リベラル勢力総結集で政権交代!(4)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【天皇伝説】万世一系/矢崎 泰久(ジャーナリスト)》
久しぶりに『広辞苑』を引いてみた。【万世】よろずよ。万代。永世。永遠。【万世一系】永遠に同一の系統が続くこと。多く皇統について言われた。【万世不易】永久に変わらないこと。まるで奥歯にモノが挟まったような表記である。不明瞭だ。少なくとも日本国憲法には明記されていない。第一章天皇の第二条に[皇位の継承]が規定されており、「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。ところが天皇明仁は第125代とされ、元号は昭和から平成に変わった。
一体、何が根拠なのか。未だにはっきりしない。そもそも「皇室典範」は、現在では一般の法律に準じたものであり、国会の議決があれば、如何様にも変更が可能なのだ。
象徴天皇には、それなりの基準がなくてはおかしい。如何にも特例法のように「皇室典範」を扱っているとしたら、とんでもない過ちであり、天皇及び皇室全般について、一日も早く曖昧になっている部分を改正すべきである。改めて言うが、明治維新によって日本国は建国され、明治政府は天皇を国家元首にした。いわゆるこれが天皇制の始まりである。
むろん、それまでも天皇は存在している。しかし歴史書で知る限りでは、時の権力者に利用される存在でしかなかった。唯一の例外は大化の改新だった。天皇及び皇族が権力を握り、大和朝廷を発足させたのである。まだ日本は統一されていなかったが、奈良に都を移し『古事記』『日本書紀』によって、天皇を神格化した。長続きはしなかったが、神武を初代とし、万世一系を宣言する。当時は天皇という呼称はなかったが、後付けで神武から天皇になっている。古くから交流のあった中国の史書には、神武の名はもとより、天皇という呼称は全く記載されていない。西暦894年に遣唐使が廃止されるが、それまで天皇の名で遣わしたことになっているにも関わらず、記録すら残っていない。
武家が擡頭して、平安から鎌倉時代へと移り、1338年に足利尊氏が室町幕府を開くに至るまで、天皇家は時の権力によって翻弄される。南北朝に分かれた天皇の乱立もあって、皇位そのものが継承されたかどうかも判然としない。1467年に応仁の乱が起き、戦国時代に突入する。1608年徳川家康が江戸幕府を開き、1639年鎖国。1868年明治維新によって、一世一元の天皇制国家が誕生する。やっぱり、どこかしら、何かがおかしい。
そう思った日本人は沢山いたに違いない。それにも関わらず強権が日本国を富国強兵へと導き1945年敗戦を迎えた。もちろん、その間、異議申し立てをした人もいた。
弾圧され、言論は自由を奪われたままだったに違いない。負けたから悪いとか、失敗だったという問題ではない。日本が1945年8月に無条件降伏したのは厳然たる事実だった。
国家存亡よりも、生活を守る事が大切だった。反省すべき点は山ほどあった。
新しい国作りが出来るかどうかも分からなかった。焼野原にアメリカ軍が進駐し、支配する。連合国軍最高司令官マッカーサーが厚木に降り立ったのは8月30日だった。
9月2日に降伏文書に調印。それからはマッカーサーによる独裁専横だった。
敗戦から翌1946年1月1日天皇裕仁の人間宣言。4月に総選挙が実施され、5月に吉田茂内閣が誕生するそれまでは、アメリカの占領下にある傀儡政権だった。
それでも万世一系は消滅し、民主主義が日本再建の端緒だったことは疑う余地はなかった。それから73年が経過した。歴代の悪政が、日本社会をどんどん歪めてきた。
世界に冠たる平和憲法を骨抜きにしてしまった責任は大きい。更に現在は、権力に都合の良い改憲をすら目論んでいる。来年4月の生前退位と5月の現皇太子徳仁の即位、上皇を置く理由もはっきりせず、意味不明の元号をまたも改変しようとしている。
天皇について語るべき時が訪れたことを確信している。触れまいと逃げ回っている君らを私は軽蔑している。座布団ズラシは、もうご免だ。象徴天皇制をこのまま続けるにしても、しっかりとした論議をしたいと私は提案している。それに応えない言論人は腰抜けである。
戦争体験がない事等、理由にもならない。安倍政権の玩具にされている天皇明仁は今、何を考えているのだろうか。(週刊金曜日)
《【平成世相】この国はどこへ行こうとしているのか/作家・平野啓一郎さん》
<「反日」攻撃と冷笑主義>
昼下がりの東京都内は茹だる様な暑さだった。ビルの輪郭が陽炎の様に揺らいで見える。
将来が見通せない現代を映し出したかのようだ。バブル崩壊以降、平成は展望が開けない時代とも言われてきたが、平野啓一郎さんは、この時代をどう受け止めているのだろう。
「2000年代の初めに『自分探し』という言葉が社会的にはやりましたけど、僕は、日本全体が自分探しをしていたのが『平成』という時代かなという気がします」
自分探し-。1990年頃から使われ出したこの言葉、手元の辞書によれば「自分の現状に満足できず、本来の自分の性格、人生の目的等、納得できるものを探し求める事」とある。
99年の労働者派遣法改悪で、非正規で働きながらやりたい事を探す若者が増え、一気に広がったのは04年頃だ。アイデンティティーを模索してきた作家は、個人だけではなく、この国も「自分探し」をしているのだと説く。その真意が知りたいと、思わず前のめりになる。「政治的に見れば、東西冷戦が終わって、日本を『西側陣営』と位置付けていた前提がなくなってしまい、国際社会での立ち位置が分からなくなりました。経済的には、バブルの崩壊によって右肩上がりの成長が望めなくなり、文化的なことでは、インターネットの登場によって多様性が可視化されました。そうした中で、日本は国家としてのアイデンティティーを見失っていったのです」。更に続けた。「その帰結が安倍晋三政権だと思います」
