コラムーひとりごと27 「建国記念日」振り返って
コラムーひとりごと27
「建国記念日」振り返って
少しの間、新原稿更新が遅れて、すみませんでした。今回は先だっての「建国記念日」についてです。
{「建国記念日」て、どいう日?}
<「建国記念日」の認知度>
実は2月11日(水)が「建国記念日」どころか、祝日であることさえ、失念していた。というのは毎日、難病サルコイドーシスの闘病生活で、仕事には行ってなく「毎日サンデー」だからだと思うのだが、おそらく仕事に行っていたとしても「何たらの日」とか言って祝日としての享受はしていただろう。しかし私だけでなく、国民の祝日の中でも「建国記念日」の認知度は相当、低いらしく、日本青年会議所(JC)が行った調査によると、「2月11日-建国記念日」を知っている日本人は2割未満しかいないそうだ。
<「建国記念日」の由来>
「建国記念日」の認知度が低いのは、その由来にも関係があるように、私には思える。最初に「建国記念日」に相当する「紀元節」が定められたのは、1873年(明治6年)の同じく2月11日である。その由来は「日本書紀」が伝える神武天皇(但し神話上の人)の即位日であるというのが定説。でも「天皇」という存在が確立されたこと自体、実に曖昧で天皇家の起源諸説も、一つ一つ解説しないが五つ位ある。それに「『日本書紀』→神武天皇の即位日=『建国の日』」としたのは、明治政府の「こじつけ的建国神話」によるものである。
*建国神話=その国を建国した神、あるいは神の血筋を引く指導者が建国事業を行なった神話を指す。特に支配者(明治政府)が、天皇と建国神話とを関係あるものとして主張・説明しようとする目的には、支配の正統性の根拠としたいからである。(いわゆる「現人神」も、その根拠の一つ)
もう一つ、歴史伝説として「天皇制」のカリスマ性を高めるものとして「万世一系」説がある。これは岩倉具視が言い出したことで比較的、新しい。(だいたい右翼・保守派がいう「日本古来の伝統」等という時は、明治初期の「富国強兵政策」の中で、出てきた事柄が多くて、真に「日本の古い歴史と伝統」から見ると、相当に新しいことが多いのだが-)しかし、ちょっと考えてみれば解ることだが「親の代々から続く今日の私」という意味では、誰でもが「万世一系」である。また、ある保守系議員は、この「万世一系」を「男系継承」であったことに根拠を持とうとするが、百人一首をみれば「女性天皇」がいた時代が、幾らでもあった事で、その理屈もたちまち崩壊する。もっと言えば、それこそ史実によれば第五代孝昭天皇は114歳まで、第6代孝安天皇137歳と生きており、他にも百歳を超えて生きた歴代天皇は、多くいる事になっており、主観主義は止めて、もう一度「万世一系」を見直してくれないだろうか。
強いて他国と比して異なるのは「王朝交替」がなく、十数世紀以上に「天皇制」なるものが続いていることだろう。誤解無いよう言っておくが、私は今の「象徴天皇」を批判しようと思って事ごと、然様に問題指摘しているのではない。むしろ平成天皇は、今のぞろぞろ靖国神社に参拝する保守・タカ派議員よりリベラリストだと思っている。
ただ右翼・保守派の方々が「建国記念日」に絡めて「天皇制」等を礼賛したいのなら、それはそれで自由だが「建国神話」を持ち出したり、「万世一系」を持ち出したりと、あまり社会的に客観的・科学的に立証されてないものを持ち出して、主観的で無理筋のカリスマ性を焚き出すのは、いかがのものかなと思う。
<敗戦後の「建国記念日」>
日本が敗戦後、紀元節は、占領軍の「軍国主義イデオロギーの一環」との意向で祝日でなくなった。しかし その後、再び「紀元節を復活させよう」という自民党-保守派の戦前回帰・復古主義の動きが高まり、相当に反対運動があったものの、結果的に1967年から建国を記念するための祝日「建国記念の日」として設けることとなった。
ここで最初から、お気付きの方も居られるかもしれないが戦後、復活した「紀元節」の正式名称は「建国記念日」でなく「建国記念の日」である。その理由の「建国記念の日」としたのは「史実に基づく建国の日とは関係なく(いわゆる「建国神話」)、「(観念的に)これが建国された事実なのだ」という事にする記念日だからだと言われている。
私は右翼・保守派の「言葉のお遊び」に付き合っていられないので「建国記念日」と記してきたが、今からは「建国記念の日」と記す。
そもそも純粋、歴史学的に日本のように、明確な「建国」概念に相当する歴史事実が無く、正確な起源等が解っていないのに、建国記念など定めようとするところに無理がある。諸外国で「建国神話」のような事柄を「建国記念の日」に相当する理由としている国々は、先ずない。大概は「独立記念日」「解放記念日」「革命記念日」等々で、歴史的に「なるほど」と思うものばかりである。
{これからの「建国記念の日」は}
今年の「建国記念の日」には例年と同様、「反対派」「賛成派」が、全国各地で集会を開催した。「賛成派」である神社本庁等でつくる「日本の建国を祝う会」は、東京都内で式典を開催し、約千人が参加。「憲法改正へ向けた動きを加速してゆく」「賛同者の輪を拡大する国民運動を大いに推進する」と訴える決議を採択した。
「反対派」である市民団体は、同じく都内で約四百人を集めて講演会を開き、横浜市立大;中西新太郎名誉教授が「脱原発や沖縄の基地問題について議論する人達も『反日』のレッテルを貼られている」と話した。
「賛成派集会参加者」の人数の方が多いのは、反動的時流と半官製集会だから仕方ないとしても、「反対派集会参加者」が高齢化していることに気になった。
これからの「建国記念の日」は元々、その存在理由がナンセンスなだけに、本来の「建国記念の日」の趣旨からかけ離れ、その年々の政治的議論の場となっていく気がする。
いっそのこと、悪名名高い「残業代不払い法案」を諦めて頂いて、かつて舛添元厚生労働大臣が言った「ホワイトカラー・エグゼンプション 家庭だんらん法」をもじって「家族だんらんの日」と趣旨を変えて、引き続き「国民の祝日」としてはどうか。
(民守 正義)
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