リベラル勢力総結集で政権交代!(22)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【「福沢」帝国主義論】ヘイトスピーチの元祖:福沢諭吉の「圧制のすゝめ」/杉田聡・帯広畜産大学教授》
福沢諭吉ほど、誤読された思想家はいない。『学問のすゝめ』の「天は人の上に人を造らず」という有名な一節は後続する文章に先立つ譲歩文にすぎず、同書では人民の教育の必要を前面に出しながらも、「ミッヅル・カラッス」(middle class中産階級)に属さない下層人民を「力役の小民」「愚人」として軽視する傾向が強い。福沢は明治国家の侵略を先頭に立って煽動し、アジア隣国に対する差別・偏見をまき散らした元凶でもあった。
その行き着く先が、1945年8月15日の破局にほかならない。
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Q:政府は現在、「明治150年」キャンペーンを展開していますが、「150年」の出発点であった明治期の侵略と植民地支配に関しては、福沢の罪は非常に重いのでは。
A:ご指摘の通りです。福沢は「政府のお師匠様」と自任するほどに、自らが深いところで政府を動かしている、という自負がありました。伊藤博文とは実は関係は悪くなかったし、外務大臣・陸奥宗光を動かしたとされる外務次官・林薫は福沢の二男の岳父であり、そのルートからも外交に一定の影響力を持ちえたとみて間違いないでしょう。井上馨や山縣有朋とも書面のやりとりや懇談を時折しています。しかも当時最大の発行部数を誇った『時事新報』の社主・論説主幹ですから、オピニオンリーダーとしての影響力は抜きん出ていました。
Q:明治政府の先鞭をつけたと。
A:確かに福沢が言論面から各種の方向を提示し、それに明治政府が従ったケースもあります。
典型的なのは、『文明論之概略』で示された「文明と野蛮」という図式を使って、伊藤や陸奥が日清戦争や韓国(大韓帝国)併合を合理化した例です。しかし福沢は政治の中枢にいたわけではないので、明治政府が行ったことを正当化し、合理化した側面の方がより重要でしょう。例えば福沢は明治憲法や教育勅語を賛美し、政府が批判を封じ込めるために布告した集会条例、新聞紙条例、保安条例等に、言論人でありながら事実上賛同・容認しています。
一方で朝鮮半島や清国(現在の中国)への対応では、明治政府がまともに見えるほど極端な主張をし、政府に受け入られなかったケースもありますが。
Q:福沢は朝鮮や清国について、ヘイトスピーチ用語を濫発しながら多くの発言をしていますね。
A:福沢は、1882年に起きた朝鮮軍の反乱(壬午軍乱)で日本公使館が焼かれた後、過激な主張をしました。日本人「朝鮮国務監督官」を置いて朝鮮の政務万端を監督せよ、つまり朝鮮における「内政権」を掌握せよと主張します。この主張は日清戦争時にも繰り返されます。
実際、日本は日露戦争後の1905年、外交権を奪って保護国化する第2次日韓協約を大韓帝国に押しつけ、2年後には内政権を奪う第3次日韓協約を調印させて、福沢の主張が実現します。また福沢は、日清戦争に先立つ1887年に、朝鮮半島を「防御戦」であると主張しました。山縣有朋が「利益戦」という用語で朝鮮半島への国防範囲の拡大を唱えたのが1888年です。福沢はそれ以前に、軍事的観点から朝鮮半島に目を向けていたのです。
Q:1910年の韓国併合に至る朝鮮植民地化への動きを、先取りして主張したと思えます。
A:福沢は日清戦争時に『時事新報』紙上で戦争を煽りました。執拗に開戦を煽る理屈を示し、一つが崩れると別の理屈を出す、という事を繰り返しています。
例えば1894年春に朝鮮で東学農民軍による内戦が起き、朝鮮政府が、その鎮圧を清に要請すると、明治政府は条約上の根拠もないまま8000人規模の軍隊を朝鮮に派兵します。
福沢は当初「〔朝鮮〕政府よりの依頼とあれば」とそれを正当化しますが、そうした事実はないと分かると「朝鮮に在る我が居留人民の生命財産の保護」を名目にします。
しかし農民軍が朝鮮政府と和約を結んだために在留邦人の危険がなくなると、今度は、派兵は「商売の安全を保護する」ためだと言い出すのです。そればかりか軍を帰国させずに「直ちに〔清国に〕開戦を布告」せよと政府を煽ります。そして実際に開戦し、戦争に勝利。
