コラムーひとりごと8 これが有権者意識・議員意識?

コラムーひとりごと8
これが有権者意識・議員意識?

{「後援会」て、こんなもの?}
本年12月19日、高槻市段野市議会議員が、自らの後援会主催のカラオケ大会で選挙区内の有権者に餅を撒く等して、公職選挙法違反疑惑(寄付行為)が報じられた。当の本人は、報道記者に問われても「どうなんだろうか、ちょっとわからない」といった返答で、オトボケなのか、本当に無知なのか、よくわからない。どちらにしても被選挙権(立候補)を行使する以上、それ位の公職選挙法のイロハは学んでいて欲しい。
また、その前には小渕優子元経済産業大臣が、自らの後援会が主催する演劇観劇会で、2010年から2年間で支援者から集めた参加費では不足の差額分2643万円 を、小渕側政治団体が肩代わりしていた公職選挙法違反疑惑(寄付行為)が生じ、同大臣を辞任している。小渕議員には、他にもパソコンの破壊-証拠隠滅や有権者へのワイン配布等の不正疑惑があり、これが野党落選議員なら、もう逮捕だろうと、捜査に手心の圧力がかかっているのではないかと疑いたくなる。
いずれにしても地方・国会議員を問わず、こうした類の「後援会活動」に関ったことのない自分は、「へ~!こんなことをしているのか」という感じである。
有権者は、議員-後援会から、観劇などでおいしい思いをして、その御礼に議員・候補者に一票を投じる。確かに集票方法としては効果的だろうが、有権者の政治意識は、むしろ低俗になるのではないか。こんな後援会手法は、保守系議員だけだろうと思っていたら、京都では共産党も一部か、行っているとの事。愕然とした。

{問われる「有権者意識」「政党-議員意識」}
そもそも投票行為は、集会・デモ等と並んで「政治行動」の一つである。それだけに投票判断も、日常生活上の問題意識や利害関係等と密接に絡めて考え、行うべきだと思う。その意味で、単なる「人柄で選ぶ」といった感覚的なものだけでは駄目だろう。
私に言わせば、候補者個人を選ぶよりは、全て政策比較による政党選挙でも良いと思うくらいである。つまり、それくらい政治意識をもって、投票行為に臨むべきであって、どこかの芸能人人気投票とあまり変わらない感覚は、いい加減に卒業してもらいたい。
余談であるが、その点では大阪の有権者意識はひどく、「お笑いで面白ければよい」といった雰囲気が目に見えてある。政治不信等、とやかく理由を言わず、真面目にしよう。
次に「政党-議員意識」の方であるが、そもそも上記後援会活動で支持者を固めようとするのは、真に政策の理解を求めているのではなく、とにかくは結果(票)が欲しいからだけだろう。ある意味で「どうせ難しく政策理解を求めても、わからないだろう」と馬鹿にしているに等しい。実際、無知・無関心者が多いのも事実だがー。

{私が望む「政党-議員意識」}
そこで現実には難しいだろうが、私が望む「政党-議員意識」(特に政党)を披露しよう。①先ず各政党は、当該政党が目指す国家ビジョン(スタイル)を特化して示して欲しい。民主党政権交替時に「コンクリートから人へ」というスローガンがあったが、他にも「低成長でも安定成長」⇔「コスト削減で国際競争力NO1」、「自己責任を基調とした福祉」⇔「高福祉・高負担」等が考えられる、そして他党の相容れない「国家ビジョン」であれば、「ならば、そんな票(支持)はいらない」と明言して欲しい。そうして第一の政党選択がし易いようにして欲しい。
②次に望むのは、日本は資本主義国家である。資本主義には様々な諸階層等があって、各々の諸階層が日常的に利害対立と力関係による妥協・調整が行われている。
例えば経団連にも加入しているような大企業経営者と、いくら労使癒着でも、そこに働く労働者とも利害対立は存在するだろう。また中小企業経営者(特にワンマン経営)と、そこに低い労働条件でも働く労働者とは客観的に利害対立が存在するだろう。また給与所得者と商売人とも消費税の対応(インボイスか、帳簿方式か)等で利害対立があるだろう。
事々、然様に各諸階層間に利害対立がある中で、いったい、自分の政党は基本的に、どの階層を基盤に依拠して活動しているのかを明確にして欲しい。当然、依拠する階層が違う場合は、同様に「残念ながら支持してもらわなくて結構」と立場性を明確にして欲しい。それが第二の政党選択になる、もちろん議員選択も、これに準じた選択判断になるだろう。
私が一番、嫌いな言葉が「国民のために、庶民のために」である、現実に全ての国民(庶民の意味は、なおさらわからない)が歓迎する政策なんて、ありっこしない。本当は、どこかの階層のための政策を、ごまかしているだけだろう。

{もっと自由な政策論争ができる選挙活動に}
選挙運動期間が始まると、法定ビラで制限があったり、宣伝カーの台数制限。事実上、候補者の名前連呼しかしない選挙宣伝。良いか悪いかは別として各々、共産党の紙爆弾(「赤旗」号外)対策や騒音対策など、経過があるとは思うが、昔は各候補者の立会演説会があったように、もう少し政策論争が賑やかにできる雰囲気があったように思える。最近は、むしろ選挙期間中の方が、「言論の自由」が抑制されているようだ。
もっと社会的に政党間のシビアな政策論議が中心になれば、少なくとも先述のくだらない「後援会活動」も薄らぐのではないかと思うのだが-。        
                    (民守 正義)