コラムーひとりごと17 「天皇」と私
コラムーひとりごと17 「天皇」と私
「『天皇』と私」と題して、「リベラル広場では『天皇制反対!』を主張するのか」と思われるかもしれないが、それを趣旨とする気はないので、ご安心を。
{自民党「憲法改正」草案では}
自民党は、既に「憲法改正」草案を準備しており、それは [9条]関係だけでなく「こんなところも変えるのか~」と思うほど、「前文」見直しから始まる、ほぼ「全面改正」に近いものとなっている。私なりに現行憲法と「自民党『憲法改正』草案」とを逐次、読み比べてみると、そもそも基本的な考え方で、現行憲法は「国家が(国民との約束において)自ら律する最も重要な柱となる規範」であるのに対し、「自民党『憲法改正』草案」では「国家と国民の相互役割(責任)と国民の権利・義務関係の明確化」と根本的違いがある。言わば、そこが最大の「改正」ポイントであり、だから「全面改正」近く及ぶのかと感じる。一度、皆様も「改正」箇所を中心に読み比べてみれば驚くと思う。
<「自民党『憲法改正』草案」では「天皇は『元首』」>
数多くある「自民党『憲法改正』草案」の「改正」ポイントの中でも「第一条『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国統合の象徴であって』」と「元首」という言葉を付加している。自民党は、この付加理由を要約すれば「外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われており、天皇が元首であることは紛れもない事実で、それを敢えて規定しただけ」とのこと。
しかし、この「『元首』付加改正」と関連して、現行憲法(99条)では「天皇」にも「憲法尊重・擁護義務」を課しているのに対し「自民党『憲法改正』草案(102条2項)」では除外している。
また「自民党『憲法改正』草案(6条5項)」では、「天皇」の業務として国事行為のほか、新たに「公的行為」を規定した。「公的行為」とは「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為」のこと。この新たな「公的行為」の追加規定の背景理由には「一部政党は『国事行為以外の天皇の行為は違憲である』と主張し、国会開会式に出席していない」事があるらしい。(しかし自民党ベテラン議員もズボラかまして出席してない者がいるらしいが)
こうした事を、そもそも「元首」という言葉は政治権力を持った地位を意味して使用することが一般的であることも加えて、総じて考えると、「天皇」に政治的権力を持たせる具体的メニューはなくとも、その裁量余地に含みを持たせようとする意図は有り、明らかに現行憲法「象徴天皇」の範囲は超えようとしている。
{私の「天皇」観}
<人間-裕仁天皇と「天皇戦争責任」>
一般的に明治憲法下の「天皇制」において「『国家主権は天皇に帰属し、天皇は日本の元首であり最高権力者であったこと。従って戦争を始めとする全ての政治的決定は天皇の名の下で下され、遂行されたという歴史的事実』から、『天皇』に戦争責任があった」と考えるのは当然の判断である。
しかし①既に冷戦構造が始まり、新たな西側諸国の一員としての日本国統合のために、連合国が昭和天皇を利用すれども、東京裁判で訴追しなかったこと。②補足的理由として、昭和天皇の戦争責任の追及どころか、A級戦犯[岸 信介元総理(安陪総理の義理祖父)等]の中には、個々の事情で不起訴-政財界回帰した者もいて、そうした事が、「天皇戦争責任」議論を鈍らせ、タブー視され、あるいは今日なお続く議論課題になっていると言われる。
しかし、それは「天皇制」下の「天皇戦争責任」議論であって、「人間-裕仁天皇」としての心情・責任感等は、また別の観点での分析等が必要なように思える。
具体記録は紙面上、省略するが、先ず戦争自体は「人間-裕仁天皇」は、「特段の好戦主義者でも和平主義者でもない戦争消極者で、当時の軍事指導者の執拗な説得によって開戦を決断した」というのが、概ねの真相であろう。
また敗戦後の「人間-裕仁天皇」は、退位するほどの意思があったかどうかは定かではないが、相当の贖罪意識は持っていたようである。
