リベラル勢力総結集・安倍政権打倒!(35)

《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【独裁者】自覚のないのが独裁者の常/佐高 信》

 自分は特別だとして任期延長したり、意のままに操れる者を後継に指名するトップが組織を腐らせる。昨年11月、私は「文春社長、松井清人殿」を書いて、“裸の王様”になっている彼に警鐘を鳴らしたが、それは全く届かなかったようで、暴走を正当化する人事を発表した。
 社員が集まった席で、「会社の構造改革」等と、尤もらしい事を並べて居直った松井に、ある社員がこう迫ったらしい。前提として解説すれば、スキャンダルとは松井の女性スキャンダルを指す。“文春砲”で有名になった「週刊文春」前編集長の新谷学は「ウチの雑誌にタブーはない」と豪語してきたというが、文春そのものにタブーがあったわけである。「松井さんのやったことは今、そして、これから続く私達の会社に大きな影響を持つことだからこそ問題にするのです」こう切り出したある社員は、面と向かって松井に「口先だけの侘びなんか受け取れない」と続け、「松井さんがやってきた悪事をきちんと認識し、それを否定しない限り、前に進む事はできません」と直言した。松井のスキャンダルの相手は社内にいるだけに、人事も恣意的になり、恐怖政治の空気が充満したという。松井自身の小心さが専制を生んだのである。彼の周囲には、反論したこともないイエスマンだけが集まった。「自由にものが言えるという、この会社の一番よい美風を松井さんは粉々に打ち砕いたのです」独裁者と化した松井の前で率直に、こう言うのは勇気が要っただろう。「前代未聞のスキャンダルで松井さんは会社の外で社員に恥を掻かせた。この会社の破壊者です。そんな人がよくもまあ、何故もっと早く辞めてくれなかったのか。松井さんは会社の中をボロボロにしただけでなく、文春という金看板に泥を塗った。とんでもない負の遺産、重い十字架をわれわれに背負わせたのです。その自覚はありますか?」この声を遮って松井は会を終わらせたというが、自覚のないのが独裁者の常である。(週刊金曜日)


《【死刑執行懐疑】オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面協力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省》

 一連のオウム事件で首謀者として死刑が確定していたオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚に死刑が執行され、更に新実智光、早川紀代秀、井上嘉浩、中川智正、遠藤誠一、土谷正実という計7人の死刑囚にも次々と刑が執行された。
 1日に7人もの死刑執行は戦後前例がない。死刑制度の是非については別論議として、それ以前に問題なのは、一連のオウム真理教事件には、いまだ数々の謎が残っており、それが解明されないまま麻原死刑囚らの刑が執行されてしまったことだ。
 これについては、被害者遺族からも「疑問や謎をもっと解明してほしかった」という声が上がっているほどだ。確かに政権にとってこの死刑の執行は最良のタイミングだった。
 来年には天皇の退位、新天皇の即位と祝賀行事が続く。再来年は東京オリンピックがあり、国際社会の注目も高まる中、死刑を執行すれば国際的に強く批判されることになる。
 だから“今年中に”ということは既定路線だっただろう。しかし、それでも、こんなにすぐにオウム事件の死刑囚13人中7人を一気に執行するというのは異常としか言いようがない。
 しかも13人の死刑囚の内、何故この7人が選ばれたのかも全く不明だ。
 例えば初期の坂本弁護士一家殺害事件の死刑確定囚から始めたという訳でもなければ、全員が日本最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件の確定死刑囚ということでもない。
 また死刑の確定順かといえば、そうではない。これについて上川陽子法務大臣の会見でも説明さえなかった。オウム事件に詳しい複数のジャーナリストや司法記者に訊いても、何が基準かについては、首を捻るばかりだ。「なんとなく知名度の高い受刑者を選んだだけではないのか。国民栄誉賞の人選じゃあるまいし」と語る記者もいたほどだ。
 しかし、もしかしたらこうした疑問を解く鍵になるかもしれない事実が一つだけある。

