リベラル勢力総結集・安倍政権打倒!(21)

《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《燻り続ける解雇の金銭解決制度/全国ユニオン事務局長 関口達矢》

<「新しい経済政策パッケージ」に明記>

 政府は4月6日、奴隷的労働法制(働き方改革)関連法案について、裁量労働制の拡大は削除されましたが、過労死促進法である高度プロフェッショナル制度は、国会会期延長の中、いまだ参議院審議中で、いつ、強行採決されるか、予断を許さない状況です。
 政府の「働き方改革」はもはや完全にメッキが剥がれています。加えて今回の奴隷的労働法制(働き方改革)関連法案にはありませんが、陰で燻り続けている法改悪があります。
 会社が金を払って働く者を職場から排除するための仕組み、「解雇の金銭解決」です。
 昨年12月8日に閣議決定した「新しい経済政策パッケージ」でも「…可能な限り速やかに、労働政策審議会において法技術的な論点についての専門的な検討に着手し、同審議会の最終的な結論を得て、所要の制度的措置を講じる」とされています。
 現時点では鳴りを潜めていますが、今回の奴隷的労働法制(働き方改革)関連法案が一段落すれば、早晩、動き始めるでしょう。

<「導入の必要がある」と結論づけ>

 解雇の金銭解決制度が初めての公の場で議論されたのは2003年。労働基準法改悪について議論する労働政策審議会でのことでした。このときは法案になりませんでしたが、その後、浮上しては沈んできました。13年以降、政府内で議論が行なわれるようになり「日本再興戦略」改訂2015で検討を進めることが明記されました。厚生労働省は政府の意向を受け15年10月に有識者、経営者団体、労働組合の他、弁護士も参加した検討会を設置。
 激しいやり取りの結果、学識経験者、使用者側、労働者側の三者の意見が各々、並記された報告書が昨年5月29日に公表されます。いわば意見はまとまらなかったのですが、それでも「労働者の多様な救済の選択肢の確保」として、導入の必要性があると結論づけて労働政策審議会で検討することを求めています。この報告書が発表された後、労働政策審議会では奴隷的労働法制(働き方改革)関連法案の一括化、臨時国会の冒頭での解散と慌しい状況が続いていました。このまま有耶無耶になるかとも思えましたが、前述したように昨年12月8日に閣議決定した「新しい経済政策パッケージ」で、労働政策審議会で議論することが記載されたのです。解雇の金銭解決制度の推進派は「労働者の選択肢を増やす」等と主張しますが、解雇不当の判決を得ても職場復帰の道を閉ざすことになりかねません。
 更には企業がリストラの際「裁判で争っても○○万円しか支払われないよ」等と耳打ちして、安い金額で退職に誘導する可能性も懸念されます。
 どのように取り繕っても、解雇の金銭解決制度は解雇をやりくりするための制度でしかなく、働く者が救済される等という主張は牽強付会以外の何物でもありません。
 こんなところでも安倍政権の進める奴隷的労働法制(働き方改革)の本質が分かります。(基本文献-社会新報/管理者:部分編集)


