リベラル勢力総結集で政権交代!(72)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【被支配教育】道徳ではじまる心の支配/平舘 英明(ジャーナリスト)》
道徳教育が本格的に始動したが、道徳に評価は相応しいのか。どう評価すべきなのか。
近い将来、形(態度や行動)が評価の対象となれば、忠君愛国を支えた戦前の「修身」となりかねない。学校現場に突きつけられた課題は重い。
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「特別の教科-道徳」が正式教科となったことで、全国の小学校では今年度から教科書を使用した授業が行なわれている。道徳科に「特別の教科」と付いているのは、学校の教育活動全体で行なう道徳教育の「要」と位置づけられているからだ。道徳科となって大きく変わるのは「評価」が伴う事だ。道徳性は人格や価値観と深く結びつく。
子供の内心に触れるのではないか。戸惑う教師は少なくない。1学期を終えて、教師達は道徳科の評価にどう向き合ったのか。A教師が小学3年生の通知表の下書きを見せてくれた。
道徳の記録の欄には、取り扱った題材と授業で、その児童が発表した内容が記述されていた。授業を通して友達の意見を聞き、自分の考えと比べながらどう取り組んだか。
A教師は「通知表にはこんな発表をしたとか、こんな感想を持ったとか、あくまで事実だけを表記する。内心の評価は無理だ」と話す。例えば「人にとって本当の幸せとはどんなことでしょうか」という設問。子供が書いた内容を評価すれば内心に触れる。
教師の価値観と違うからといって、低い評価はできない。文部科学省は道徳科の評価にあたって、数値ではなく記述式とすること、他の児童生徒との比較ではなく児童生徒が如何に成長したかを積極的に受け止めて認め励ます「個人内評価」とする等、基本的考え方を示している。一人一人の道徳性に違いがあるため、あくまで評価の物差しとなるのは、その児童生徒本人だ。A教師の学校でも教育委員会による研修があり、どの学習で、どんな発表をしたかといった事実のみを記述するよう職場内で確認した。だがA教師によると、近隣の学校では「『徳目』の心を考えることができるようになった」といった記述がみられ、通知表の書き直しがあったと明かす。評価にあたっては、公簿として学習状況等を記録する指導要録だけでなく、通知表も教務主任、管理職のチェックが入る。
A教師は「通知表には多くの評価・記録項目がある。道徳の項目に拘ればチェックできるが、そうでなければ(内心に触れる記述も)すっと通ってしまう」と話す。
一方で道徳の評価を1学期には行なわず、2学期以降に持ち越した学校も多い。
評価記述については教師間で議論が尽くされていない学校もある。B教師は「学校には道徳の評価に抵抗を感じる教師と、そうでない教師が混在している。元々、教師は、子供達を徳目的に見ることに抵抗がない。既に子供の態度の評価が行なわれているからだ」と語る。
指導要録の「学習の記録」には「関心・意欲・態度」の観点別評価があり、「行動の記録」にも「思いやり・協力」「勤労・奉仕」「責任感」など10項目の中で顕著な点に「○」をつける。自ずと教師は、徳目的な態度を子供に押しつける。例えば「挨拶は大声で」「宿題は必ずやる」「掃除は無言でする」等を「良い点」と評価して「成長」と捉える。
そこには子供の自主性を尊重する視点はない。B教師が道徳教育と相まって危惧する点だ。
B教師は「教師が子供を評価する物差しは、算数の計算等が如何にできるように『変わった』かだ。道徳の授業を通して、その子がどう変容(成長)したか。徳目を身につけさせたい教師からは評価が必要だとの声がある。それでいいのか」と疑問視する。
教師間で道徳評価の意見が割れているのだ。道徳で学んだことを「できた(身についた)」と評価すれば、戦前の「修身」と同じだ。尤も道徳で学んだことを、すぐ行動に移せるものではない。子供は学校の内外で多くのものを学び、置かれた環境や場面毎に様々な態度や行動を示す。内心は目に見えないが、感想文や行動に現れるときがある。
