コラムーひとりごと9 「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」
コラムーひとりごと9
「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」
{「従軍慰安婦」の存在は?}
最近、「従軍慰安婦」の問題に関って、朝日新聞が「韓国済州島で、女性を強制連行した」という吉田証言について誤報であることを認め謝罪した。その事で、日頃から「朝日」を快く思っていないメディア・評論家等が、河野談話の見直しも含めて、あたかも「従軍慰安婦」問題自体が存在しなかったかのような論調を吹聴している。しかし今更に、旧日本軍が利用した慰安所は、軍属と言われた民間経営の慰安所、軍が衛生管理した民間経営の慰安所、軍が直接経営管理した慰安所の3種類があったと確認できている。
この事は、吉田証言が虚偽であろうがなかろうが、当時の戦時態勢の一環としてあったものである。また慰安所の衛生管理も、旧日本軍が直接、管理していたのだが、今は亡き父の証言によると、それでも性病に罹っている戦友もいたという。
余談であるが、亡き父は性病の感染が怖くて、慰安所の利用はしなかったという。
いずれにしても「従軍慰安婦」の存在は、強制性・半強制性も含めて明確である。
{「旧日本軍の加害行為」-食料略奪は?}
旧日本軍の食糧補給は、内地も食料不足、現地調達が原則のようだった。とは言っても、その辺りに売っている訳でもなく、中国-香港に派兵された亡き父の部隊は、ある村を襲い、食料を略奪し、野営に戻り食べたという。亡き父は、幼い女子が持っていた食料を奪ったようだが、野営に戻って食べても「こんなんして食べても、ちっとも美味しくないわ~」と言いながら、実家に残してきた妹を思い出し泣いたという。その時の辛そうな様子を見ると、私は何も言えなくなった。
{「旧日本軍の加害行為」-蛮行は?}
もう、これは40年程前のことで、天王寺の居酒屋でアルバイトをしている時のこと。前のカウンター越しに、当時で40歳位の男性3人の会話を聞いてしまった。どうも男性3人は戦友のようで、戦時中の思い出話をしていたようである。その話の中で、「あの頃は、中国人に刀の試し切りをしたなー。青春やったなー」と悪びれる様子もなく、軽く話しているのである。そこで、まだ若かった私が「え~!中国人を切ったんですか~?」と思わず聞いてしまったら、そのお客さんに「おい!勝手に話しに入るな!」と怒られてしまった。でもまだ若い自分にとって、余りにも軽く「刀の試し切り」を話す感覚に、当時の旧日本軍の「実感」を、垣間見る思いでショックだった。
{難しい戦争体験の継承}
以上「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」について、実際の「証言」を添えて事実の一端を述べたが、実際上、こうした戦争体験を後世に伝えていくことの難しさを感じた。 その主な理由は、戦争体験者が80~90歳代と高齢で少数な上に、どこまで話してくれるのか、わからない。元々、戦争経験なんて思い出したくないイヤな事だろうし、特に被害事実はまだ語れるとしても、加害事実は誰にも言わず、封印しておきたいのが本音だろう。しかし戦争は相手国もある以上、加害事実も被害事実もトータルで学ばないと、真に当該戦争の歴史を学んだ事にならないだろう。幸いな事に今は、IT技術も映像技術も相当に発達しており、こうした技術も駆使して、何とかリアルな戦争記録を残せればと思う。
安陪政権は「集団自衛権」という解釈改憲を行い、日米軍事同盟を機軸に、普通に戦争ができる準備を推し進めているが、今、本当に求められるのは、日米中心ではなく、他国とも等距離に進める積極的な平和外交政策ではないだろうか。
安陪ちゃんと私は、良く似た歳。もし戦争体験者から、その体験を聞く機会があれば、仲良く一緒に聞きましょうね。
(民守 正義)
0コメント