シリーズ3「橋下市長」「大阪都構想」批判
シリーズ3
「橋下市長」「大阪都構想」批判
【①「大阪都構想」住民投票が告示日4月27日(月)告示、5月17日(日)投票で決定した。特に、この住民投票は「賛成」または「反対」/投票総数(投票率は関係ない)で過半数を得た方に決定するため《「関心がない」とか「よく解らない」「反対だから」といって棄権すると、実質的に「賛成」と同様の効果をもたらす。ぜひ投票所に行って「反対」の記入をして欲しい。(投票は「反対」「賛成」を自分で記入する「自書方式」である。「○・×」方式ではない)
②なお今後、投票日まで随時、ブログ「リベラル広場」に「標題名」を「シリーズ掲載」していく。ぜひ趣旨に賛同の方は、大阪市内在住の方を中心に本ブログ「リベラル広場」を宣伝・拡散して欲しい。(市選挙管理委に「公選法違反」にならない事を確認済み)】
《「大阪都構想」の当初案の変遷》
<「『大阪都構想』の前に「道州制(関西州)のロマン」>
そもそも「大阪都構想」とは何か。当初案では「大阪府全域を『大阪都』とし、大阪市・堺市(一定部分)の政令指定都市を解消させ大阪府と一体化させる」というもので、2015年までの実現を目指していた。当初の具体的な区割り案は「大阪20都区分割案」で「現在の大阪市24行政区を統合合併し8都区、堺市(一定部分;政令指定都市は解消)は7つの行政区を3都区に再編し、周辺9市は特別区として大阪都-計20区に設置する」というもので、更に「大阪都20区の首長は区長を設置し、区議会議員による区議会を設置。区長と区議会議員は選挙で選出する方式とする」ものとしていた。
当時の橋下元府知事は「道州制(関西州)」まで漠然とした思いがあったようで、だからこそ「関西広域連合」に加入しなかった奈良県を強く批判したり、ある有名な人権運動団体のトップの方との非公式の会食の場で「道州制(関西州)」の創設について協力を求めたりしている。現に「大阪維新の会」としては、今でも「大阪都構想実現し、次の段階で関西州に移譲することを目指している」と述べている。
<色あせた「大阪都構想」-府市ダブル選挙>
2011年11月に行われた大阪市長選挙は「大阪都構想」推進等を主張する橋下候補と、これに反対する現職-平松候補(自民党支持、民主党・共産党支援)の一騎打ちとなった。また大阪知事選挙には「大阪都構想推進派」の大阪維新の会幹事長;松井候補と「同反対派」の元池田市長;倉田候補(自民党支持・民主党支援)の実質、府市ダブル選挙-一騎打ちとなった。
選挙結果は、共に「大阪都構想推進派」の圧勝となった。
<色あせた「大阪都構想」-「法定協」の頓挫>
府市ダブル選挙で「大阪都構想推進派」の圧勝により「大阪都構想」は推進に向けて勢いづくと思われたが、2013年2月より大都市地域特別区設置法に基づき設置された特別区設置協議会にて「大阪都構想」に関する区割案や財政調整制度等、本格的議論が開始されたが、区割り案の絞込みについて大阪維新の会と他会派との間で議論が紛糾した。
特に自民党委員から「法定協議会を開催すればするほど『大阪都構想』が必要がない事が明らかになった」民主・みらい委員から「大阪市の解体・廃止はしない。すべきではない」共産党委員から「『大阪都構想』は百害あって一利なし」と堂々と反対論までが述べられるに至った。そして2014年1月31 日の法定協議会にて、公明党が維新の会の「大阪都構想」具体案に反対し否決された。このように法定協議会での大阪維新の会での少数意見・孤立化は、橋下市長らが目指す「2015年4月の制度実現」は困難で事実上の頓挫を意味するものであった。
<色あせた「大阪都構想」-堺市長選の敗北>
法定協議会の紛糾議論と同時並行的に2013年9月29日に堺市長選挙が実施された。前回市長選挙(2009年9月27日)では、竹山候補が橋下大阪府知事(当時)の全面的な支援を受けて、現職市長-木原候補を破り当選した。しかし二期目の市長選挙では現職-竹山市長にとって橋下大阪市長が求める「大阪都構想-①政令指定都市解消②堺市を分割した『特別区』の設定」には到底、受け入られるものではなく、二期目堺市長選挙は、前回市長選挙とは逆に橋下大阪市長と全面対決。「大阪都構想」反対の現職市長-竹山候補と橋下大阪市長の傀儡「大阪維新の会」西林候補との対立選挙となり、選挙結果は現職市長-竹山候補の圧勝・再選となった。この事から堺市が「大阪都構想」から離脱することが明確になり「大阪都構想」は「道州制(関西州)の道標」どころか、単なる「大阪市行政組織の見直し」に色あせた。この2013~2014年辺りが「大阪都構想」から撤退判断するラストチャンスだったと思う。