《【沖縄-反基地】沖縄出身のりゅうちぇるが「慰霊の日」に向け語っていた戦争、米軍基地への強い思い》

 沖縄戦から73年─6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。
 最後の激戦地となった糸満市摩文仁の沖縄平和祈念堂では、翁長雄志知事や安倍(戦争)首相が出席の下、沖縄全戦没者追悼式が行われた。そんな中、あの沖縄出身タレントが、この慰霊の日に合わせて平和へのメッセージを発信した。独特のキャラクターで一躍人気者となった、りゅうちぇるだ。それは、ある報道新聞のインタビューでのこと。
 このインタビューでりゅうちぇるは、自身のルーツと沖縄への思いを、初めて踏み込んだ形で語っているのだ。「沖縄では若い子も御爺、御婆から戦争当時の話をよく聞きます。10代だった僕の父方のお婆は『アメリカに捕まるくらいなら、爆弾で死のう』と言って集団自決しようとする群れから、1人だけ逃げて生き残ったそうです」住民を巻き込んだ戦闘は残酷を極め、死亡した民間人は約10万人、県民の約4人に1人が亡くなったといわれる沖縄戦だが、中でも多発した住民の集団自決は、強制的な集団死に追い込まれたというべきもので、沖縄戦の惨さを象徴している。そんな苛烈な状況を生き抜いた祖母の記憶を、りゅうちぇるは引き継いでいるのだ。その祖母は戦後、「戦争中に日本に来た米兵」と結婚。りゅうちぇるの父が生まれたが、その後、祖父と祖母は離婚。祖父はアメリカに帰ったのだという。「戦争は人を変えてしまう。皆が皆悪い人じゃないし、皆が皆いい人でもない」─。
 お婆はそう語っていたと、りゅうちぇるは振り返り「(お婆は)米兵や祖父を悪く言いませんでした」と言う。沖縄では多くの人が戦争を抜きでは語れない人生を抱えている。
 だが、それは戦争体験者だけのものではない。米軍基地という、危険と隣り合わせの現実がそこにはあるからだ。りゅうちぇるは基地問題についても語っていた。「今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます。宜野湾市にあった自宅前には普天間飛行場があり、ヘリコプターや飛行機が爆音を響かせて飛行するのは当たり前の光景でした」 この「当たり前」は現在進行形の話であり、その上、騒音に加えて“墜落”“落下物”の恐怖にも晒されている。ご存じ通り、名護市沿岸でのオスプレイの墜落や東村高江でのCH53Eの不時着・炎上をはじめ、米軍機の事故が相次いで起こっているが、昨年12月には普天間基地近くの緑ケ丘保育園の屋根に「US」等と書かれたプラスチック製のCH53Eの装置カバーが落下するという事故が発生。その事件事故から僅か6日後には、普天間第二小学校の校庭にCH53Eのコックピットの窓枠が落下した。当然ながら沖縄県は小学校上空の飛行中止を求めたが、日本政府は全くの他人事で結局、日米間で「学校の上空飛行を最大限可能な限り避ける」という曖昧な合意をしてしまう。その「可能な限り」等という合意が何の効力もないことは明らかだ。

 実際、事故後も米軍機は学校付近を飛行し続け、事故から約1カ月後、普天間第二小でヘリの接近を想定した避難訓練が行われた、まさにその日にも米軍は、学校上空を飛行。

 普天間第二小では米軍機が上空に接近すると児童を校庭から校舎へ避難させるという対応をとっているが、その避難回数は、校庭使用を再開した今年2月から6月8日までになんと527回にも上っている。その上、今月21日には、名護市の農作業小屋の中から銃弾のようなものや弾痕が発見された。丁度、米軍のキャンプ・シュワブ内の訓練場では18日から実弾訓練が行われており、基地からの流弾である可能性も考えられるのだ。いつ、空から鉄の塊が落ち、地上で銃弾に当たるかもしれないという不安に脅かされる日常─。その中で、りゅうちぇるもまた生活を送ってきた。りゅうちぇるは、こんな体験をインタビューで語っている。