自分探しの末に辿り着いたのが、なぜ安倍政権なのか?「冷戦後、国際政治の中でどういう位置に立つのかという問いには、完全にアメリカ従属で解決しようとし、経済では大企業優遇の中央集権的な体制を維持することにしました。原発はその象徴です。一方、国民のアイデンティティーに関しては多様性を重視するという方向性から離れ、国家主義に傾いています。それが一種の安心と安定と受け止められて長期間、一定の支持を得ているという状況なのでしょう」安倍政権を、平野さんは危惧している。「戦前の空気に似ていることがたくさんある」と思うから。その一つが言論への圧力だ。政権の政策に批判的な意見を発信すれば、政権支持側から「反日」といった言葉で攻撃される。「僕は子供の頃、漫画『はだしのゲン』で非国民という言葉を知りました。戦時中に政府や軍を批判して非国民と罵られる場面を見て、凄い時代だなと思っていました。でも今、反日という言葉は戦時中の非国民と全く同じように使われています。少なくとも10年前までは、政権を批判しても『反日』と言われることはありませんでした」もう一つ見えるのは、全体主義への変化だ。「景気さえ良くなれば、政治家が少々問題発言をしようと何をしようと、目を瞑るのが現実主義だというシニシズム(冷笑主義)が蔓延しています。社会的弱者への言説も変わりました。以前は、勝ち組負け組と言われ、勝ち組は努力したのだからいいじゃないか、努力しない負け組は放っておけという感じでした。それが今は、格差の底辺にいる人達は、生活保護等の社会保障費で国に迷惑をかけているという論調。消極的否定から、積極的否定の対象になっています」 アイデンティティーを見失ったこの国は、政府批判をする側や社会的弱者に対し、刃を向けていると見ている。個人のアイデンティティーに拘ってきた事が、作家としての「原点」にある。高校まで過ごした北九州市では、日本を代表する工業都市が活気を失っていくのを目の当たりにした。一方でバブルに熱狂する東京の風景は別世界のものとして見えていた。苦笑を浮かべながら「僕は自分のアイデンティティーとして、田舎者であるという事に強烈な拘りがあるんです。東京と地方とのギャップを、身をもって知っていますから。もう東京在住も長いですけど、今でも10代の時に持っていた東京への反発は残っています」。
格差社会の波を諸に被った団塊ジュニア世代である。「確かに僕らの世代には、割を食った世代だという共通認識がある。一方で、10代の頃は景気が良かったから、それなりにいい生活をしているはずなのです。その落差が堪えた世代ではあります。ただ同じ世代に生まれても、さっきも言った通り、どこに生まれるかで全然違う。そこで世代共通のアイデンティティーを持つのは難しい」中学生の頃から学校生活を楽しく送りながらも「生き辛さ」を感じていた。それを救ってくれたのが小説だった。「文学は人が生きるということに、非常に密接に結び付いている。単なるエンターテインメントとは違うのです。もちろん、そういう文学もいいですが、僕は読者が何に悩んでいるのか、なぜ文学が必要なのかを考えていきたい。それが結局、時代を考えていく事に繋がるのです」作品を世に送り出す事が本分と、政治問題等から距離を置く作家も多い中、ツイッターや新聞のエッセー等を通じて政権批判を含めた政治的発言をする事を躊躇わない。「『性的少数者は生産性がない』というような発言に対して批判します。ただ『当然の事を言っただけ』等と根強く思っている人達は、長い人生経験の中でそういう一つの思想を抱くに至っている訳ですから、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で批判されたからといって、簡単には変わらない。安倍政権には凄く問題が多いと思いますが、支持率が30%を割らない。その支持層は何があっても政府を支持します」それでも諦めず、発信し続ける。現在ツイッターには8万人強のフォロワーがいる。「7万人を超えた辺りで、自分の影響力が大きくなった実感を持ちました。フォロワーを増やしたいとやっている訳ではありませんが、排外主義やウルトラナショナリズムが跋扈する時代に、それに対抗していくには、各自が一定の影響力を持てる環境を整えていく必要があると思います」そして付け加えた。「人一人の思想、特にその人の人生観とか世界観に関わる部分にアプローチするには、やっぱり文学は有効だと思っているのです。台詞が直接読者に響くだけに限らず、登場人物の考えや生き方を追体験する事もできますから。だからSNSとの両方で、今後も自分の意見を表明していきたい」
そこには作家、否、文学者としての誇りが覗いた。
■人物略歴:ひらの・けいいちろう-1975年、愛知県生まれ。北九州市で育つ。
京大在学中の99年「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」が20万部のベストセラーに。9月に新刊「ある男」が発売。(基本文献-週刊金曜日)
《【反戦・不戦】「不戦の思いを次世代に」》
◎終戦の日の言葉から「不戦の思いを次世代に」
平成最後の「終戦の日」。あの8月15日から73年。昭和の戦争の記憶は不戦の誓いとともに、次の世代に語り継がねばなりません。あの日も暑い一日だったことでしょう。