 それは7人の中に井上死刑囚が含まれていたことだ。井上死刑囚といえば、これまでの一連のオウム裁判で、検察のシナリオに沿って、検察の都合のいい証言を続けてきた“最重要人物”だ。例えば17年間の逃亡の末逮捕された高橋克也受刑者は地下鉄サリン事件や目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件の関与に関して「サリンとは知らなかった」「被害者の仮谷清志さんに注射を打つことも知らなかった」と主張したのに対し、井上死刑囚は「サリンを撒くから運転手をするように」「仮谷さんが暴れないようにクスリを打って眠らせることを高橋被告に確認した」と有罪の根拠になる重要な証言をしている。
 だが一方で井上死刑囚は逮捕当時「(仮谷さんの注射について)高橋は知らなかった」と全く逆の供述をしていたのだ。更に、この際、麻酔薬を投与した中川死刑囚から「ポア(殺害)できる薬物を試したら死んだと聞いた」とも証言しているが、中川死刑囚は、これを否定。更に、その場にいた元医師の林郁夫受刑者も「井上証言はあり得ない」と証言している。それだけでなく殺害された仮谷さんの長男でさえ、中川死刑囚の殺害示唆を「信じ難い」と井上証言に疑問を呈したほどだ。また井上死刑囚は、宗教学者のマンション爆破等が問われた平田信受刑者の裁判においても、事件前に平田受刑者に「これから『やらせ』で爆弾をしかけると言った記憶がある」と事前共謀、計画があったことを証言し「何も知らなかった」と主張する平田受刑者と対立している。平田受刑者はともかく、既に死刑が確定していた中川死刑囚が、殺意を否定するという嘘をつく理由はない。
 一方の井上死刑囚は、数々のオウム裁判において「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム被告達を“より重罪”へと導いていったのだ。

<検察ストーリーに乗った証言でオウム信者を重罪に導いてきた井上嘉浩>

 井上証言の中でも特に大きかったのが、地下鉄サリン事件における麻原死刑囚の関与の証拠とされた、いわゆる「リムジン謀議」についての証言だった。地下鉄サリン事件の2日前の1995年3月18日、麻原死刑囚は都内の飲食店で会食後、井上死刑囚、村井秀夫、遠藤死刑囚ら幹部を乗せたリムジン内で、公証役場事務長拉致を巡るオウムへの警察の強制捜査を阻止するために地下鉄にサリンを撒くことが提案され、麻原死刑囚も、それに同意したとされる。
 これが麻原死刑囚の地下鉄サリン事件関与の証拠となったが、しかし、それを証言したのは井上死刑囚だけだった。逆に、この井上証言がなければ、麻原死刑囚を有罪とする法的根拠はなかった。数々のオウム裁判で「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム事件の被告達を“より重罪”へと導いてきた井上死刑囚。
 だが他のオウム被告達の証言は、尽く食い違っており、検察が公判を維持するために描いたストーリーに無理やり沿っているとしか思えないものだった。
 そのため井上死刑囚と検察との関係を巡っては、様々な疑惑が囁かれてきた。
 長年オウムの取材を続けてきた公安担当記者の多くもこんな見方を述べていた。
「井上死刑囚の取り調べの過程で、検察はオウムへの帰依や洗脳を捨てさせる一方で、逆に検察への逆洗脳を誘導したとみられています。その後、井上死刑囚は、まるで“検察真理教”となったが如く、検察にとって有利な証言を繰り返し、“有罪請負人”の役割を果たしてきた。オウム事件は多くの信者が関わり、その役割は物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。そしてその見返りとして、ある種の司法取引があった可能性が高い」
 実際、井上死刑囚は、一審ではオウム事件で死刑を求刑された者の中で唯一、無期懲役の判決を受けている。結局、二審では死刑判決に変わるが、それでも執行を遅らせる、すぐには執行しない等というような暗黙の取引があったのではと言われていた。
 だが今回、井上死刑囚もまた死刑を執行されてしまった。全てのオウム裁判が終結したことで、もう用無しになったということなのか。実は更に、もっとグロテスクな裏があるという指摘もある。それは、今回の死刑執行が法務・検察による口封じだったというのだ。

