コラムーひとりごと12 私の勝手な「世代論」
コラムーひとりごと12 私の勝手な「世代論」
{今時の若い者は~}
私は「世代論」を語るのが好きである。何故か、自分の世代を、まあ少なくとも否定はせず、他の世代を根拠もなく、とやかくいうのだから、実に勝手なものだが-。
でも「今時の若い者は~」の言葉は、メソタミア-シュメール文明(紀元前3500年前)の遺跡から出土した粘土板の記述からあったそうで、何時の時代も、そう変わらない世代問題意識を継承していったのだろうなーとは思っている。
だから今から述べる「私の世代論」も、そう怒らずに気楽に読んで頂ければ幸いである。
{「団塊の世代」と「シラケ世代」}
<団塊の世代>
「私の世代論」は「団塊の世代(第一次ベビーブーム)」から始まる。この「団塊の世代」は、今では60歳代半ばをピークに戦後の復興期に生まれた方々で、とにかく人口が多いだけに、競争心や独自性があって、エネルギッシュなイメージである。この「団塊の世代」は、1970年前後の学生運動では「全共闘運動」や「ベ平連運動」等を自ら生み出し、「反権力・反体制」の主張と姿勢を大いに示し運動を盛上げた世代でもある。(もっとも私的には「○○政治同盟間の党派闘争」に明け暮れたこともあったことは、頂けないが-)
そして多くの学生が、卒業前には見事に(せつなく)転向し、企業に就職し、今度は「企業戦士」として力量発揮した世代でもある。有名な政治家等にも、この「転向組」は保守系・革新系を問わず、少なからずいる。私は、この世代を既成ではなく、独自の若者文化を創造した世代として結構、評価している。
私等は「団塊の世代」でも最後の方で、むしろ「シラケ世代」との間と言ってもよいだろう。でも大学生時代は、私学でも比較的、学生運動が強かった事もあって、まだ、その名残りはあり、「学費値上げ反対!」で600人位の学生集会で、学長との大衆団交を行った経験もある。
<シラケ世代>
ところが今の40歳代から50歳代位になると、バブル経済の恩恵も受けてか、それとも盛り上がった学生運動に政府-体制側が「中央教育審議会路線」を本格的に推進めてきた成果なのか、とにかく「無気力・無関心・無責任」のシラケ世代がやってくる。
このシラケ世代は、政治等への関心や何かに燃える事に、あまり価値を認めず、「関心ないわ~」と言うのが口癖のようである。余談かもしれないが、以前にシラケ世代の中心的な者から「おっさんもヘルメットかぶって、ゲバ棒をふるっとたんか~?」と聞かれた時は、さすがにアタマにきた。
ところで今の大阪府の課長級以上幹部は、このシラケ世代が殆どで、OB職員から言わすと「孤立しても自分の意見を持つ」という意思が希薄で、「府市統合本部」の結論を素直に受けて即時、実行することが「優秀」である。それは致し方のない面もあるが、とにかく以前よりマニュアル型で、「自分の意見等は、持っても仕方ない」という気分が一般的になように思える。シラケ世代も、その方が拘りなくて楽なようで、あまり「自分の意見やアイデアを出す場がない」という不満は聞いたことがない。
また余談であるが、数年前に自分の所属課長が急遽、次長級に昇進し、また急遽に送別会が行われた。元々、急遽な上に然程、人望のある人ではなかったせいか、出席者は少なかった。問題は、当の課長本人が最後の御礼挨拶の中で必要もなく、部下の出席者一人一人に良い点も悪い点も「部下への人事評価」を喋り出し、それこそシラケた。私が言われた事は「人権」の仕事をしていたのだが、「『人権』の仕事を一生懸命するのもいいが、熱くなり過ぎる」と言われて「唖然!」とした。と言うのも与えられた職務にポリシーを持って一生懸命、行うのは当然の事。
まあ、シラケ世代の大阪府ノンポリ幹部のエピソードとして紹介したまでで大意はない。
<ややリベラル世代>
次に今では30歳代から40歳前後の「ややリベラル世代」。この世代は、個人差も相当にあるが、具体的な事案を通じて、平和問題や社会問題に結構、関心を示す人達も多い。