気象庁の記録によると東京の最高気温は32.3度、名古屋は36.5度。1945(昭和20)年8月15日の事です。37年の日中戦争から始まった長い戦争は昭和天皇の「聖断」で終わりました。国民は正午の「玉音放送」で終戦を知ります。あれから73年。
◆歴代首相「加害と反省」
戦争の犠牲者は、日中戦争後に戦死した軍人・軍属約230万人と米軍による空襲や広島・長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約80万人の合わせて約310万人。
これは日本人だけの数で、日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がります。政府は、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めます。
戦没者を悼むと共に、平和国家としての道を歩み続けると誓う事も、追悼式に課せられた重要な役割なのです。だからこそ日本は戦争を起こした過去を反省し、再び軍事大国にはならないと発信し続ける必要があります。とはいえ時の首相が追悼式で、アジア諸国への日本の加害責任を認めるまでには長い時間が掛かりました。損害と苦痛を与えた主体を「我が国」と明確にして加害と反省の意を表したのは、2001年の小泉純一郎首相が初めてです。「我が国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」それ以降の首相は小泉氏を基本的に踏襲し、㋇15日に加害と反省の意を表明してきたのです。
◆謝罪と距離置く安倍
安倍(戦争)首相も第一次内閣の07年には小泉氏同様、加害と反省に言及しましたが、政権復帰後の13年からは触れていません。今年の式辞でも「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い…」と述べてはいますが、加害と反省に言及しないのは6年連続です。
何故なのでしょう。安倍(戦争)首相は戦後70年の15年8月14日に閣議決定した首相談話で「私達日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べつつ、その前段では「あの戦争には何ら関わりのない、私達の子や孫、そしてその先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも明言しています。
追悼式の式辞で加害と反省に言及しない事は「謝罪を続ける必要はない」という本音の表れなのでしょうか。これでは加害への反省を忘れたかのように受け取られても仕方がありません。「歴史と謙虚に向き合い…」との言葉も、虚ろに聞こえてしまいます。
安倍内閣が13年12月に定めた「国家安全保障戦略」では「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と、日本の進むべき道を明確にしています。国際社会からの高い評価と尊敬を確固たるものにするには過去を振り返り、自省し、二度と戦争をせず、再び軍事大国にはならないという決意を、終戦の日という節目に、指導者自ら発信し続けることが必要なのです。
安倍(戦争)首相は、しばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ世界の国が各々、努力し、平和で安定した世界を創ろうと協力し合っている」と言います。しかし平和を強く願う気持ちを言葉にしなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。平和とは相互信頼が不可欠なのです。
◆天皇はお言葉で「反省」
日本国民統合の象徴である天皇は、今年の追悼式のお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省と共に今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と述べました。
天皇は戦後70年の15年以来、お言葉に「反省」の文言を盛り込んでいます。
国政に関する権能を有しない天皇ではあるが「反省」の文言からは、不戦への強い思いが窺えます。平成の8月15日は今年限りです。昭和の戦争を平成の時代も語り継いだように、先の侵略戦争への深い反省と不戦の思いを、次の時代にも語り継いでいくことが、今を生きる私達の責任です。
◎評価
安倍(戦争)首相は、前段では「“あの戦争には何ら関わりのない、私達の子や孫、そしてその先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません”」と言及している。
「あの戦争には何ら関わりのない、私達の子や孫、そして、その先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのは、日本政府だけで決めるものではない。日本が課した国々の人々がその必要がないという心境になる手立てを行って初めて生ずるものである。それは事実を消すことで生ずるのではない。事実を客観的に見つめ、その事実に対する深い反省を示すことによって生ずる。それなしに「私達の子や孫、そして、その先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という立場だけ続ければ、逆に「この先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命」を増し、長期化させることとなる。(参考文献-孫崎享のつぶやき/文責:民守 正義)
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