コラムーひとりごと30 「川崎中1殺害事件」に思う雑感

コラムーひとりごと30
「川崎中1殺害事件」に思う雑感



  先ず、この事件の主犯格の少年が自白したものの、まだ捜査続行中で、確定的でない部分は人権配慮上、軽々に言うべきでないこと、実際の事実関係もマスコミ報道以上には知らない事を前提に、本事件の雑感を述べてみたい。

《本事件の率直な感想》
(1)実は、私は、このニュースを見る度に涙が出て止まらない。今までも惨忍な事件、悲しい事件は当然の事、何度も見てきており、怒りを感じたり、悲しい思いに陥ったりする事はあったが、泣く事はなかった。それが今回の事件に関してはニュースの度に涙が出て止まらないのである。それは今までの人生、初めての経験であり、自分なりにも何故か、思い考えてみた。思い当たるのは、やはり、この事件自体の残酷性と「年のせい」。それと少しであるが、自分の人生と重なり合う部分もあるからだとも思う。
 このブログ「リベラル広場」プロフィールを見て頂ければ解ると思うが、私は結構、転校を重ねてきた。転校生というのは「最初は珍しがられ、勝手に『優秀ではないか』と思われ、それがそうでないと解ると、今度はイジメ、からかいの対象」になる。だから私も授業の間の休憩時間に「柔道の技、練習相手」として投げられたり、身に覚えのない噂で「都会から来たからと言って『田舎者』とバカにした」と言われ、いきなり後頭部を殴られたりもした。
 そんな事が毎日のように続いて、学校へ行くのが恐怖だった。ただ私の場合、中学一年生から部落解放運動に関り、そこでの仲間は、何でも話せ合い、「交流会」と称し海・山にも行った。それで何とか精神的バランスが取れていたように思える。
 ところが本事件の被害者上村君の場合、確かに明るく振舞っていたようだが、転校の不安に加え、転校に至った事情も相当に辛い思いもあったようで、その心の空白を埋めるために、田舎の島育ちで疑う事の知らない上村君は不良グループと出会い、付き合ったのではないかと思う。なお上村君の名誉のために言うが、何故そんな高校生もいるグループに入ったのかというと、田舎・僻地では子供の人数が少なく、学校全体が「縦割り学級」みたいなもので、年長・年少に関らず、一緒に遊ぶのが普通の事。そこは抵抗感なく不良グループに関ってしまったとしても不思議ではない。
 ただ本事件は「特異な事件」だとしても、一般的に「転校生」はいろんな不安と様々な事情を抱えている事が多い。もし皆さんのお子様で「今度、ウチのクラスに転校生が入ってきた」という話を聞いたら、「できるだけ自然体で、お友達になってあげましょうね」とだけ言ってあげてください。それだけで転校生のストレスは楽になりますから。
(2)本事件に関る不健全なネット世論
 本事件が報道されてから、ツイッター等で「主犯格」と思わしき人物と、その家族、自宅まで分かるような写真が出回っており、一種の「大衆バッシング・私刑的ムード」が煽られている。弁護士見解によると、今の段階では犯人確定段階(判決)でないこと、主犯格が未成年であること、家族等は、直接の当事者性がないこと等から違法性が高いという。
 そういった法的問題と合わせて、社会・大衆ムードとして「写真暴露」することは、それはそれで「社会秩序・規範」を乱す事に繋がるのではないかと危惧する。
 言論で「報道のあり方」や「少年法の問題点」等を少々、語気を強めて批判するまではよいが「写真暴露でバッシング」は、社会的に捜査・制裁制度等が一応に確立されているだけに、本人達は「社会正義」のつもりでも、実は「社会秩序・規範」を逸脱した行為であることを冷静に受け止めて欲しい。

《「少年犯罪」から思う意見と提言》
①私のような年齢になると、「少年犯罪」を犯した本人への怒りもさることながら、「親の育て方・責任」にも疑念と怒りを抱く。現に主犯格と思われる父親の弁を直接、テレビで聞いたが、未成年なのに酒等を飲んでいる事について、「『家で飲むのはいいが、外では飲むな』と言い聞かせている」と言っていた。冗談じゃない!家であろうが、外であろうがダメなのはダメなのだ。そんな要領程度の言い聞かせでは、子供に正義感が身に付くはずがなく、子供は、それを更に拡大化して、結局は際限がなくなる。
 ハッキリ言って、親に正義感がないのだ。
 他にも「居酒屋で夜遅くまで、子供を連れて飲んでいる親」「電車で席の奪い合いで、子供を使う親」「公共の場(レストラン・百貨店・電車内等)で子供が騒ぎ暴れていても注意もしない親」等々、「真面目に子供を育てる気があるのか!」と言いたくなる親が多い。
 こんな(些細な?)事柄からでも「子供の不良の芽」は育つのだ。それも親の責任だ。
②「少年犯罪」には、親にも再教育を!
 「少年犯罪」が凶悪化する中で、少年法も2000年以降、4回の機能強化・拡大の改正が行われている。それはそれで様々な議論がされているのだが、本稿では、その議論は横に置いて、新たに私なりの提案をしたい。
 そもそも親には、子供を立派な社会人として世に送り出す義務が、法律上も含めてある。【民法八二〇条「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」】
 「少年犯罪」を起こすという事は、親の「子育て教育」に問題がなかったか、「子育て再教育専門機関」を設置し、その分析と「子育て再教育プログラム」を、強制的に受けて頂く。もちろん拒否すれば刑事訴訟に移行する。この事によって「子育ての親の責任」について、その啓発効果と実効果も図れる一挙両得の政策提案だと思うが、いかがなものか。とにかく「少年犯罪」の場合、親の諸般の事情もあれば一定、配慮するにしても、原則的には「親の子育て責任」も明確にする事が重要だ。

《「上村君、辛かったやろな。恐かったやろな」冥福を祈る》
 本日(3/2)上村君のお通夜が行われている。犯行現場には、花束等が絶えることがなく、様々な方々が冥福を祈りに来ているという。テレビで田中秀征さんが、上村君が万引きを断った勇気を称え、「大人になったら、いい人材になっているだろうな」と言っていた。全く同感である。
 私もまだ、この世に残る大人の一人として、上村君の元来、明るい人間性を脳裏に焼き付けてイジメのない人権を大切にする社会づくりに、オッチャンは頑張るからね。
 ご冥福を祈る。
(民守 正義)