『福翁自伝』では、日清戦争の勝利は官民一致のおかげで、「愉快ともありがたいとも言いようがない」と書きます。
A:この好戦性は、国権を拡張し経済の強い国にするという、福沢が称するところの「大本願」に起因しているのでしょうか。
Q:それを考える上で重要なのは、福沢の原体験でしょう。福沢は1862~63年に遣欧使節団の一員として欧州へ渡り、途上、英国船で香港に寄ります。その時、船に乗り込んで福沢に靴を売りつけようとした中国人商人を、英国人が僅かの金を払って追い払うという光景を目撃します。それに類する事を生涯に3回書いていますが、1882年の「圧制もまた愉快なるかな」と題した『時事新報』論説では「深く支那人を憐れむ」のではなく「英国人民の圧制を羨む」と、つまり圧制を人が憎むのは他が自分を圧制するからで、自分が他を圧制するのは「人間最上の愉快」だと書いています。更に日本が世界に進出し、英国人をも「奴隷の如くに圧制」して「圧制を世界中に専らに」したいという願望を披瀝するのです。
戦争の煽動にまで至る福沢の「国権拡張」論にとって、この原体験が決定的だった。
Q:他人に圧制を加えるのが「人間最上の愉快」等というのは、もう、これは明らかにニヒリズムではないですか。
A:そうです。福沢は人間に対する信頼感も、博愛意識も欠いています。
人権思想への深い共感もありません。国内的には下層・貧民階級や女性は福沢の眼中に存在せず、対外的には欧米列強の白人以外はないも同然です。更に言えば、こうしたニヒリズムの根底には、福沢の強いコンプレックスがあります。かつて身分の低い下級武士として痛めつけられたという怨念があるから、何とか他者を痛めつける側に立ちたい、だからインド人や中国人を、あれほど虐げた英国人を「羨む」のです。
Q:ならば福沢の「国権拡張」は、歪んだコンプレックスに由来するという事になりますね。
A:但し最初から「国権拡張」を意識していたのではなく、福沢が先ず求めたのは国民(ネーション)の創生でした。幕藩体制下では、人民に各地の「殿様の領民」という意識はあっても「日本国民」という意識はありません。だから、この意識を生み出すため『学問のすゝめ』では「一身独立して一国独立する」という論理を提出しますが、その際、結局、国のためには命を捨てる事も惜しまないという「報告の大義」を強調します。そして福沢がそれを実現する政治的装置として見出したのは、天皇制でした。福沢は当初、天皇制を冷静な目で見ていましたが、1882年の『帝室論』では、帝室の「万世一系」とその「人身収攬」の力を強調します。
国家のために命を捨てる国民を形成し「国権拡張」実現のために、しかも絶対主義亭な天皇制を不可欠と考えるようになったのです。
Q:福沢が煽動した朝鮮の「内政権」剥奪や日清戦争、「報告の大義」と天皇への忠誠等の行き着く先が、1945年8月15日の破局では。
A:そういう評価は十分可能です。特に日本は、福沢が、あれだけ鼓吹し合理化した日清戦争の後、50年も中国への介入・戦争を続けたのですから、福沢には1945年までの戦争責任があります。日清戦争がなければ日露戦争もなく、日露戦争がなければ英国と組んで第1次大戦に参戦して南満州鉄道の権益を手にすることもなかったでしょう。
日清戦争がなければ、列強による中国分割の動きもなく、その動きがなければ、反帝を旗印とした「義和団」の抵抗運動もなかったでしょう。義和団に対し、日本を含む8カ国が鎮圧に打って出ましたが(北清事変)、日本は、この戦勝によって清国への軍隊駐留権を獲得します。そして、その駐留日本軍が1937年に中国軍と衝突し、日中全面戦争を引き起こします。これらの歴史的事実を考えれば、福沢の罪は重いと思います。
Q:もう、福沢を「偉人」扱いするのは止めるべきでしょうね。
A:そう思います。しかも福沢が煽動した朝鮮の内政権掌握と、その後に日本が韓国を併合したことが、結局は第2次大戦後に朝鮮半島の政治的空白と分断をもたらしたのであって、分断は現在も続いています。過去だけではなく、現在の問題にも福沢の罪は関連しています。
安倍晋三政権が「明治150年」を賛美するなら、これを機会に今こそ私たちは福沢諭吉という誤読され美化された思想家の真価を問うべきでしょう。それなしに日本の近現代史の正しい歴史認識は確立できないと思います。(対談)(週刊金曜日)
