なぜ「民主党政権」は、早くも崩壊したか
なぜ「民主党政権」は、早くも崩壊したか
{今、民主党代表選挙が行われているが~}
今、民主党代表選挙が、立候補者の受付から始まっている。ご存知、衆議院解散総選挙―自民党の圧勝直後の代表選挙だけに、あまり話題にもならず、盛り上げにも欠けるが、とりあえず野党第一党の代表選挙。関心は然程、ないが一応、注視はしていきたい。
ただ「民主党代表選挙」と言っても、前の民主党政権が何故、早くも崩壊したかの総括も無しに「誰がいいの、この人はどうの~」と言っても意味がない。
だからといって、今更に細かく政治学的に、あれこれと分析する気にもなれない。
そこで思いつく程度に、多少、ヤツアタリ的に政権崩壊理由を考えてみたい。
{「民主党政権」になったのは、いいけれど}
「民主党政権」になったのは、2009年~2012年までの3年間。当時(2009年9月)、民主党が308議席と圧勝し、政権交替が決定付けられたとき、私の友人で衆議院議員地元秘書は「自分が秘書の間に政権交替が成し遂げられた」と泣いて喜んだと言う。でも、それを聞いた私は「これからが大変だ。本当に政権運営の覚悟と準備はできているのか?」との不安が過った。結果的に私の予感は的中した。
<政権交替前に覚悟・為すべき事柄は、こうだった>
1.先ず民主党に政権交替するという事は長年、自民党政権を支えてきた財界を中心に官僚、マスコミ、業界・経営者団体等にしてみれば我慢ならぬ話で、多少は「少し、やらせてみては」という声もあったとしても、多くは早く潰したいと思っている。
だから民主党政権が始まるや否や、民主党バッシングが凄まじく始まった。あるバラエティー番組であったが、まだ政権交替直後の国会や予算編成も行っていない内から「民主党政権になっても、何にも変わらへんやんけ-!」と言ってウケテいた。
これがもし、民主党政権が長期に及ぶ見通しがあれば、右翼テロ(暗殺)だって起るかもしれない。(まあ、そんな心配はなかったがー)現に敗戦直後の三鷹事件等の国鉄三大事件や長崎市本山市長銃撃事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件等々、それなりの政局重要局面では結構、右翼テロは起きている。かつて小泉元総理大臣が、米国ブッシュ大統領に呼応して「テロとの戦い」を力説したが、日本においては「右翼テロ」の方が怖い。少々、脅かし気味だが、言いたい事は民主党政権になると、これを潰そうとする動きは、相当に予想される。(日本は、そんなに民主的国家ではないのだ)いわば、そういった政治的策動に対しても、きっちりと警戒心をもって対応できるリーダー(総理大臣)を首班指名するべきで、はっきり言って党首だからといって「鳩山」では無理だ。他に適任者がいる訳ではないが、それはよりましで選ぶとして、とにかく再度、強調したいのは、政権交替直後には、そういった危機感と基本的対応策位はもってほしかった。
2.次に本来、総選挙前に行うべきことで「コラム-ひとりごと8 これが有権者意識・議員意識?」でも述べたが、①先ず民主党が目指す国家ビジョン(スタイル)を特化して示すべきだった。例えば「コンクリートから人へ」というスローガンがあったが、他にも「低成長でも安定成長」「社会資本としての高福祉」等が考えられる。とにかく他党とは差別化・区別化した民主党らしさを、もっと攻撃的に示すべきだったのではないか。そして他党と相対立する「国家ビジョン」に対しては、「ならば、貴方の党とは目指すビジョンが違う」と立場性を明確にすべきだ。結局は、その方が支持基盤が明確になって、長期的には「ブレなくて、安定した政党」として信頼感が増す。「何でもOKは何もできない政党」であることを肝に銘じて欲しい。有権者には、それがわかる。