その理由は、本人達も言っていたが、学校教育の中で「平和教育・人権(同和)教育を受けた」ということもあるのではないか。この「ややリベラル世代」には、既成のものでなく、イデオロギー的でもないNPO・ボランティア活動等を行う者も、よく見かける。
<今の若者世代は?>
正直言って、よくわからない、というのも千差万別・多様で「世代論」では、まとめきれない。そこで実際の経験・エピソードを紹介して、皆様に考えてもらおう。
一つは、西成-愛隣地区で先輩と、あるバーに行った時のこと。夜中の9時頃に20歳代から30歳位の若者が、ぞろぞろ集まってきて、「そろそろ行くか~?」とか言って、集団的・組織的でもなく、どこかに行ってしまった。先輩に聞くと、行き倒れになっている人はいないか、特に困っている人がいないか、トラブルが起きていないか、等の夜回りに、ほぼ毎日、出かけていると言う。それも特段に「事務局」もなくである。
二つ目は、大学生のマナーのこと。現役時代、朝の通勤で大勢の大学生と出くわすのだが、殆どが手にスマホ。足を投げ出し、通行もままならない。自分が学生の頃は、もう少し、周囲に気を配り、年配の人には席を譲ったと思うのだが-。どうも、そういう観念はないらしい。
三つ目は過保護。ある私立大学に仕事で「就職差別につながる採用面接質問や応募用紙がないか」その集約と取り組み協力に願い行った時の事。大学担当者は、内容を理解できず、勘違いして「うちの大学では大丈夫です。就職に関しては親子面談もやっています」と胸を張って言い切った。誤解は誤解で解けたのだが、それにしても大学生の就職活動に「親子面談」とは驚いた。先程の「団塊の世代」の「学生運動から企業戦士への転向」とは隔世の感がある、先般、京都大学反戦集会に公安警察が潜伏していたニュースで、司会が「今時に学生運動か~」と言っていたが、「じゃあ、おぼっちゃま、お嬢ちゃまがいいのか!?」と言いたい。しかし同僚等にも聞くと、私学は殆どで「就職親子面談」や「親対象の就職説明会」等が行われて結構、評判も良いと言う。そこでまた、私はひっくり返った。私の母は、小学校の卒業式までで、中学校以降は「親が出るものではない」と自立を促した。しかし、あまり、この過保護を批判すると後輩達からもヒンシュクを買いそうで、これは、この程度にしておく。
四つ目、五つ目は、対比的に紹介するが、その一つが去年の入院中の話。世話になったリハビリスタッフの年収が250万円程度で共働き。妻も他病院で同様の仕事に同様の収入。病気がちの幼い子供が一人いるのだが、何とか夫婦で厳しい生活を営んでいるという話。
もう一つが、折角、国立大学と公務員養成学校の両方を通い、見事、難関-大阪府に入ったのだが、先輩から何か厳しいことを言われたのか、させられたのか、すぐに退職してしまう者もいるという話。どうも「今の若者世代」の中には、偏差値的には高くても、逆境には弱いようでー。でも管理職の中には、先輩職員の方(実は私も、その一人)に「もっと大事に使え!」と叱る者もいて、やるせない。そこで、ある大手民間企業の人事管理者に聞くと、民間企業でも軟弱な新規採用者が一定程度はいるらしく、「結局、甘やかされた子供(新規採用者)を、会社が躾け直すようなもの」と愚痴っていた。
他にも紹介したい実例があるが、切りがないので、この程度にして「今の若者世代」で最初に「千差万別・多様で『世代論』では、まとめきれない」と言った意味は、わかってもらえると思う。ただ「生きる」と言うことは、生活水準や偏差値的学力よりも、もっと「生きる力・生々しさ」であることを、「今の若者世代」をはじめとして、わかってほしい。
官民問わず、これからの組織の行動思考は「世代論」も絡めて、どう変わるべきなのか?心配がない訳ではないが、もう現役を退いた身。今の30歳代~40歳代の組織の要の者達が、自分の「頭」で、しっかり考えて欲しい。
{今時の若い者は~}
