コラムーひとりごと41 安倍首相の歴史的本音「我が軍」発言

コラムーひとりごと41
安倍首相の歴史的本音「我が軍」発言


<本来「我が軍」は「保守のタブー」>
 安倍首相は、3月20日の参院予算委員会で自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べた。これまでの政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる(自衛隊は軍隊ではない)」と説いてきただけに実質、初の従来見解の変更とも言える。と言うのは、日本国憲法第9条には「戦争の放棄」と「戦力不保持」「交戦権の否認」を定めており、この憲法9条規定と「自衛隊の存在」とを素直に照合すれば明らかに「自衛隊は憲法違反」ということになる。まだ司法の場で明確に「自衛隊違憲判決」が出されたことはないが、憲法学者の中では、オーソドックスに「自衛隊は憲法違反」が一般的学説である。
 従来からの自民党政権も、その「憲法矛盾」を本音では理解しており、そのために持ち出してきた理屈が「憲法は『自衛権の放棄』まで定めたものではなく、その『自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力』は憲法第9条第2項にいう『戦力』には該当しない。よって日本を防衛するため必要最小限度の実力(専守防衛)を行使することは当然に認められており、これは交戦権の行使とは別の観念である」「こういった憲法上の制約を課せられている自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるもの」「他方、自衛隊は国際法上は軍隊として取り扱われており、自衛官は軍隊の構成員に該当するものとされている」である。
かなり無理筋な理屈だが、それでも、かつて佐藤栄作元首相が「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」(1967年3月、参院予算委員会)と答弁するなど、憲法上の厳しい制約から「自衛隊は通常の観念の軍隊とは異なる」というのが、従来から踏襲してきた政府見解である。
 だから55年体制の頃の与野党の論争は、野党の社会党・共産党の方が「自衛隊は(憲法違反の)軍隊だろう?!」と詰問して、政府・自民党の方が「自衛隊は専守防衛に徹し、軍隊ではありません」と、間違っても政府・自民党は「自衛隊は軍隊」とは認めないタブーのようなものだった。それが今では「極右政治家=安倍首相」自ら「我が軍」と言うのだから「時代は変わったものだ」と思わずにはいられない。    
 もっとも後日、安倍首相は「共同訓練の相手国である他国軍との対比をイメージして自衛隊を『我が軍』と述べたもので、それ以上でもそれ以下でもない」と弁明しているが、おそらく本当にそうだったのかもしれない。何せ「安倍談話」でも「過去の侵略・植民地支配の事実」も入れたがらない安倍首相のこと。保守政治の歴史も、あまり御存知ないのかもしれない。

<問題は「解釈改憲の限界」「憲法9条の完全形骸化」>
 上記「自衛隊違憲・合憲論」は、かなり無理筋とはいえ、まだ「解釈改憲」の範囲と言えるかもしれないが今日、議論されている「集団自衛権」に基く「周辺事態法の抜本改悪」「自衛隊海外派遣恒久法」「自衛隊法改悪」「防衛装備移転三原則の閣議決定(武器輸出の原則禁止から“輸出できる国”に方向転換)」等の「戦争準備法制関連」は明らかに、その範囲を超えている。それも「集団自衛権」「防衛装備移転三原則の見直し」等は「解釈改憲」では全く対応不能。明確な「憲法9条違反」にも関らず、最も稚拙な「閣議決定」で事を済ましたことは「日本の民主主義を根底から覆す非国民的行為」と言っても過言ではない。そこに安保法制与党協議における公明党の役割は、何も自民党案の憲法チェック・「いつでも、どこでも自衛隊派遣」の歯止めにはならず、むしろ憲法9条完全形骸化・民主主義手続違反の「裏打ち保証」をしている。
本当に公明党は変質した。

<最終仕上げは「憲法全面改悪」であるが>
自民党の「憲法改悪草案」は前文からの全面見直しだが「現行憲法9条関係」では全文削除し、替わりに自衛隊を「国防軍」と規定し、実質的に「集団自衛権(米国との共同軍事行動等)」や「自衛隊海外派遣恒久法」等を担保する規定を盛り込み、最終的には改悪憲法との整合性を一貫させることが目標だ。ただ「憲法改悪」が至近距離になってきたとは言え、まだ、その手続スケジュール等々の検討段階で、憲法改悪までの間「戦争準備法制関連」は「現行憲法9条」との関係で、どういう法理論の整合性でいくのかが今後の大きな争点の一つにもなる。政府・自民党は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する見解を示し、結局は「現行憲法9条の更なる拡大解釈(現行「自衛権の範囲」との基本解釈には逸脱しない→「実態は完全形骸化」)でいくことを、既に閣議決定している。
 もう少し詳しく言うと「いつでも、どこでも自衛隊派遣(武力行使)」も、従来の「自衛権」=「国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限度の自衛措置」という解釈に含まれる限りにおいて問題はなく、加えて、その判断は「新三要件」と国会の承認で対応可能だということだ。
 もちろん、この「自衛権」の実質拡大解釈は「戦争準備法制関連;個別法」との関係や個別具体事例等で相当、疑義が生じることは明らかである。

<「我が軍」発言の向うには重大問題が>
 このように「戦争準備法制関連(与党協議)」の全般状況を見ると、「我が軍」発言は「ウッカリ発言」だとしても、その向うにある「憲法改悪」や目白押しにある「戦争準備法制関連;個別法」に対する闘いは、「一強・他弱」の国会状況に加え、安倍首相の姑息かつ強行体質、それに野党の中でも軍事(防衛)政策面ではリベラル派が少なく、闘う条件は極めて厳しい。
 それでも「平和主義・平和立国=日本」を諦めるのは嫌だ。この際は社民党・共産党に心あるリベラル派の政治家、市民の総結集を図り、国会内の闘いよりも国会外の大衆行動(集会・デモ・署名運動等)を優先して、可能な限りの闘いを展開すべきであろう。 かつて学生運動時代に公安警察が私に言った事がある。「一番、嫌なことは選挙でも何でもない。一般市民まで騒乱状態(大衆運動のこと)になることだ」これが国家権力の本音とするなら、まだやるべきことは多くある。(民守 正義)