②次に上記と連動して支持・政策基盤を明確にすべきさだった、例えば大企業経営者なのか、それとも幅広く労働者(給与所得者)なのか、また中小企業経営者なのか、街の商売人なのか、等々。というのは、言うまでもなく日本は資本主義であって、実態は各諸階層間に利害対立がシビアにある。その中で支持政党を決める場合に、基本的に、どの階層を基盤に依拠して活動しているのかを明確に知らすべきである。当然、依拠する階層が違う場合は、同様に「残念ながら支持してもらわなくて結構」と立場性を明確にする。そのことが、結局は政権交替後の民主党基本政策追求の重要な柱と理由になるからだ、当然、他の階層の利益を代表する政党(例えば自民党)からの批判は覚悟の上。
なお念のため、民主党が依拠する支持・基本政策基盤は、幅広く労働者が良いと思うが。
3、次に政権交替にあたって大変、重要な事は官僚対策だ。日本は「官僚国家」と言われるぐらいで、「実は官僚が政治を行っている」と言っても過言ではない。彼等は「法律と政策のプロ集団」であり、日頃は表に出ず、政治的最終責任も取らない、でも、うまく付き合わないと「政治」ができない。米国では政権が変わると、官僚も入替らしいが、日本ではなお「プロ集団」である。
民主党政権が早くも崩壊したのは、「官僚のワナ、ヒッカケ」と言われるくらいで、実際、長年の自民党政権を支えてきた官僚の立場からすると、多少の反発と戸惑いもあっただろう。ただ「民主党政権になったのだから、これからは民主党政権を支えよう」と思った官僚は殆ど無く、多くは様子見、または早期政権崩壊を願っていたのではないか。
官僚との特効薬的な対応策は、わからないし、おそらくない。それに私は、国のキャリア制度自体、学歴主義の典型で、「改革」の一丁目一番地だと思っている。
だから「官僚」と言うよりも「事務方」として思う議員達の心構えに変えて述べたい。
①決して上から目線で言わない。彼等は、自分でも「法律と政策のプロ集団」と思っており、見かけ上、腰低く振舞うが、内心は、殆どの政治家に「自分の方が、よくわかっている」と思っている。度が過ぎた言い方をすると、足元をすくわれる事も考えられる。
②だからといって、あまり謙らない。大臣・議員は国民の代表なのだから、堂々とすればよい。鳩山内閣時に随分、謙ったレクを受けていた大臣がいたが、みっともないだけだ。
③業務指示は、明確かつ具体的に。必要があれば文書で業務指示を。アバウトな業務指示ほど、都合の良い解釈での返答がされやすい。返答時期を区切って、イエスかノーか、その理由ぐらいは具体的に指示した方がよい。また反抗的で不誠実な対応が予想される場合は、業務指示書を交付し、後々に「業務命令違反」で懲戒処分を科せられるようにした方がよい。実は公務員に科せられるペナルティーは、懲戒処分か降格的人事なのだ。
4.日常普段の政策学習。地方自治体でもそうだが、よく勉強している議員(政党)と、そうでない議員(政党)とは、事務方(官僚)の当初の心構えから違う。やはり「慎重に、よく考えて」ということになるし、本来、政権交替を自覚しているなら、「反対だけでなく、対案政策を考案すること」は、当然のことである。
以上が思いつく限りの事務方(官僚)との付き合い方だが、基本的なことばかりで申し訳ない。
後、付録だが、国家行政組織の特性として、恐ろしいほどの行政縦割りだ、だから自分の部署の所轄法令は、実に専門的であるが、少し、その枠から外れるとノーコメント。実例として雇用均等室に、セクハラ裁判例を紹介した啓発冊子原稿のチェックを願いに行った時、セクハラ裁判では損害賠償請求で民法715条等を根拠法令となることが、一般的かつ常識的なのに「民法は所轄外なので答えられない」と言われたときは驚いた。
<東日本大震災と管政権の対応>