私は「世代論」を語るのが好きである。何故か、自分の世代を、まあ少なくとも否定はせず、他の世代を根拠もなく、とやかくいうのだから、実に勝手なものだが-。
でも「今時の若い者は~」の言葉は、メソタミア-シュメール文明(紀元前3500年前)の遺跡から出土した粘土板の記述からあったそうで、何時の時代も、そう変わらない世代問題意識を継承していったのだろうなーとは思っている。
だから今から述べる「私の世代論」も、そう怒らずに気楽に読んで頂ければ幸いである。
{「団塊の世代」と「シラケ世代」}
<団塊の世代>
「私の世代論」は「団塊の世代(第一次ベビーブーム)」から始まる。この「団塊の世代」は、今では60歳代半ばをピークに戦後の復興期に生まれた方々で、とにかく人口が多いだけに、競争心や独自性があって、エネルギッシュなイメージである。この「団塊の世代」は、1970年前後の学生運動では「全共闘運動」や「ベ平連運動」等を自ら生み出し、「反権力・反体制」の主張と姿勢を大いに示し運動を盛上げた世代でもある。(もっとも私的には「○○政治同盟間の党派闘争」に明け暮れたこともあったことは、頂けないが-)
そして多くの学生が、卒業前には見事に(せつなく)転向し、企業に就職し、今度は「企業戦士」として力量発揮した世代でもある。有名な政治家等にも、この「転向組」は保守系・革新系を問わず、少なからずいる。私は、この世代を既成ではなく、独自の若者文化を創造した世代として結構、評価している。
私等は「団塊の世代」でも最後の方で、むしろ「シラケ世代」との間と言ってもよいだろう。でも大学生時代は、私学でも比較的、学生運動が強かった事もあって、まだ、その名残りはあり、「学費値上げ反対!」で600人位の学生集会で、学長との大衆団交を行った経験もある。
<シラケ世代>
ところが今の40歳代から50歳代位になると、バブル経済の恩恵も受けてか、それとも盛り上がった学生運動に政府-体制側が「中央教育審議会路線」を本格的に推進めてきた成果なのか、とにかく「無気力・無関心・無責任」のシラケ世代がやってくる。
このシラケ世代は、政治等への関心や何かに燃える事に、あまり価値を認めず、「関心ないわ~」と言うのが口癖のようである。余談かもしれないが、以前にシラケ世代の中心的な者から「おっさんもヘルメットかぶって、ゲバ棒をふるっとたんか~?」と聞かれた時は、さすがにアタマにきた。
ところで今の大阪府の課長級以上幹部は、このシラケ世代が殆どで、OB職員から言わすと「孤立しても自分の意見を持つ」という意思が希薄で、「府市統合本部」の結論を素直に受けて即時、実行することが「優秀」である。それは致し方のない面もあるが、とにかく以前よりマニュアル型で、「自分の意見等は、持っても仕方ない」という気分が一般的になように思える。シラケ世代も、その方が拘りなくて楽なようで、あまり「自分の意見やアイデアを出す場がない」という不満は聞いたことがない。
また余談であるが、数年前に自分の所属課長が急遽、次長級に昇進し、また急遽に送別会が行われた。元々、急遽な上に然程、人望のある人ではなかったせいか、出席者は少なかった。問題は、当の課長本人が最後の御礼挨拶の中で必要もなく、部下の出席者一人一人に良い点も悪い点も「部下への人事評価」を喋り出し、それこそシラケた。私が言われた事は「人権」の仕事をしていたのだが、「『人権』の仕事を一生懸命するのもいいが、熱くなり過ぎる」と言われて「唖然!」とした。と言うのも与えられた職務にポリシーを持って一生懸命、行うのは当然の事。
まあ、シラケ世代の大阪府ノンポリ幹部のエピソードとして紹介したまでで大意はない。
<ややリベラル世代>
次に今では30歳代から40歳前後の「ややリベラル世代」。この世代は、個人差も相当にあるが、具体的な事案を通じて、平和問題や社会問題に結構、関心を示す人達も多い。