その一方、ご自身を開戦へと説得した軍部-A級戦犯に対する不快感・反発も相当にあるようで、靖国神社にはA級戦犯が合祀される(1978年)直近の1975年を最後に参拝しておらず、それは事実として、今の平成天皇にも引き継がれている。その意味では、保守・タカ派国会議員が毎年、靖国神社に大挙して参拝しているのは、「人間-裕仁天皇」のお心に身を寄せていないと言うのは、いささか皮肉り過ぎだろうか。
<象徴としての「天皇」>
何はともあれ昭和天皇は、「現人神」から「人間宣言」を経て、敗戦直後の国民への復興励まし等を目的に、1946年2月から1954年8月にかけて全国巡行に出かける。当初は、一部に「天皇」に反発の声もあったらしいが、全体として大いに歓迎され感激されたという。見事な「象徴天皇」への変身である。そして戦後、国民的行事や大きな災害があるごとに、励まし・慰問等に行かれ、今上(平成)天皇をはじめとする皇室公務として引き継がれている。
最近では、今上(平成)天皇が、東日本・東北大震災被災地訪問や即位後に昭和天皇の残務引継ぎとして、沖縄行幸を果たしたこと等が有名である。特に1975年には「ひめゆりの塔火炎瓶投げつけ事件」が起っており、その後も今上(平成)天皇が、即位前後に沖縄訪問しており、今では相当に好意的に迎えられている。
<「天皇制」と「象徴天皇」観>
少し原点的な話をするが、中学時代から部落解放運動に関ってきた私にとって、「解放の父」と呼ばれた松本治一郎の「貴族あるところ賎族あり」を基本的テーゼとして確信してきた。だから部落差別と「天皇制」は表裏一体的なもので「天皇制」を廃止することが部落差別を解消することにつながると考えてきた。今も同様の考えかと言うと、一つの真実側面だと思うが、それが全面的・本質的解決だとも思っていない。その理由は、さすがに私も61歳。「人」の偏見意識は、そんなに単純なものではない事は解っているし、第一、部落差別自体、現代において相当に変容している。
そうした「天皇制」への思いの変化と合わせて、今の「象徴天皇」としての存在意識が、国民に相当に広く深く浸透して受入れられていることに感心している。それは、東日本・東北大震災被災地訪問の被災者の態度等を見ても、わかることだ。
その主な要因には、昭和天皇から今上(平成)天皇をはじめとする皇室全般の普段努力に合わせて、戦後の憲法が70年近く経て、保守・タカ派政治家が、いかに「押付け憲法」と批判しようとも、そして現に守られていない点もあるとしても、国民意識・心情の中に「象徴天皇」も含めて「押し付けられた感」よりも「自分達の憲法」として受入れ、定着したからではないだろうか。
その意味では、先般の総選挙で与党2/3以上の議席を獲得して、「憲法改正」も視野に入れているようだが、元々、総選挙前には「争点とはしない」と言っていたこと、「集団自衛権」も含めて、安陪軍事カラーには意外とシラケていることを考えると「与党2/3以上の議席」も脅威である反面、現行憲法に対する肯定的国民意識・心情も考慮すると「憲法改正」も、そう容易くないのではないかと思う。
そして私の「象徴天皇」観に、もう一つ思うことは、今上(平成)天皇が2001年12月に「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と「『ゆかり』のおことば」等の発言を行い、韓国では大きな反響を呼んだ。この発言の歴史的検証はともかく、今上(平成)天皇が日韓友好関係も含めて、国際平和にも心配っていることがわかる。
*ある保守・タカ派評論家(既に死亡)は、「これは天皇陛下の政治的発言だ。侍従は、しっかりしろ!」と怒っていたが、何故、天皇家が韓国との親戚関係にあったことを発言しただけで、そんなに怒るのか、わからない。
<「象徴天皇」とリベラル派の役割>
事々、然様に考えると、実は戦後直後の侵略戦争への悔根と反省を、最も古典的に持っているのは、実は昭和・今上(平成)天皇をはじめとする皇室ではないかと思わせる。
だとすれば、「天皇制」是非云々よりも、今の「象徴天皇」を真に守ることが、当面のリベラル派の役割ではないだろうか。
特に冒頭の「天皇『元首』論」も含めて、戦時中の軍指導者が、昭和天皇を「そそのかした」ように、現代でも一見、「天皇」敬愛を示しながら、その実「天皇」を国家統帥に利用して、思うがままの国家支配を図ろうとする保守・タカ派政治家は、思いの外、多数いる。今、安陪政権の右傾化・反動化が懸念されているとき、リベラル派が「象徴天皇」を守る「平和勢力派」として登場するのも、発想の転換として有効だと思うが、どうであろうか。
