コラムーひとりごと44 「I am not ABE」
コラムーひとりごと44
「I am not ABE」
《何故、今「I am not ABE」か》
テレビ朝日系 「報道ステーション」コメンテーターを勤めていた元経済産業省官僚の古賀茂明さんが、最後の番組生出演となる3月27日、センセーショナルに「降板理由」を述べたことについて、未だに、そのことが話題と問題になっている。
「リベラル広場」では、既に本年3月28日「コラムーひとりごと39 安倍政権の『横暴メディア介入』の犠牲者達」で一定の事実関係と論評を掲載した。しかし、この度「週間フライデー(4/17出版)」に古賀さん本人が「独占インタビュー」で新たな事実を暴露している事、及び「最後の番組生出演(3月27日)行動」の真意を新たに明らかにしていること、及び私の独自情報収集も加え、前回「コラムーひとりごと39 安倍政権の『横暴メディア介入』の犠牲者達」の追加版として一読して頂ければありがたい。
《追加すべき事実関係・認識》
古賀さんが特に怒り問題にしているのは、自分の降板もさる事ながら統括のMチーフプロ デューサー、そしてコメンテーターの恵村順一郎さんまでもが番組を更迭・異動させられたことだ。
先ずMチーフプロデューサーは「官邸から抗議が来れば真正面から反論。局の幹部から圧力をかけられれば自ら矢面に立った。権力監視の役割を果たしてきた報道ステーションの屋台骨のような存在だった。彼女の代わりを務められる人材はいない」と現場スタッフの評判は非常に高い。それだけに官邸からは、以前から目を付けられており官邸内で古賀さん、恵村さんを降板させる事を話しているときに、ある官邸閣僚(確認できていないので匿名とする)が「あの女はどうする?」と述べ、結果的に「更迭メンバー」に入れられたようだ。このことは本年2月16日頃、WEBニュースに掲載されていたが、数日後に消去されていた(複写有り)。余談だが日本の報道は、政権(官邸)または報道機関の自粛によりコントロールされており「これは!」と思う記事があれば、直ぐにワードコピーでもしておく事が重要だ。
次に恵村順一郎さんの場合についても「テレ朝-放送番組審議会議事録(昨年2月14日)」によると、恵村さんの発言「旧日本軍の管理の下で、自由を奪われて人権や尊厳を踏みにじられた女性がいたことは確か」が、同審議会見城委員長から「ひどすぎる」「台無しにした」と名指しで批判されていた。私からすれば至極、当然の事を言っており何が「ひどすぎて、何を台無しにしたのか」定かに解らないが、もし官邸の圧力・気を使っての事だったら「見城委員長はマスコミ人として失格。人間の生き方として(我が子に)恥ずかしくないのか!」と言いたい。
それにしても安倍政権に楯突いた古賀さん、Mチーフディレクター、恵村さんが同時に降板異動。「こんな偶然、ありますか!」が現場スタッフの声だ。
<番組プロデューサー・ディレクターが執拗な圧力>
古賀さんによると、例えば「早川会長と佐藤会長の意向で番組に出られなくなる」とコメントした直後のCM中に若林統括プロデューサーが「打合せにない事は言わないでください」とクレームを付けてきた。そこで古賀さんは「僕は顔と名前を出してコメントをしている。貴方は顔も名前も出さず裏で圧力をかければいいと思っているのでしょう。そんなことでは済まないよ」と反論し更に「【『打合せにないことを話してはダメだ』と若林統括プロデューサーが言うので打合せで話した事しか話せなくなりました】と番組で話しますよ」と言うと若林統括プロデューサーは「それは止めてくれ」と言ったという。また番組が終了して帰宅しようとすると、篠塚報道局長等が「何で、あんな事を言うのか」「Mチーフディレクターは更迭ではない」と周囲に聞こえるように言ってきた。それで古賀さんが「圧力に屈して政権監視・批判番組を作らなくなるのは報道機関の役割放棄に当たる」等と反論すると、篠塚報道局長等は無言になってしまったという。実に「根性無し」のマスコミ人達だ。マスコミ人の信念を貫くために「少々の左遷・更迭にビビルな!」と言いたい。心配しなくても「安倍・菅」が何を言っても少なくとも解雇は有り得ない。
(不当解雇に相当)
古賀さんは言う。「『犬死だ』という意見もあるが、自分が変わってしまう事の方が私は恐ろしい」これこそが本来マスコミ人が持つべき良心でもある。