<焦る橋下市長-「出直し選挙」は不発>
「法定協議会での大阪維新の会での少数意見・孤立化」「堺市長選挙の敗北」とジリ貧となった「大阪都構想」に対し橋下大阪市長は2014年2月3日「大阪都構想の設計図づくりがストップさせられた」「民意の後押しを受けなければならない」として市長職を辞任「出直し市長選を行う」と発表した。これは「小泉内閣-郵政解散」を参考に「橋下市長に再度、求心力を!」との思いで決意したのだろうが、実際には自民・民主・公明・共産の各党は対立候補を見送り独り相撲。橋下候補の得票率87.51%と一応の「信任」を得たものの、その実態は過去最低の投票率23.59%と事実上、不発に終わった。
<手段を選ばぬ巻返し工作-「法定協-多数派工作」>
大阪維新の会は法定協議会の多数派工作を図るため、2014年6月27日と7月3日に維新の会が過半数を占める大阪府議会運営委員会において、府議会選出の自民党、民主党、公明党の法定協委員を、大阪維新の会議員に「差替え強行決定」し法定協議会の過半数を確保した。そして2014年7月3日に第14回法定協議会が実施され、大阪市議会選出委員が全員欠席するなか、全会一致で大阪維新の会の主張する「5区・分離案」が承認され、同月23日の第17回法定協議会により協定書が決定された。
翌24日に大阪都構想協定書は国に提出され、同年9月1日に総務大臣より「法令上の不備はなく容認できる」との意見書が法定協協議会長に交付された。
現在の住民投票の対象となっているのは、この「大阪都構想協定書」=「大阪都構想-5区・分離案」の事である。
<公明党の方針転換で「住民投票」へ>
同協定書は2014年10月1日、各々、大阪府議会、大阪市議会に提出されたが、2014年10月27日に両議会とも自民党、公明党、民主党、共産党の反対により否決された。
しかし、その後、公明党が「住民投票を行うことについては賛成する」と方針転換し議会での承認について賛成に転じた。2015年1月13日、改めて開かれた法定協議会にて同協定書が承認されたことから、同年3月議会での承認を経て、同年5月17日に実現の是非を問う住民投票が行われる事になった。因みに住民投票で問われる正確な具体内容は「政令指定都市-大阪市を、五つの区に分割し、大阪府の下に編入すること」について「賛成」か「反対」かを問うもので、それ以上でも、それ以下でもない。
<公明党の「方針転換」は何故?>
元々、公明党大阪は「橋下嫌い」が多かったこともあり昨年1月「法定設置協議会」で正式に「大阪都構想協定書」に反対した。それに激怒した橋下市長、松井府知事は昨年5月頃から、報復的に公明党幹部が地盤とする大阪3区と16区に各々、橋下、松井両氏が出馬する構想が練られた。それを伝え聞いた公明党中央は「橋下市長のハッタリ」と思いながらも警戒する向きもあった。結果的に公明党中央が「住民投票の実施位は賛成すれば-」と譲歩を迫り公明党大阪が受入れたのが真相だと言われている。
いずれにしても公明党大阪が「方針転換」しなかったら住民投票自体無かった訳で、公明党大阪の公党としての責任は大きい。加えて公明党大阪は「住民投票自体は賛成」は解ったが、公明党大阪として住民投票に記載する見解として「賛成」なのか「反対」なのか、公党として明らかにしていない。率直に言って公明党の恫喝に弱く、信念のない「我が党主義」には愕然とするが、せめて天下の公党なのだから「棄権防止」に努め、できれば「反対」で、いつものように期日前から支持者を投票所にピストン輸送して欲しい。
実際、具体的には次回シリーズ以降、述べるが、今回の住民投票ほど「近い将来かつ日常的に悪影響の及ぼす」ものはない。それだけに「よう、わからんわ」とか「橋下さん、頑張っているやん」といった感覚的判断ではなくて「責任ある有権者の意思」を自覚した「投票行動」で臨んでいただきたい。(民守 正義)
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