リベラル勢力総結集で政権交代!(12)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【沖縄知事選】埋め立て承認撤回は翁長さんの遺志/心新たに団結(8.11沖縄県民大会から)》
「平和を求める大きな流れの中にあっても、辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか」「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民と共にあり、これからも微塵も揺らぐことはない」。8.11沖縄県民大会の冒頭、故翁長雄志知事の6月23日の沖縄「慰霊の日」式典挨拶が会場に流された。翁長知事遺族の翁長雄治さん(那覇市議)は「ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うときには、お前が想像するよりも遥かに大きな力になると何度も何度も言われてきた」と知事生前の言葉を伝え、「(父は)見届けることはできませんでしたが、父に翁長雄志に、辺野古新基地が止められたという報告ができるように頑張りましょう」と呼びかけた。
また「オール沖縄という、この大きな政治的潮流は、政治家のためにある訳でもなく、政争の具にするものでもない。オール沖縄は我々ウチナーンチュの強い決意、覚悟」と語り、陣営の結束を訴えた。知事とは高校で同級生だったという那覇市の城間幹子市長は、新基地反対の知事の思いについて「残念ながら(知事は)見届ける事はできませんでしたが、私達に、それが託されていると思う」と述べた上で、埋め立て承認撤回に触れて「後一息、手の届きそうなところに彼の胸の中にあったと思う。無念でならなかったと思う」と述懐し、知事の遺志継承を訴えた。謝花喜一郎副知事(知事職務代理者)は、4日に面会した際に知事は「一日一日しっかりと公務を着実にこなし『県民からの負託に応えたい』というのは撤回の事だ-と話した」と報告し「この知事の思いを深く受け止め、私達も辺野古に新基地は造らせないという公約実現に向けて全力で取り組んでまいりたい」と述べた。
加えて知事は「政府は、形振り構わず埋め立ての既成事実をつくろうと躍起になっており、県民の無力感、諦め感を誘おうとしているが、県民の権利を守り、新基地の危険を子や孫に背負わせないため、ここで諦める訳にはいかない」とも話していたとして「県政をお預かりしている我々として辺野古に新基地を造らせないという翁長知事の強い熱意、思いをしっかり受け止め、そして引き継ぎ、我々も、しっかり毅然として判断していきたい」と述べ、撤回実行は知事の意志との認識を示した。また謝花副知事は、知事の功績について「翁長知事が県民のため、まさに命を削ってまで辺野古新基地建設反対を闘う姿勢は末永く後世に語り継がれるものと思う」と話した。オール沖縄会議の高良鉄美共同代表(琉球大教授)は「今日の空は翁長知事の死を悼み、悲しみに泣いているかのよう。
しかし私達は、それだけじゃなくて、怒りも含んでいることを感じていると思う」と述べ、沖縄の空も海も大地も、これ以上傷つけてはいけないと力を込めた。
同会議現地闘争部長として登壇した山城博治・沖縄平和運動センター議長も知事追悼の言葉を述べ、「改めて翁長知事の決意を我が物とし、忘れずに、これから、また力強く立ち向かっていこうではないか」と訴えた。総がかり行動実行委員会の福山真劫共同代表は「私達は東京の、本土の平和団体として自らの責任を、その役割の重さを自覚している」と述べ、今夏から秋、最重点課題として辺野古闘争を闘う決意を表明。
大会決議を提案した同会議共同代表の玉城愛さんは、提案に先立ち「辺野古大浦湾、沖縄島を囲んでいる海は、この空とこの土地は誰のものですか。ウチナーンチュのもの、沖縄に住む人のもの」とアピールした。閉会の挨拶の中で同会議共同代表の稲嶺進・前名護市長は「辺野古新基地白紙撤回という答えを翁長知事に届けられるように、今日から新たな闘いに臨むという決意をこの場で皆さんと共に確認したい」と述べ、大会の意義を訴えた。
大会では、沖縄防衛局が設置した「環境監視等委員会」の副委員長の辞任が4月に認められた東清二・琉大名誉教授のメッセージが紹介された。東さんは防衛省の姿勢について「自分達の都合が悪いことは議事録に載せない」等と指摘し、「工事を進捗させる事に関係ない事には耳を貸さないという態度」と強く批判した。また大会開会に先立ち、県民投票条例制定を直接請求する署名運動を成功させた「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表が登壇。「もう翁長知事に署名を手渡すことはできなくなってしまった。私達に翁長知事の思いをもっと手渡して欲しかった」と話した。(基本文献-社会新報)