だが内心と行動は一致しない。苛めっ子が「苛めはいけない」と感想文に書いたとしても、本心か無意識か、よい印象を得たくて書いたのかは判別できない。既に道徳の授業では、他の意見を聞いてから自分の考えを発表したり、「先生、次にこれ質問するのでしょ?」「こう答えればいいのでしょ?」と子供は教師が期待する「正解」を敏感に感じ取っている。本音と建前の使い分けだ。「道徳は教師が指導するものではなく、その子の自主性や多様な価値観から導かれるもの。子供が授業でいい発言をしたからといって、教師は喜んではいけない」岩手県釜石市の小学校教師、菊池明徳さんの言葉だ。明徳さんは1983年、教育理念に反する道徳の公開授業を強いられた末に「学校の仕事に些か疲れた」と書き残して自ら命を絶った(当時29歳。)。明徳さんを苦しめた道徳教育の手法は、クラス全員を事前に調査観察し、「A:規範意識が高く、考えと行為が一致する。B:考え方は十分、分っているが、建前的で行為が伴わない。C:価値意識が低く、行為が伴わない」のグループに分け、各々に児童を抽出して価値意識の変容を計り、個々の価値意識を高めるものだった。
この差別的手法に、明徳さんは「子供を上・中・下と選ぶ(評価する)なんてできない」と苦悩し、深夜まで教材研究に追われた。食欲が落ち体重も減った。
そして公開授業を前に指導案の修正を迫られた。妻の有美子さんは「裁量が認められてこそ教師の力量が発揮され、いい指導案ができる」と語った夫の姿を今でも記憶している。
あれから35年が経った。現在の学校はどうだろう。学力向上対策、小学校英語の教科化、土曜授業など過労死認定基準に達する長時間労働の中で、道徳教育はどうあるべきか、評価はどうするか等と考えている時間的余裕もない。加えて最近では「スタンダード」と呼ばれる授業のマニュアルが教育委員会から学校現場に下ろされている。
スタンダードには授業の目標となる「めあて」と学習の「まとめ」の徹底、板書の仕方から授業の展開例等が例示されている。マニュアルに忠実に従えば、ベテランも新人も同じ授業を組み立てることができる。教師の裁量や独自性は余計なものとして排除される。
“授業ロボット”になれば、明徳さんのように苦しむ必要はない。
算数の計算なら学力の到達度を客観的に評価できるが、道徳は科学的な学問の水準が曖昧だ。マニュアルではなく、教材を通じて科学的真実を掴み、子供と向き合って多様な価値観に触れ、一人一人の価値を尊重する授業はできるのか。前出のB教師は「教師は『まとめ』を出したい。『今日の道徳ではこんな事が分かったよね』とか『皆も、そう(行動)したいよね』とか。教師の意図と違う事を子供が発言したとき、それを受けとめる用意はあるか。社会の有り様によって価値は変わる。教育者が一律に『これがいい』と導くべきではない」と話す。徳目や評価に教師が疑問を感じなくなったとき、どんな道徳教育が待っているのだろう。小学校道徳に続き、19年度からは中学校で道徳科が導入される。
中学道徳教科書は8社30冊(別冊含む)あるが、小学教科書と比べて、どんな特徴があるのか。「子どもと教科書全国ネット21」常任運営委員会の麹谷陽子さんは「感動を迫る内容が多く、徳目を刷り込む手立てが巧妙だ」と指摘する。学習指導要領には四つの視点が示され、22の内容項目(徳目)が設定されている。内容項目は、かつての「修身」の徳目と重なる。しかも内容項目の達成度を自己評価させるページもある。これは生徒の内心に踏み込むものだ。教科書の題材では、自分の心の持ち方に比重を置いた内容が多い。
道徳を個人の心の問題に矮小化すれば、社会的視野や、批判的な視点も奪われる。
こうした道徳教育の影響が露呈した例がある。日本大学アメリカンフットボール部が、悪質タックル問題を受けて発表した声明文だ。元聖心女子大学教授の鶴田敦子さんは「心情主義的道徳教育の成果が現れている」と指摘する。声明文にはお詫びと反省はあるが、チームメイトの反則行為や監督の指示に「盲目的に従った」原因そのものへの言及がない。
原因を究明した上での反省でなければ、具体的な対策は講じられない。
鶴田さんは「何が悪かったのか。チームが置かれていた状況や環境を客観的に見る目を持たせない。これが心情主義的道徳の狙いだ」と話す。小学6年生の道徳「星野くんの二塁打」(学校図書)は、監督のバントの指示に反して二塁打を打ち、チームを勝利に導いた星野君に対し、監督は「約束を破り、輪を乱した」と反省を促し、星野君を出場停止にする。
涙をこらえる星野君と、少年選手らはその場を動かない。ここで描かれた監督と選手の関係、ルールの押しつけ、反省と罰則は日大アメフト問題と底流でつながっていないか。
心情主義的道徳教育の先に、どんな人づくりが進行するのか。
高校の公民科では、現行の「現代社会」に代わり、高校版の道徳「公共」(必履修科目)が新設(22年度)され、小・中学校と同様に道徳教育推進教師が配置される。