2010年6月~2011年9月までが管政権である。その間、2011年3月に東日本大震災-福島第一原子力発電所事故が起きている。この原発事故対応が、管政権の延命となったのか、それとも命取りとなったのかは評価の分かれるところだが、少なくとも、事は大地震による原発事故。管政権にとっても試練であったことには間違いない。当時のマスコミ等では、管政権の対応の拙さを指摘する声も少なくなかったが、私は事が前例無き重大事故の中では、問題もあるものの、比較的、頑張った方だと思う。これが自民党政権だったとしても、官僚の協力度合いや、なお政府の東京電力への甘さがあった位で、さして大きな対応差があったとは思えない。そこで管政権が行った福島原発事故対応へのマスコミ等批判の内でも主だった出来事について、今頃になって反批判をしたい。
①その一つが原発事故直後の3月14日に東京電力に怒鳴り込んだこと。理由は、東電社長が「第一原発からの避難撤退」を海江田元経済産業相に連絡したことによるものだが、この問題は国会でも自民党議員が「一国の総理が一民間企業に~」と追及している。
私にしてみれば住民には半径20キロ内の避難指示、第一原発爆発寸前の状態の中で、「避難」なんて福島どころか、日本が吹っ飛ぶ話。一国の総理大臣でも形振り構わず、何でもやってもらわないと困る。さすがにこれは、やむなく当然のことと思う。
②管内閣時代に原発対策関連15組織の内、10組織で議事録を作成していなかった点が批判(後に野田前総理が陳謝)され、官僚も「特に指示がなかった」と言い訳している。でも、そのような公式・重要会議に議事録作成は、一々、言わずとも常識の話。官僚の嫌がらせか、余程のボンクラとしか思いようがない。
③2011年5月に管総理が、浜岡原発運転中止を中部電力に要請したことについて、財界を中心に批判が集中。でも東海大地震が起きる可能性が30年以内に87%の可能性とのこと。福島第一原発事故の反省を生かすということは、こういう事だ。第一、民主党基本政策は「脱原発」だ。上述のように「基本政策が違う」ということで、あきらめていただくしかない。
<「野田政権」の解散総選挙の経緯>
野田政権は2011年9月~2012年1月まで続いた。政権成立直後の支持率60%であったが、政権末期には20%まで落ち込む。もちろん、その間も民主党バッシングは続く。
具体的には、鉢呂元経済産業大臣の「放射能を付けちゃうぞ」発言と「死の町」発言。先ず前者は大臣就任後の福島第一原発視察後、官僚から「放射能を付けないでくださいね」と言われて、防護服は着替え脱いだ上で「ホイ!」と付けるマネをしたことを、当該官僚が、報道内容のように偽ってマスコミにリークしたというのが真相のようだ。
後者の「死の町」発言は、発言自体は本人も認めているが、「索漠とした被災地の雰囲気を表現したまでで、被災地元の方々を侮辱した訳ではない」と言うのが本人の真相。
実際、動物ボランティアを行っている友人が、敢えて立入り禁止区域に入ったようで、「死の町」表現は的確で「こんな町に誰がした!」との怒りが込み上げたと言っていた。
そして11月14日の「野田・安陪党首討論」で「議員歳費削減と定数削減」を条件に11月16日解散が事実上、決定された。この党首討論では、野田総理が安陪総裁を攻め立てて解散総選挙の条件を迫ったように見え、具体的に「11月16日解散」を口にすると、安陪総裁は驚きながらも「それでいいんですね」と繰返し問い直し、まるで「言質を取った!」という、はしゃぎぶりに見えた。私が思うに野田総理は、もう政権が持たないのを自覚し、できるだけ高く売った政権取引だったように思える。
同年12月16日の解散総選挙結果は、自民党の圧勝。政権は、自民党・公明等に戻ったが、今度は自民党バッシングはなかった。
<安陪政権の行く末>
安陪政権は「集団自衛権」に「特定秘密保護法」等、どんどん右傾化政策を推進めている。また経済的には「アベノミックス-デノミからの脱却」を打ち出している。
そして昨年末の争点なき策略的解散総選挙。「史上最低投票率の中で与党2/3以上の獲得議席数」とシラケムードでの記録的結果だった。しかし「野田・安陪党首討論」で約束した「議員歳費削減と定数削減」解散条件は、履行されることはなかった。
