私の闘病日記(2)―〔中途障害〕と向かい合って
私の闘病日記(2)―〔中途障害〕と向かい合って
私の難病「サルコイドーシス」をはじめとした闘病・入院生活等の経過等については、既に「私の闘病日記―難病サルコイドーシスと向かいあって」(昨年11月30日掲載)で報告した。結局は昨年9月10日にI大学病院を退院し、自宅で不自由な車椅子生活とリハビリ、そして、このブログ「リベラル広場」の運営に勤しんでいる日々なのであるが、実は退院後「中途障害」になったことによる心の葛藤・戸惑いの日々でもあった。
本稿では、その思いの一端を紹介することで、難病(障害者)問題を考えて頂く機会となれば幸いである。
《難病「サルコイドーシス」とは何か》
「難病」とは俗称的な言葉で、正確には「特定疾患」と言う。具体的には「厚生労働省が実施する難治性疾患克服研究事業の臨床調査研究分野の対象に指定された疾患」をさす。2012年現在、対象は130疾患。
合わせて都道府県が実施する特定疾患治療研究事業としての対象疾患があり、上記「国の指定する特定疾患」から選ばれており(56疾患)、患者は所轄の保健所に申請することにより、医療費の自己負担分の一部または全額の助成を、公費で受けることができる。なお「サルコイドーシス」については、この56疾患に含まれている。
また2014年には難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)が成立した。
そこで難病「サルコイドーシス」についてだが、肺、リンパ節、皮膚、眼、心臓、筋肉など全身諸臓器に乾酪壊死を認めない類上皮細胞肉芽腫が形成される全身性の肉芽腫性疾患である。Th1関与の過敏性免疫反応が関与すると考えられているが、原因はなお不明である。典型的には若年女性に好発し、肺門部リンパ節腫脹および肺野病変、皮膚、関節および眼症状にて初発することが多く、約90%が肺病変を形成するといわれている。
本症の病因としては疾患の感受性のある宿主が環境中の何らかの抗原物質(起因体)に暴露されて誘導されるTh1タイプの過敏性免疫反応に起因すると考えられている。ストレス等が遠因だが、詳細は不明である。
これ以上は専門医学的で説明できないが、私の場合は頚椎内に垂れ下がるように肉芽腫ができている。なお難病「サルコイドーシス」の罹患率は10万人に数人程度らしい。
《私の場合の難病「サルコイドーシス」の具体的症状》
先ず手のシビレが強烈である。特に右手より左手の方が強く、気温にも影響され、部屋の中でも肌寒いときは「皮が一枚、剥がれたのか」と思わすような相当な痛みに近いシビレである。
おまけに左手は肩からの〔可動領域〕が硬く、パソコンの右手打ちだけをしていても、左肩からの凝ったような痛みが走る。
I大学病院主治医に、この手のシビレの原因を聞くと「サルコイドーシス自体のいたずらで、神経伝達物質にダメージを与えていること+手術の後遺症(直接、首を切開し、神経に触れた事)」によるものらしい。ということは、寛解する見込みがない状況では、ずっと耐えていかなければならないということ。正直、辛い。
もう一つの症状は、足腰が相当に弱っていること。まさに「中途障害」の所以で、具体的には歩行は、リハビリ専門の方に支えてもらって10m位がやっと。自立起立だけだと20秒間位が限界である。従って部屋の中でも車椅子での移動が全てである。
《「中途障害」となった心境変化》
上記のように事実上の「中途障害」になって自宅に帰り、自分では然程、自覚は無かったが、妻に言わすと、相当にイライラしていたらしい。自分でも思うのは、私こと「民守 正義」の実在を知っている方なら解って頂けると思うが、元々は相当に活動的で自我の強いタイプである。それがトイレ(ポータブル)もままならず、妻の介護無しには何もできないのである。
「自分の事は自分で決する」を主義としてきた自分にしてみれば「体が思うように動かない」ことの熟知たる思い、悔しさは「本音」であるだけに口に出しにくい。