「公共」の目標には「公共的な空間に生き国民主権を担う公民として、自国を愛し」とある。国家や社会を「公共的な空間」と位置づけ、自らは「公共的な空間」を担う「自立した主体」となる。自己責任で生きる心構えといえる。主な題材は政治参加、税、社会保障、消費者の権利義務等の社会の諸問題だが、国家主権・領土は「(竹島、北方領土は)平和的な手段による解決に向けて努力している」「(尖閣諸島は)領有権の問題は存在していない」と政府見解に依拠する。「公共」には具体的な徳目はない。小・中学校で学んだ徳目を生かし、社会で行動する術を学ぶ。とすれば、国の期待に応える人材育成ということか。
ある元高校教師は「予測不能な社会の到来を前に国に頼らず社会的主張もせず、ひたすら国家や社会、地域のために自らの役割を果たす。そんな資質・能力を育てる道徳だ」と批判する。「明治150年」─。あの時代を賛美する安倍(独裁)首相の教育再生とは、国家に従属する新たな「臣民」の育成である。(週刊金曜日)
《【流浪虐待】漂流するロヒンギャ/和田 拓海(フリーランス写真家)》
【ビルマ政府は11月11日、ロヒンギャ難民の帰還環境が整ったと発表した。しかし課題も多い。】
バングラデシュの首都ダッカから約450キロメートル南に位置するコックスバザール。
世界一長いと言われるビーチがあり、多くの観光客で賑わうバングラデシュきっての観光地だ。しかし街の中心部からビルマ(ミャンマー)との国境沿いに向かって南下すると、その景色は一変する。2017年8月末、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)がラカイン州の警察施設を攻撃したことで、ビルマの治安部隊はロヒンギャ掃討作戦を開始した。ビルマ軍や治安部隊らによるロヒンギャへの暴力は徐々にエスカレートし、銃殺、焼き討ち、レイプや拷問等、その暴力は残虐性を極めた。
家を追われた人々は、数日間ろくに飲み食いもせず、ある者は森の中を歩き続け、またある者は船で川を渡り、死にもの狂いで、隣国バングラデシュへ逃れてきた。
18年2月、クトゥパロン難民キャンプで取材をしていると突然、女性の泣き叫ぶ声が大きく響き渡った。声のする方へ近寄ると、地面に倒れ込み泣き崩れている女性を見つけた。傍にいた人に事情を聞くと、たった今、彼女の親族が越境の途中で亡くなったとの報告を知らされたのだと言う。私は、どうしても彼女にレンズを向けることができなかった。
その日、宿に戻った後、一人考えに耽り、涙を拭った。彼女の写真を撮れなかったからではない。自分自身の無力さと人間が犯す過ちが、幾度となく繰り返されることに深い悲しみと怒りを覚えたからだ。大量の難民がバングラデシュに流入してから1年。
暴力の恐怖から逃れてきたこの地でも、食料や水、医療等、必要な物資を人道支援に頼る厳しい生活を強いられている。昨年11月、両国間で帰還合意が結ばれたものの、実施時期は今も不透明で、彼らの社会的立場や生活条件は依然として不安定なままだ。
難民の男性は「安全と人権が保障されなければ、ビルマに戻る事は有り得ない」と力強く語っていた。40年前から繰り返し、難民として大規模な流出が起きているロヒンギャ。
流浪の民といわれ、行き場のない彼らが安心して帰郷できる日は、果たして、やってくるのだろうか。(週刊金曜日)
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《2018南京の記憶をつなぐ映画祭》
◎日時:2018年12月2日(日)午前9時50分~午後4時まで(開場受付9:30~)
◎場所:エルおおさか南館5階ホール(大阪市中央区北浜東3-14)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m
◎費用:一日通し券/前売り1500円/当日2000円/単券800円
◎主催等:「2018南京の記憶をつなぐ」実行委員会/連絡先:銘心会南京090-8125-1757
《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》
①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
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◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
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(民守 正義)
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