《「報道の自由」と放送法》
菅官房長官は3月30日、古賀さんの「官邸圧力」発言について「事実無根。事実に全く反するコメントを公共の電波を使った報道をして極めて不適切だ。放送法という法律があるので、テレビ局がどのような対応をされるか、暫く見守っていきたい」と放送免許取消しもあるような恫喝発言をした。そこで菅官房長官の恫喝が一定、妥当性があるのか検討してみた。結論的に言うと全くのハッタリ、あるいは菅官房長官の勉強不足である。
その理由は二つの分野に分かれる。一つは法的分野での検討。関連法規に「憲法21条-表現の自由」に「報道の自由」は包含され、その「報道の自由」は「国民の知る権利」が優先的にあってこそ保障されると解されている。誰でも知っているように現行憲法は「国家の暴走から国民を守るために国家を縛る」ことを目的に存在するのだ。だから「憲法観点」から言うと「国家(官邸)が放送法を盾に放送免許取消し」を言う事自体、想定外かつ国家(官邸)の「報道の自由への不当圧力・介入」と解される可能性が大なのだ。確かに放送法第四条には「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。二 政治的に公平であること。三 報道は事実をまげないですること。」が規定されているが、それは放送局自身が自律的に尊重すべきものであって、権力が言うべきものではない。[服部孝章・元立教大教授(メディア法)]
補足して官邸が、仮に古賀さんが指摘する「官邸の不当圧力はない」と言うなら「放送局の対応を見守る」との傍観者的態度ではなく、自らも裏付け証明するべきだ、因みに古賀さんのICレコーダーには古舘さんとの楽屋会話だけでなく「テレビ朝日-早川会長」「古舘プロジェクト-佐藤会長」の「今回の降板は官邸の(強い)意向ですまないが-」といった趣旨の会話も録音されているようだ。事実争いをすると官邸の方が不利になるように思えるのだが-。
もう一つの検討分野は「放送免許取消しによる国際社会からの日本の評価リスク」である。国際的なNGO団体である国境なき記者団が2014年2月12日に発表された「世界報道の自由度ランキング 2014」では日本は59位で、アジアの中では台湾(50位)韓国(57位)を下回り、全体を5段階に分けた内の上から3番めとなる「顕著な問題」に転落した。2014年の日本が順位を59位に下げた理由として特定秘密保護法の成立がある。同法の成立により「調査報道、公共の利益、情報源の秘匿が全て犠牲になる」としている。こうした日本の低い「報道の自由」国際的批判の中で「官邸の圧力の有無」程度の争いの中で「放送免許取消し」をすれば、相当な日本への「報道の自由バッシング」を覚悟しなければならない。安倍政権に、そんな根性があるか!
《「官邸の圧力」に屈する事は「自分の首を絞めること」と同様》
4月3日の同番組の放映で、いきなり夜桜をバックにした女性バイオリン生演奏が始まった。ハッキリ言って演奏がヘタクソで「誰や?」とバイオリニストを調べてみると、その名前は末延麻裕子さん。この方は素人に毛が生えた程度のバイオリニストだが、問題は、この方の親族が安倍総理とも親交の厚い同じテレビ朝日の『ワイド!スクランブル』コメンテーターを努める末延吉正さんの姪なのである。これには裏話があるのだが今回は量的に限界で省略する。ただ「報道ステーション」は古賀さん、M統括チーフプロ デューサー、恵村コメンテーターを降板させ「リニュアールする」と言っていたが「そのリニュアール内容が、これか!」とガッカリした。結局は放送ではド素人の官邸の言う番組づくりをしていると視聴者的には、ちっとも面白なくテレビ離れが進む。そうすると広告収入が減収して一層、経営が厳しくなる。
保身に回って官邸に気を使っていると「自分で自分の首を絞める」ことになるのだ。
それに視聴者の悪趣味かもしれないが、少なからず政権批判があった方が、番組的にはスパイスが効いて面白い。その意味でも「もう報道ステーションを見るのは止めようか」と思うのは私だけではないはずだ。
(民守 正義)
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