私にも障害者(視覚)の友達が以前からいて「先天性障害」の独特の事情・苦労を教えてもらった。例えば「先天性視覚障害なので、色の概念がわからない」とか-。でも、その時は自分が健常者であったこともあってか、実感的にはピンと来なかった。正直言って今でも「先天性障害の実感的苦労がわかる」と言えば嘘になる。ただ「中途障害」については自分自身の事であるし、健常な頃の自分とのギャップに戸惑い悩まされ、「生きること。人生観」自体を見直さなければならない事に直面するという意味で、独々の乗り越えるべき山があると思う。
◎「中途障害」を携えて生きる人生
実は先般、自宅で二回、足を滑らかし転んだ。ポータブルトイレの肘掛けに脇腹を打ち、相当なアザができた。打ち所が後、数センチずれていれば、肋骨にヒビまたは骨折していただろう。転んだ原因は、元気な頃の自分と錯覚し、安易に足を運んだ事にあると思う。何故、この実例を出したかと言うと、もう好むと好まざると関らず、「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む」人生に切替えていかなければならない事に、身をもって知らされたのだろう。
まだ、これからの人生観を確立した訳でもなければ覚悟を決めた訳でもない。でも当面の選択の余地としては「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む」人生になるだろう。
具体的には、当面はステロイド系投薬治療とリハビリに勤しみながらも、体に必要以上に負荷をかけない程度に、このブログ「リベラル広場」を活用した「平和・民主主義・基本的人権の尊重」を基調とした社会への発信、そして無理の無い程度の社会運動への参画(実践)に関っていきたい。
だって中学時代から社会運動に関ってきた私だから、「何も活動しない」訳にはいかないのだ。身に染み付いたものとして解って欲しい。
《「障害者」という言葉に、もう一言》
話は変わるが近年、「障害者」という表記を使わず「障がい者」という表記が流行っている。大阪府庁等、官公庁関係では、これで統一する流れになっている。でも実際、自分が「途中障害者」になって、なお更に思うことだが「こんな偽善的で、どうでもいいことに力量・時間を避けることは止めて欲しい」と言うのが率直なところだ。
実際に統計を取った訳でもないので、「皆が」とは言わないが、少なくとも私の「障害者仲間」で、「『障害者』と記された」と言って「差別された」と抗議する障害者(当事者)は誰もいない。大概に「『障害者』を『障がい者』とすべき」と主張する方々は、「親の会」か「支援者の会」の方々で一定、同情的理解はあるのだが、目線は健常者だ。障害者当事者にとってみれば「心身に何らかの『差障り』があって、心身が思うようにならない害を及ぼしている」という意味で「障害者」だし、その事に日々、「いや!」と言うほど思い知らせられている。
そんな「障害者」か「障がい者」か、議論や看板・文書等の書換えする暇があるのだったら、誰か「障害治療」のために治療・研究費に募金を募るとか、厚生労働省にもっと圧力をかけるとか、とにかく「誰か、早く手足が思うように治してよ~!」というのが率直な気持ち。
それと街で障害者が、何らかの困り事があるのを見れば、それはさりげなく手助けをして頂ければありがたい。要は少し、言い過ぎたかもしれないが、障害者にとってみれば「障害者」の表記方法を「あれやこれや」と議論して障害者問題を少しでも理解を深めた気持ちになることよりも「具体的に何をするか」で考えて欲しい。
《障害者人生と老後の人生》
今、私は61歳。気持ちだけで言えば、まだまだやりたい事はある。しかし既述のとおり私自身の身体的理由と、誰でもが老化し、妻がいつまで私の介護ができるのか、更に経済的(年金等)にも一定水準の老後生活が営めるのか、不安で仕方ない。でも、こればかりは特効薬的解決策がある訳でも無く、結局は話は元に戻って「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む人生」の中で、その時々に考えていかなければ仕方ないのだろう。まあ、ゆっくり頑張りまショ♪