私の国会情報筋に聞くと、野田前総理は「だまされた」と本気で怒っているらしい。
安陪総理も「NEWS23」で、この点での質問には不機嫌な上に歯切れが悪い。
私自身は、「議員定数削減(歳費削減はOK)と小選挙区制」は、民主主義の質的低下を招くものとして反対ではある。それでも国会で党首間で約束したことであろう。せめて約束実行の努力の影でも見せるべきで、「安陪はウソツキ」との印象は拭えない。
では安陪政権は「憲法改正」も視野に入れながら、長期政権となるのだろうか。
私は最近、特段の根拠がある訳ではないが、疑問も持っている。その理由の一つは、アベノミクスの「三本の矢」の中の第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」の内の内需(個人消費)拡大が、広く国民に浸透せずに失速するのではないかと危惧している。
その場合の国民の落胆は相当なもので、安陪内閣の支持率低下に即、つながると思う。
二つ目は、与党獲得議席数と与党獲得投票率のギャップ。それだけ民意が正確に反映されないと言うことでもあり、非正規雇用の増加-格差拡大と絡んで社会不安の要因になりはしないかと心配している。そこに付随的な事だが、「NEWS23」での感情的態度。だいたい右翼的な方々は、神話を歴史教育の中に入れようとしたり、「自虐史観」と情緒的思考が強い。安陪総理も政策的期待が感情的な誤った判断に成らなければよいが-。それに健康問題と相続税脱税疑惑も払拭された訳でもない。要は、与党の圧勝総選挙結果に関らず、不安定要素も多いと言うこと。
この論文は、民主党代表選挙を機会に、今更に民主党政権崩壊理由を趣旨としたもので、正直言って当分、民主党政権になる可能性はなく、あまり役立つものでもないが、民主党議員の方々には「日常普段の努力が必要」ということで、ご一読していただければありがたい。
{今、民主党代表選挙が行われているが~}
今、民主党代表選挙が、立候補者の受付から始まっている。ご存知、衆議院解散総選挙―自民党の圧勝直後の代表選挙だけに、あまり話題にもならず、盛り上げにも欠けるが、とりあえず野党第一党の代表選挙。関心は然程、ないが一応、注視はしていきたい。
ただ「民主党代表選挙」と言っても、前の民主党政権が何故、早くも崩壊したかの総括も無しに「誰がいいの、この人はどうの~」と言っても意味がない。
だからといって、今更に細かく政治学的に、あれこれと分析する気にもなれない。
そこで思いつく程度に、多少、ヤツアタリ的に政権崩壊理由を考えてみたい。
{「民主党政権」になったのは、いいけれど}
「民主党政権」になったのは、2009年~2012年までの3年間。当時(2009年9月)、民主党が308議席と圧勝し、政権交替が決定付けられたとき、私の友人で衆議院議員地元秘書は「自分が秘書の間に政権交替が成し遂げられた」と泣いて喜んだと言う。でも、それを聞いた私は「これからが大変だ。本当に政権運営の覚悟と準備はできているのか?」との不安が過った。結果的に私の予感は的中した。
<政権交替前に覚悟・為すべき事柄は、こうだった>
1.先ず民主党に政権交替するという事は長年、自民党政権を支えてきた財界を中心に官僚、マスコミ、業界・経営者団体等にしてみれば我慢ならぬ話で、多少は「少し、やらせてみては」という声もあったとしても、多くは早く潰したいと思っている。
だから民主党政権が始まるや否や、民主党バッシングが凄まじく始まった。あるバラエティー番組であったが、まだ政権交替直後の国会や予算編成も行っていない内から「民主党政権になっても、何にも変わらへんやんけ-!」と言ってウケテいた。
