コラムーひとりごと38 白鵬「判定批判問題」に思う

コラムーひとりごと38
白鵬「判定批判問題」に思う



 実は私は、あまり相撲に興味がない。まあ、せいぜい「今日は白鵬は勝ったかな」とスポーツニュースを見るぐらい。でも子供の頃は、テレビと玩具くらいしか遊びもなく、その影響で相撲も兄とよく取った。兄は「若乃花」私は「朝潮」とね。
 その程度の相撲知識だが、今回の「白鵬の『判定批判問題』」には、私も物言いをしたい。異論もあるでしょうけど、御気楽に読んでくださいね♪

〔「白鵬の『判定批判問題』」とは〕
 白鵬は初場所千秋楽翌日の記者会見で「疑惑の相撲が一つある」と切り出し13日目の大関稀勢の里戦が取り直しとされたことを「子どもが見ても分かるような相撲」「ビデオ判定するのは元お相撲さんでしょ? 取り直しの重みってのは一番分かっているはずなんだよね」などと審判を批判した。しかし相撲界では現役力士の「審判批判」は御法度のようで北の湖理事長が白鵬の師匠(宮城野親方)を通じて注意。他の審判部親方も「面目を潰された」として、ある親方は「論外だ!いったい国技を何だと思っているのか」と怒りを露わにした。
 結果的に白鵬が2月31日、テレビ番組で謝罪して、日本相撲協会も白鵬の責任追及はしないことで事態は幕が引かれた。

〔白鵬の真意は〕
 では何故、千秋楽の翌日に「審判批判」をしたのだろうか。また「もう終わった事」として多くを語りたがらないのは何故か。元々、相撲界に対する思いや真意を明確には述べておらず、人の内心でもある事から、定かに断言できるものはない。それで私は、WEBニュースや専門家等の意見収集等、かなりの情報収集を図り(ヒマか!)、相当に蓋然性の高い推察事実に辿り着いた。
【それは2013年九州場所に遡る】
 それは2013年九州場所14日目のこと。期せずして本場所と同様、稀勢の里と白鵬の一番。勝負は、稀勢の里が白鵬に勝利した。勝負は、それでやむを得ないのだが、問題は、その一番勝負の直後の観客からの大きな一斉「万歳」である。白鵬は、それを見て側近に「自分は何のために、ここまで頑張ってきたのか」と洩らしたそうである。つまり白鵬にしてみれば、朝青龍が引退後「自分が角界を引っぱて行かなければ」という強い思いもあって、それは相撲ファンも理解されていると思っていたのだろう。
 しかし実際は「外国人力士『白鵬』を打ち負かした『稀勢の里』」以上の見方しかされていない事を目の当りにして愕然としたのだろう。
 それが今回の「審判批判」会見でも滲み出ている言葉がある。「本当、肌の色は関係ないんだよね。同じこの土俵に上がってマゲを結っていることになれば、日本の魂なのです。みんな同じ人間です。偉いとか偉くないとか関係なく。盛り上がりどうこうじゃないのだよね。こっちは命懸けてやってますからね」
 こうした白鵬の心境(不信感)が直接に「審判批判」に繋がったとは思わないが、深層心理の中にあったことだけは、ほぼ間違いない。なお、この「一斉万歳」には当時、ファンの中でも賛否両論があって「白鵬に失礼だ」という批判も、かなり多くあったことは付言しておく。
【白鵬の「判定批判」に対する審判部の反論】
 白鵬の前記「判定批判」に対し審判部は、次のように反論している。
◎白鵬の発言自体に、重大な「事実誤認」がある。土俵下で5人の親方が見ているし、ビデオはあくまで参考。ビデオが優先されることはない。
◎ビデオは上の角度から映している。かかとが出たとか「死に体」とか、上下の微妙な差は平行か下から見た方がよく分かる。ビデオで判定し難い時には現場で判断する事になっている。
*実際、専門家に言わせると、見る方向・角度によって「勝ち、負け」が逆に見えることは、よくあることらしい。また単に「どっちが先に手・足が出たか」だけでなく、押し倒す勢いも判定の材料になるらしい。実に奥が深い。

<求められるのは「横綱の風格?相撲界の意識改革?」>
 北の湖理事長は、白鵬に「審判批判」した事を指して「誤解を招くことは横綱として言ってはいけない」と注意したと言う。結果的に白鵬も、それを受入れ謝罪。実際、白鵬は気持ちを切替えて来場所に備えるだろう。その意味では、私もとやかく言うべきではないかもしれないが、今後の問題提起として苦言を呈さしてほしい。
①その一つが「判定批判」と「横綱としての風格・品格」である。確かに「横綱の風格・品格」は重要だと思うが、だからと言って「審判判定批判」の何一つ、言ってはいけないというのは、いかがなものだろう。スポーツ全般に言えることだが「審判」には、ある程度の権威は必要で、さもなければ勝負・ゲームは成り立たない。でも一切の批判意見も言うことが「伝統ある国技」を乱すと言うなら、そもそも外国人力士を入れること自体、「伝統ある国技」に反している事にならないのかと思う。
 特に白鵬の場合、他のスポーツでよく見られる試合現場=土俵上で批判・文句を言った訳でなく、控え室に戻ってからの事で、そこは情状の余地はあるのではないか。
②上記①と関係して、「外国人力士」を受入れると言う事は、いわば相撲界の「外国人労働者の受入れ」でもある。ということは、単に体格の良い「外国人力士(労働者)」を受入れるだけでなく、その国の文化・習慣等も、ある程度受入れる覚悟と意識改革が必要だ。それが嫌で「日本古来の伝統」に拘るなら、繰り返しになるが「純血日本人」だけの相撲界にするしかない。
③相撲ファンも「相撲界の一員」と見るとするならば、相撲ファンも「日本人力士・外国人力士」という偏狭な民族ボーダー意識は払拭した方が良い。特に相撲は元々「国別対抗戦」ではなく、純然たる「個人戦」である。たまに「日本人力士」が勝ったからといって「一斉万歳」をする品性のないことは「二度とするな!」と言いたい。

 だいたい上記の意見を述べて、NHK籾井会長は嫌いだが、これからは「NHK;相撲番組」を見るとするか。
 
(民守 正義)