その理由は、本人達も言っていたが、学校教育の中で「平和教育・人権(同和)教育を受けた」ということもあるのではないか。この「ややリベラル世代」には、既成のものでなく、イデオロギー的でもないNPO・ボランティア活動等を行う者も、よく見かける。
<今の若者世代は?>
正直言って、よくわからない、というのも千差万別・多様で「世代論」では、まとめきれない。そこで実際の経験・エピソードを紹介して、皆様に考えてもらおう。
一つは、西成-愛隣地区で先輩と、あるバーに行った時のこと。夜中の9時頃に20歳代から30歳位の若者が、ぞろぞろ集まってきて、「そろそろ行くか~?」とか言って、集団的・組織的でもなく、どこかに行ってしまった。先輩に聞くと、行き倒れになっている人はいないか、特に困っている人がいないか、トラブルが起きていないか、等の夜回りに、ほぼ毎日、出かけていると言う。それも特段に「事務局」もなくである。
二つ目は、大学生のマナーのこと。現役時代、朝の通勤で大勢の大学生と出くわすのだが、殆どが手にスマホ。足を投げ出し、通行もままならない。自分が学生の頃は、もう少し、周囲に気を配り、年配の人には席を譲ったと思うのだが-。どうも、そういう観念はないらしい。
三つ目は過保護。ある私立大学に仕事で「就職差別につながる採用面接質問や応募用紙がないか」その集約と取り組み協力に願い行った時の事。大学担当者は、内容を理解できず、勘違いして「うちの大学では大丈夫です。就職に関しては親子面談もやっています」と胸を張って言い切った。誤解は誤解で解けたのだが、それにしても大学生の就職活動に「親子面談」とは驚いた。先程の「団塊の世代」の「学生運動から企業戦士への転向」とは隔世の感がある、先般、京都大学反戦集会に公安警察が潜伏していたニュースで、司会が「今時に学生運動か~」と言っていたが、「じゃあ、おぼっちゃま、お嬢ちゃまがいいのか!?」と言いたい。しかし同僚等にも聞くと、私学は殆どで「就職親子面談」や「親対象の就職説明会」等が行われて結構、評判も良いと言う。そこでまた、私はひっくり返った。私の母は、小学校の卒業式までで、中学校以降は「親が出るものではない」と自立を促した。しかし、あまり、この過保護を批判すると後輩達からもヒンシュクを買いそうで、これは、この程度にしておく。
四つ目、五つ目は、対比的に紹介するが、その一つが去年の入院中の話。世話になったリハビリスタッフの年収が250万円程度で共働き。妻も他病院で同様の仕事に同様の収入。病気がちの幼い子供が一人いるのだが、何とか夫婦で厳しい生活を営んでいるという話。
もう一つが、折角、国立大学と公務員養成学校の両方を通い、見事、難関-大阪府に入ったのだが、先輩から何か厳しいことを言われたのか、させられたのか、すぐに退職してしまう者もいるという話。どうも「今の若者世代」の中には、偏差値的には高くても、逆境には弱いようでー。でも管理職の中には、先輩職員の方(実は私も、その一人)に「もっと大事に使え!」と叱る者もいて、やるせない。そこで、ある大手民間企業の人事管理者に聞くと、民間企業でも軟弱な新規採用者が一定程度はいるらしく、「結局、甘やかされた子供(新規採用者)を、会社が躾け直すようなもの」と愚痴っていた。
他にも紹介したい実例があるが、切りがないので、この程度にして「今の若者世代」で最初に「千差万別・多様で『世代論』では、まとめきれない」と言った意味は、わかってもらえると思う。ただ「生きる」と言うことは、生活水準や偏差値的学力よりも、もっと「生きる力・生々しさ」であることを、「今の若者世代」をはじめとして、わかってほしい。
官民問わず、これからの組織の行動思考は「世代論」も絡めて、どう変わるべきなのか?心配がない訳ではないが、もう現役を退いた身。今の30歳代~40歳代の組織の要の者達が、自分の「頭」で、しっかり考えて欲しい。
(民守 正義)
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