皇太子「誕生日記者会見」で「リベラル発言(?)」
「誕生日記者会見」で「リベラル発言(?)」
本年2月23日、皇太子が55歳の誕生日を記念し記者会見を行った。その記者会見で、私も「えっ!」と思うほどリベラルな発言が多くあった。元々、私は先の「コラムーひとりごと17『天皇』と私」で明らかにしたように、「天皇制度」と「人間-天皇」とは区別し「天皇制度」には否定的な考えもあるものの、「人間-昭和・平成天皇」は敗戦間もない日本国民に一般的にあった侵略戦争への反省と平和への希求意識を、最も原点的に持ち続けており、それは皇室全般意識としても定着しているものと評価している。
今回の「皇太子『誕生日記者会見』」でも、その「皇室の平和意識」が反映しており、「安倍『戦争準備』政権」の中では、すごく新鮮に感じる。
それでは私が感じた「皇太子『誕生日記者会見-リベラル発言』を紹介し感想等を述べよう。
<「歴史が正しく伝えられることが大切」>
皇太子は、戦後70年を迎えた事を踏まえて「戦争の記憶が薄れようとしている」「日本が辿った悲惨な経験と歴史が正しく伝えられていく事が大切」と述べた。
当然の事ながら皇太子の発言だけに、踏み込んだ政治的発言はできないのは言うまでもないが、おりしも今年8月に「安倍『戦後70年談話』」発表するにあたって、安陪総理が「村山・河野談話」にあった過去の日本軍の加害行為等に対する謝罪については触れたくない所感を示しており、これに婉曲的に警鐘を鳴らす皇太子発言とも理解できる。
〔海外メディアの反応〕
なお特に海外メディアでは「従軍慰安婦問題」について、主流の歴史学者は「強制性」を認めているが、日本の右派勢力は「日本軍が慰安婦を強制連行した証拠はない」との立場を取っており、韓国と中国は苛立ちを募らせていると伝えている。
また「どの国でも過去に残虐行為というのは行われていて、それらから学ばなければいけない。歴史を学ぶ視点を失えば、人間はまた同じ過 ちを犯してしまうだろう」「過去は過去であって、変えられない。私たちは今を生きているのだから、過去から学んで、未来に向かって生きていこう!」等の賛同コメントを報じている。
<「日本国憲法が平和と反映の基礎」>
また皇太子は「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と語り、敗戦後の「日本国憲法」の果たした役割を高く評価した。
これも今、「憲法改正(改悪)」論議が現実味を帯びてきていることと、妙にタイムリーで、軽はずみな「憲法改正(改悪)」論議よりも「現行憲法を大切にしよう」という気持ちが出ているように思える。(それだけにNHKは、政治的自粛か官邸圧力か、皇太子の『平和・憲法順守』発言だけを音声カットして放送した)
実際、私見であるが、敗戦後70年が経って「我等の日本国憲法」観と「押し付けられた憲法」観と国民一般投票にふせれば、「我等の日本国憲法」観の方が定着し大多数だと判断するのが常識的だろう。
<「象徴天皇として思い致す」>
更に皇太子は「『天皇は日本国、そして国民統合の象徴である』との日本国憲法の規定 に思いを致すよう心掛けております。そして、これまで象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けてこられた天皇陛下と陛下をお傍でお支えになっておられる皇后陛下のお姿に学びながら、これからも努力していきたいと思っています」と述べた。
これも、いみじくも自民党は「憲法改正草案」において「象徴天皇」から「元首」に用語・定義付けを変えようとしている。全く皇太子の思いとは真逆である。というより皇太子は内心、「明治憲法」に近づく「憲法改正」を拒否しているのかもしれない。
<「平和を愛する心を育んでいくことが大切」>
皇太子は「(先の大戦で)亡くなられた方々の事を決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくこ とが大切ではないかと思います」と述べ、前述の「歴史が正しく伝えられることが大切」と合わせて、皇太子の一貫した「平和主義」思想が現れている。