私の難病「サルコイドーシス」をはじめとした闘病・入院生活等の経過等については、既に「私の闘病日記―難病サルコイドーシスと向かいあって」(昨年11月30日掲載)で報告した。結局は昨年9月10日にI大学病院を退院し、自宅で不自由な車椅子生活とリハビリ、そして、このブログ「リベラル広場」の運営に勤しんでいる日々なのであるが、実は退院後「中途障害」になったことによる心の葛藤・戸惑いの日々でもあった。
本稿では、その思いの一端を紹介することで、難病(障害者)問題を考えて頂く機会となれば幸いである。
《難病「サルコイドーシス」とは何か》
「難病」とは俗称的な言葉で、正確には「特定疾患」と言う。具体的には「厚生労働省が実施する難治性疾患克服研究事業の臨床調査研究分野の対象に指定された疾患」をさす。2012年現在、対象は130疾患。
合わせて都道府県が実施する特定疾患治療研究事業としての対象疾患があり、上記「国の指定する特定疾患」から選ばれており(56疾患)、患者は所轄の保健所に申請することにより、医療費の自己負担分の一部または全額の助成を、公費で受けることができる。なお「サルコイドーシス」については、この56疾患に含まれている。
また2014年には難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)が成立した。
そこで難病「サルコイドーシス」についてだが、肺、リンパ節、皮膚、眼、心臓、筋肉など全身諸臓器に乾酪壊死を認めない類上皮細胞肉芽腫が形成される全身性の肉芽腫性疾患である。Th1関与の過敏性免疫反応が関与すると考えられているが、原因はなお不明である。典型的には若年女性に好発し、肺門部リンパ節腫脹および肺野病変、皮膚、関節および眼症状にて初発することが多く、約90%が肺病変を形成するといわれている。
本症の病因としては疾患の感受性のある宿主が環境中の何らかの抗原物質(起因体)に暴露されて誘導されるTh1タイプの過敏性免疫反応に起因すると考えられている。ストレス等が遠因だが、詳細は不明である。
これ以上は専門医学的で説明できないが、私の場合は頚椎内に垂れ下がるように肉芽腫ができている。なお難病「サルコイドーシス」の罹患率は10万人に数人程度らしい。
《私の場合の難病「サルコイドーシス」の具体的症状》
先ず手のシビレが強烈である。特に右手より左手の方が強く、気温にも影響され、部屋の中でも肌寒いときは「皮が一枚、剥がれたのか」と思わすような相当な痛みに近いシビレである。
おまけに左手は肩からの〔可動領域〕が硬く、パソコンの右手打ちだけをしていても、左肩からの凝ったような痛みが走る。
I大学病院主治医に、この手のシビレの原因を聞くと「サルコイドーシス自体のいたずらで、神経伝達物質にダメージを与えていること+手術の後遺症(直接、首を切開し、神経に触れた事)」によるものらしい。ということは、寛解する見込みがない状況では、ずっと耐えていかなければならないということ。正直、辛い。
もう一つの症状は、足腰が相当に弱っていること。まさに「中途障害」の所以で、具体的には歩行は、リハビリ専門の方に支えてもらって10m位がやっと。自立起立だけだと20秒間位が限界である。従って部屋の中でも車椅子での移動が全てである。
《「中途障害」となった心境変化》
上記のように事実上の「中途障害」になって自宅に帰り、自分では然程、自覚は無かったが、妻に言わすと、相当にイライラしていたらしい。自分でも思うのは、私こと「民守 正義」の実在を知っている方なら解って頂けると思うが、元々は相当に活動的で自我の強いタイプである。それがトイレ(ポータブル)もままならず、妻の介護無しには何もできないのである。
「自分の事は自分で決する」を主義としてきた自分にしてみれば「体が思うように動かない」ことの熟知たる思い、悔しさは「本音」であるだけに口に出しにくい。