《【大阪から沖縄】巨大母子像「解放へのオガリ」が大阪から沖縄へ/ 平野 次郎(フリーライター)》
大阪市内の被差別部落・住吉地区で解放運動の拠点となっていたセンターの外壁に取り付けられていた母子像「解放へのオガリ」が5月下旬に沖縄へ移送された。橋下徹大阪市長(当時)の「市政改革」でセンターが閉鎖され建物解体が決まったため、オガリ像を制作した沖縄の彫刻家・金城実さん(79歳)が引き取り、今度は沖縄の差別解放を見守る事になった。
**************************************
大阪市住吉区の住吉地区にある「住吉隣保事業推進センター」。オガリ像があった「市民交流センターすみよし北」(旧住吉解放会館)の閉鎖に伴い住民達が自前で建てた新たな運動拠点だ。6月末の土曜日午後、新しいセンターを訪れると、識字教室「住吉輪読会」が開かれていた。中高年の女性6人が漢字ドリルで読み書きを習い、マンツーマンでボランティアの先生が付き添っていた。その中で一人、原稿用紙に向かって文章を練る木本久枝さん(83歳)の姿があった。1966年に識字教室が発足した当初からの生徒だ。
何度も挫けそうになったが、オガリ像を見上げて励まされてきた。「泣いたらあかん。差別と闘わなあかん」。オガリ像が造られた経緯は、住民参加の街創りと深く関わっている。69年に同和対策事業特別措置法が施行されたのを機に、住吉地区では住民の要求を取り入れた集合住宅や公共施設の建設が進み、住環境は見違えるほど整備された。
まちづくりの一環として文化活動に取り組む中で、大阪の夜間中学講師で反戦反差別をテーマに彫刻活動を続ける金城実さんを知り、街創りのシンボルとなる壁面レリーフを制作する事になった。金城さんは地区に泊まり込み、住民の意見を聞きながら制作を進めた。
住民も総出で粘土をこねた。完成したレリーフは、左腕に子供を抱え、右腕を空に突き出す母子像。題名の「オガリ」は地元の言葉で「叫び」の意味。77年2月、高さ12m、幅7mの巨大な像が移転新築された住吉解放会館の南面外壁に掲げられた。粘土をこねる作業に参加したときの様子を、木本さんは「つくる」という題の詩にしている。最後の一節をこう結ぶ。〈汗/かいてきた/ねん土が/ぬくもってきて/うちのねつが/つたわって/からだの/いちぶになった〉オガリ像には木本さんの様々な思いが込められている。
一つは像のモデルになった母子の事だ。母親とは識字を一緒に習う仲間だった。
子供が病弱だったため看病で夜も眠れない事が多かったという。それでも「この子が学校へ行くまでに名前ぐらい書けるようになりたい」と識字教室に通った。ところが、その子が小学生になり、車椅子に乗せて遠足に出かけようとして家で倒れ、そのまま亡くなった。
もう一人は、部落解放同盟大阪府連住吉支部の初代婦人部長。識字教室が始まって5、6年たったころの部落解放全国婦人集会でのことだ。地元の女性が差別された生い立ちについて報告すると、会場のあちこちですすり泣きが聞こえた。すると木本さん達と並んで座っていた婦人部長が立ち上がって叫んだ。「あんたらなに泣いてんの。差別されて泣いても何の解決にもならへん。闘わなあかん」。木本さんはオガリ像ができた当時、解放会館の向かいにある市立保育所の給食調理員をしていた。2階の屋上に上がるとオガリ像が真正面に迫ってくる。昼休みになると毎日のように屋上へ出てオガリ像を見た。
像のモデルになった母親の顔が浮かび、初代婦人部長の叫ぶ声がよみがえってきた。
住吉地区の街創りは2002年3月、一連の同和対策特別措置法が終了し転機を迎える。
大阪市は市内12の被差別部落にある解放会館を同和行政に限定せず人権啓発の場とする事を決め、00年4月に住吉地区の解放会館も人権文化センターへ名称変更。
その後も同和行政の後退によって12地区の社会福祉施設の統廃合が計画され、10年4月に住吉地区でも青少年会館等が廃止され「住吉人権文化センター」の名称が「市民交流センターすみよし北」に変わった。その市民交流センターも11年12月の橋下徹大阪市長の誕生によって翌年4月に廃止の方針が打ち出された。これに対しセンターの存続を求める運動が広がり、廃止予定を2年遅らせることはできたが、16年3月、全ての市民交流センターが閉じられた。