「『天皇』と私」と題して、「リベラル広場では『天皇制反対!』を主張するのか」と思われるかもしれないが、それを趣旨とする気はないので、ご安心を。
{自民党「憲法改正」草案では}
自民党は、既に「憲法改正」草案を準備しており、それは [9条]関係だけでなく「こんなところも変えるのか~」と思うほど、「前文」見直しから始まる、ほぼ「全面改正」に近いものとなっている。私なりに現行憲法と「自民党『憲法改正』草案」とを逐次、読み比べてみると、そもそも基本的な考え方で、現行憲法は「国家が(国民との約束において)自ら律する最も重要な柱となる規範」であるのに対し、「自民党『憲法改正』草案」では「国家と国民の相互役割(責任)と国民の権利・義務関係の明確化」と根本的違いがある。言わば、そこが最大の「改正」ポイントであり、だから「全面改正」近く及ぶのかと感じる。一度、皆様も「改正」箇所を中心に読み比べてみれば驚くと思う。
<「自民党『憲法改正』草案」では「天皇は『元首』」>
数多くある「自民党『憲法改正』草案」の「改正」ポイントの中でも「第一条『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国統合の象徴であって』」と「元首」という言葉を付加している。自民党は、この付加理由を要約すれば「外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われており、天皇が元首であることは紛れもない事実で、それを敢えて規定しただけ」とのこと。
しかし、この「『元首』付加改正」と関連して、現行憲法(99条)では「天皇」にも「憲法尊重・擁護義務」を課しているのに対し「自民党『憲法改正』草案(102条2項)」では除外している。
また「自民党『憲法改正』草案(6条5項)」では、「天皇」の業務として国事行為のほか、新たに「公的行為」を規定した。「公的行為」とは「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為」のこと。この新たな「公的行為」の追加規定の背景理由には「一部政党は『国事行為以外の天皇の行為は違憲である』と主張し、国会開会式に出席していない」事があるらしい。(しかし自民党ベテラン議員もズボラかまして出席してない者がいるらしいが)
こうした事を、そもそも「元首」という言葉は政治権力を持った地位を意味して使用することが一般的であることも加えて、総じて考えると、「天皇」に政治的権力を持たせる具体的メニューはなくとも、その裁量余地に含みを持たせようとする意図は有り、明らかに現行憲法「象徴天皇」の範囲は超えようとしている。
{私の「天皇」観}
<人間-裕仁天皇と「天皇戦争責任」>
一般的に明治憲法下の「天皇制」において「『国家主権は天皇に帰属し、天皇は日本の元首であり最高権力者であったこと。従って戦争を始めとする全ての政治的決定は天皇の名の下で下され、遂行されたという歴史的事実』から、『天皇』に戦争責任があった」と考えるのは当然の判断である。
しかし①既に冷戦構造が始まり、新たな西側諸国の一員としての日本国統合のために、連合国が昭和天皇を利用すれども、東京裁判で訴追しなかったこと。②補足的理由として、昭和天皇の戦争責任の追及どころか、A級戦犯[岸 信介元総理(安陪総理の義理祖父)等]の中には、個々の事情で不起訴-政財界回帰した者もいて、そうした事が、「天皇戦争責任」議論を鈍らせ、タブー視され、あるいは今日なお続く議論課題になっていると言われる。
しかし、それは「天皇制」下の「天皇戦争責任」議論であって、「人間-裕仁天皇」としての心情・責任感等は、また別の観点での分析等が必要なように思える。
具体記録は紙面上、省略するが、先ず戦争自体は「人間-裕仁天皇」は、「特段の好戦主義者でも和平主義者でもない戦争消極者で、当時の軍事指導者の執拗な説得によって開戦を決断した」というのが、概ねの真相であろう。
また敗戦後の「人間-裕仁天皇」は、退位するほどの意思があったかどうかは定かではないが、相当の贖罪意識は持っていたようである。
その一方、ご自身を開戦へと説得した軍部-A級戦犯に対する不快感・反発も相当にあるようで、靖国神社にはA級戦犯が合祀される(1978年)直近の1975年を最後に参拝しておらず、それは事実として、今の平成天皇にも引き継がれている。その意味では、保守・タカ派国会議員が毎年、靖国神社に大挙して参拝しているのは、「人間-裕仁天皇」のお心に身を寄せていないと言うのは、いささか皮肉り過ぎだろうか。