これがもし、民主党政権が長期に及ぶ見通しがあれば、右翼テロ(暗殺)だって起るかもしれない。(まあ、そんな心配はなかったがー)現に敗戦直後の三鷹事件等の国鉄三大事件や長崎市本山市長銃撃事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件等々、それなりの政局重要局面では結構、右翼テロは起きている。かつて小泉元総理大臣が、米国ブッシュ大統領に呼応して「テロとの戦い」を力説したが、日本においては「右翼テロ」の方が怖い。少々、脅かし気味だが、言いたい事は民主党政権になると、これを潰そうとする動きは、相当に予想される。(日本は、そんなに民主的国家ではないのだ)いわば、そういった政治的策動に対しても、きっちりと警戒心をもって対応できるリーダー(総理大臣)を首班指名するべきで、はっきり言って党首だからといって「鳩山」では無理だ。他に適任者がいる訳ではないが、それはよりましで選ぶとして、とにかく再度、強調したいのは、政権交替直後には、そういった危機感と基本的対応策位はもってほしかった。
2.次に本来、総選挙前に行うべきことで「コラム-ひとりごと8 これが有権者意識・議員意識?」でも述べたが、①先ず民主党が目指す国家ビジョン(スタイル)を特化して示すべきだった。例えば「コンクリートから人へ」というスローガンがあったが、他にも「低成長でも安定成長」「社会資本としての高福祉」等が考えられる。とにかく他党とは差別化・区別化した民主党らしさを、もっと攻撃的に示すべきだったのではないか。そして他党と相対立する「国家ビジョン」に対しては、「ならば、貴方の党とは目指すビジョンが違う」と立場性を明確にすべきだ。結局は、その方が支持基盤が明確になって、長期的には「ブレなくて、安定した政党」として信頼感が増す。「何でもOKは何もできない政党」であることを肝に銘じて欲しい。有権者には、それがわかる。
②次に上記と連動して支持・政策基盤を明確にすべきさだった、例えば大企業経営者なのか、それとも幅広く労働者(給与所得者)なのか、また中小企業経営者なのか、街の商売人なのか、等々。というのは、言うまでもなく日本は資本主義であって、実態は各諸階層間に利害対立がシビアにある。その中で支持政党を決める場合に、基本的に、どの階層を基盤に依拠して活動しているのかを明確に知らすべきである。当然、依拠する階層が違う場合は、同様に「残念ながら支持してもらわなくて結構」と立場性を明確にする。そのことが、結局は政権交替後の民主党基本政策追求の重要な柱と理由になるからだ、当然、他の階層の利益を代表する政党(例えば自民党)からの批判は覚悟の上。
なお念のため、民主党が依拠する支持・基本政策基盤は、幅広く労働者が良いと思うが。
3、次に政権交替にあたって大変、重要な事は官僚対策だ。日本は「官僚国家」と言われるぐらいで、「実は官僚が政治を行っている」と言っても過言ではない。彼等は「法律と政策のプロ集団」であり、日頃は表に出ず、政治的最終責任も取らない、でも、うまく付き合わないと「政治」ができない。米国では政権が変わると、官僚も入替らしいが、日本ではなお「プロ集団」である。
民主党政権が早くも崩壊したのは、「官僚のワナ、ヒッカケ」と言われるくらいで、実際、長年の自民党政権を支えてきた官僚の立場からすると、多少の反発と戸惑いもあっただろう。ただ「民主党政権になったのだから、これからは民主党政権を支えよう」と思った官僚は殆ど無く、多くは様子見、または早期政権崩壊を願っていたのではないか。
官僚との特効薬的な対応策は、わからないし、おそらくない。それに私は、国のキャリア制度自体、学歴主義の典型で、「改革」の一丁目一番地だと思っている。
だから「官僚」と言うよりも「事務方」として思う議員達の心構えに変えて述べたい。
①決して上から目線で言わない。彼等は、自分でも「法律と政策のプロ集団」と思っており、見かけ上、腰低く振舞うが、内心は、殆どの政治家に「自分の方が、よくわかっている」と思っている。度が過ぎた言い方をすると、足元をすくわれる事も考えられる。