<りゅうちぇるが体験した米軍ヘリの落下事故「その光景は忘れられない」>

 「危険と隣り合わせだと感じたのは、2004年に米軍ヘリが沖縄国際大(同市)に墜落した時です。僕は当時小学校3年生。友達と本屋を出て、タコライス屋に入ろうとした時でした。ヘリが上空で旋回するのを眺めていたら、急に止まって、垂直に落ちたのです。その光景は忘れられません」幼い少年だったりゅうちぇるが体験した恐怖は、いかばかりだったろう。
 この事故では幸い死者は出なかったが、それは奇跡のような偶然が重なった結果でしかない。しかも沖縄が隣り合わせなのは、米軍による事故だけではない。
 2016年には沖縄県うるま市で米軍属の男による女性死体遺棄事件が起こったが、こうした米軍による犯罪、とりわけ女性を狙った性暴力犯罪は後を絶たない。
 現に、りゅうちぇるが生まれたのは1995年。沖縄で小学生の女児が複数の米兵に拉致・暴行された事件が起こった年だ。あれから沖縄の状況は何も変わっていない。
 あのとき米軍は日米地位協定を盾に容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、その不平等極まりない地位協定をいまなお日本政府は温存させつづけている。「今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます」というりゅうちぇるの言葉はけっして大袈裟なものではなく、沖縄の現実を映し出した言葉だ。そして戦争で「捨て石」にされた沖縄では、今も政府が基地を押し付け、事故や事件には関心を示さず、辺野古や高江で基地に反対する人々を弾圧するという暴挙が繰り返されている。いまだ、戦中と地つづきにある沖縄。
 だからこそ沖縄戦で犠牲となった人々を悼む「慰霊の日」は、沖縄だけではなく、この国にとってとても重要な日なのだ。りゅうちぇるは「慰霊の日は、沖縄の事をメチャクチャ熱心に考える一日です」「今も慰霊の日の正午には『うーとーとー』します」と述べている。
 「うーとーとー」とは「手を合わせて祈る」こと。実際、りゅうちぇるは、毎年のように、6月23日になるとTwitterで「うーとーとーする日」「きちんとうーとーとーしたよ」等と呟いてきた。そして2015年のこの日、りゅうちぇるはこうも投稿している。
〈沖縄県民だけでなく1人でも多くの全国民が、戦争のない、差別のない、平和な世界を願いましょう〉今回、りゅうちぇるが語ったことは、少しでも沖縄の過去といまの現実を広く知ってほしいという思いがあってのことだろう。りゅうちぇると共に〈戦争のない、差別のない、平和な世界〉を願いつつ、今日という日を今現在、沖縄が置かれている現状に心を寄せる日にしたい。(基本文献-リテラ/管理者:部分編集)
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《解放オガリへのカンパにご協力を!『解放へのオガリ』を沖縄へ!》

<『解放へのオガリ(叫び)』とは>

 大阪市にある住吉地区のシンボル『解放へのオガリ(叫び)』は1977年2月に完成し、住吉解放会館(現在:市民交流センターすみよし北)の大壁面に設置されました。
 沖縄出身の彫刻家・金城実さんが制作したもので、高さ12.3メートル幅7メートルの母と子のレリーフです。題名『解放へのオガリ』は、住吉地区で使われていた「おがる」という言葉から命名されました。「おがる」とは「叫ぶ・怒鳴りつける」等の意味ですが、通常は「おまえ、何おがってんや」等の言い回しで、相手を笑いものにするような使われ方がされていました。そんな言葉をレリーフの題名にするのは、いかがなものかと大討論になりましたが、悪い言葉としてではなく、土着の言葉として積極的にアピールできるものが「おがる」にはあると考え「おがり」という語法はありませんでしたが、敢えて『解放へのオガリ』としたのです。また副題を『母は闘わん』としました。

<町づくりと壁画運動>

 『解放へのオガリ』が制作された経緯は、当時の住吉地区における町づくり運動と深く関わります。部落解放運動が全国的に高まる中、1965年に国は「内閣同和対策審議会答申」をうけて、1969年「同和対策事業特別措置法」を施行しました。その事を踏まえ、住吉地区では1972年に実態調査を行ない、1973年に部落解放住吉地区総合計画実行本部を立ち上げました。そして実態調査の結果を基に「6つの原則」をまとめあげ、専門家の参画を得てマスタープランを作成し、大阪市との助役交渉で町創りの実現を勝ち取りました。
 住吉地区の町創りにおいて最も重要な点は、町づくりにおける全ての段階において地区住民が徹底して参加した事だと言えます。住吉地区の町づくりが始まる中、建設計画中だった体育館の壁面に住吉部落の歴史を作ろうという話になりました。当時、「差別と闘う文化会議」で活躍していた金城実さんのことを地区の青年が知り、奈良県大和高田市にあった金城さんのアトリエを訪ねました。そこで制作中の沖縄戦をテーマにした『戦争と人間』を見て感銘を受け、その後、老人会・婦人部・青年部・子ども会がアトリエの見学を行い、学習会を重ね、金城さんの壁画を住吉地区の町づくりに取り入れることになりました。

