ的資質としても「話合い」の感性など、ないと見るのが妥当だからである。
今後、翁長知事も安易に譲歩できず、様々な法的手段を講じて対抗するだろう。安倍政権も「話合い」のポーズを取りながらも移設埋立工事は「粛々」と進めるだろう。そのウチナンチュウが頑張っている間に、我々ヤマトンチュウが「そもそも普天間にも辺野古にも沖縄県外にも基地の必要なし」の世論喚起ができればいいのだが-。
(民守 正義)