②だからといって、あまり謙らない。大臣・議員は国民の代表なのだから、堂々とすればよい。鳩山内閣時に随分、謙ったレクを受けていた大臣がいたが、みっともないだけだ。
③業務指示は、明確かつ具体的に。必要があれば文書で業務指示を。アバウトな業務指示ほど、都合の良い解釈での返答がされやすい。返答時期を区切って、イエスかノーか、その理由ぐらいは具体的に指示した方がよい。また反抗的で不誠実な対応が予想される場合は、業務指示書を交付し、後々に「業務命令違反」で懲戒処分を科せられるようにした方がよい。実は公務員に科せられるペナルティーは、懲戒処分か降格的人事なのだ。
4.日常普段の政策学習。地方自治体でもそうだが、よく勉強している議員(政党)と、そうでない議員(政党)とは、事務方(官僚)の当初の心構えから違う。やはり「慎重に、よく考えて」ということになるし、本来、政権交替を自覚しているなら、「反対だけでなく、対案政策を考案すること」は、当然のことである。
以上が思いつく限りの事務方(官僚)との付き合い方だが、基本的なことばかりで申し訳ない。
後、付録だが、国家行政組織の特性として、恐ろしいほどの行政縦割りだ、だから自分の部署の所轄法令は、実に専門的であるが、少し、その枠から外れるとノーコメント。実例として雇用均等室に、セクハラ裁判例を紹介した啓発冊子原稿のチェックを願いに行った時、セクハラ裁判では損害賠償請求で民法715条等を根拠法令となることが、一般的かつ常識的なのに「民法は所轄外なので答えられない」と言われたときは驚いた。
<東日本大震災と管政権の対応>
2010年6月~2011年9月までが管政権である。その間、2011年3月に東日本大震災-福島第一原子力発電所事故が起きている。この原発事故対応が、管政権の延命となったのか、それとも命取りとなったのかは評価の分かれるところだが、少なくとも、事は大地震による原発事故。管政権にとっても試練であったことには間違いない。当時のマスコミ等では、管政権の対応の拙さを指摘する声も少なくなかったが、私は事が前例無き重大事故の中では、問題もあるものの、比較的、頑張った方だと思う。これが自民党政権だったとしても、官僚の協力度合いや、なお政府の東京電力への甘さがあった位で、さして大きな対応差があったとは思えない。そこで管政権が行った福島原発事故対応へのマスコミ等批判の内でも主だった出来事について、今頃になって反批判をしたい。
①その一つが原発事故直後の3月14日に東京電力に怒鳴り込んだこと。理由は、東電社長が「第一原発からの避難撤退」を海江田元経済産業相に連絡したことによるものだが、この問題は国会でも自民党議員が「一国の総理が一民間企業に~」と追及している。
私にしてみれば住民には半径20キロ内の避難指示、第一原発爆発寸前の状態の中で、「避難」なんて福島どころか、日本が吹っ飛ぶ話。一国の総理大臣でも形振り構わず、何でもやってもらわないと困る。さすがにこれは、やむなく当然のことと思う。
②管内閣時代に原発対策関連15組織の内、10組織で議事録を作成していなかった点が批判(後に野田前総理が陳謝)され、官僚も「特に指示がなかった」と言い訳している。でも、そのような公式・重要会議に議事録作成は、一々、言わずとも常識の話。官僚の嫌がらせか、余程のボンクラとしか思いようがない。
③2011年5月に管総理が、浜岡原発運転中止を中部電力に要請したことについて、財界を中心に批判が集中。でも東海大地震が起きる可能性が30年以内に87%の可能性とのこと。福島第一原発事故の反省を生かすということは、こういう事だ。第一、民主党基本政策は「脱原発」だ。上述のように「基本政策が違う」ということで、あきらめていただくしかない。
<「野田政権」の解散総選挙の経緯>
野田政権は2011年9月~2012年1月まで続いた。政権成立直後の支持率60%であったが、政権末期には20%まで落ち込む。もちろん、その間も民主党バッシングは続く。