 こうして、『解放へのオガリ』と体育館壁面に設置されている高さ2メートル・幅25メートルの老人会・婦人部・青年部・子ども会による共同作品のレリーフ制作へとつながっていったのです。

<『解放へのオガリ』の沖縄移設に協力を!>

 それから40年、大阪市は2016年3月末をもって市民交流センターすみよし北を閉鎖しました。今年、市民交流センターすみよし北の解体が始まります。私達は『解放へのオガリ』を沖縄に移設し、後世に残したいと考えています。沖縄移設には、約800万円の経費がかかります。今後、広くカンパを募っていきますので、皆様のご支援をよろしくお願いします。
【金城 実】35年間大阪に住み、その間に反差別・被抑圧民衆と共に学んだ機会は、彫刻の共同制作でした。それは多くは解放同盟大阪府連住吉支部からのスタートでした。
 特に「解放へのオガリ」、歴史を刻んだ「レリーフ」「荊冠旗」の制作活動は金城実を彫刻家として大きく成長させてもらったことに感謝しております。同時に沖縄に帰り反基地闘争に参加していますが、その間に米兵による殺人傷害事件に遭遇し、その度に県民大会が幾度も開催されました。沖縄人の人権が踏み躙られています。しかし一方で水平社宣言文を想い出すとき、我々、沖縄は古くは「人類館事件」(1903年)、「にんげん教科書問題」(1971年)で部落・アイヌ・朝鮮人・台湾人を差別した歴史があります。
 「解放へのオガリ」を沖縄に迎える─その歴史の反省に立つならば「解放へのオガリ」が沖縄の人々に改めて人権を問う一石にしたいものです。
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「解放へのオガリ」沖縄への旅プロジェクト
*発起人:友永  健三(公益財団法人住吉隣保事業推進協会 理事長)
小住  光(部落解放住吉住宅自治会連合・住吉第五町会 会長)
友永  健吾(部落解放同盟大阪府連合会住吉支部 支部長)
梶川 田鶴子(住吉論読会水曜組 学習者)/木本  久枝(住吉論読会土曜組 学習者)

有銘  政夫(元沖縄県中部地区労議長)/石川  元平(元沖縄県教組委員長)
崎原  盛秀(元平和市民連絡会共同代表)/照屋  寛徳(衆議院議員)
山内  徳信(元沖縄県読谷村村長・元参議院議員)/鎌田  慧(ジャーナリスト)
*賛同人・募金を募集しております!:目標額 800万円(沖縄での設置費は含まず)
*募金振込先:郵便振込00990-1-82466金城実事務局
 ゆうちょ銀行 普通預金 7605208
*連絡先:部落解放同盟大阪府連合会住吉支部(大阪市住吉区帝塚山東5-6-15)
友永(TEL06-6674-2521 FAX06-6674-2522)/金城実事務局-大阪府茨木市穂積台9-104
辻田(TEL/FAX072-626-4501 tsujita1939@jcom.zaq.ne.jo)
服部(TEL 080-1434-1652 info@hattori-ryoichi.com)
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《【写真展】広河隆一/戦場の子どもたち》

◎翻弄される命を見つめた50年の記録:パレスチナ、イラク、アフガニスタン、
 コンゴ、チェルノブイリ、福島
 ●2018年6月26日(火) ─ 7月1日(日)10:00─20:00/入場無料
  *最終日10:00~12:00大阪ドーンセンター:パフォーマンススペース
  *アクセス:電車でお越しの方へ:京阪「天満橋」駅、Osaka Metro
  (旧大阪市営地下鉄)谷町線「天満橋」駅1番出入口から東へ約350m。
  JR東西線「大阪城北詰」駅下車。2番出口より土佐堀通り沿いに西へ約550m。
〔主催〕広河隆一写真展 大阪実行委員会 (問)090-9692-0377
    〒540-0008 大阪府大阪市中央区大手前1丁目3-49
    Webサイト:http://www.dawncenter.jp/shisetsu/map.html


《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》

職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp(なおツイッターでの投稿は①匿名性が高いこと、②ウイルス対策上等、業者助言により一切、開封・受付いたしません。)

(民守 正義)