<井上が再審請求をした日に7人の死刑囚を執行準備のため移送>

 前述したように、検察のストーリーに沿って、多くのオウム被告達を“より重罪”へと導いてきた井上証言だが、その証言内容については、根本から再検証すべきではないかという声が上がっていた。特に大きかったのは3年前、当の司法からも井上証言に疑問符がつけられたことだ。2015年11月、17年間の逃亡の後逮捕された菊地直子氏は、一審では実刑判決だったものが一転、高裁で無罪となる。その際、一審有罪の根拠となった井上死刑囚の証言の信用性についても、高裁は「(井上証言は)不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」として認めなかったのだ。数々のオウム裁判の方向性を決定づけてきた井上証言の信用性に疑問符がついたことで、司法界やジャーナリストの間でも「その他のオウム事件についても再検証が必要ではないか」という声が高まっていた。そして井上自身にも大きな姿勢の変化が現れていた。今年3月14日、まるでそういった動きに呼応するように、自らの事件について再審請求をしていたのだ。弁護人によると「死刑を免れたい訳ではなく、事実は違う事を明らかにしたい」と語っていたという。そのため一部では、井上死刑囚が再審で、検察のストーリーに沿って虚偽の証言をしていたことを自ら認め、真実を語るのではないかという声が上がっていた。もちろん井上死刑囚が再審で、これまでの証言を翻しても判決は変わらない。
 しかし、もし本当にそんな事になったら、それこそ麻原死刑囚はじめ、他の死刑判決の信用性が根底からひっくり返り、検察と裁判所はメディアから大きな批判を浴びることになる。また再審は阻止しても、もし井上死刑囚が本当にそう考えているなら、メディアに、そのことを語る可能性もあった。法務省は、こうした井上死刑囚の変化を察知して、井上死刑囚が真実を語る前に、刑の執行を急いだのではないか。そんな疑いが頭をもたげてきた。
 そして井上死刑囚だけがクローズアップされないように、複数のオウム死刑囚を一気に執行した。麻原死刑囚以外の6人の死刑囚が執行準備のために一斉に東京拘置所から各地の拘置所に移送されたのは、井上が再審請求をした3月14日同日の事だった。これは単なる偶然か。
 もちろん、これらの見方は、まだ推測の域を出ない。しかしタイミングは偶然だったとしても、今回の死刑執行によって、一連のオウム裁判の鍵を握っていた井上が真実を語る機会が潰され、井上死刑囚と検察の取引疑惑や、地下鉄サリン事件での「リムジン謀議」をはじめとする数々の“真相”が永遠に封印されてしまったことには変わりはない。
 様々な謎を残したカルト事件は、事件首謀者達の“異様な”死刑執行によって歴史の闇へと消え去ろうとしている。しかし、この「恐怖の国家権力策略」に管理者は、更なる深層真理探求に引き続き行い、様々な筋を使ってでも、葬り去る事は許さないつもりだ。(参考文献-リテラ/管理者:総合編集)

<【アムネスティ抗議声明】正義に反するオウム事件7人の死刑執行>

 オウム真理教元代表を含む元幹部7人の死刑が執行されたが、処刑は正義の実現にはなりえない。オウム真理教は、1995年の地下鉄サリン事件のほか松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件等の凶悪事件を引き起こし、元幹部ら13人が死刑判決を受けた。
 一連のオウム事件の死刑確定者に対して、今回が初の死刑執行となった。
 地下鉄サリン事件では神経ガスに晒されて13人が死亡、数千人が被害に苦しんでいる。
 1日に7人の大量処刑は、近年類を見ない。彼らの犯行は卑劣で、罪を償うのは当然である。しかし処刑されたところで、決して償いにはならない。正義の実現には、真相究明が欠かせない。また全ての人の人権を尊重してこその正義である。人権を否定し、真相究明の機会を奪う死刑は、正義とは程遠い。今朝、処刑されたのは、松本智津夫さん、中川智正さん、新実智光さん、早川紀代秀さん、井上嘉浩さん、遠藤誠一さん、土谷正実さんの7人。
 執行は、全国の拘置所で行われた。数人が、再審請求をしているものとみられる。
 各国の人権状況を審査する国連の普遍的定期審査で、日本は死刑制度の改革を迫られてきたが、この3月、またもや勧告受け入れを拒否した。日本政府は「世論が望む」から死刑執行は避けられない、と繰り返し主張してきた。しかし本来、国がすべきことは、一歩踏み出して、人権尊重を主導することである。アムネスティは、犯罪の性格や犯罪者の特質、処刑方法に関わらず、いかなる死刑にも反対する。過去40年以上にわたり、終始一貫して死刑の廃止に取り組んでいる。
アムネスティ国際ニュース
2018年7月6日
※死刑執行抗議声明における「敬称」について アムネスティ日本は、現在、ニュースリリースや公式声明等で使用する敬称を、原則として「さん」に統一しています。
また人権擁護団体として、人間は全て平等であるという原則に基づいて活動しており、死刑確定者とその他の人々を差別しない、差別してはならない、という立場に立っています。
 そのため、死刑確定者や執行された人の敬称も原則として「さん」を使用しています。
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(民守 正義)