《【沖縄知事選】デニー玉城候補-過去最多得票の大勝:早速の効果》
1:翁長知事の急逝に伴う沖縄県知事選が30日投開票され、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する玉城デニー氏が、前宜野湾市長の佐喜真氏=自民、公明、維新、希望推薦=を破り初当選した。開票99%で、玉城デニー氏396.541、佐喜真氏316,321で過去最多得票の大勝で、県民は翁長氏が当選した前回知事選に続き「辺野古移設」に明確なノーを突きつけた。
2:本選挙は①安倍(独裁)首相(自民党総裁)が9月20日の総裁選で、連続3選を果たしてから初の大型選挙だった②辺野古移設埋め立てを強引に実施しようとする安倍政権は、どうしても勝利したい選挙であった。従って菅官房長官は三回、小泉進次郎が三回、幹事長、二階幹事長は数回入り、スタッフを常駐させる体制、加えて石破氏、小池百合子氏も沖縄入りをする大規模な動員を行った。かつ公明党は、県公明党が移設反対の立場であるにも関わらず、前回の自主投票から今回は推薦に切り替え、全面支援の態度をとった。
3:政府が移設工事を強行する中にあっても、県民は辺野古の美ら海を埋め立てるのは許さないとの強い決意を示した。
4:政府は今後も移設計画を進める方針だが、安倍政権の求心力低下も予想される中、先行きには不透明感がある。「知事選で敗れればもう移設を止められない」。
移設反対派は、辺野古移設を強行する政府に対して強い危機感を持っていた。
5:安倍政権に対する影響力について、安倍政権擁護の姿勢を持つ産経新聞が「知事選は、安倍首相(自民党総裁)が9月20日の総裁選で連続3選を果たしてから初の大型選挙だった。政府・与党が総力を挙げて支援した佐喜真氏が敗れたことで、今後の政権運営にも影響を及ぼしそうだ」。日経新聞が「安倍首相(自民党総裁)にとっては党総裁選で3選した直後、2日の内閣改造・党役員人事の直前に注目の大型選挙で敗北する結果となった。2019年夏の参院選を控え、首相の政権運営にも打撃となりそうだ」と報じている。
朝日は「首相にとっては総裁選の地方票で伸び悩んだことに続く衝撃の結果だ。有権者全体で厳しい世論であることがはっきりした。来年の統一地方選、参議院の『選挙の顔』として疑問符が付きそうだ」と報じている。
6:玉城デニー氏が辺野古埋め立てに関する知事許可の取り消しを維持することは明白!
政府支持の読売新聞でさえ「政府は名護市辺野古への移設計画を予定通り進める方針だが、影響は避けられない見通しだ」としている。政府側は裁判で覆すことを試みようとするが、県民の意思を無視する形で、数人の裁判官がこれを覆そうとするのは、裁判所の自殺行為だ。(基本文献-孫崎享のつぶやき/管理者:部分編集)
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《メディアの現場から-歴史を振り返り、今を考える》
★「反骨の記録」から考える憲法問題-改憲に抗うために
◎講師:中村 尚徳さん(朝日新聞記者)
◎日時:2018年10月8日(月)午後2時~
◎場所:エルおおさか南館734号室(大阪市中央区石町2丁目5番3号)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m
◎資料代:500円
◎主催:グループZAZA/連絡先090-6067-0560(菅)
《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》
①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
(求人・就職活動中の方には必見!)
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp(なおツイッターでの投稿は①匿名性が高いこと、②ウイルス対策上等、業者助言により一切、開封・受付いたしません。)
(民守 正義)
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