住吉地区では市民交流センター閉鎖の翌月、新たな運動拠点「住吉隣保事業推進センター」がオープンした。行政に頼らず住民が自前でセンターを建設できた背景には、「自主解放」を基本とする人権の街創りがある。99年7月、行政が撤収した社会福祉施設等の運営主体として社会福祉法人「ライフサポート協会」が発足。
解放同盟住吉支部等が人的、資金的に協力して高齢者や障害者の自立支援センター、通所更正施設、居宅介護サービス等を手がけた。03年1月には特定非営利活動法人「住吉高齢者障害者福祉事業団」が設立され、配食・食事サービスや清掃などの活動に住民が参加。
こうした人権の街創りの原点になったのが識字運動だ。解放会館で始まった週1回夜の識字教室は、部落史等の本を回し読みして学習したことから「住吉輪読会」の名がついた。
だが発足から5年を過ぎたころ、当初30人近くいた生徒が1人か2人しか来なくなった。
そこから立ち上がったのが木本さんだった。市場で会う人毎に声をかけ、手製の宣伝ポスターを共同浴場に貼る等して識字に誘った。生徒が増えてきたころオガリ像の制作が始まった。前述の粘土をこねる様子を詩にした木本さんの作品は76年の部落解放文学賞(詩部門)の佳作に入った。初めての詩が入賞したことが励みになり、詩作に没頭することになる。
同文学賞の佳作は10回を超え、10年には「なんでやの!!」が初入選。
100行を超える長行の詩は「よりによってエタの男と」と結婚に反対する母親と別れて故郷を出奔する場面から始まる。孫が生まれたとの便りに返事もよこさない母親だったが、一人暮らしが体に応えるようになって初めて娘の下へ身を寄せた。「もっと早よう来ればよかった」という母親を誘って識字教室に通い始めて8年。「目からうろこが落ちた」「胸の重しが取れた」と言い残して母は逝った。木本さんは今、初めての戯曲作りに取り組んでいる。
題は「おばあちゃん、なんで字を習っているの」。オガリ像は今、辺野古新基地反対運動最中の沖縄にある。「ナチスに抵抗したドイツの版画家ケーテ・コルビッツの作品をイメージしたものだ。人間の顔が見える運動に発展することを訴えていきたい」と金城さん。
住吉地区の人達も「部落差別と沖縄差別を解放する懸け橋にしたい」と願い、木本さんは沖縄の空へ叫ぶオガリ像との再会を楽しみにしている。(週刊金曜日)
**************************************
《【沖縄知事選】誰でもできる不正選挙・開票作業防止方策》
①投票記名にあたっては、絶対に「備え付けの鉛筆」は使用せず、予め御自分で(水性)ボールペンを持参し、それで記名しましょう。(鉛筆は「勝手な書き換え」の虞があります。特に期日前投票には要注意!)
②開票作業は公開となっています。【公職選挙法第69条】従って開票作業内は立ち入れませんが、それを示すロープ外からの作業監視(携帯等の録画もOK)は自由です。
特に「不明票の束処理」は、勝手に対立候補(自公候補)に、何気なく積み上げられる可能性があります。また録画等の作業監視する事で、心理的プレッシャーにより「不正作業」防止にもなります。主要開票場には、分担して開票作業監視する事が望まれます。
*なお「投票検数機ムサシ-不正操作」は、大阪府内某市では、他のメーカー機への総入れ替えが行われる等、疑惑が多いですが、ここでは「誰でもできる」に着眼し省略します。
*また本件記載にあたって、大阪府内2市から当然に「裏取り取材」を行ったところ、ある市の選管職員は「上司からの『書き換え』等、不正指示があっても逆らえず、一見、市民と職員が対立するように見えるが、本当は監視して頂いた方がありがたい」と内々にコメントを頂き「匿名」を強く希望されたため、市名も表記しない事を御理解ください。
(参考1:160709 【ダイジェスト版】大阪における「不正選挙」疑惑追及者Aさんインタビューダイジェスト版(聞き手:IWJ記者)/ https://youtu.be/T8i4rNuPjiU】)
(参考2:動画:「幹部からの指令で偽票を書きました」創価学会員の内部告発!2:50
【https://ameblo.jp/shig1956/entry-12177760750.html】)
《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》
①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
(就職活動中の方には必見!)
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp(なおツイッターでの投稿は①匿名性が高いこと、②ウイルス対策上等、業者助言により一切、開封・受付いたしません。)
(民守 正義)
0コメント