具体的には、鉢呂元経済産業大臣の「放射能を付けちゃうぞ」発言と「死の町」発言。先ず前者は大臣就任後の福島第一原発視察後、官僚から「放射能を付けないでくださいね」と言われて、防護服は着替え脱いだ上で「ホイ!」と付けるマネをしたことを、当該官僚が、報道内容のように偽ってマスコミにリークしたというのが真相のようだ。
後者の「死の町」発言は、発言自体は本人も認めているが、「索漠とした被災地の雰囲気を表現したまでで、被災地元の方々を侮辱した訳ではない」と言うのが本人の真相。
実際、動物ボランティアを行っている友人が、敢えて立入り禁止区域に入ったようで、「死の町」表現は的確で「こんな町に誰がした!」との怒りが込み上げたと言っていた。
そして11月14日の「野田・安陪党首討論」で「議員歳費削減と定数削減」を条件に11月16日解散が事実上、決定された。この党首討論では、野田総理が安陪総裁を攻め立てて解散総選挙の条件を迫ったように見え、具体的に「11月16日解散」を口にすると、安陪総裁は驚きながらも「それでいいんですね」と繰返し問い直し、まるで「言質を取った!」という、はしゃぎぶりに見えた。私が思うに野田総理は、もう政権が持たないのを自覚し、できるだけ高く売った政権取引だったように思える。
同年12月16日の解散総選挙結果は、自民党の圧勝。政権は、自民党・公明等に戻ったが、今度は自民党バッシングはなかった。
<安陪政権の行く末>
安陪政権は「集団自衛権」に「特定秘密保護法」等、どんどん右傾化政策を推進めている。また経済的には「アベノミックス-デノミからの脱却」を打ち出している。
そして昨年末の争点なき策略的解散総選挙。「史上最低投票率の中で与党2/3以上の獲得議席数」とシラケムードでの記録的結果だった。しかし「野田・安陪党首討論」で約束した「議員歳費削減と定数削減」解散条件は、履行されることはなかった。
私の国会情報筋に聞くと、野田前総理は「だまされた」と本気で怒っているらしい。
安陪総理も「NEWS23」で、この点での質問には不機嫌な上に歯切れが悪い。
私自身は、「議員定数削減(歳費削減はOK)と小選挙区制」は、民主主義の質的低下を招くものとして反対ではある。それでも国会で党首間で約束したことであろう。せめて約束実行の努力の影でも見せるべきで、「安陪はウソツキ」との印象は拭えない。
では安陪政権は「憲法改正」も視野に入れながら、長期政権となるのだろうか。
私は最近、特段の根拠がある訳ではないが、疑問も持っている。その理由の一つは、アベノミクスの「三本の矢」の中の第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」の内の内需(個人消費)拡大が、広く国民に浸透せずに失速するのではないかと危惧している。
その場合の国民の落胆は相当なもので、安陪内閣の支持率低下に即、つながると思う。
二つ目は、与党獲得議席数と与党獲得投票率のギャップ。それだけ民意が正確に反映されないと言うことでもあり、非正規雇用の増加-格差拡大と絡んで社会不安の要因になりはしないかと心配している。そこに付随的な事だが、「NEWS23」での感情的態度。だいたい右翼的な方々は、神話を歴史教育の中に入れようとしたり、「自虐史観」と情緒的思考が強い。安陪総理も政策的期待が感情的な誤った判断に成らなければよいが-。それに健康問題と相続税脱税疑惑も払拭された訳でもない。要は、与党の圧勝総選挙結果に関らず、不安定要素も多いと言うこと。
この論文は、民主党代表選挙を機会に、今更に民主党政権崩壊理由を趣旨としたもので、正直言って当分、民主党政権になる可能性はなく、あまり役立つものでもないが、民主党議員の方々には「日常普段の努力が必要」ということで、ご一読していただければありがたい。
(民守 正義)
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