<象徴としての「天皇」>
何はともあれ昭和天皇は、「現人神」から「人間宣言」を経て、敗戦直後の国民への復興励まし等を目的に、1946年2月から1954年8月にかけて全国巡行に出かける。当初は、一部に「天皇」に反発の声もあったらしいが、全体として大いに歓迎され感激されたという。見事な「象徴天皇」への変身である。そして戦後、国民的行事や大きな災害があるごとに、励まし・慰問等に行かれ、今上(平成)天皇をはじめとする皇室公務として引き継がれている。
最近では、今上(平成)天皇が、東日本・東北大震災被災地訪問や即位後に昭和天皇の残務引継ぎとして、沖縄行幸を果たしたこと等が有名である。特に1975年には「ひめゆりの塔火炎瓶投げつけ事件」が起っており、その後も今上(平成)天皇が、即位前後に沖縄訪問しており、今では相当に好意的に迎えられている。
<「天皇制」と「象徴天皇」観>
少し原点的な話をするが、中学時代から部落解放運動に関ってきた私にとって、「解放の父」と呼ばれた松本治一郎の「貴族あるところ賎族あり」を基本的テーゼとして確信してきた。だから部落差別と「天皇制」は表裏一体的なもので「天皇制」を廃止することが部落差別を解消することにつながると考えてきた。今も同様の考えかと言うと、一つの真実側面だと思うが、それが全面的・本質的解決だとも思っていない。その理由は、さすがに私も61歳。「人」の偏見意識は、そんなに単純なものではない事は解っているし、第一、部落差別自体、現代において相当に変容している。
そうした「天皇制」への思いの変化と合わせて、今の「象徴天皇」としての存在意識が、国民に相当に広く深く浸透して受入れられていることに感心している。それは、東日本・東北大震災被災地訪問の被災者の態度等を見ても、わかることだ。
その主な要因には、昭和天皇から今上(平成)天皇をはじめとする皇室全般の普段努力に合わせて、戦後の憲法が70年近く経て、保守・タカ派政治家が、いかに「押付け憲法」と批判しようとも、そして現に守られていない点もあるとしても、国民意識・心情の中に「象徴天皇」も含めて「押し付けられた感」よりも「自分達の憲法」として受入れ、定着したからではないだろうか。
その意味では、先般の総選挙で与党2/3以上の議席を獲得して、「憲法改正」も視野に入れているようだが、元々、総選挙前には「争点とはしない」と言っていたこと、「集団自衛権」も含めて、安陪軍事カラーには意外とシラケていることを考えると「与党2/3以上の議席」も脅威である反面、現行憲法に対する肯定的国民意識・心情も考慮すると「憲法改正」も、そう容易くないのではないかと思う。
そして私の「象徴天皇」観に、もう一つ思うことは、今上(平成)天皇が2001年12月に「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と「『ゆかり』のおことば」等の発言を行い、韓国では大きな反響を呼んだ。この発言の歴史的検証はともかく、今上(平成)天皇が日韓友好関係も含めて、国際平和にも心配っていることがわかる。
*ある保守・タカ派評論家(既に死亡)は、「これは天皇陛下の政治的発言だ。侍従は、しっかりしろ!」と怒っていたが、何故、天皇家が韓国との親戚関係にあったことを発言しただけで、そんなに怒るのか、わからない。
<「象徴天皇」とリベラル派の役割>
事々、然様に考えると、実は戦後直後の侵略戦争への悔根と反省を、最も古典的に持っているのは、実は昭和・今上(平成)天皇をはじめとする皇室ではないかと思わせる。
だとすれば、「天皇制」是非云々よりも、今の「象徴天皇」を真に守ることが、当面のリベラル派の役割ではないだろうか。
特に冒頭の「天皇『元首』論」も含めて、戦時中の軍指導者が、昭和天皇を「そそのかした」ように、現代でも一見、「天皇」敬愛を示しながら、その実「天皇」を国家統帥に利用して、思うがままの国家支配を図ろうとする保守・タカ派政治家は、思いの外、多数いる。今、安陪政権の右傾化・反動化が懸念されているとき、リベラル派が「象徴天皇」を守る「平和勢力派」として登場するのも、発想の転換として有効だと思うが、どうであろうか。
(民守 正義)
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