なお「安陪政権」が唱える「積極的平和主義」は本来、「平和学」でいう意味では全く対極概念で、明らかな用語誤りである。従ってマスコミは、いつかは「日本語として間違ってますよ」と言ってあげなければならない。それはそれとして安陪総理の言う「積極的平和主義」は「いつでも、どこでも戦争できる積極的戦争主義」とも言うべきものであり、そのための「集団自衛権」であり「周辺事態法」改悪論議である。
その意味で皇太子の思いに全く反する好戦的策動である。
{皇太子(皇室)の思いに反する「安陪政権」の戦国ビジョン}
以上のように皇太子(皇室)の国家・国民への思いは、素朴なほど原点的平和思考である。それと比べて安倍政権の「日米機軸(米軍の二軍)の戦争準備体制づくり」が、余りにも極右過ぎて、そのムードギャップに錯覚すら覚えるくらいだ。
この点では海外メディアも同様のようで、英国ガーディアン紙は「国家主義者達が歴史的犯罪を矮小化しようと模索する議論に対し、釘を刺すかのような発言」「従軍慰安婦問題等を重要視しない右翼主義者達の中心にいる安倍晋三首相への批判」と報じた。
またロイターは「安倍首相は歴史修正主義者だ。安倍政権が『過去の侵略戦争歴史認識』を改めようとしている事に、アメリカの学者らから批判を招いている」と報じた。
更に中国では「こんなに堂々と総理大臣に異を唱えていいのか?」と言った声が寄せられている。そして総じて「安倍首相の談話に中国・韓国、そして同盟国アメリカも厳しい目を光らせている」と海外メディアは報じている。
既述したように皇太子の政治的発言は、一定の制約を受ける。実際には、どの程度の内容で制約を受けるかは別稿で述べるが、いずれにしても「人の心は仕切れず」で、皇太子(皇室)の思いは、相当程度に日本国民にも共感を呼ぶ思いでもあるといえる。
その意味では安倍政権の「日米機軸(米軍の二軍)の戦争準備体制づくり」の方が、反皇室(反天皇)かつ国民感情から離反する「極右暴走行為」と言える。せめて昭和天皇に対し御前会議で、当時の軍部が煽て騙らかして「戦争への決断」を迫ったように、平成天皇を「天皇=元首」として都合よく利用することは考えないように。
本年2月23日、皇太子が55歳の誕生日を記念し記者会見を行った。その記者会見で、私も「えっ!」と思うほどリベラルな発言が多くあった。元々、私は先の「コラムーひとりごと17『天皇』と私」で明らかにしたように、「天皇制度」と「人間-天皇」とは区別し「天皇制度」には否定的な考えもあるものの、「人間-昭和・平成天皇」は敗戦間もない日本国民に一般的にあった侵略戦争への反省と平和への希求意識を、最も原点的に持ち続けており、それは皇室全般意識としても定着しているものと評価している。
今回の「皇太子『誕生日記者会見』」でも、その「皇室の平和意識」が反映しており、「安倍『戦争準備』政権」の中では、すごく新鮮に感じる。
それでは私が感じた「皇太子『誕生日記者会見-リベラル発言』を紹介し感想等を述べよう。
<「歴史が正しく伝えられることが大切」>
皇太子は、戦後70年を迎えた事を踏まえて「戦争の記憶が薄れようとしている」「日本が辿った悲惨な経験と歴史が正しく伝えられていく事が大切」と述べた。
当然の事ながら皇太子の発言だけに、踏み込んだ政治的発言はできないのは言うまでもないが、おりしも今年8月に「安倍『戦後70年談話』」発表するにあたって、安陪総理が「村山・河野談話」にあった過去の日本軍の加害行為等に対する謝罪については触れたくない所感を示しており、これに婉曲的に警鐘を鳴らす皇太子発言とも理解できる。
〔海外メディアの反応〕
なお特に海外メディアでは「従軍慰安婦問題」について、主流の歴史学者は「強制性」を認めているが、日本の右派勢力は「日本軍が慰安婦を強制連行した証拠はない」との立場を取っており、韓国と中国は苛立ちを募らせていると伝えている。
また「どの国でも過去に残虐行為というのは行われていて、それらから学ばなければいけない。歴史を学ぶ視点を失えば、人間はまた同じ過 ちを犯してしまうだろう」「過去は過去であって、変えられない。私たちは今を生きているのだから、過去から学んで、未来に向かって生きていこう!」等の賛同コメントを報じている。
<「日本国憲法が平和と反映の基礎」>