私にも障害者(視覚)の友達が以前からいて「先天性障害」の独特の事情・苦労を教えてもらった。例えば「先天性視覚障害なので、色の概念がわからない」とか-。でも、その時は自分が健常者であったこともあってか、実感的にはピンと来なかった。正直言って今でも「先天性障害の実感的苦労がわかる」と言えば嘘になる。ただ「中途障害」については自分自身の事であるし、健常な頃の自分とのギャップに戸惑い悩まされ、「生きること。人生観」自体を見直さなければならない事に直面するという意味で、独々の乗り越えるべき山があると思う。
◎「中途障害」を携えて生きる人生
実は先般、自宅で二回、足を滑らかし転んだ。ポータブルトイレの肘掛けに脇腹を打ち、相当なアザができた。打ち所が後、数センチずれていれば、肋骨にヒビまたは骨折していただろう。転んだ原因は、元気な頃の自分と錯覚し、安易に足を運んだ事にあると思う。何故、この実例を出したかと言うと、もう好むと好まざると関らず、「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む」人生に切替えていかなければならない事に、身をもって知らされたのだろう。
まだ、これからの人生観を確立した訳でもなければ覚悟を決めた訳でもない。でも当面の選択の余地としては「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む」人生になるだろう。
具体的には、当面はステロイド系投薬治療とリハビリに勤しみながらも、体に必要以上に負荷をかけない程度に、このブログ「リベラル広場」を活用した「平和・民主主義・基本的人権の尊重」を基調とした社会への発信、そして無理の無い程度の社会運動への参画(実践)に関っていきたい。
だって中学時代から社会運動に関ってきた私だから、「何も活動しない」訳にはいかないのだ。身に染み付いたものとして解って欲しい。
《「障害者」という言葉に、もう一言》
話は変わるが近年、「障害者」という表記を使わず「障がい者」という表記が流行っている。大阪府庁等、官公庁関係では、これで統一する流れになっている。でも実際、自分が「途中障害者」になって、なお更に思うことだが「こんな偽善的で、どうでもいいことに力量・時間を避けることは止めて欲しい」と言うのが率直なところだ。
実際に統計を取った訳でもないので、「皆が」とは言わないが、少なくとも私の「障害者仲間」で、「『障害者』と記された」と言って「差別された」と抗議する障害者(当事者)は誰もいない。大概に「『障害者』を『障がい者』とすべき」と主張する方々は、「親の会」か「支援者の会」の方々で一定、同情的理解はあるのだが、目線は健常者だ。障害者当事者にとってみれば「心身に何らかの『差障り』があって、心身が思うようにならない害を及ぼしている」という意味で「障害者」だし、その事に日々、「いや!」と言うほど思い知らせられている。
そんな「障害者」か「障がい者」か、議論や看板・文書等の書換えする暇があるのだったら、誰か「障害治療」のために治療・研究費に募金を募るとか、厚生労働省にもっと圧力をかけるとか、とにかく「誰か、早く手足が思うように治してよ~!」というのが率直な気持ち。
それと街で障害者が、何らかの困り事があるのを見れば、それはさりげなく手助けをして頂ければありがたい。要は少し、言い過ぎたかもしれないが、障害者にとってみれば「障害者」の表記方法を「あれやこれや」と議論して障害者問題を少しでも理解を深めた気持ちになることよりも「具体的に何をするか」で考えて欲しい。
《障害者人生と老後の人生》
今、私は61歳。気持ちだけで言えば、まだまだやりたい事はある。しかし既述のとおり私自身の身体的理由と、誰でもが老化し、妻がいつまで私の介護ができるのか、更に経済的(年金等)にも一定水準の老後生活が営めるのか、不安で仕方ない。でも、こればかりは特効薬的解決策がある訳でも無く、結局は話は元に戻って「軸足をしっかりと立って、慎重に、ゆっくりと歩む人生」の中で、その時々に考えていかなければ仕方ないのだろう。まあ、ゆっくり頑張りまショ♪
(民守 正義)
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