また皇太子は「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と語り、敗戦後の「日本国憲法」の果たした役割を高く評価した。
これも今、「憲法改正(改悪)」論議が現実味を帯びてきていることと、妙にタイムリーで、軽はずみな「憲法改正(改悪)」論議よりも「現行憲法を大切にしよう」という気持ちが出ているように思える。(それだけにNHKは、政治的自粛か官邸圧力か、皇太子の『平和・憲法順守』発言だけを音声カットして放送した)
実際、私見であるが、敗戦後70年が経って「我等の日本国憲法」観と「押し付けられた憲法」観と国民一般投票にふせれば、「我等の日本国憲法」観の方が定着し大多数だと判断するのが常識的だろう。
<「象徴天皇として思い致す」>
更に皇太子は「『天皇は日本国、そして国民統合の象徴である』との日本国憲法の規定 に思いを致すよう心掛けております。そして、これまで象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けてこられた天皇陛下と陛下をお傍でお支えになっておられる皇后陛下のお姿に学びながら、これからも努力していきたいと思っています」と述べた。
これも、いみじくも自民党は「憲法改正草案」において「象徴天皇」から「元首」に用語・定義付けを変えようとしている。全く皇太子の思いとは真逆である。というより皇太子は内心、「明治憲法」に近づく「憲法改正」を拒否しているのかもしれない。
<「平和を愛する心を育んでいくことが大切」>
皇太子は「(先の大戦で)亡くなられた方々の事を決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくこ とが大切ではないかと思います」と述べ、前述の「歴史が正しく伝えられることが大切」と合わせて、皇太子の一貫した「平和主義」思想が現れている。
なお「安陪政権」が唱える「積極的平和主義」は本来、「平和学」でいう意味では全く対極概念で、明らかな用語誤りである。従ってマスコミは、いつかは「日本語として間違ってますよ」と言ってあげなければならない。それはそれとして安陪総理の言う「積極的平和主義」は「いつでも、どこでも戦争できる積極的戦争主義」とも言うべきものであり、そのための「集団自衛権」であり「周辺事態法」改悪論議である。
その意味で皇太子の思いに全く反する好戦的策動である。
{皇太子(皇室)の思いに反する「安陪政権」の戦国ビジョン}
以上のように皇太子(皇室)の国家・国民への思いは、素朴なほど原点的平和思考である。それと比べて安倍政権の「日米機軸(米軍の二軍)の戦争準備体制づくり」が、余りにも極右過ぎて、そのムードギャップに錯覚すら覚えるくらいだ。
この点では海外メディアも同様のようで、英国ガーディアン紙は「国家主義者達が歴史的犯罪を矮小化しようと模索する議論に対し、釘を刺すかのような発言」「従軍慰安婦問題等を重要視しない右翼主義者達の中心にいる安倍晋三首相への批判」と報じた。
またロイターは「安倍首相は歴史修正主義者だ。安倍政権が『過去の侵略戦争歴史認識』を改めようとしている事に、アメリカの学者らから批判を招いている」と報じた。
更に中国では「こんなに堂々と総理大臣に異を唱えていいのか?」と言った声が寄せられている。そして総じて「安倍首相の談話に中国・韓国、そして同盟国アメリカも厳しい目を光らせている」と海外メディアは報じている。
既述したように皇太子の政治的発言は、一定の制約を受ける。実際には、どの程度の内容で制約を受けるかは別稿で述べるが、いずれにしても「人の心は仕切れず」で、皇太子(皇室)の思いは、相当程度に日本国民にも共感を呼ぶ思いでもあるといえる。
その意味では安倍政権の「日米機軸(米軍の二軍)の戦争準備体制づくり」の方が、反皇室(反天皇)かつ国民感情から離反する「極右暴走行為」と言える。せめて昭和天皇に対し御前会議で、当時の軍部が煽て騙らかして「戦争への決断」を迫ったように、平成天皇を「天皇=元首」として都合よく利用することは考えないように。
(民守 正義)
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